第五話 日本外交の資産としてのODA
(「外交官の仕事」(草思社)から)
日本は外交の手段としてどのようなものを持っているか、という話しを続けたい。今度は、ODAのことである。日本の外交は、世界の安全保障とかバランス・オブ・パワーなどという話になってくると、自ら提案するというよりは状況に対応する方が主になりがちだが、開発途上国の経済を離陸させ、それによってその社会を安定、かつ民主的にしていく、という経済開発支援は日本が自由に腕をふるえる分野であり、日本の得意種目として世界に売り込めばいいと思う。
日本経済はこの十余年苦しかったが、開発途上国の人達には日本は相変わらず光り輝く経済大国として見えている。立派な邸に住む者は町内会にそれだけ多くの寄付をしなければならないように、日本も開発途上国を助けなければ国際社会の中でやっていけない。つまりODAは国際社会でのつき合い、即ち外交にも必要なのだ。但し、つき合いだからいやいや寄付を出すというのではなく、出す以上はODAをもらう国における日本の立場、そして世界全体における日本の立場を向上させるために、そしてその国の経済発展に本当に役に立つように使っていかなければならない。
国際社会での力比べは熾烈である。そこで、自分の言い分を通し尊重させるのは容易なことではない。政治力なり軍事力なり経済力なり、何かを具体的に実現する力を持った国が尊重される。日本はNATOとかEUのような数の力を背景に持っていない。日米安保があると言っても、第三国でのアメリカ外交官がいつも日本のことを考えてくれるわけではない。日本の力の基本は経済力で、それを海外で目に見える形で示そうと思ったら、ある国のものを大量に買い付けるか直接投資をするかODAでその国の経済発展を助けるかしかない。「日本は経済力しか持っていない。だから外交力が不十分なのだ」と嘆く人がいるが、これは経済力すら持っていない国にしてみれば贅沢過ぎる悩みだ。日本は、政府の公共事業費の十分の一程度の規模のODAで―――しかもその半分は借款だから三十年くらい先には返ってくる―――、外交のインフラを整備できるのだから。
ODAとは何のことか?
ODA―――Official Development Assistance―――直訳すれば政府開発援助、これは日本の場合、予算や財政投融資を原資として行われる開発途上国援助を意味する。但し公的資金で行われる対外援助の全てがODAと呼ばれるわけではない。OECD(経済協力開発機構)の下部にあるDAC(開発援助委員会)が「この国は開発途上国です」と認定した国に向けられた資金だけがODAとして認定される。しかも、グラント・エレメント二十五%以上のものしかODAとして認定されない。グラントとは返済を求めない無償援助のことだが、借款でも返済期間が長くて利子率が低ければ無償支援に近い性格を持つものとして、無償性、つまり「グラント・エレメント」が高くなる。グラント・エレメントの低いものは「輸出信用」の範疇に入れられてODAとは見なされない。たとえばロシアはDACの開発途上国リストに入っていないので―――ロシア自身がプライドからそれを望んでいない―――、日本がこれまでロシアの経済安定化や改革を支援してきた資金は日本のODA実績としてカウントできない。
第二次大戦後多くの植民地国が独立した際、彼らの経済をどうやって発展させ「離陸」させるかが大いに研究された。今、その学問は「開発経済学」と銘打たれ、理想に燃える多くの青年たちを引きつけている。戦後六十年経った今でも開発経済学は未完成で、試行錯誤を繰り返しているように見えるのは、残念だが。
ODAは、民間直接投資とともに開発の重要な一端を担う。特に収益性の低いインフラの建設などでは、ODAが必要になる。しかし、どの国も税金を使ってODAを供与している以上、全く無私の援助というのもしづらい。だからODAを供与する国は、相手国政府から政治であれ経済であれ、有形であれ無形であれ何らかの代償を得ているものである。また、自国製品の輸出を拡大するためにODAを利用している国ももちろんあることだろう。
だからODAはいくつかの側面を持っていて、これを執行する外交官もまた、ある時は純粋に人道的な使命感に駆られ、ある時はまた冷徹な計算と打算の上にODAを供与し、またある時は特定の企業との癒着は避けながらもODAを供与するに当たって日本製品ができるだけ使われるよう意を用いたり、いろいろな顔を使い分けることになる。
日本は八〇年代、財政赤字に悩む米国の肩代わりを迫られて、「世界に貢献する日本」というかけ声の下、ODA予算を増加させた。政府予算は「シーリング」と言って毎年の伸び率が抑制されるが、ODAは例外扱いとなった。そのため外務省のみならず多くの省庁ができるだけ多くの事業をODAに関連づけ、人員や予算の保持をはかった。実際に外国で技術協力をする現業官庁も増えた。
こうして日本のODA供与額は世界一となったが、日本の不況、米国経済の復活で、日本のODA予算は三〇%以上も削減され、二〇〇一年(■)の日本のODA供与実績は約一兆二千億円となった。うち約六千九百億円は将来返済される円借款で、約五千百億円が無償部分である。後者の金額は、日本政府の公共事業費の約二十分の一に相当する。
ODAの種類
日本のODAのメニューは豊富である。バブル崩壊後、ODAが強い関心を持たれ、よく批判されるようになったが、ODAのうち一部分のプログラムに対する批判をODA全体に及ぼしているようなものもあった。ODAを見直すのであれば、その実態をよく調べてからにする必要がある。情報はインターネットをクリックするだけで、随分出てくる
(経済インフラを整備できる円借款)>
ODAの中で一番規模が大きなものは、円借款である。円借款とは財政投融資資金や一般予算を原資とした資金を開発途上国に低利で貸し付け、三十年から四十年の長期にわたって返済を受けるものである。二〇〇五年度の事業額は■億円が予定されているが、以前貸し出した借款の返済が増えたため、一般会計から支出されるのは一七四四億円だけである。
円借款は読んで名のとおり借款だから、金を貸してもちゃんと返してもらえるような、それなりの経済力がついてきた開発途上国、目安で言えば一人当たり年間所得が■ドル以上になった国に供与する。そして対象になるプロジェクトは、利益はそれほどでなくとも、一応返済資金を自分で稼ぎ出せるような電力、水道、道路、鉄道など、つまりインフラ建設である。
中国に対してはこれまで■ 兆円の円借款―――繰り返すが、借款だから日本に返ってくる。但し市場条件に比べて利子率、返済期間は非常に優遇的で無償援助にも近いから、ODAにカウントされている―――が供与され、■、■などが建設されている。韓国に対しても■兆円の円借款が供与されて、■、■などが作られている。僕が勤務していたウズベキスタンに対しては、地方の電話網改善のための光ファイバー幹線敷設百二十七億円が最初の円借款だった。最近では、アフガニスタンを通ってインド洋、ペルシャ湾に抜ける新しい通商路のウズベク部分「グザール・クムクルガン鉄道」建設(「西遊記」の玄奘和尚が通った山間部)に対して約百六十億円の円借款供与が約束されている。
円借款は規模が大きいが、皮肉なことに後述する「草の根・人間の安全保障無償」程には受益国国民の目に触れにくい。「日本の援助だって? 俺は一銭ももらってないよ。どうせお偉方が懐に入れちまったんだろう」というのが、彼らがよく言う言葉だ。だが、任国の経済を離陸させ自力で発展できるようにしようと思ったら、円借款に勝るものはない。一件五百万円程の草の根無償では、一時の痛みを和らげることはできても、経済を持ち上げたりそれによって社会を安定させたりする力はとうていない。筆者はアメリカに勤務していた時、地元の大企業の社長から「タイに投資した時には日本の援助で良くなった電話網や港湾施設にすっかりお世話になった。日本が援助するまでは、港で荷揚げできるまで沖合いで何日も待たされていたんだ。日本の援助に『ただ乗り』させてもらっちゃったよ」と言われたことがある。
経済協力のやり方について、日本と欧米諸国の間には違ったところがある。特に欧州諸国はアフリカ諸国への借款が所期の目的を果たせず、債務削減・帳消しを余儀なくされたことに懲り、インフラ建設よりも目先の貧困撲滅に主眼をおいている。ところが日本の円借款の多くはアジア諸国のインフラ整備に向けられ、それは日米からの直接投資と相まってこれら諸国の発展を大いに助けたし、返済も概ねきちんとされている。無償の援助をいつまでもだらだらもらっているより、返済しなければならないローンを受けた時の方が人間は真剣に働くもので、アジアでは実際にそうなっている。貧困を撲滅するのなら、こちらの方が迂遠でも実効性のあるやり方だ。
にもかかわらず日本の円借款は時として、開発途上国の借金を増やすだけであるとか、日本製品の輸出促進に悪用されているとかの批判を受ける。これは、アジアでは借款方式が多くの場合成功していることを欧米のNGO関係者が知らないことや、円借款を批判して日本政府をたじろがせ、円借款で自国製品をもっと買わせようとする思惑に基づいていることもあるだろう。円借款のうち日本製品調達に使われるのは、供与される金額の三十%強に過ぎず、他の先進国から調達される部分が十%程にもなっているのだが(残りの約六十%は、建設工事など現地での費用支弁に使われる)。
(バラエティ豊富な無償資金協力)
円借款の次に規模が大きいのは「一般無償資金協力」である。これは、借金をしても返済能力が十分でない国、つまり一人当たり年間国民所得が■ドル以下の国々に対して与えられ、その対象は人道的な色彩の強いもの、即ち病院や学校の建設プロジェクトのようなものである。一つの国が円借款、無償資金協力の双方を受けていることがあるが、これは保健・医療のような分野への予算配分がまだ十分にできない国々である。
二〇〇五年度予算(■)では、一般無償資金協力に一二一八億円を計上している。無償資金と言っても、資金をぽんと相手国政府に渡して自由に使ってもらうわけではない。具体的な案件実現に使用されるのであり、右実現のために購入される機械機器は多くの場合、日本製である。ウズベキスタンの首都タシケントからフェルガナ盆地へは車で三時間、途中険しい峠を越えるが、そこでは日本政府が無償援助で供与した日本製のブルドーザーやショベルカーやロードローラーが日の丸を貼って、冬は除雪、夏は舗装、といつも忙しく立ち働いているのが眺められる。
またウズベキスタンからは無償資金協力で、毎年二十名ほどの留学生が日本の大学に送られている。これは選別において情実がきかないよう、日本・ウズベク双方から委員数名を出し合って厳しく成績ベースで選んでいる。時にウズベク政府のハイレベルから僕にまで圧力がかかってくることもあったが、それははねつけていた。選別の公平性を維持しようと思ったら、大使が変なことをしてはいけない。もっとも、コネなしに留学した学生は帰国しても就職のコネがないということだから、あたら有能な人材が活用されないという皮肉な問題が生ずることもある。日本も明治初期には薩摩閥、長州閥で人事を壟断していたのと似ている。
無償資金協力には、いくつかの種類がある。一般無償資金協力は多くの場合、何年も両国政府が共に練り上げてきた具体的な中型プロジェクト実現のため行われるが、早急に購入を必要とするもののために資金を供与するのが「ノン・プロジェクト無償資金協力」である。これは、政治的・経済的危機に陥るなどで外貨を早急に必要としている開発途上国に供与される。とはいえ、何をいくつ購入するかは大使館を通じて日本政府の了承を得た上で決まるのであるし、またノン・プロ無償の優れた点としては、この資金を使って任国政府が購入した物品や設備を売却するなり賃貸するなりして利益を上げた分は、その政府予算に特別の項目として積み立て、それをまた日本政府の了承を取った上で開発・人道目的のために使っていくことにある。
僕が今でも覚えているのは、一九九八年頃まで内戦で苦しんだタジキスタンの農園に、ノン・プロ無償としてトラクターやコンバインを数十台も供与した時のことである。これは、九月十一日集団テロ事件の後を受け、アフガニスタンに隣接したタジキスタン、ウズベキスタンに合計■億円の無償資金を供与したのを使ったのである。タジキスタンは水が豊富で長繊維の綿花を産出する国だが、内戦で農機が破壊されていた。それを日本が、農民が使い慣れ修理もしやすいウズベキスタン製、ロシア製、ウクライナ製のトラクターなどを大量に供与したのだから、農民は喜んだ。贈与式の日、広場に百台ほどの農機がずらりと並び、地方の農園からやってきた農民達が運転席に座ると次々にエンジンをかけて自分の属する農園めがけて凱旋行進のように進みだしたのだ。今でもそれは、「日本はタジキスタンに本当に役に立つ援助をしてくれる国だ」ということで語り草になっているし、ウズベキスタンやロシアにとっては国産製品の輸出増進になってこちらも喜んだ。
「食糧増産援助」も無償資金協力の一種で、開発途上国の農業改善に向けられる。例えば日本がウズベキスタンに供与した援助では、干上がりつつあるアラル海をひかえた西部の貧困地帯カラカルパキスタンで使うためのトラクターやコンバインが購入されている。カラカルパキスタンの首都ヌークスに行った時、当局はこれら農機とその運転手達を車庫にずらりと並べて、筆者を歓迎してくれた。
食糧増産援助の場合も、トラクターやコンバインのレンタル料金をウズベク政府が積み立て、日本政府と協議した上で経済発展や人道目的に役立つように使っていかなければならない。このようなやり方はマネタイゼーションと呼ばれ、日本の発明ではない。そもそも終戦直後の日本政府に対して米国政府は借款を供与して、「綿花回転基金」なるものを作らせた。日本政府はその資金で米国から綿花を輸入して国内の繊維企業に売り、企業の売り上げや輸出収益は綿花の輸入、米国への返済にあてられた。
「文化遺産無償」というのもある。これは世界的遺跡の修復などに役立つ資材・機材等を供与するためのものである。ウズベキスタンの場合、サマルカンドやブハラなどの遺跡を修復するためのクレーン車、はしご車などが供与されている。「文化無償」というのもある。これは日本語を勉強するためのLL設備の寄贈や、現地のテレビ局で放送してもらうために日本のテレビ番組を大量に供与する時などに使われる。
日本のNGOは海外での活動にあたって政府(外務省が窓口)から助成金を得ることができるが、これはNGO支援無償と呼ばれている。二〇〇五年度の予算は■億円になっている。欧米諸国では日本以上にNGOの活動が盛んで、僕もサハリンやヤクートやウラルの地方都市でボランティア活動をしているアメリカ人の若い女性に会ってびっくりしたことが何回もある。アメリカのNGOやNPOは雇用創出の面も持っていて、その数が急増したのはケネディ大統領の時代である。今でも米国のNPOの活動の三〇%以上は、公的補助金で賄われているはずである。
最近、欧米のNGOやNPOの中には単なる援助を超え、「民主主義のルール」を現地市民に教えたり、新聞記者に政府批判の自由を教え込もうとするものが増え、現地政府との摩擦の原因になっている。確かにこれらの国々の権威主義たるや、上も下も大変なものがあるので、こうした欧米の連中の気持ちもわかるが、事を焦ってはいけない。いくら西側ではこんなに民主的にやっている、こんなに言論の自由があると言ってみたところで、その国にそれを支える経済・社会的な基盤が整っていなければ、不満分子を徒に増やすだけのことで終わりかねない。
なお、日本の無償資金援助には他にも水産無償、食糧援助というのがあるが、これはウズベキスタンには供与していなかったので、僕も詳しいことを知らない。
(日本しかやっていない―――「草の根・人間の安全保障無償」援助)
円借款、無償資金協力は「仕込み」から完成まで随分時間がかかる。数億円から数十億円レベルの案件となると、事前調査団、フィージビリティ調査団、設計ミッションと何回にもわたって具体化が進んでいくので、発案から完成まで速くても三年はかかる。これに比べて脚の速いのが災害時の緊急支援、そして「草の根・人間の安全保障無償」と「草の根文化無償」である。洪水や地震の際、現地政府から要請があり、それが妥当と判断されれば日本政府は直ちに支援人員を派遣したり支援物資を供与する。
「草の根・人間の安全保障無償」はタジキスタン、アフガニスタン、そしてイラクの復興などに広く用いられている手法で、通常五百万円程度でできる人道目的の案件を現地の大使館主導で実施する。本省の許可は必要だが、その許可は通常一ヶ月以内には来る。それは校舎の修理、孤児院の児童の職業訓練用のコンピューターやミシンの供与、内乱で上水道を破壊された農村への井戸掘り用設備の供与、その他非常に幅広い。
円借款や一般無償資金協力のような大型案件の事前調査や実施の多くはJBIC(日本国際協力銀行)やJICA(国際協力機構)によって行われるが、「草の根・人間の安全保障無償」の場合、全ては大使館の日本人そして現地人館員によって行われる。彼らは毎日何十となく届く要請書や電話をさばいてしっかりした案件を選び、まず現地に出向いて案件の責任者や地方当局者の人柄・能力を確かめることから始めている。書類審査だけで、三万ドルとか二万ドルとか「丸い数字」の金額をポンと渡すようなことはしていない。ウズベキスタンの場合、学校に机や椅子を供与する場合には、大使館がそれをウズベクの製造業者に発注し、支払いも直接している。こうした膨大な事務(実現されるのは年間二十五件程度)を、日本人館員一名、現地人館員二名だけでこなしている。
こうした手間をかけるから、「草の根・人間の安全保障無償」は受益国国民の「目に見える」ものとなる。年間二,三十件もあればその署名式、供与式の数も多数に上り、それを現地のテレビ局が流してくれれば、たとえ金額的には小さな案件であっても全国民がしょっちゅう日本の名を意識することになる。だから、日本の大使は地方に行っても、「いつも私たちを助けてくれて有り難う」と言われる。
「草の根文化無償」はその文化版で、規模も手続きもほぼ同じだが、本省では経済協力局ではなく広報文化交流部が主管している。大使館で働いていると実に多くの要請が現地の市民から持ち込まれるのだが、その多くは文化面での資金協力要請である。特に日本関係の本の出版やテレビ番組作成、あるいは生け花、茶道、折り紙、武道といった活動への補助要請が多く効果も大きいのだろうが、日本政府の予算はこの分野では非常に限られている。
(日本人の顔が見える「技術協力」)
資金や資材を中心とした援助ばかりでは、日本人の「顔」が見えないという問題がある。それに機械設備を供与しても使い方のノウハウを教えなければ効果はないし、「市場経済」に転化しようとしている旧社会主義国の人達には市場経済のルールや企業の経営の仕方を教えなければならない。日本人の顔が見える援助、ノウハウが口伝えに伝えられる援助、これが技術協力である。
技術協力で一番知られているのは青年海外協力隊で、読者はアフリカやインドの農村で日焼けした明るい顔で井戸を掘っている青年達を思い浮かべるかもしれない。だが、技術協力はそれだけではない。野菜、果樹栽培を指導する専門家を日本から派遣したり、職業訓練センターを現地に作って青年達を訓練したり、彼らを日本に招待して更に高いレベルの研修を受けさせたり、井戸掘りから企業のマネージメント、銀行実務の研修に至るまで、およそ経済の水準向上のためのあらゆる分野での支援を網羅している。■
現地ではJICA(国際協力機構)の事務所が大使館と緊密な連絡を保ちながら技術協力を担当し、東京ではJICA本体が外務省経済協力局、関係諸省庁と連絡しながら技術協力を運営している。外務省や大使館が策定する基本方針をJICAが参考にしながら実務を進めることになっているが、実際の作業はそのように截然と分けられるものではない。JICAの方も基本的方針を考えるし、外務省や大使館が具体的プロジェクトをJICAに提案することもある。能力と節度を持った人間同士の公明正大な議論によって、物事が進んでいくのが理想である。
政府の技術協力予算約三五〇〇億円のうちJICAが担当するのはその半分に満たず、残りは現業諸省庁に属している。その中には、外務省や大使館、JICA事務所をとばして直接技術協力を展開しようとし、その挙句失敗したり宣伝効果を挙げられないでいるところもある。
ウズベキスタンの場合、JICAは現地政府と共同で「日本人材育成センター」という千平米ほどの施設を開き、ここで民営化に必要な経営スキルを教える講座やコンピューター講座、日本語講座を恒常的に開いて高く評価されている。青年海外協力隊は一九九九年キルギスでの日本人専門家人質事件のあおりで最近まで地方に展開できなかったため、首都タシケントとその周辺で看護体制の改善、日本語教育、柔道、空手、ピンポンなどの水準向上、日本式マッサージの研修、観光促進などに努めている。
旧ソ連圏では看護婦は医者の下働きみたいに酷使されるだけなので、自分で簡単な診断や注射などもできるようにして医療の効率を高めようというのが目的だし、タシケントでは日本語講座のある五つの大学のうち三つに青年海外協力隊の日本語教師が派遣されている。日本式マッサージは、日本人観光客狙いの雇用を作ろうと考えたのである。日本の奈良に相当する古都のヒヴァに派遣された女性の協力隊員は、自力で外国人観光客用パンフレットを作り上げた。
企業や役人のOBがJICAの「シニアボランティア」として自分のノウハウを現地の実務家に伝えることも行われていて、ウズベクの場合、銀行実務,地震工学,養蚕、日本語教育などでこの制度が活用されている。
(マルチの援助―――国際機関を通じての援助)
これまで説明してきたのは「バイの援助」、つまり日本と相手国の二国間の援助だが、「マルチの援助」、つまり世界銀行、アジア開発銀行、ヨーロッパ復興開発銀行などの国際金融機関、UNDP,UNICEFなどの国連機関による援助も大規模かつ手広く行われていて、その原資のかなりの部分を日本政府が負担している。ウズベキスタンではUNICEFが日本政府の委託を受けて母子の健康増進プロジェクトを進めているし、ユネスコはファヤス・テパ仏教寺院遺跡の修復・保存プロジェクトを手がけている。また国際金融機関にはそれぞれ「日本ファンド」と呼ばれる資金が通常の拠出とは別枠で存在し、日本政府の承認を受けてフィージビリティ・スタディの費用支弁などに使われている。
国際金融機関は、その理事会で意思決定をしているが、日本は主要な機関には全て理事を送り込んでいる。経済危機に陥った国に対しては、IMFが救済融資をふりかざしつつ厳しい是正措置―――コンディショナリティと呼ばれる。―――をのませようとすることが多い。先方がこのコンディショナリティを呑もうか呑むまいか迷っている時に、どこかの国が外交的配慮から二国間ベースでODAを与えることを、IMF、世界銀行は当然のことながら非常に嫌う。このような場合、その国から出ている理事は祖国の立場と国際金融機関の立場の間を調整しなければならない。
世界銀行、UNDP(国連開発プログラム)といった国際機関は、ともすれば各国のODAを自分のプロジェクトに動員したがる。UNDPの年間予算は■ドル程度(■年)だから、日本の■の予算■程度しか持っていない。経済的に豊かな国々から一層の拠出を求める気持ちもわかる。ところが各国は自分のODA案件に「自分の国旗を立て」たがるもので、国際機関の要請にはすんなりとは応じない。ここでも、マルチとバイのアプローチは対立しがちである。これら国際金融機関はもともと各国の拠出によって成り立つものであり、拠出国との主従関係には微妙なところがある。こちらが甘くすれば際限なく付け込まれ、すげなくすれば彼らは国連の威を借りて非難してくるから、そこらはうまくバランスをとっていかなければならない。
「ODAを増やせばいい」のか?
今、世界の主要国はODAを増やそうとしている。アメリカは■年は■ドルだったのが、■年には■ドルになったし、日本が不況の間に■%もODAを減らした間に、フランスがODA供与額で日本を追い抜こうとしている。
これには、いくつかの要因がある。元々、先進国はGNPの■%分のODAを供与するとの国際合意があったのが果たされていないという問題が一つ。これに加えて、アフリカ経済が一向に離陸せず、困窮が深まるばかりという状況が二つ。更には、九月十一日のニューヨーク国際貿易センター・ビルでのテロ事件が、アメリカの腰を押すことになった。
確かにイスラム教諸国民の根強い対米反感の背景には、宗教的なものよりも経済的なものがある。二〇〇五年■、イランの大統領に選ばれた■はその■でこう言っている。「繁栄していながら、その富を他者と分かち合おうとしない国がある」と。アメリカ軍進攻後、あるイラク人作家はBBCのインタビューに答えて言った。「アメリカには失望しました。あの豊かな国は、やろうと思えば何でもできるはずなのです。私などは期待していました。ところが、発電所の修理すらろくにしない。やる気がないのです。あの豊かな国は、やる気になれば何でも実現できるんですから」。テロの温床になりかねないこのような妬みを和らげるために、ODAを増やすことはとても理にかなっている。
ところが現実の世界では、ODAを大幅に増やすことはそれほど簡単ではない。消化能力という問題があるからだ。それは、大量の食料援助を消化するだけの能力がない、という意味ではない。開発途上国側、先進国側、双方の様々の理由で、ODAを無理に増やしても無駄遣いする結果に終りがちだということである。
ここに、人口五千万人の開発途上国があるとする。労働人口を千五百万人、一人当たり年間所得を八百ドルと想定する。彼らに評価してもらうためには、一人一人に年間六百ドルくらいのODAを無償で渡す必要があるだろう。一人一人に渡さない限り、必ず「俺は一ドルも外国の援助なんかもらっていない。お偉方達がポケットに入れてしまったんだろう」というやっかみが必ず出てくるからである。そこで計算すると、六百ドル×千五百万は九十億ドル、つまり約一兆円なのだが、人口五千万人くらいの開発途上国は他にいくつもある。インドは人口■人だ。とすると、必要な金額は四十兆円を超すだろう。二〇〇四年、世界で供与されたODAが■億ドルだから、その■倍の金額になる。
だから、彼らが本当に感謝するような喜捨をすることは、豊かな先進国にとっても不可能なのだ。だが仮に一年、そのようなことができるとしてみよう。何が起きるか? まず、千五百万人の労働力人口をどうやって登録し、どうやって年間六百ドルを彼らに渡していくかという、技術的な問題が起きる。うまくやらねば、鈴木という名前で杉並で登録し、田中と言う名前で世田谷で登録することによって、二人分の喜捨をせしめる不届き者が必ず現れる。それに、千五百万人もの人にどうやって現金を送るのか? 多くの者は銀行口座も持っていないだろうし、それに開発途上国の多くでは銀行など実際には機能していない。こうしたわけで、はや一年目でこの大喜捨計画は頓挫し、資金未使用、横領、腐敗は横行ということで、二年目には続かないに違いない。
だが仮に、千五百万人が六百ドル相当の現地通貨を受け取ったとしよう。何が起きるか?多分、高率のインフレが起きると思う。この国は年間GDP、一兆円程度のものだろう。そのような国に、GDPと等しい額のドルがつぎ込まれる。ドルは政府か中銀の手に残り、それと同額の現地通貨が急遽印刷され、住民に渡される。現地通貨の発行量は急に倍増したことになる。ドルで物資を輸入できるから、モノの値段はそれほど上がらない。だが、現地通貨の量が倍増すれば、サービスの値段も倍増に近い上昇をするだろう。そして次の年には、国内世論から強い批判を受けた先進国政府は同じ喜捨はできず、この国にはもうドルは喜捨されない。だが現地通貨の量は二倍になったままだから、物価が二倍になるだろう。つまり多額の「喜捨」はそもそも無理だし、強引にやったとしても、続けることができずにインフレばかり残し、住民から更に強い恨みをかうだけの結果に終わるだろう。
このような援助を執行する先進国の大使館で、一兆円もの資金を管理できるだろうか? 開発途上国の大使館には、会計担当は一人くらいしかいないだろう。もちろん経済班がODAを担当しているのだが、彼らはODAからみの他の事務で忙殺されている。あげくに帳尻が一%合わなかったりすると、それだけで十億円だから、多くの外交官は弁償金支払いのために破産してしまう。
ならば、一人一人に現金を渡すようなことはやめて、ジェフリー・サックス教授の言うように「病院や学校を大量に」建設したらいい、のだろうか? 建設するのは確かに簡単だ。しかし僕の予想では、このような病院や学校は、数年後にはガラスも割れ、惨状を呈していることだろう。病院の最先端の医療機器は、電力不足で電圧、周波数が急変するので一週間で壊れ、修理してもこれを使いこなす研修を受けた医師が足りない。心電図用のカーボン用紙が切れたので、■国の大使館に電話したのだが、なしのつぶてである。学校は沢山の校舎ができたのはいいが、教師の養成が間に合わなかった。それに現地政府は、教師を増やすだけの予算措置を取っておらず、そのための無償支援を西側に急遽要請してきた。だが教師の雇用に西側の無償支援を使うことはできない。そしてトイレは最新式の水洗とかいうのだが、普通は断水しているので、この世のものとも思えない惨状を呈している。それに、黒板ではなく白板とかいうものが供与されたが、マジックインキは教師、生徒がすぐ持ち帰って市場で売り払ってしまうので、授業ができない。性教育のためということで供与されたコンドームは、水を入れてヨーヨーとしてバザールで売られている。教科書も足りない。人権を重視せよと西側が言うものだから少数民族にもその言語で授業をすることにしたのはいいが、肝心の教科書を印刷する予算を予定していなかったのである。
こうして二、三年経過してある日、さる先進国の大使館が新聞発表を行った。「小学校大増設計画」への援助の「フィージビリティ・スタディー」を、三年目の今年やっと終えたというのである。この国は、計画に取り組みことについて政府部内のコンセンサスを取り付けるのに一年かかり、次いで計画のコンセプトを一年という記録的に短い期間で完成させ、「フィージビリティ・スタディー」も同じく一年ですませた、と新聞発表には誇らしげに書いてある。三年が記録的に速いのでは、今後の実行も六年、九年かかって一向に不思議ではないだろう。
こういうこと全てを、消化能力と言っている。理想は、「現実」という名の胃袋には大きすぎることが多い。アメリカ政府は「二千十五年までに先進国はODAに七百五十億ドル分を追加支出せよ■」というジェフリー・サックス教授の言い分を真に受けたのか、「ミレンニアム・チャレンジ」というNPOを立ち上げ、公の援助機関であるUSAIDの年間事業額とほぼ同じの■ドルの執行を委任した。■年間に「ミレンニアム・チャレンジ」が供与を約束した案件は僅か二件、■ドルに過ぎない。ここには、消化能力の問題がある。そして、NPO至上主義の反省材料にもなるだろう。
こういう架空のケースを読んでおられる方々はまさかと思われただろうが、今の日本は整いすぎていて我々は無菌培養みたいになっている。世界では「何でもあり」で、上に書いたようなことは、開発途上国では日常茶飯に起こりえることなのである。これは、開発途上国を馬鹿にしたり、差別して言っているのではなく、それがどうしようもない現実だから書いている。書かなければ、こうした現実が消える、というものでもない。
中小企業育成が経済のために重要なのは誰でも知っているが、ヴェンチャー資金を渡しても、彼らはそれを事業ではなく、ドルと現地通貨の間で鞘を抜く「通貨投機」に向けて安易に稼ごうとするかもしれない。たとえ正直な中小企業者がいたとしても、私営企業を目の敵、あるいはカモと見る旧社会主義諸国の役人達が様々な口実で賄賂を強要し、次から次に新しい税目を思いついては絞り上げ、ついには破産させてしまうかもしれない。大使館やJICA事務所の担当官は、あらゆる事態を想定し、問題点を事前につぶしていかなければならないのだ。
「発展」は可能なのか、必要なのか?
ODAをただ事務的に機械的に右から左に流しているなら、それは役人仕事である。任国の経済を本当に良くしたい、人々の暮らしを良くしたい、と思って仕事をすると、そこにはロマンと創造の喜びが生まれる。実際、五百万円もしない発電機とポンプを上げただけで一つの集団農園が生き返り、千人以上もの人達の生活が成り立つとしたら、本当に嬉しくなってしまう。
だが、別の時には絶望感に近い焦燥を感ずることもある。つまり、今の世界経済においては開発途上国がモノ作りで身を起こすのは大変だな、ということである。付加価値の高い電気製品とか自動車の市場はいくつかの多国籍企業によって押えられており、後発国が参入するのは容易なことではない。後発国は多国籍企業のためのOEM生産、あるいは繊維など付加価値の低い部門や、中型バスの製造などのニッチ市場を狙わざるを得ず、そうすると発展のスピードも遅くなる。だが、それが現実に可能なおそらく唯一の途なのであり、たとえ先進設備を備えた自動車工場を国費でいきなり作ったとしても、設計、部品の調達、部品輸入のための外貨の調達、生産管理のノウハウ、販路開拓などで、たちまちつまずいてしまうだろう。
すると、「何をそんなに『発展』、『発展』と騒ぐのか? そもそも『発展』など必要なのか? 下手に発展すれば生活はせちがらくなるし、環境問題はひどくなるばかりじゃないか」という声を聞くこともある。だが、こうした声を開発途上国の人達自身から聞くことはほぼないことから考えると、これは先進国に住む者達のエゴイズム―――つまり開発途上国に住む人達はいつまでも貧困の中に住んでいてかまわない、という―――なのではないか? 例えば日本で、六十歳以上の国民には農村居住と自給自足の生活を義務付けでもすれば、年金問題も環境問題も同時に解決されるだろうが、そのような政権は次の選挙で負けるだろう。物質的に豊かな生活というものは一度目にすれば万人が欲するものである、ということは世界政治・経済の公理として前提におかなければならない。
「要請主義」のプラスとマイナス
日本のODAは「要請主義」を取っている。つまり日本政府や大使館から、「あなたの国の経済には、こういったインフラが必要だと思います。ついては、日本は今年こういう円借款プロジェクトを手がけたいと思います」と自ら提案するのではなく、任国政府―――いろいろな省庁がばらばらに要請を出してこないように、いずれか一つの省庁が「窓口」として指定されている―――が「わが国経済にはこういったインフラが必要なので、日本からはこういうプロジェクトについての円借款を要請したいと思います」と言ってこないと、検討のメカニズムが動き出さないのである。
「要請」が来ると、現地の大使館はこれに自分なりのコメントをつけて本省に報告し、円借款の場合には外務、財務、経済産業の三省が中心になり、無償協力の場合は外務省が財務省の了承を取って、採用する案件を決めていく。決める過程ではJBICやJICA,最終段階では政府も加わっての調査団が数回派遣され、対象案件が本当に実施可能で効果を生むものかどうかを精査する。
このようなやり方にはメリットもある。もし現地の日本大使館が自らプロジェクトを策定する、とした場合、任国政府の諸省庁、日本の企業などが自分の息のかかったプロジェクトを売り込むために大使館に日参し、それに対応するだけで大使館の経済班は音を上げるだろう。もしあるプロジェクトに地元の不正な利権が絡んでいたりすると、日本政府や大使館がそれに直接巻き込まれてしまう。それに任国の経済や社会については、やはり地元の政府関係者が一番知っているものであり、外国人が頭で考えて押し付けるプロジェクトは現実との齟齬から必ず挫折する。
他方、開発途上国の方も、自国の開発について現実的で長期的な戦略を持ち合わせていないことがある。彼らは時として日本の企業から情報をもらって、自分の現状では使いこなせない高度の機械設備やインフラ建設を要求し、結果として将来の世代に円借款のツケだけを残すことになりかねない。それに大型案件というものはどこの国でも同じだが、指導者の思いつきや政治勢力間のせめぎ合いの結果として出てくることもあるので、その国の政治情勢が変わった途端、誰も責任を持たなくなる危険がある。
だから実際には、「要請主義」と日本側のイニシャティブの間ではどちらにも偏しないバランスが維持されていることが理想的なのだと思う。「要請主義」の看板は下ろさないにしても、任国政府の担当大臣達と考え方をいつも緊密にすり合わせていくことによって、「要請主義」の欠点を克服することができる。但しそのためには、日本大使館、JICA,JBIC事務所は現地の経済・社会について詳しい情報を持っていなければならないし、大使や館員は特定のプロジェクトについて個々の企業のみに情報を流すようなことは厳に慎まなければならない。
しかし、相手国社会を微に入り細に入り、利権構造や派閥の動き、カネの流れまで把握し、かつマクロ・ミクロの経済理論まで駆使できて、地元の言語ばかりでなく英語も流ちょうに操って他国の大使館や国際金融機関代表と互角に渡り合える人材が日本にいったい何人いるだろうか? そのような人材がたとえいたとしても、厳しい定員で人員がぎりぎりにしぼられている中では、本省や相手国政府との膨大な調整・交渉事務、館内の事務をこなすだけで精一杯になってしまう。
「資金をちゃんと使っていることの証明」=アカウンタビリティの問題
既に何回か書いたように、日本のODAはアイデアを仕込んでから実現するまでに時間がかかる。外務省の地域局と経済協力局の間で意見が対立することもあれば、財務省や経済産業省が首を縦に振らない時もある。開発途上国にしてみれば、「首脳会談で総理に直接頼んだ案件なのに、日本の役人は何を四の五と言っているのか」という思いが募るのだろうが、普通の円借款案件に総理が直接介入することはまずあり得ない。日本はコンセンサス社会であり、一度決まってしまえば後の執行は非常に速いことをわかってもらう以外にない。もっとも、要請してから返事が来るまでに二年もかかるということになると、相手国政府の中の事情が変わってくるとか熱意と関心が薄れて、日本への感謝の念も萎えてくるという問題が生じかねない。
最近ではアカウンタビリティが大事だということで、小さなプロジェクトでも公開入札にかけなければならなくなった。それはそれでいいのだが、旧社会主義国ではこんな問題も起こる。社会主義経済は資本主義とは違うやり方で動いているから、これを市場経済に移行させるためには、新製品への潜在需要を調査することから始まって、株式市場に上場するための財務諸表の作り方まで、様々のノウハウを教えなければならない。そのためには日本などから何人かの講師を送り込み、短期間に集中的に講義をすることになる。最近ではこうした事業をあてこんで、日本でも沢山の研究所とかコンサルティング会社が入札に参加する。で現場でどういうことが起こるかというと、ロシアならロシアの現実を事前に調査もせずにやってきて、例えばポーランドでやったような講義をして帰っていく。移行期の経済がどのように動いていて、そこでは西側のやり方がどこまで適用できるのか、どのように現実に適用させないと全く意味のない講義になってしまうのかをわかっていない。入札にすると、最も安価に請け負うところが落札するので、こういうことになってしまう。
以上はODA案件を決定する前の話だが、ODAが供与された後についても多くの話がある。在外にいて日本からの訪問者からよく聞くのは、「今度、地方の○○に行ってきたのですが、そこの病院に日本の最新式の医療器械がODAで置いてあって感激しました。でも、電圧の変動が激しいのですぐ壊れてしまうようなのです。私の行ったときも、回路がやられていて動いていないということでした。日本大使館はもっとしっかり保守をやって下さい」といった批判である。混乱期のロシアにいた頃も、コピー機を寄贈しても紙がなかったり、トナーが切れたり、ファックスを寄贈しても感熱紙がなくなって使えなくなったり、といった問題が続出した。
だが、ここまでのサービスを大使館やJICAの事務所に要求するのは、あまりと言えばあまりではないだろうか? 西側の医療器械は華奢で、開発途上国での使用には向いていない。では、日本の税金で例えばロシアの医療器械を買って寄贈したのでは、日本の顔が見えなくなってしまう。それに高価な機械を我々が寄贈したら、消耗品の購入やメンテナンスの手配は、もらった方が自力でやるべきものなのだ。
ところが、彼らは彼らでこのような問題が起こるとは予想しておらず、日本製の部品や消耗品が非常に高価であることも勘定に入れておらず、予算を要求していなかったので、にっちもさっちもいかないことになる。だから最近では、部品や消耗品も少しは供与できるようになったし、青年海外協力隊員が供与した機器の使用状態を常にチェックしているところもある。そうでもなければ、大使館にしてもJICAの事務所にしても、「保守状態を常に点検せよ」と言われても、全国に散らばっているそうした場所を、片道半日かけ、泊りがけでということになれば、たちまち人員不足になってしまう。
メンテナンスは百歩譲ってそれで仕方ないとしても、では供与したものが横流しや目的外に使われるのをどうやって監視できるのか、という問題は残る。僕の勤務していたウズベキスタンでも、例えば「草の根・人間の安全保障」プロジェクト■で学校に供与したパソコンを市の職員が自宅に持ち帰って私用に使っている、というような話は時々聞いたことがある。どの国でもやっかみというのは強くて、外国の援助をもらった者を陥れようとする者も多いから、このような情報には慎重に接しなければならない。僕がほとんど抜き打ちでこうした学校とか職業訓練所を訪問すると、パソコンはいつもその場にあった。
サマルカンドとか文化財の多いウズベキスタンに、建物を修理するためのはしご車などを寄贈したことがあった。ある日、館員が通勤途上、そのうちの一台が個人のアパートと思われる建物を修理しているのを偶然目撃したことがある。大使館ではその建物の所有者、建物の文化的価値まで調べた上で、ウズベキスタンの政府に厳重に抗議して、はしご車を直ちにサマルカンドに移動させた。
ODAをもらう側には、「もらったものは自分のものになったのだ」という意識があるから、日本側がこうしたアカウンタビリティを厳しく求める理由がわからない。特に旧社会主義諸国においては個人所得税が少ないので血税とかアカウンタビリティの意識が低い。だから、横流し、流用を完全に防ぐためには、常に全国を回って供与した資材の活用ぶりを点検して歩く監視員を何人も雇わなければなるまい。現地人では買収される可能性が高くなるし、現地の官憲からもまともに取り合ってもらえないので、そのような監視員は日本人である必要がある。現地語に堪能で交渉能力があり、しかも家族を首都に置いたまま常に地方を旅行している日本人・・・そのような人を見つけることは非常に難しいだろう。
日本との意識の落差
日本の社会は、おそらく世界でも最もよく機能している社会である。そして我々はその恩恵を空気のように享受し、有難さに気がつかない。だが、外国に行っても同じだと思っていると、大変なことになる。例えば以前のソ連でホテルに泊まれば、朝食は前の晩から予約しておかないと何も出てこないし、一日でも旅程を変えようとでもしようものなら、ホテルの係りと二時間くらいはバトルを覚悟しなければならなかった。
最近では、旧社会主義国や開発途上国が経済発展するためには、西側の法制度を採用する必要があるということで、日本からも多数の専門家が日本の法制度を教えにやってくる。「なに、徴税制度を整備するんですって? 簡単です。そんなものは、日本でのやり方を指導してやりますから」などと言いながら。ところが、現地では中世からの慣習、我々とは全く違うソ連法、最近取り入れた欧米の法制が入り混じっている上に、議会での審議など全く経ていない大統領令が法律と同等、あるいはそれ以上の効力を持っている。地元の現地人弁護士でも、何がどうなっているのかわかるまでには大変な時間をかけている。それに加えて、こうした国での裁判所は法律よりも政治的圧力や賄賂に弱かったりする。こうした、「何でもあり」の世界に、大抵の日本人は全く免疫がない。怒りだすか、紙上の空論の改善案を残して日本に帰ってしまうのだ。
日本では、ODAが十分評価されていないのではないか、現地の市民に日本の援助は知られていないのではないか、という懸念が強い。しかし、問題視されている中国でも、地方レベル、担当者レベルでは、大きな感謝の念がいつも表せられているのだそうだ。ウズベキスタンでは、大統領自身から市民に至るまで、日本人には必ずODAへの感謝を表明してくれた。小学校修理案件が整ったので地方に行くと、地元の長老やPTA、そして教師、生徒がずらりと並び、可愛い女生徒が踊りを見せてくれたりする。円借款で立派になったサマルカンドやブハラの空港ターミナルには、日の丸や日本語の案内表示が貼ってある。そして、日本が国連安保理常任理事国の席を目指していた時には、中央アジアの政府はどれも心からの支持を約束してくれていたのだった。
ODAを供与したから、未来永劫日本に頭を下げて感謝の念を表し続けろ、と言っても、無理だろう。日本でも、新幹線が世界銀行からの借款で作られたことを、何人が覚えているだろう? 新幹線が発着するたびに、世銀の借款に感謝する車内放送があるだろうか? 終戦後の占領期間、米国は日本に対して当時のGDPの■パーセントに相当する■億ドルの借款を供与し、これが日本の繊維産業の復興などに大いに役に立ったのだが、今となってはこのことでアメリカに感謝する日本人はもう皆無だ。ODAについては、未来永劫相手に頭を下げさせることを目的とするよりは、相手の国の経済を発展させ、安定性を強化し、その経済を繁栄させれば、それで日本の戦略的目的の半分以上は達成されたと思っていいのではないだろうか。
しかし、日本のODAは現地でもっと宣伝し、活用する方法があると思う。例えば円借款で鉄道を作るのであれば、現地のテレビ局から何人かを日本に招待して新幹線などを取材させ、もう一度現地の工事現場でも取材させてドキュメンタリー番組を作るとか、鉄道完成を記念して日本の映画やテレビ番組を現地のテレビ局で大々的に流すとか、一言で言って広報をしなければならない。これは、現地のマスコミと必ず提携して、日本人の生活、文化全体を紹介するイメージ・アップ作戦である。ODAと連携して、日本からのコンテンツをどしどし流すのだ。そのためには、広報や文化交流関係の予算がもっと充実したものにならないといけない。
ODAについて、現地での感触と日本での考え方が違う例、もっと卑近な例をもう一つ挙げたい。大使館と本国政府との間の認識を一致させることの難しさについてである。僕がまだウズベキスタンにいた頃の話だが、ウズベキスタン、タジキスタンへの経済協力を増強させる必要性を東京に納得してもらうのは大変だった。ODA関係の署名式、供与式はもちろんのこと、無数と言ってもいいテレビ、ラジオ、新聞、雑誌へのインタビュー、寄稿や講演の類を一々こまめに報告しておかないと、東京は大使館の活動が「見えない」と言ってくる。
館員が足りないこともあって、インタビューとか寄稿は大使の僕自身が草稿なしにロシア語でやっているから、東京に報告するには一々日本語に翻訳しなければならない。ところが、ロシア語のできる館員は自分の担当業務や他の館員の手伝い、翻訳で手一杯だから、僕自身が夜自宅でやる羽目になる。こうして苦労の末に報告しても、政策決定にあずかる課長、局長以上のレベルとなると、積めば毎日一メートル以上にもなる在外公館からの電報に一々目を通している時間はない。経済協力局も、この数年のODA批判・削減への対応に忙殺され、新しい政策の検討に回せる時間が少なくなっているように見える。だから、理屈だけでは新しい政策は日の目を見ない。「ああ、あいつの言うことなら」と省内外の衆目が一致するような人物がキーポストにいると、新しい政策は動きだしやすい。
独裁政権を助けていいのか?
開発途上国や旧社会主義国においては、政権が独裁的または権威主義的であることが多い。このような政権をODAで助けていいものだろうか? 答えは一つではないと、僕は思う。権威主義、独裁というのは、横から見ていても非常に気持ちの悪いものだ。だが、そのようなスタイルでなければ社会がうまく治まらない場合や、独裁でも食わせてくれるから支持すると国民の大半が考えているような場合、我々の対応も違ってくる。
僕の良く知っている旧社会主義国の場合、権威主義的な政治、集権的な経済運営は、一般大衆の意にかなっている。スターリンは今でも、旧世代の多くからは支持されている。なぜかと言えば、スターリンは国の資産をすべて資本家から取り上げて国有化し、それでもって大衆を養ってくれたからなのだ。経済は大きくなくても、公平性は確保されている、というわけだ。
このような社会で権威主義を批判し、早急な経済自由化を求めるとどういうことになるか。ロシアとかコーカサス、そして中央アジアの人々は、実は自己主張が非常に強い。リーダーが権威主義をやめて民主的になれば、国民はそれを弱いリーダーだとみなし、野心家達が権力と利権を狙ってどうしようもない内紛を始めるだろう。資産が政府の手に集中されている社会では、野党を称する者達がたまたま政権を取っても、結局は資産と利権の奪い合いに終わる例も多い。
欧米諸国は、旧社会主義諸国の集団農園を目の敵にし、これを分解して自営農家を創出すれば、農業生産性は飛躍的に伸びる、などと言うが、これは現実を良く見ていない。集団農園で一度働いた者は、不作や日照りの時には収入がなくなってしまうような自営農家にはなりたがらない。強制的に集団農園を分解した場合何が起きるかというと、実例はウズベキスタンにある。ここでは集団農園をいくつかの自営農家に強制的に分割したのだが、その際の土地の分配は非常に不透明だった。それに自分の土地を手に入れた者は余分な労働力を解雇したために、これまで集団農場で養われていた潜在余剰労働力が失業者となってしまった。「イギリスの産業革命前夜に囲い込みで余剰労働力が農村から都市に流れ込んだのと同じではないか。いいことだ。どんどん進めろ」というわけにはいかない。一人が金持ちになるために他の者が一時的にせよ貧困化する、そのようなやり方が現代に受け入れられるのかという問題がある。
つまり、旧社会主義諸国においては、性急な民主化や市場経済化は社会の不安定化と一層の困窮、そして再革命につながりかねないということであり、旧社会主義国に対してはこれまでの開発経済学とは少々違う発展シナリオを考えていく必要があるということである。そして独裁・権威主義的政権に対しても、オール・オア・ナシングの対応をするのではなく、医療・教育、インフラ建設を中心とした援助をしていく必要があると思う。それによって、こうした国々が周辺諸国に攻撃的な政策を取るのを防ぐことができるし、経済発展を徐々に進めながら国民の意識を近代化させていくこともできるからである。これは、独裁・権威主義をそのまま是認するということではない。エリート階級が私利をはかることは厳しく戒められるべきだし、人権・言論抑圧についても彼らの面子を過度に失わせることがないように配慮しながらも、具体的な是正を彼らに求めていくべきである。
これを実際の行動に翻訳すると、こうなる。現地の政権が欧米からの過度の批判、性急な自由化要求の犠牲にならないよう、時々庇う、同時にその国の国民が現状に安住しないように、テレビや公開の場での挨拶では改革の必要性をそれとなくわからせるように努力する。人権・言論抑圧については、主に内々の場で是正方申し入れる。このような複雑なバランスを取って初めて、日本のODAを批判から守ることができる。そうでなくても、日本の豊富な援助資金は諸先進国の羨望の的なのだから。
これだけ努力しても、同胞の冷たい一言でがっくり来ることがある。「ODAなんて日本の企業が儲かっているだけで、現地の経済には何の用にも立っていないんじゃないですか?」 日本の企業が儲けて悪いのだろうか? 日本人の多くは何らかの企業で働いているのではないのか? 現地の経済の役に立っていないとは、どこを見て言っているんだ。批判しようと思えばいくらでもできる。
もっと総合的に―――経済協力庁は必要か?
日本のODAは幅が広い。いろいろなプログラムを連携させて総合力を発揮させれば更にすばらしいものになるだろう。例えば、文化無償でオーケストラに楽器を寄贈したら、日本からソリストやオーケストラを送って現地のオーケストラと共演させればいいだろうし、円借款で鉄道を作るのであれば保線のノウハウを日本で学ばせたり、沿線に一般無償で病院を作ったり、上下水道を整備してもいいのだ。
今は、円借款、一般無償、技術協力、その他全ては別々の計画とスケジュールで動いている。それでは総合力が発揮できないので、最近では大使館、JICA事務所、JBIC事務所が一堂に集まって情報を交換し、調整をする場が正式に設けられた。いくつかの国については「国別開発計画」が作られていて、これから数年にわたるおよその方向性がわかるようになっている。だがいろいろなプログラムの間の連携をはかれと一口で言っても、現実にはなかなか難しい。なぜなら経済協力案件の実施テンポというものはいつも遅れがちなものなので、連携のスケジュールも狂ってしまうからだ。
国際金融機関との協力、西側諸国との連携も、これまで長年叫ばれながらあまり進んでいない分野である。異なる主体が援助する場合、それぞれの援助の仕組み、期間、条件は異なるから、その間で協力することは非常に難しい。協力の仕方によっては、日本の顔がぜんぜん見えなくなってしまうこともあるだろう。それに日本政府での検討は時間がかかるので、国際金融機関や西側諸国の中には、しびれを切らすところも出てくるだろう。
そこまで問題が多いなら、経済協力庁を作ってここにすべてのODAを集中させればいいではないか、という議論がよくでてくる。既に述べたように、ODAは多くの省庁やJBIC、JICAの間の不断の調整、協力によって進められている。多くの場合、その調整に当たっているのは外務省である。その調整権限を経済協力庁に移せば、全てのことはうまくいくのだろうか?
どこの国の省庁も、担当分野を独裁的に動かせるわけではない。ものごとを動かそう、変えようとすると必ず他省庁の所管する分野に関係してくる。その場合よく事前調整しておかないと抗議を食らい(官僚の仕事の五分の一程度は、こうした抗議のやりとりである)、最悪の場合には次官会議で他省庁次官の賛同を得ることができずに、案件を閣議に持ち込むことができなくなるのだ。これを役人の権限争いと言って馬鹿にする人もいるが、他省の進めているプロジェクト故に自分の省の所管している法律や予算を変えなければならない時の官僚の心配は正当なものだ。
だから経済協力も、経済協力庁が一人だけで決めることはできないだろう。それに経済協力庁を作るからと言って直ちに政府の定員を増やせるわけではない。多くの人員は外務省、財務省、経済産業省などからの出向になるだろう。だとすると、これまでの諸省庁間協議体制に加わる省庁が一つ増え、調整に更に時間がかかることになる。筆者が勤務した八十年代の西ドイツでも、経済協力庁ができたことで、まさにそのような現象が生じていた。
ODAは相手国、相手の地域全体、そして世界全体における日本の地位を高める。相手国内、地域内の問題を解決する触媒となる。アジアは言うに及ばず、中央アジア、中近東、アフリカに至るまで、日本と相談せずにものごとを進めることは効率的でない、日本を味方につければこれ程頼りになることはない、ODAはそういう状況を作ることができるし、作っていかなければならない。
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コメント
ODAのことが実例を使用して明確に説明されており、ウズベク人の私には非常に興味深い、かつ修士論文でも参考にできる情報が多々入っており、非常に参考になりました。
できれば、お会いして、お話を伺いたくなりました。
とても有意義な投稿、どうもありがとうございます。
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