第九話 現代の世論と外交
(「外交官の仕事」(草思社)より)
民主主義の国では、世論が大事だ。「ちゃんと選挙で議員や大統領が選ばれているのだから、そういう人達の指揮下に外交官が交渉すればいいではないか。交渉の結果は、どうせ議会で審議するんだろうし」と言うのは正論かもしれないが、その大統領や政治家は次の選挙のことを考えて、いつも世論の動向を見ている。
だから外交交渉においても、国内の世論はもちろんのこと、相手国の世論を敵にまわしてとうてい勝ち目は無い。民主主義国の外務省は、国内の世論に説明するだけでなく、外国の世論に対しても直接呼びかけ、自分の国のイメージを向上させ、交渉についての自分の立場の正当性をわかってもらおうとする。これを広報―――PUBLIC RELATIONS―――、またはもっと新しい言い方だとPUBLIC DIPLOMACYと言う。つまり、政府を相手とする交渉は外交、相手国の国民を相手とする外交は広報なのである。第十話でまとめをする前に、外交の手段としての海外広報、そして日本における世論と外交の関係についてお話しておきたい。
「海外広報」とは?
軍事力を外交の手段として使えない日本にとっては、ODAや文化交流に加えて、広報も大きな意味を持っている。日本で「広報」というと、せいぜい「お知らせ」くらいの意味しか持たないが、国際関係においては相手国の世論を自国に有利に変えるための様々な活動のことを意味している。
広報は、ドイツのナチやソ連の共産党が駆使したプロパガンダとはある一点で違う。プロパガンダは平然として嘘をつくが、「広報」では自分に都合のいい事実ばかり並べ立てることはあっても、嘘は禁じ手になっている。嘘がばれれば逆効果になり、信用を全く失ってしまうからだ。
僕が勤務したいくつもの国で、日本との間で深刻な係争問題を抱えていない国での広報はわりと簡単だった。せいぜい美麗なパンフレットを作って配布し、市民からの問い合わせに答えるくらいですむ。ところが係争問題を抱える国での広報は、とたんにきな臭くなってくる。戦前、戦争の記憶が残るアジア諸国、北方領土問題を抱えるロシアなどでは、物の言い方、書き方に細心の注意を払い本省とも相談しておかないと、問題を起こしかねない。
外務省の広報には、「一般広報」と「政策広報」がある。一般広報とは、日本の政治、経済、社会、文化などについて、広く紹介するものだ。政策広報とは、相手がロシアだったら北方領土問題についての日本の立場を説明したり、中国だったら日本のODAの役割をアピールしたりすることだ。だが一般広報、政策広報とも、イメージを売り込む点で大きな差異はない。何を相手にアピールし、相手の日本イメージをどのように変えたいのかーーーそこに基本的なターゲットを定め、役人的にではなくむしろ広告代理店に近いマインドでイメージ・メーキングをしていく。
「広報」と一口に言うが、実は国と国の間の往来の全てが広報に結びつく。日本についてのイメージは、パンフレットやテレビより自分が実際に会った日本人から受けた印象で決まるからだ。日本人観光客やビジネスマンの振る舞いも、日本についてのイメージ形成に大きな役割を果たしている。日本から専門家がやってきて、つたない英語でつまらない内容の講演をすれば、それも日本のイメージになる。「表敬」のために来たと称して、その実ロシアの銀行頭取との会談の間じゅう眠りこけ、部下に話をさせたままで恥じない社長がいたり、日本米の消費を促進するためと称して、外国に住んでいる日本人がどんな米を食べているのか強制的に調査させて平然としている議員、こうした人達に会えば、外国人はだんだん日本人を尊敬できなくなってくるだろう。
日米・日豪間などで盛んな学生・高校生のホームステイも、双方の間のイメージ形成に非常に重要だ。そして大使館の現地人スタッフも、自分の家族、親戚、友人達に日々日本人についての印象を語っていて、これは身近に我々を見ている人達だから彼らの意見は信憑性を持っている。
だが、広報の対象は限りなく多いと言っても、大使館が限られた人数で広報をやる場合、相手国国民の一人一人に直接話しかけることは不可能だ。だから、相手国のマスコミを使って日本のイメージ・メーキングをしよう、ということになる。
「広報」ーーーあの手この手
「えっ、相手国の世論に工作するなんて、そんなことできるの? 外交官はそんなことやってるの? それじゃ、スパイじゃない?」と読者は思われるだろう。だが、デマを流すとか、相手を買収するとかいう汚い手段を使わない限り、広報はどこの国でも許されている。それどころか、どの国の大使館も競争で広報をやっている。外交は、シャンペン・グラス片手にしゃなりしゃなりと儀礼的・偽善的な会話にふけっていることばかりではない。
広報の手段は、数多い。ベーシックは、相手国の政策決定担当者、マスコミ関係者とこまめに会い、食事や家に招待することである。こうして会うことにはいくつかの目的というか産物がある。まず、親しくなることが第一の目的である。親しくなれば、立ち入った情報の交換もできるようになるし、日本の立場に虚心坦懐に耳を傾けてくれるだろう。そして、こちらから日本の事情、日本の政策を説明することも、会話の大きな部分を占める。 大使、総領事、公使、参事官クラスでは、大学やロータリー・クラブなどにでかけて講演をする機会も多くなる。但し、一回の講演で相手にすることができるのは良くて二百人くらいのものだし、聴衆は講演の内容というよりは講演者の容貌、性格を観察するのに忙しいものなので、講演の効果に幻想を持ってはいけない。
それよりは、地元の大学の日本研究者やマスコミの日本専門家と頻繁に会い、彼らの対日観で現実と遊離したところがあればそれを正していく方が、地味でも効果は高い。というのは、親戚や学童、学生から日本についていつも質問されたりマスコミに出るこうした人達は、外交官が逆立ちしてもかなわない程の情報伝播力を持っているからである。それに、外交官は二,三年たてば交代するが、こうした人達は何十年にもわたって現地の世論に影響を与えていく。こういう人達をオピニオン・リーダーと言って、日本の外務省や他の諸組織は世界各国からこうした人達を頻繁に招待しては、日本の今を見せ、意見を交換して、彼らの対日観を我々に都合いい方向にもっていこうとする。
広報や文化交流と言うとすぐ、「では広報センターを作ろう。日本文化センターを作ろう。そうすればいつでも講演会や映画会ができるし、日本専門家のクラブみたいに使えるだろう」という人達がいる。だが、こうした「センター」を作って日本関係の図書を置き、相手国の市民に「自由に来てもらう」というやり方は、開発途上国でならかなりの人に来てもらえるが、先進国だと金のかかる割りには効果が限られることが多い。読者の方で、赤坂の米国文化センターに行ったことのある人がいったい何人いることだろう。
やはり、広報の場合、相手国のマスコミを使うにしくはない。つまりインタビューを放映、掲載してもらったり、対談番組や視聴者との対話番組に出演したり、日本の映画やテレビ番組を放映してもらうのである。だから日本の外務省では、大使とか総領事になる人達が「メディア・トレーニング」と言って、テレビ出演の心得とか、意地悪な質問に答える時のコツとかをPR会社から教わることができるようになっている。
テレビを使っての広報は、効率が高い。ロシアやウズベキスタンでテレビに出た翌日、運転手や警備員から「昨日、テレビで見ましたよ」と声をかけられるのは、面はゆくても嬉しいものだ。そして、インターネットも、広報の効率を大きく高めた。以前ならそれこそ億の単位の資金を使って何万部もの「美麗なパンフレット」を作り、船便で大使館に送り、そこからまた高い郵便料金をかけて相手国の全国に配布していた時代はもう彼方のものとなり、シベリアの奥地にいてもたった一つのクリックで多数の国についての情報が手に入る。日本の総理官邸や外務省のホームページは、日本でも最もヒット数の多いものだろう。それに今では多くの日本大使館や総領事館が、日本語と現地の言葉双方でのホームページを設けるようになっている。
外交官はいつも、効率の高い広報対象を探している。つまり、情報を多数の人に伝える力のある人達のことで、オピニオン・リーダーとか教師とか記者とか議員を意味する。こういう人達を、各国はほとんど競争のように自国に招待している。自分の国で歓待し、「良い情報」を広めてもらおうというわけで、最近では特に中国、韓国がこうした招待にいそしんでいる。そのような招待は日本の方が老舗なのだが、最近では中国に押され気味である。そうなると相手国の記者というのは現金なもので、中国の悪口は書かないが日本については辛口の記事を書きがちになる。
アメリカ政府も、このような招待を活発にやっている。例えばハーバード大学のケネディー・スクールは、ロシア軍の将校達を数十名づつ毎年招待しては、民主主義国における軍の運用などを教えていた。これはアメリカ政府の助成金ももらって実施したプロジェクトで、途中からは中国軍の将校達も同じような招待を受けるようになり、米中露の関係者が仲良くディナーという場面もあった。アメリカの国防省も、ソ連の時代からソ連軍関係者を招待していたが、帰ってきた連中はリベラリズムの良さ、大事さを熱っぽく語るようになっていた。
しかし、官僚機構が実際に生きた人間を招待する場合、多くのミス・マッチが起る。例えばロシアの記者を招待する場合には在ロシア大使館の担当官が同行して日本を案内するのが理想だろうが、担当官にそのような暇はなく本省にそのような予算はない。だから本省の若手事務官が招待された人のアテンドをすることになるのだが、その事務官も他に山と仕事を抱えているし、招待された人とは初対面で年も離れているということになると、必ずしも心の通った対応がなされず、通り一遍の滞在日程でお茶を濁すことになりがちだ。だから、在外公館の方から大使、公使レベルの人脈、知識を駆使して、日本での視察先、対談相手、取材対象などを細かく指定し、雇う通訳のレベルにまで気を遣うことがある。僕も、ロシアにいる時にはそういうことをやったし、ウズベキスタンにいた時は、日本での休暇の際、ウズベキスタンから招待する予定の人物が日本で会うべき機関、人々を訪ねて回った。こうしてでもおかないと、名が知れていない国から来た人は中々アポイントメントが取れないかもしれないからだ。
「水を飲まない馬」---広報エレジー
広報は、選挙運動に似ている。候補者がいくら駅前でスピーカーで叫んでいても、通勤客は忙しげに通り過ぎていくだけだ。そして投票所に行って、はたと困る。候補者の名前も知らない自分に気がつき、「政府(または市役所)の広報努力が足りない」ことに対して怒りがむらむらとこみ上げてくる。広報も同じことで、戸別訪問でもしなければ外国の大使館員の言うことなどとても聞いてくれないだろう。それに、テレビも新聞も見ない人達がけっこういる。こういう人達に限って、「日本大使館の広報努力が足りない」と言ったりするのだ。いや、ちゃんと広報してました、と言っても、自分は見なかった、聞かなかったの一点張りで終わる。
世界のマスコミ、論壇は、英米系に牛耳られている。我々が英語やその他の言葉で自分のオピニオンを外国に「発信」しても、それが如何に優れたオピニオンであろうと日本の国力に見合った評価と関心しか浴びない。オピニオンの「市場」も、それを実現できる国力を持った国の学者やオピニオン・メーカーが独占している。
広報を担当する者は、文化交流も兼任することが多く、ものすごく忙しい。僕が九十年代前半ロシアで広報を担当していた時は、北方領土問題が動いていた時だから、広報もそれをめぐる日々の動きをフォローしていないといけなかった。そしてモスクワ中の新聞、テレビ各社をかけずり回って大使のインタビューや新聞への寄稿を売り込み、朝までかかってその下書きを作り、それが放映、掲載されたら本省への報告書を作る。
他方では、日本映画祭の会場物色、会場使用料の値下げ交渉、パンフレットの印刷、新聞、ラジオでの宣伝のアレンジ、開会式への来賓招待、上映された映画をテレビ局に提供して全国に放映するため著作権者の了承を取る事務、あらゆることが押し寄せる。電話はそれこそ、一分に一回のペースで鳴った。そして、ロシア人はいろいろな「プロジェクト」を考えだし、大変な熱意で売り込んでくる。大使館には大きな金庫があって、いくらでも「工作費」から出してもらえる、とでも思いこんでいるのだろう。
それなのに、大使館では広報・文化交流担当の地位は低い。夫人連中からも文化活動の手伝いくらいにしか見られない時もある。大使館の主柱は政務班、経済班ということになっていて、ここから情報が回ってこないと広報は仕事にならないのだが、政治・経済とも広報に回す情報を選んだり書いたりしている時間はなかなかない。だが、広報こそは最高の知識と人格を要求される仕事だ。館長の仕事の多くの部分が広報、というのも当然である。大使会議などではよく、「本省から何も資料を送ってこないので広報ができない」という発言をする人達がいるが、これは自分の識見や経験を十分活用していないのである。大使であれば、日本の新聞やインターネットくらい見ていれば、国内の政治情勢や経済についてひとかどの講演は当然できるはずなのだ。
広報をやっていると、自己陶酔と自己嫌悪の間を行ったり来たりすることになる。テレビに出演したり、新聞に写真つきでインタビューが出たりすると有頂天になりがちなものだが、実はそんなものは大海の一滴で、相手国の天気が明日から変わるものでもない。そんなものは見ていない国民が大半だからだ。我々も日本では、どこそこの国の大使閣下とかの写真が載って、「私の国では」という文章がちらとでも見えようものなら、もう頁をめくってしまう。「馬を川まで連れて行くことはできるが、水を飲むように強制することはできない」ーーーこれが広報の冷厳な原則なのだ。
談話、会見、ブリーフィング―――広報の修羅場
以上はわりと気の長い、ともすれば文化交流や学術交流に近い広報活動のことだが、日々起こってくる事件とか交渉ごとについてマスコミに説明するのも広報の中に入っている。もっと役人的な作業だが、実は高度な政治的判断力を必要とする。世界で大きな事件が起こると、担当する課は直ちに声明なり「談話」を起案し、事件の重要性に応じて総理、官房長官、外務大臣あるいは報道官が発表する。日本は世界中で重要な存在なので、我々が直接関係ないと思うような事件でも、日本の立場は外国からそれなりの関心をもって見られている。こうした談話は、外国で報道されることも稀ではない。日本に直接関係のある件については、日本のマスコミももちろん報道する。
談話や声明の発表はどの国でもやっていることだが、時には思わぬ波紋をよぶこともある。談話はスピードが生命なので、国内、国外のすべての利害関係者の立場を分析、考慮している時間が足りない。領土問題のように日本国内と相手国の立場が正反対の場合には、国内世論に配慮して戦闘的なトーンを出せば、それは相手国のマスコミに報道されてその国の世論を沸き立たせ、売り言葉に買い言葉となって国と国の関係は急速に悪化していく。 だから政府が談話や声明を出す時には、日本人にわかりやすい表現にするだけではなく、外国に報道された場合に変な誤解を生まない表現にしなければいけない。実際には、そのようなことを考えている時間はないのだが。
大きな国の外務省は、案件を処理する部局と、案件をマスコミに説明する部局は違うのが普通である。前者は記者達にしょっちゅう話をしている時間はないが、後者は記者達と付き合うことをもっぱらの仕事にしている。日本の外務省では、報道官とその下の報道官組織というのがそれだ。だがどこの国でも、広報マンが政策を決定する会議に呼ばれないことも、皮肉だが事実である。本省では、世界で起きている無数の事件、無数の交渉事について、担当課からペーパーが広報マンのところに来る。そして重要で緊急な案件ほど、そうしたペーパーは記者会見にやっと間に合うタイミングで来るから、広報マンはそれを十分咀嚼する間もない。案件が微妙であればあるほど、ペーパーには「外部からの問い合わせには、現在確認中で方策は検討中であるとだけ述べ、あとは我々担当課に問い合わせるように言ってください」としか書いていない。これでは子供の使いで、広報マンはとても意を尽くした説明はできない。担当課の課長に電話しても、こういう時は向こうもたいてい修羅場で、課長は省内幹部や総理官邸、国会、マスコミとの連絡や調整で席にはいない。
総理や外相が外遊すると、邦人マスコミへの説明は会談に同席した幹部がするが、現地マスコミへの説明は本省から同行する広報マンが担当する。彼らは会談はおろか、その準備の打ち合わせにさえ入れてもらえないことがある。首脳会談は親密な雰囲気を演出しようとするから、部屋が普通小さい。会談の同席者の数は五人以下くらいに制限されることになって、広報マンの椅子がなくなる。だから広報マンは、邦人マスコミへの説明に同席してメモを取り、それを現地マスコミにオウム替えしに繰り返すしかない。これでは、現地マスコミに能動的に働きかけるといくら言っても、不十分で形式的なものにしかならない。
広報に一番有効なのは、総理や外務大臣が外国を訪問することだ。めったに行かないところほど、注目度は高い。ところが総理はもちろん、外交を任務とする外相でさえ、国会会期中は日本にいることが原則であるため、小国にはめったに来ない。来なくても、彼らが日本で何かを発言すれば、それはその国のマスコミにキャリーされて大きな広報効果をあげる。もっとも彼らの発言が日本国内向けで相手国世論の神経を逆なでするものであった場合、それが報道されると非常に大きな反発を買う場合もあり、そうなると広報担当官は火消しに走り回ることになる。
広報をやっていて、本省や大使館の同僚、部下がごりごりの法的アプローチに固まり、広報マインドがない場合も、広報担当官は参ってしまう。官僚が法的マインドを持つべきことは当然のことだ。だが、政策を国民や他国の国民にわかりやすく説明できなければ、法的に完璧であっても実際の政策にはなりにくい。
広報とはナンボのものか
「広報などで世論を変えられると思うなよ。何も仕事してないじゃないか、と言われない程度にやるんだ、くらいの気持ちでちょうどよくなる」ーーーこれは、ソ連が崩壊した頃、北方領土問題の広報で走り出そうとした僕の手綱を締めるために上司が言った言葉だ。当時、ロシアはにわかに自由化され、クーデターの失敗は若手リベラルの力を一気に伸張させた。彼らは北方領土問題にしても何にしても、今まで共産党が隠していた真実を暴く意欲に燃えていた。ロシアのマスコミもこうした若手リベラルに席巻されて、日露関係についての情報を広く受け入れる態勢にあった。ソ連時代ならKGBに妨害されたであろう広報活動も、混乱の中で何でもあり、の状態だった。
だから僕は凱旋将軍のような気持ちで、ロシアのマスコミに多数の寄稿、インタビューを出した。その結果、ロシアの世論は変わったか? 否、むしろ保守的な連中の大反撃を引き出してしまった点で、逆効果でさえあった。ロシアのマスコミも商業化していて、読者の注目を引く北方領土問題のようなイシューは願ってもない題材だったのだ。まず日本人に紙上で騒がせて読者の注目をひき、次にロシア側論者がそれに対抗する論陣を張るならば、盛り上がること請け合いで発行部数も伸びるだろう、こんな打算をしていた編集者もいたのではなかろうか。こうして二、三ヶ月もすると、ロシアのマスコミにはロシアの保守的立場が多数掲載されるようになり、大使館の少人数ではこれにとても対応できなくなった。
その頃の上司からは、「批判されても、それに正面から反論するな。批判の対象となっている事実に視聴者の関心を引くだけだ。批判とは直接関係のない前向きなことを言え」―――こういう秘訣を教えてもらったこともある。特にテレビやラジオの生出演になると、この忠告は生きてくる。相手の批判に対して感情的に反論したりすると、こちらのイメージを決定的に悪くしてしまうからだ。アメリカの広報マニュアルにも書いてあったが、批判的質問に対しては「そういうこともあるかもしれませんが、こういうことも・・・」という風に切り出して、「こういうこと」の方に視聴者の関心を引きつけてしまう。生放送であれば、司会者もあれよあれよと言うだけで、黙っているしかない。
外務省の広報も、インターネットのおかげでコスト・パフォーマンスが高くなった。90年代中頃でさえ、省内ではインターネットという言葉を知らない者が多数いて、インターネットが広報において持つ意義について省内セミナーをやったりしていたものだ。今では総理官邸や外務省のホームページは、日本でも最もヒット数が多いものの一つだろう。
だが、いくらインターネットで広報しようが、いくら外国のテレビで日本関係の題材を放映してもらおうが、それは大海の一滴に過ぎない。それに、政府広報には本音は書きにくい。終戦直後、アジア全域にわたる即席裁判の末、千名もの日本人が戦犯として直ちに処刑されたことを、世界の誰が知っているだろう。極東軍事裁判の結果をサンフランシスコ平和条約で呑んでしまった今となっては、この裁判の不当性を政府ベースで広報できるだろうか? だから僕は、何か「日本人の本音」のようなサイトを個人として作ろうと思っている。
広報とは「思い込み」を操ることと見つけたり
世界の国々の世論は、それぞれ別の癖を持っている。日本人は経済力で国の力や徳を測るが、ロシア人のような人々は政治力や軍事力の方を重視する。アメリカ人は国際関係の大枠を自ら作り出す議論を好むが、日本人は世界の変化にどう対応していくかという受動的で細部の議論に関心を示す。中国人であるなら、日本でも政府が地方自治体や民間企業の行動を統制できると思いがちだが、日本ではそのようなことをすれば世論から批判を浴びる。アラブの国々は日本と米国の間の政治・経済・軍事面での相互依存関係の深さを知らず、アメリカと価値観の違う日本はイスラム諸国のように米国に楯突いて当然だ、それができないのは日本が臆病だからだ、と考えている。
つまり日本についての思い込みは各国様々だから、各国への広報はテーラーメードでやらなければいけない。ものごとには、真の姿と虚像の二面がある。人間は、自分に関係のないことについては虚像、つまり思いこみで片づけてしまう。いや、自分に切実な利害関係のあることでさえ、思いこみで処理し、後でその誤りに気づいたりする。国際関係というものは多くの人にとっては生活に直接響かない話なので、それだけ思いこみと偏見で判断されることになる。いや、プロであるべき外交団や国際機関関係者の会話も、いかに多くの無知、偏見そして思いこみに満ちていることか。
広報とは、そうした虚像を打破して真実を知らせるものであるべきだ。しかし、何十年を経て作り上げられてきたイメージや思いこみを崩すのは、短時日では不可能なことである。テニス選手のシャラーポヴァが日本では大人気だが、ではロシア全体のイメージが上がっているかと言えば、そんなことはない。オープンで率直な日本人は外国に行くと、「あなたは日本人みたいじゃないですね」と言われておしまいだ。
思い込みというものは、その思い込みを崩す何か大きな事件が起こるとか、総理大臣が発言をするとか、そういうことが何度も何年も続いてやっと少しづづ変わっていくものである。いったん皆が、「中国は政治大国だ」と思い込むと、皆そのように行動を始める。思い込みが国際政治の現実になってしまうのだ。だから外交官は、真実を執拗に繰り返しつつも、ある時には虚像を逆手に利用して日本に有利な状況を作り出すようなしたたかさも持っていなければならない。国際政治というものは所詮、イメージ、虚像の上に成り立つものなのだから。
つまり広報担当者とは「究極の外交官」とも言うべき人の悪いもので、誠実を装いながらも、自分の言葉や仕草が及ぼす影響を常に心の中で計算し、どうやったら大衆の心を動かせるかを考えているのだ。では広報は、冷たいシニカルな心の持ち主のための仕事かというとそうでもない。冷たい計算だけではなく、相手の国の大衆に対する温かい気持ちがなければ、何を言っても相手は本能的にかぎつけて信用してくれない。
相手の思考や感情を想像できる能力のない者は、広報などやらない方がいい。アメリカならアメリカの社会、ロシアならロシアの社会を知り抜き、その社会の各層の暮らしぶり、マインド、考え方までよく知っていて、そこに何かの事件が起きた場合どのような波紋を描いていくか、それぞれの波紋が干渉しあってどんな新しい波紋を生むか、それぞれの波紋をどのように扱ったらいいかを即座にシミュレーションできるのが、本当の広報マンなのだろう。
日本の世論と外交の関係
日本での世論との関係は、在外でよりもはるかに難しい。最近数年の外務省をめぐる問題は、そのすべてが世論・社会との接点で起きている。行政は官僚が独占できるものではなくなり、世論に目配りすることは欠かせなくなった。官僚は明治以来の高い社会的地位を失い、青年達は政府を「お上」としてよりも自分達に奉仕するのが当然の存在と思っている。このような急速な社会の変化に、官僚制は追いついていない。
今の官僚制は植民地主義列強の中で国力を最大限発揮するためのマシーンのようなもので、小回りが利かないから、嘘を撒き散らすプロパガンダはできても、社会の諸層から寄せられる様々の疑問や希望にきめ細かく答えるこまめな広報には向いていない。官僚機構というものは元々、広報には向いていない。世間に向かって何をどのように言うか、ということを決めるだけで、大変な時間がかかる。日本に直接関係のない事件についての「談話」のようなものなら一時間もかけずにできるだろうが、日本にとって政治的・経済的な意味合いのある事件になると、外務省省内の関係局部、関係諸省庁、財政負担がでてくる可能性のある事案であれば財務省、そして総理官邸とすりあわせなければならないから、簡単にはできない。
そして、責任をもって事案を説明できる官僚の数が限られているという問題がある。官僚の能力に問題があると言っているのではない。東京の外務省には多数の外交官が働いているが、そのうち初動の段階でその事件を良く知っていて、日本政府の立場を責任をもって説明できるのは担当局課だけである。マスコミは担当課や出先の大使館に電話等で取材できるが、外務省が世間一般に情報を発信できるようになるまでにはかなり時間がかかるし、それも多くの場合外務省ホームページに談話を掲載するというような限られたものでしかない。官僚機構は政策の立案・執行を第一の任務として作られていて、広報には向かないのである。
それは、日本だけではない。先進国の政府は、世論と官僚制との間の矛盾で四苦八苦している。では現在の日本で、政府・外務省と社会・世論の間の関係はどのような問題をはらんでいるのか、何をどう変えていくべきなのかを見てみよう。
「テレビ型直接民主主義」の時代
今ではいろいろな人が言うようになったが、十九世紀に西欧で頂点に達した「国民国家」という体制は転機にさしかかっているのだ。冷戦の終焉で安全保障がイシューにならなくなってきたこと、経済が一国の政府によるコントロールをもはや許さないほど大きくなってしまい政府の立場が社会で相対化してきたこと、経済水準の上昇による社会の多様化と権利意識の向上、IT技術による大量の情報の伝播、そして何よりテレビという存在、そういったものが国民国家の変質をもたらしている。
「国民国家」の時代には当たり前だった国家の諸装置が、日本でも一部の青年達にはひどく嘘っぽいものに見えるらしい。マスコミやインターネットが発達し、市民と政府の間のやりとりが恒常的にできるようになった今、有権者が大統領や国会議員を選び、大統領や首相は「国民の意を体して」行政府を動かしていく、国民の信は選挙で問う、というこれまでのやり方はフィクション、政策を執行している官僚の責任を国民の目から隠すためのごまかし、あるいは民意を問うふりだけして後は好き勝手にものごとを進めるための隠れ蓑、ガス抜きのための装置、とさえ映るようになってきた。
大使公邸とかディナーとか、十九世紀の西欧貴族のようなスタイルは、現代の日本青年達からは最も遠いものだろう。「何やってんの。あのおっさん達」で終わりである。政府が外交を担当、というか独占しているのも、だんだん奇異な感じにすらなってきた。外交官の仕事が、生活実感とあまりにかけ離れている。何かぜんぜん関係ない―――英語で言えばIRRELEVANT―――ことをやっている感じがするのだ。今の日本の若者達にとっての外国とは、自分達自身が感じ理解できる個々の外国人のことでしかなく、付き合える友達とそうでないのを仕分け、そして実はそのどちらも自分の生活には関係ない―――たとえて言えばそんな感じなのかな、と思う。
つまり時代は間接民主主義から直接民主主義に移りつつあるのだが、その「直接民主主義」のルールは定まっておらず、「世論」なるものを客観的に測る方法も未だ十分ではない。マスコミがどんなに「本当に客観的な報道」をしようとしても、社会の全体を把握することは難しい。もしかすれば、かの荘子に出てくる、目鼻をつけようとしたら死んでしまった「混沌」と同じく、世論に目鼻をつけ科学的に把握することは不可能なのかもしれない。そして若者の多くの気分を一つの言葉でくくるなら、それは直接民主主義より無政府主義に近いのかもしれない。「もの言わない多数派」はどの社会でも表面に出てこないし、一部の過激な立場が世論と見なされたり、少数のロビーストや専門家が政権を牛耳ってしまう局面も世界中で生じている。
どの先進国でも政府の役割が低下する一方で世論の力は増大しているから、指導者は世論の支持めあてのパフォーマンスを多用しがちになっている。だが、無数にできたNPOの財務や活動ぶりを国民が審査するメカニズムはどの国にも存在せず、マスコミが代表する「世論」なるものも、「サイレント・マジョリティー」よりも、声の大きい過激な意見に流されることが多い。わいわいと陽気に流されていく―――これはお祭りに似ている。強力な経済に生活を支えられて、先進国の政治はお祭り騒ぎに似てきた。
今から考えてみると、テレビは相撲や野球の人気を上げただけでなく、社会を根本的に変えてしまったのだとつくづく思う。ソ連では、テレビは共産党・政府が国民を統制するための手段となり、放送局は共産党、KGBの支部のようなものだった。しかし日本では、テレビは直接民主主義の流れを生んだのだ。それは、日本の社会に伝統的に存在する平等主義、集団主義をさらに強め、時によってはあたかもテレビが代表するところの「世論」が立法、行政、司法の三権を自ら執行するかのような、直接民主主義の流れが生まれたのだ。そしてテレビが一方通行だとするならば、双方向、多面通行で意見を形成していくインターネットは、直接民主主義実現のためには理想的な道具であるように見える。
だが、古代アテネの貴族だけによる直接民主制なら何とかかっこうをつけられたかもしれないが―――それでも歴史の本を紐解くと、デマゴーグとか付和雷同とか独裁とか、人間社会の哀しい性はアテネにもふんだんにあった―――、人口一億を超える日本の社会で直接民主制を実現するのは難しい。しかも日本の世論は、付和雷同性という恐ろしい一面を強く持っている。
日本の世論の特性は?
イラクのアメリカ兵がイラク人捕虜を虐待したことが明るみにでた時、あるアメリカ政府高官はマスコミに、「ああいうことをやったのは、ほんの少人数だ」と言った。アメリカではこの発言は問題にならなかったようだが、日本だったら袋叩きにあっていただろう。日本での善悪の判断は、理屈や法律より感情、そして全体の雰囲気で決まるから―――ムラ社会の伝統が残っている―――、予測できない。じわっと生温かく、ねばねばしていて、不透明な社会である。
戦後、「民主主義」のスローガンによって強化されたのは、英米的な多数決の原理ですかっと割り切った民主主義ではなくて、他ならぬ日本の伝統的な価値観、つまり村落共同体に発するコンセンサス形成と根回し、そして集団主義だったのではなかろうか。即ち選挙とか議会とか、欧米から輸入された道具立ては一応表舞台に載せておくが、利益の配分や対立の調整は自由民主党を中心に舞台の裏でするのである。
日本では江戸時代から自営農家が多かったためか、自分の所有権を守ろうとする意識が大変強い。だが、それは面白いことにヨーロッパ型個人主義を生むより、平等主義を強める方向に作用したらしい。日本の民主主義は「みんなおんなじ」であることを前提にしている。欧米の民主主義は「みんなそれぞれ違う」ことを前提にしている。だから日本では、強い指導者は危機の時以外には望まれず、組織としての意思決定は上意下達より、徹底的な根回しを伴う下からの積み上げが主流となる。
日本の世論にはもう一つ、反政府主義の伝統がある。それは野党的な存在というよりは、自分の国の政府を頭から否定するかなり心情的なものである。それはおそらく、戦前に始まり一九七〇年第二次安保闘争まで盛んだったマルクシズムの影響下に生起したものだろう。「反政府」は当初は階級闘争という理論に支えられていたが、世の中が落ち着き階級差が消滅するに従ってそれは次第に「教養としての反政府主義」と化した感がある。戦後の一時期は、「反政府を唱えざる者、知識人にあらず」といった風だったのである。僕も、外国の大学での講演などで日本の政策を一生懸命宣伝しても、聴衆に混じっていた日本人学生から、日本政府は反人民的な存在で対米従属をこととする事なかれ主義者の集まりだ、みたいなことを言われてすっかり白けたことは一度や二度ではない。
今では学識経験者の多くは逆に、情報や社会的地位を求めて政府寄りになり、それはまたそれで問題だと思うが、他方、反政府主義の伝統は別の形でまた盛んになっている。それは、外務省や大蔵省の一連のスキャンダルに端を発した官僚批判であり、その反動としての「民」至上主義である。官僚は自分の省益、自分の昇進のことしか考えない存在と貶められ―――そういう者達も実際にいるが―――、政府の打ち出す政策は信用されない。ODAもその全てをNPOにまかせるのがいいとされている。
そしてこの十年、日本の経済、社会が一大転機を迎えた中で、人々の関心は内向きとなり、外国事情への関心は以前より低下した。二〇〇五年の今になっても、モスクワでは品不足だから赴任する時には日常用品を買い揃えていかなければならない、と思い込んでいるビジネスマンがいる。そして戦後、日米安保に国の安全保障を委ねて以来、日本は国際政治の大きな枠組みをどのように変えていくかといった問題について、思考が麻痺してしまったままであるかのように見える。
その一方、明治以来「お上」を少なくとも上べでは敬う伝統は、日本の若い世代にはきれいに消え失せ、彼らは政府や役人をドライな合理主義―――費用対効果基準―――の目で見始めている。日本の近代化を進めてきた官僚はその指導的地位を奪われ、国民に対する任務を果たす単なる「公僕」と見られることが多くなった。それだけではない。案件を担当する官僚達は、時には茶の間のテレビにその顔をさらし、非難あるいは賞賛を直接浴びなければならない存在になってきたのである。「役人とは黒子のようなもので、個人として目立とうとしてはいけない」というのが我々世代の官僚の座右の銘だが、「テレビを通じてみんな仲間」という現代においては、もう古い。三権分立という原則を盾に、カーテンの蔭で仕事をしていくことはもう許されない。日本の外交官は、外国では「広報」だと言ってしょっちゅうテレビに出ているのだ。同じことを日本でやらない方がおかしい。別にミーハーになってゲームに参加しろ、と言っているのではない。官僚は公僕ではあっても下僕ではない。外交官にはそれなりの凛とした品がなければならない。国全体の利益と安全を司っているのだから、軍人に似たところがあって当然である。
世論と政府の関係は質的に変わっていく。これまでのように政府が国民に教える、広報する、という姿勢は、時代遅れとなった感がある。だが僕には、何をどのように変えればいいのかはまだわからない。ぼんやりした感じを言えば、官僚が街の中に机を出して仕事をしていて、通行人の質問にも気安く答える―――そんな感じだ、とでも言おうか。
最後に、日本のマスコミの性格について話しておきたい。マスコミがいわゆる世論を伝えている、という建前なのだが、その建前と真実との間には少々隙間がある。そしてこの隙間を通る間に、ニュースは微妙に屈折する。現代社会の市民たるもの、自分の国の政府に批判的な目を向けるだけでなく、同時にマスコミの報道を検証できる能力も持っていなければ、今度は政府の代わりにマスコミに踊らされることになってしまう。
まず、ニュースの全容を客観的に報道するのは不可能だ、ということを肝に銘じておく必要がある。イラクは全国的に戦場になってしまったように見えるが、それはテレビがそのような場面しか映さないからそう見えるので、実際には戦争の時でも戦場はごく限られた地域だけで、残りはごく平和な日常生活が展開している時が多いのだ。そのことは同時に、いいことはニュースになりにくい、災難や事故ならニュースになる、ということも意味している。悪いニュース一つの背後には、一千、一万の成功例があることを忘れてはならない。
ニュースは編集される。どんな場面を見せて、どんなコメントを加えるか、ということだ。海外のテレビには、いろいろな外国の街頭風景をナマで五分くらいづつ、コメントなしで見せていく番組があって、非常に面白い。だが、どの国のどの街のどの街路のどの部分を映すか、というところで、編集の意思が入っている。コメントを入れる、ということになると、それは主観が大いに入ってくる。「それで構わないじゃないか、アメリカの新聞だって党派性があって主張がはっきりしている」と言われれば、その通りだ。ただ、それが主張であって事実ではないことを知らずに読んでいる人が多いようだから、言っている。新聞もテレビ・ニュースの編集局も、編集のラインというものを持っている。「ウチは当面、中国批判でいく」という具合に編集会議で決めてしまう。
すると、出先の特派員が中国人にも実はいいところがあって、などという記事を送ってもボツになってしまう。だから、新聞の社説など今時誰も読まないが、これを一番読んでいるのは実はその新聞社のニュース記者なのだ。彼らは社説から自社の編集ラインを嗅ぎ取り、その方向で取材をする。記事が載らない記者は、評価がどんどん下がってしまうからだ。雑誌も同じで、編集方針に合わない論文をいくら送っても、なしのつぶてだろう。
こういうことがあるから、読者は六ヵ月にわたって中国経済の問題点ばかりを読まされ、ああこれでは中国ももたないなと心配していると、突然編集方針が変わって「それでも力強く発展する中国経済の現場から」などというシリーズを読まされて狐につままれたような気持ちになるのだ。そして今は、中国ではあたかも反日が津々浦々まで広がって、国民は寝ても醒めても日本憎しで凝り固まっている、ということになっている。
それもこれも、マスコミ人士には、「紙面が埋まらないことの恐怖、ニュースの時間が余ってしまう恐怖」というのがあるらしく、編集方針を変えては自分でメーク・ドラマし、自分でニュースを作り出している―――捏造しているという意味ではなく、面白く読めるように編集してある、という意味―――からだ。だから現代の大マスコミは、報道機関というよりは「ニュースで人をエンタテインする機関」と言った方が実像に近いのではないか。国と国の間で係争が起こると、彼らはまるでサッカー試合の中継であるかのようにどちらが勝った負けたと言って、対抗意識をあおる。そのために戦争の危機が訪れれば、彼らは急に編集方針を変えて反戦を呼びかけたりするのである。
現在の巨大なマスコミも国民国家の道具立てのひとつなのだから、官僚制と同じで次第に変わっていくだろう。テレビのデジタル化は現在のキー局独占を崩し、インターネット新聞やメルマガは大新聞のニュース独占を崩していく。政府による広報のやり方も、時代に応じて変わっていくだろう。
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