マイナス金利と先進諸国における デフレ 対策の誤り
(これは、4月27日に「まぐまぐ」社から発刊したメルマガ「文明の万華鏡」第48号の一部です)
産業革命でモノがあふれるようになって以来、工業国は何度もデフレに見舞われてきた。19世紀の後半がそうだし、最近では1970年代米国で「スタグフレーション」が表面化して以来、先進国はデフレがその経済の根底にいつもあると思う。スタグフレーションは、物価の面ではデフレではなくインフレだったのだが、それは1974年の石油危機で原油価格が跳ね上がったからで、基本は消費と投資の停滞、つまり生産設備の過剰と購買力の不足にあったのだ。
昔から共産主義者が揶揄してきたとおり(「大衆窮乏化理論」と言って、資本家が労働者を搾取してろくに給料を払わないから、資本主義では需要が不足するというもの)、「資本主義工業社会は過剰生産設備と購買力の不足によって国内経済は行き詰まり、海外にはけ口を求めて帝国主義化して、戦争で自滅する」シナリオが現実のものとなっているのだろうか。その共産主義はすべてを分配することで、投資、イノベーションには力が回らず、資本主義より先に窮乏し自滅してしまったが。
資本主義国での生産能力の過剰は、これからますますひどいことになる。ロボットとAI(人工知能)で資源も掘れる、モノも作れるということになると、地上の人類は全員左うちわ、奴隷にモノやサービスの生産を押し付けて自分は上品ぶっていたアテネの市民と同じような境遇を享受できることになる(カネがあれば)。
ところがアベノミクス工房の人たちは、このデフレを有害で、治療すべきもの、治療できるものと思って、効かない薬、もしかすると有害な薬を経済に与えているのでないか。浜田教授や黒田日銀総裁の見立ては理屈倒れで、どこか現実から遊離しているのだ。本来、物価の安定を任務とする日銀に経済刺激の任務も押し付け、自分は財政出動と国債の増発から逃げようとした財務省の目論見もその背後にあるのだろう。
そして、国会議員たちも、日銀たたき、銀行たたきに加わったのだろう。地方は「シャッター通り」だらけ(東京でもあるが)。不況である。これは、その土地の国会議員達には、「銀行が中小企業や商店に貸し渋りをするからいけない。銀行がもっと企業や商店にカネをつけるようにしないといけない」と見えるだろう。
だから日銀は、銀行が手持ちの国債を日銀に売るように仕向けたり、日銀への過剰の預金にマイナス金利を課したりして、何としてでも銀行に企業向けの融資をさせよう、そうすればすべてが良くなる、ということで緩和政策をやってきた。
しかし、このやり方は間違っている。先に述べたように、現代のデフレの原因は生産力がどんどん伸びる一方で需要が伸びないことにあるので、物価を無理に上昇させてそれで企業の収益増期待を高め、投資を増やさせるというのは、おかしい。優等生が算数式だけ見て考えるとそうなるのかもしれないが、現実には物価が上がれば我々は益々消費を控えるのである。
ケインズ政策にせよ、マネタリー政策にせよ、一辺倒や行き過ぎは有害だ。現実をもっと見てくれないと、生活している人間達はたまったものでない。需要、消費を刺激するには、アベノミクスの別の面、つまり財政支出拡大、賃金格差の縮小、賃上げへの音頭取りが有効だろう。企業はこの数年の円安で厖大な自己留保を抱えるに至ったが、社員給与のベース・アップには乗り気でない。その気持ちもよくわかるので、ならばボーナスとして一時金を払えばよかろう。
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