2013年6月12日
ロシアにかける橋
1990年から1994年にかけて、私は在ロシア大使館で広報・文化センター所長をしていたのですが、これはロシア現代史においてもっとも波乱に満ちた時代でした。
日露関係もそうで、ソ連末期から外国によるロシア国内の広報、文化交流が完全に自由化しておりましたので、それまではできなかった北方領土問題の広報も自由に行えるようになったのです。
ですからロシアの新聞各社、テレビ各社をまわり、大使の出演と寄稿をアレンジし、そして自分でも出演、寄稿し、日本語教育の普及、日本研究の支援、日本文化の紹介もやる、そしてその背景には6000%にのぼるハイパー・インフレに困窮するロシア市民、クーデターの失敗、議会の砲撃など歴史的ドラマが展開するのですから、これはもう最高にはまる環境でした。
この本はそうした、ロシアでの広報・文化交流の仕事の顛末をヒューマン・ストーリーとして書いたもので、最後はクレムリンの赤の広場に15万人ほどが集まった山本寛斎「スーパー・ショー」で締めくくってあります。
もともとはサイマル出版会から出版されたものですが、これはその後かまくら春秋社から改訂・復刻されたものです。日露両国民が理解し合えないでいることの理由について、あとがきを書き下ろしてあります。
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