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日本安全保障

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2016年12月20日

北方領土、返してくれないものはもう諦めて、ロシアと仲良く?

プーチンは帰った。北方領土問題での対応は木で鼻をくくったようなもの。プーチンと言うより、ロシア外務省が総出でソ連回帰したようなものだ。以下は、プーチンが来日する直前の13日Newsweekに掲載した記事の原稿。領土要求を続けることは、ロシアに対する非友好的態度だと思っている人々のために。


―交渉の絡まった糸をほぐしてみれば―
河東哲夫

 北方領土と言うと、「あんな島、もういい加減いいじゃないか」で済ませる人がいるが、自分の領域をいい加減に扱っていると、そのうち尖閣、宮古、沖縄と取られ、最後は自分の会社の目ぼしいポストもみんな外国人に取られている、ということになる。

 あの4つの島で何故日本が頑張るかというと、それは別に1956年米国のダレス国務長官に「4つ要求しないなら、米国は沖縄を返さない」と言われたためではない(当時の鳩山政権は歯舞・色丹の2島だけで手を打とうとしていた)。1855年、幕末の日本は帝政ロシアに開国したのだが、その時の日ロ修好条約では択捉、国後、色丹、歯舞の4島(歯舞は群島)は日本領だと定められ、その後第2次世界大戦が終わるまで日本が統治、約1万7千人もの日本人島民がいたからである(ロシア人は皆無)。ソ連軍は1945年㋇15日日本が降伏した後、4島を無血占領し、1947年には日本人島民をすべて補償もなしに本土に追放、ソ連国民を入植させたのである。

 戦争した同士なら、領土を取られても黙っていたかもしれないが(ドイツはプロシャ発祥の地-往時のケーニヒスベルク、現在のカリーニングラード地域―をロシアに取られたままである)、第2次大戦で日ソは中立条約を結んで戦っていなかったのである。戦後占領したものならば、米軍がサン・フランシスコ平和条約締結と同時に日本占領をやめたのと同様、主権を日本に返還してしかるべきものなのだ。

 1956年日本はソ連と「共同宣言」に署名、戦争状態を終結して外交関係を回復した。これで日本人の戦争抑留者の帰国が完了したし、ソ連周辺海域での漁業も可能となった。しかし戦後の国境画定が北方領土でできなかったために、平和条約締結は棚上げになり(共同宣言には、「平和条約を結んだら歯舞・色丹を引き渡す」と書いてある)今日に至る。

戦後70年余、いろいろなことがあった。戦争に訴えずに領土を返還させるのは、至難の技。しかも米ソ対決の冷戦時代、ソ連はオホーツク海に原子力潜水艦を何隻も遊弋させ、常時米国をミサイルで狙っていたし、北方領土はそのオホーツク海に浮かんでいるから解決は尚更難しかった。日本は1970年代、輸出入銀行(現在のJBIC)の融資を合計1000億円以上もつけて「シベリア開発」をした のだが(その成果の一つがサハリンの石油・ガス開発)、北方領土問題での実入りはブレジネフ共産党書記長の田中角栄総理に対する「ダー(yes)」という音、一つ。つまり「北方4島の返還問題は、戦後未解決のものと考えているかどうか」という総理の問いかけに対してしぶしぶ発した「ダー」、だけだったのだ。

そのソ連共産党が1991年㋇、クーデターの失敗で崩壊、ボリス・エリツィン・ロシア共和国大統領が台頭すると、日本政府は俄然張り切る。米国がロシアとの関係に前向きになったし、エリツィン自身、それ以前から北方領土問題解決に前向きな姿勢を示していたからである(実際は4島を返すつもりはなく、日本から資金を絞り出すことに目的があったようだが)。日本はロシアの民主化・市場経済化支援に乗り出し、モスクワ大学ビジネス・スクール新校舎の建設を助けたし、食料・人道物資を大量に供与して低所得者向けに低価格で売却、その代金を地方政府の福祉プロジェクトに使わせたのである。

当事者達が既に公言しているが、当時ロシアは歯舞・色丹の「引き渡し」と択捉・国後での共同開発を柱とする領土問題解決案を日本に示し、日本はこれに対してロシアが4島の主権が日本に属することを公認すれば、実際の返還の態様・時期については柔軟に対処する用意があるとの案を示して、相互に歩み寄ったのである。

だがそれも、経済困難の中、反エリツィン保守勢力が勢いを回復し、領土問題解決に反対の論陣を張る中で難しくなっていく。当時は、日本大使館が北方領土問題の経緯を説明した広報記事を一つ出すと、それへの反論が二つも三つも発表され、果てはテレビ・ドキュメンタリーと、反対論は増殖していった。それはロシアの公安などがその方向で記事を書かせたのだろうし、ロシアのマスコミ自身も「この問題は面白い。部数が稼げる」ということで、まず日本側に書かせた後、反論を載せてドラマを作るという販促戦術に出てきたのである。

1996年、エリツィン大統領はよれよれになりながら再選を果たす。そして1997年橋本龍太郎総理は「政経不可分(領土問題で進展がなければ経済関係も進めない、という政策)を下す」と声明してエリツィンに秋波。両者は「2000年くらいまでに平和条約を結ぶ。同時に両国は経済面でも協力関係を進める」というクラスノヤルスク合意をスタートさせた。これは橋本総理の辞任やエリツィンからヴラディーミル・プーチンへの権力禅譲など紆余曲折ありながらも、2001年3月森喜朗総理とプーチン大統領の間のイルクーツク声明として結束したのである。森総理は「歯舞・色丹の返還と、択捉・国後の帰属権決定と、二つの問題についての交渉を開始しよう」と提案して、プーチンから「どうなるかな」(ロシア語で「パスモートリム」。相手の言うことに合わせながらも、実際は「多分うまくいかないよ」という意味に近い)という返事を得たという 。

ここで森総理が辞任していなければ、北方領土返還交渉は前向きに転がっていったことだろう(今でも妥結していないかもしれないが)。しかしこのイルクーツク声明から1月も経たない4月の某日、新任の田中真紀子外相は事務方からの説明も聞かずに、「自分の父親(田中角栄)は、4島一括即時返還をいつも推進していました。これ以外のやり方は認められません」と発言し、上記10年来の交渉のちゃぶ台を引っ繰り返してしまったのである。

ロシアはしばらく黙っていた。しかし翌年6月、それまで北方領土問題で目立つ動きをしていた鈴木宗男衆院議員が収賄の容疑で逮捕されると、「これは鈴木氏が北方領土問題を解決しようとしたからだ」と殊更に誤解、ソ連時代を思わせるアナクロで硬い姿勢に後退する。「北方領土は、第2次大戦末期米国との話し合いでソ連のものと認められた。この終戦時の合意に挑戦する日本は、戦後の世界秩序を乱そうとするものだ」というわけである。

以後この状況は、第2次安倍政権まで続く。その間、民主党の鳩山由紀夫総理はロシアに殊更すり寄って気味悪がられ、菅直人総理は「ロシアは北方4島を不法占拠している」というきつい言葉を使ってこれもロシアに嫌われた。平時に領土の返還を求めるのだったら、首脳同士の信頼が重要になる。「お前と俺の関係で将来の世代への遺産を残そう」と持ち掛け、経済関係も進めて双方にシンパを作っておかないと、領土問題解決の偉業はできないのである。
それを、今の安倍政権はやろうとしている。プーチンもほだされて、「引き分け」とか「全く新しいアプローチ」とか、思わせぶりのことを言うが、実際にはこれらの言葉は2000年代、日本側もロシア側も、折に触れて便利に使ってきたもので、実体はまだない。要するにプーチンは、「交渉はまだ進んでいない」という同じことを、とっかえひっかえ言っているだけなのである。

プーチン訪日をめぐるロシア側の事情

 では、今回の訪日でプーチンはどう出てくるか? まず基本は、北方領土問題で譲らなければならないほどの窮地に、彼は置かれていないということだ。米国のオバマ政権とは冷戦にも似た最悪の状況にあるが、トランプは民主主義だの自由などの難しいことは言わずにロシアと「大人の」関係を結んでくれるかもしれない。日本との領土問題もしばらく棚上げしておこう、と思っていることだろう。

 ロシアと言えば、「カネが欲しいはず。だから日本の要求を無下にできない」という打算をする人もいる。確かに原油価格の低迷で、ロシアはマイナス成長、予算も削減の方向にある。実質賃金が下がっていることで、大衆の不満も大きくなっている。しかしそれでも、19世紀の昔、クリミア戦争敗北後の財政危機を逃れるためにアラスカを米国に二束三文で売った時のような窮状にはない。モスクワのレストランは相変わらずにぎわっているし、西側でロシア政府がユーロ・ボンドを売り出せば、その高金利に欧米の金融機関が群がって直ちに消化してしまう。だから、「日本に領土を返します。その代り日本から経済で・・・」などとプーチン大統領が言おうものなら、反米・愛国で燃えている今のロシア国民に総スカンを食い、1年半後の大統領選挙に出られなくなるだろう。

 こういう時、日本はどうする? 4島ではなく3島だけでいい、あるいは2島、1島だけでもいい、と言って、しゃにむにロシアとの関係改善を求めるのか? そもそもロシアとの関係はそんなに悪いのか? ロシアも中国だけに依存するのは危ないから、日本との関係をそこそこに保っておきたいのではないか? ロシア極東の人口は600万、中国は東北地方だけで1億2000万というのでは、勝負にならない。それにウラジオストック周辺の沿海地方は、やっと1860年にロシアの領土になったので(ロシアが清朝から奪った領土は、日本の面積の4倍分に相当する)、中国がまたいつこの歴史問題を外交問題化してくるかわからない。

 日本が今、ロシアから求めるものは何か? それは、ロシアに領土で譲って平和条約を結ばないと手に入れられないものなのか? 一つに、日本周辺での軍事挑発を控えてほしいということがある。太平洋方面のロシア軍の力は大したことはないのだが、領空侵犯の構えなど示されると、自衛隊の戦力を北方にも向けざるを得ず、南方の対中国と二正面作戦になってきつい。また、尖閣の問題でロシアは中国の肩を持つ発言を避けているのだが、これも続けてもらいたい。だが、たとえ平和条約を結んだところで、ロシアを完全に当てにすることはできない。ロシア軍は、日本に米軍がいるから敵対的軍事行動をしかけてくるのだし、中国から強く要請されれば尖閣でも中国の肩を持つだろう。

 もう一つ、「領土問題を解決しないと石油・ガスを売ってもらえない」という議論がある。だが、これは事実に反する。と言うのは、ロシアからの石油・ガス・石炭の輸入は日本の需要のそれぞれ10%弱にも及んでいて、ロシアも中国に価格支配権を握らせないため、豊かな日本への輸出を切に望んでいるからだ。
 
 ということならば、何を急いで今ベタ下りに下りて、取るに足らない成果を得ようとするのか(注:結局、今回はベタ下りに近い。「特別の法制に基づく共同経済開発」と言っても、ロシアは「ロシアが設けた経済特区での日本企業投資を認める」程度でお茶を濁そうとするだろう)? ロシアとは友好・協力関係を再確認し、北方領土問題解決の方向・交渉の枠組みにつきしっかり文書で合意すれば、十分ではないか? ベタ下りに下りるのは、例えば将来米国の力の低下が決定的になり、ロシアを味方につけておく切実な必要性が生じた時などのためにとっておくべきだろう。
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