日ロ関係再スタートに向けて
安倍総理は5月初め、ロシアを訪問してプーチン大統領と会談するつもりのようだ。2001年3月イルクーツクで森総理とプーチン大統領は会談し、「1993年の日露関係に関する東京宣言に基づき、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより、平和条約を締結し、もって両国間の関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意」した。イルクーツク後、止まっていたこの「交渉」は、今度の安倍総理の訪ロで再び動き出すだろうか?
参考として、拙著「ロシアにかける橋」(かまくら春秋社)のあとがきから、日ロ関係に関する部分をアップしておく。2006年に、それまでの経緯を振り返って書いたものである。
――この本でも書いたように、日ロの関係は複雑骨折のようになっている。もともとロシアは植民地主義の国として日本に現れ、それ以来朝鮮半島、満州での支配権を日本と争ったのだ。そして江戸時代の末期から日本はロシアをヨーロッパの後進国として軽んじ、日ロ戦争に勝った後、その傾向は助長された。江戸末期、ロシアに留学した日本人達は、帰国してから重用されることはなかった。日本人は白人に対するコンプレックスを、ロシア人相手に晴らそうとしたのかもしれない。
第二次大戦の結果、日ソ関係は領土問題という重荷を背負い込んだ。これが解決されなければ、「道義や道理を踏みにじるロシア人」を侮る気持ちは日本人の心から消えないだろう。このままでは日ロは相互軽視をいつまでも続け、日ロ関係は日本外交の中でいつまでも弱い環として残ることになってしまう。冷戦時代であれば、これでも良かった。だが冷戦は終わり、中国が力をつけ、そして東シベリアのエネルギー資源開発や東アジア共同体の設立が話題にのぼっているような今、領土問題を解決して日ロ関係を正常なものにしておく必要性は大きくなった。
十年前にこの本を初めて出して以来、日ロ関係は劇的な展開をたどった。九十三年十月エリツィン大統領が訪日し、「東京宣言」に署名して、「日ロ双方は北方四島の帰属の問題を、歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意・作成された諸文書、そして法と正義の原則を基礎として解決」することに同意した後は、日ロ関係に大きな動きは見られなかった。
しかし九十七年七月経済同友会での演説で当時の橋本総理がロシアとの関係推進に柔軟な姿勢を見せ、それにロシアが直ちに反応し、十一月クラスノヤルスクで首脳会談が開かれてから、両国の関係は再び前に動き出す。クラスノヤルスクで両首脳は、二〇〇〇年までに平和条約を結ぶことで合意したのである。僕は九十八年四月にモスクワに今度は公使として着任し、二千二年七月離任したから、その間「クラスノヤルスク・プロセス」とも言うべき動きの渦中にあった。
この期間、「対日関係を推進するべし」という大統領からの指示は全政府に浸透していたから実務関係は進めやすく、日本の政治家や外交官も頻繁にロシアのテレビで紹介されるようになった。日本文化はロシアでブームとなり、スシ・バーはモスクワだけで百軒以上、村上春樹の翻訳本は本屋に平積みになるという時代になった。広報や文化交流の大部分が大使館の肩にかかっていた九〇年代初期までとは、少し様変わりになってきたのである。
北方領土問題にしても、パワー・エリートの間では理解が広がっていたから、あまり目立つことをしてかえって保守勢力の反対運動に火をつけるのは避けるべきだった。それにあえてロシアのメディアでキャンペーンを張り、大衆レベルに北方領土問題の歴史と道理を説いても、彼らは外国政府による宣伝を信じないので、それよりは「日本人は友人なのだ。一緒に仕事ができるのだ。首脳レベルでも親しくしている。」という印象を作り上げていく方が、いざ領土問題交渉が動き出した時には効果的だろう。社会も九十年代初頭よりは落ち着いているから、ロシア政府が日本との領土問題を妥結させれば世論はあまり反発せずに受け入れる状況がある。日本人は友人だということならば、益々そうだ。
だから大使館は当時、領土問題についてはマスコミで目立つことはあまりせず、政府、議会、有識者などと広汎なネットワークを築くことに重点を置いた。大使から書記官クラスまでが手分けをし、ロシアの有力者と毎日数人づつ懇談、会食を重ね、領土問題を含めた日ロ関係推進の大切さとロシアにとってのメリットを説いてまわったのである。領土問題のような大きな問題は、首脳の直接の関与なしには解決できないが、このような事務レベルでの努力によって、解決に有利な状況を作ることはできる。
北方領土問題は、こじれにこじれている。解決へのプロセスは停滞し、双方とも相手にその責を帰そうとしている。今は仕切りなおしをするべき時期だろう。石油の高価格でロシアには資金がだぶついている。そして、旧ソ連諸国の中でもウズベキスタンのようにロシアに回帰する姿勢を示し始めた国もある。ロシアの立場は、90年代とは比べ物にならないほどいいのだ。こういう時に領土問題のような大きな交渉プロセスを無理に始動させようとすると、ロシアは日本に大きな対価をまず払うことを求めてくるだろう。
ロシアの首脳部には、北方領土問題解決の必要性、解決の仕方、解決から得られるメリットなどについて、あらゆる情報、助言、提言が既にインプットされている。プーチン大統領は、歯舞、色丹までなら一九五六年の日ソ共同宣言に基づいて引き渡す用意があると表明している。以前は、日米安保に難癖をつけて一九五六年共同宣言の有効性さえ否定してきたソ連・ロシアにしてみれば、随分前に出てきたことになる。だが日本にしてみれば当たり前のこととも見えるこの前進以上に、つまり交渉が国後・択捉の返還に及ぶためには、この問題がロシア首脳部にとって最重要の政治課題だ、と認識されることが必要だろう。それは、どういう時なのか、日本はそこを焦ることなく見極めていかなければならない。
日本は同時に、世界、特にアジアに於ける自分の立場を良いものにしておく必要がある。日本がアジアで孤立していたり、対米関係で自主性を発揮していなければ、日本との領土問題を政治的リスクを冒してでも解決しようという意欲は、ロシアにもわかない。こうした総合的なアプローチを欠くと、日本の外交はある時は相手にただ哀願するだけの叩頭外交、またある時は相手が日本の立場を百%のまなければ話しもしないという硬直した外交に陥ってしまう。
ロシアにも、様々な人達がいる。日本に悪意を持ち、北方領土問題解決を阻害することを生涯の使命、あるいは生業としている者、保身だけが大事でその場その場を何とか言いつくろっているだけの者、リベラルな立場から四島返還を標榜していながらロシア国内での対立が激化してくると身を引いてしまう者、様々で、百%信頼できる交渉相手などまずいない。だがそれは、日本人も同じ、万国共通の人間の限界ではないか。
いや、そうではない、沖縄返還の時、アメリカ政府の当事者は一度約束したことは実現してくれた、ロシア人には同じような信義を期待できない、と言う人もいる。しかし日米は同盟関係にあり、アメリカの日本に対する抑えは磐石だったし、そもそも首脳レベルでは返還という基本合意ができていたのだ。そのような関係になく、島を返せば日本はロシアへの関心を失ってしまうのではないか、日本と勝手に交渉しても大統領府でひっくり返されてしまうのではないか、と危惧しているロシア人に、沖縄返還時のアメリカ人と同じ態度を期待するのは虫のいい話ではないか。ロシアにも信義を重んじ、友情を裏切らない人々はいる。今のロシアを冷戦時代のソ連と同一視して、「共に語り合える者、一人だになし」などと思ったら、それは間違いであるどころか、機会をみすみす見逃すことになるだろう。
国と国の間の交渉、特に領土問題のような交渉については、秘密の保全に気をつけなければならない。しかしそれは、交渉事項以外のことについても日ロのチャンネルを独り占めしようとしたり、気に入らない同僚の動静を探って陥れたりするような、スターリン時代のソ連のようなやり方を正当化するものでは全くなかろう。日ロ関係については様々のチャンネルを発展させ、皆わいわいとやりながらも、交渉ごとは首脳の委託を受けた代表者にまずは任せるのが、民主主義社会でのやり方だと思う。ロシアはそのような正規の代表を忌避し、脇のチャンネルを使って自分に有利な解決を実現しようとする、ソ連時代からの体質を残している。これに乗って自分勝手な妥協を提案すれば、公式の交渉はそこから始まることとなりかねず、その場合、日本の交渉上の立場は極度に不利なものになるだろう。
外交官と言うと、エリートとばかりつきあって任国の世情を知らないと批判されることがある。しかし広報や文化交流を担当したら、その国の世情を知らないではすまされない。社会に深く入り込み、任国の階層、年齢、性別毎の世論の状況をぴたりと言い当てることができ、社会の各層から意見を吸い上げるネットワークを張っていなければ、仕事などできないのである。大使館の中にこもって公式発言ばかりしていれば、自分の経歴はダメージを受けないかもしれないが、日本の国益はダメージを受ける。公式発言から少々外れていても、相手を見て、最も効果的な言い方を自分の判断と責任で咄嗟にすることができなければ、広報担当の役目を果たしたことにはならない。余計な火中の栗を拾うことはない。しかし、必要な時には向こう脛に傷を負うのを恐れているようではいけない。その時、自分に過誤があれば責任を取るのだ。
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