インド旅行記 雑踏と混沌
雑踏の世界
インドは何でもありの世界だ。バスと一緒にスピードをあげて走っては、えいやと飛び乗る少年。雑踏の歩道、いざりが両手で体を持ち上げては振り子のように振って歩いていく。もしかすると、彼は小さい頃から、これを将来の生業にするために、いざりにされてしまったのかもしれない。
その雑踏の中、高くそびえるマンションは、財閥リライアンス・グループの総帥Ambani一族が5家族だけで住む高層ビル。700台が駐車できる駐車場が地下にあって、パーティーをやるのだそうだ。
インドの街の魅力は、その「何でもあり」という活力と混沌にある。人力車、オート三輪、バイク、乗用車、トラック、そして牛が入り混じって作り出す混雑。そして夜、海岸のGateway of Indiaに行ってみると、海の夜風にゴミとホコリが舞い上がり、その風は人糞のにおいを運んでくる。そして歩道にはカラスの白い糞がこびりつき、その上を黒いチャドルで頭まですっぽり覆って歩いていくイスラムの女達。これは普通の観光地ではない。
こうしたすべてを見ると、嬉しくなってしまう時もあれば、うんざりする日もある。だがその混沌ぶりも、今日のムンバイでは随分薄れている。市の中心部では人力車とオート三輪が禁止になっており、聖なる牛も一匹もいなかった。
それでもムンバイでは、同じ人ごみの中に最高の上流から(一戸4億円のマンションがあった)最低の階層までが混住する。アッパー・ミドルの連中は、トヨタのカムリをLuxury carとして使っている。運転手つきの白いカムリの後部座席には、有閑マダムや携帯にかじりつくビジネスマンの姿が見える。
普通の中流の生活実感を聞いてみた。エンジニアをやっていた初老の男だ。
「私の息子はIBMに入って、ソフトを作っています。入ったばかりなので給料はそれほど高くなくて、1000ドルくらい。私の父親は、インド航空で店舗部門を担当していました。(店舗担当ならさぞかし実入りが多かっただろうと聞いてみたら)いや、父は正直で、そのことを誇りにして生きていました。私をエンジニアにしたかったのですが(因みにインドは昔も今もエンジニアリングの志向が強く、その点は中国人と異なっていて、地道な経済発展のためにはいい)金がなかったんです。うちの家柄(カースト)は悪くないのですがね。ああ、私の息子は能力でIBMに入ったのです。ソフトのような新しい職業では、カーストは関係ありませんから。
息子は、私の若い頃には考えも及ばなかった高い給料を得て、私とはまったく違う一生を送るのだろうと思います。私もまだ頑張って稼ぐことができますが、もう新しいことはできません。楽しみながらぼちぼちやっていきます」
ムンバイの市内では、10年くらい前から米国風のショッピング・センターが建てられるようになった。その1軒に行ってみたが、昨今の中国やロシアで見かけるような超巨大なものではない。入り口では荷物検査やボデイ・チェックがある。ムンバイはパキスタンに近く、時々テロがあるので、用心しているのだろう。ショッピング・センターの写真を外側から撮ろうとしたら止められた。
この何となく、ロンドンのヴィクトリア駅を思い起こさせるムンバイ駅は、ユネスコの世界遺産に指定されている。朝の9時半くらいが出勤のピークのようだ。朝市で買い物をすませてくるからだという。駅の内部にも入ってみたが、ここは郊外から来た人も含めて、特に貧しげな人々は見当たらない。
英国の産業革命は、インドの木綿工業壊滅の歴史でもあったのだが、19世紀も末になると、ムンバイを中心に紡績・繊維産業が復活してくる。そしてこれら工場は明治維新後勃興した日本の木綿工業と競合関係に入り、敗れたことになっている(日本人の書く本では)。ムンバイでは今でも諸方に古びた煉瓦つくりの煙突が立っているが、これは紡績・繊維工場が閉鎖されたあとなのだ。この煙突は、蒸気機関の排気のためである。これら工場跡地は地上げが不要のまとまった土地として、マンションに化けていく。
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