世界の枠組みが変わる時代の日本外交
(これは現在発売中の雑誌「インテリジェンス・レポート」8月号に寄稿した論文です)
世界の枠組みが変わる時代の日本外交
「日本の外交」と言うと、話しはすぐ普天間とか北方領土とか個々の問題に及ぶのだが、今の時代、「米国の没落」とか「中国の台頭」とか世界の枠組みがどのくらい変化しているか、その中で日本はどのように身を処していくべきかを議論するべきだと思う。そこで、ここでは日本をめぐる国際情勢の来し方行く末、その中でのあるべき日本の外交を論じてみたい。
明治まで日本外交の範囲は朝鮮半島と中国
日本海側の諸都市は「裏日本」と呼ばれることを嫌っているが、中世まで日本の表玄関は敦賀とか門司とか日本海側にあり、今の「表日本」は草深い鄙であった。欧米諸国が日本周辺に入り込んでくるまでは、日本の相手は朝鮮半島、中国、そして東南アジアだけだったからである。そして日本はこの間、中国と呼ばれる地域にできた諸王朝とは三度戦い(唐との白村江での海戦、元寇、豊臣秀吉の朝鮮進攻の際の明軍との衝突)、朝鮮半島に生起した諸王国とはバランス外交を繰り広げていた(但し秀吉は武力侵攻している)。例えば七世紀末、北部高句麗のあとに渤海国ができると使節を頻繁に交換し、南部の新羅が唐と同盟関係にあったのと対抗したのである。
最初のパラダイム・シフト=欧米植民地主義勢力の到来
(二〇世紀以来、米国は重要な「アジアの一員」となっている)
一八四〇年のアヘン戦争以来、アジアの政治地図は激変した。欧米植民地主義勢力が中国、東アジアでの利権を求めて殺到し、日本も彼らとの外交・通商関係の樹立を余儀なくされた。日本は独立を守るために近代的国民国家を作り、富国強兵の政策を取ってアジアでの陣取り競争に参入、一八九五年には清を、一九〇五年にはロシアを破り、一九一八年にはシベリアに出兵して(これは失敗に終わった)、自ら植民地主義勢力として行動するようになった。
米国は一時、このような日本を国際協調の網の目に絡め取る。一九二〇年には「新・四国借款団」(日米英仏)体制を設立して、日本の対中投資独行を牽制、一九二二年には「ワシントン条約体制」を樹立して、日本の海軍力を削減させた上、これを集団安全保障体制の中に絡め取った(代わりに日英同盟を止めさせている)。
米国のペリー提督は対中貿易の中継地として日本を開港させたし、一九〇五年日露戦争停戦を仲介したセオドア・ルーズベルト大統領の脳裏には満州での利権獲得があったことだろう。つまり中世と同じく、明治以来の日本外交も中国をめぐって、但し中国での利権を植民地主義列強と争う形で展開したのであり、それは一九三七年の日華事変、一九四一年の太平洋戦争となって日本を潰滅させたのである。
ワシントン条約体制がもたらした束の間の安定、そして第一次世界大戦がもたらした経済発展の中、日本では「大正デモクラシー」が花開き、一九二八年には普通選挙(男性のみ)が実施されて本格的な政党政治が始まる。しかし一九二九年以降の世界大恐慌は日本にも及び、一九三一年九月には満州事変が起きて、中国をめぐる列国間の協調は終わりを告げる。政党政治は果てしない泥仕合い、ポピュリズムと化し、軍部の独走を抑えることができなかった。
一九三七年、日本は日華事変を起こして満州以南に進攻、それによって英米を敵に回し、国民党政府は米国で反日工作・反日宣伝を展開して米国世論を変え、軍事援助を獲得したのである。日本社会が平和を謳歌していた一九三一年起きた満州事変から僅か十年で日米戦争が始まり、日本は壊滅的打撃を受けて矜持の拠り所を失った。
パラダイム・シフト=敗戦以後の日本外交
日本では「戦後は終わった」という言葉が何度も繰り返されたが、日本だけでなく世界中が第二次世界大戦の結果生じた枠組みの中で生きている。そして日本が、欧米諸国等も勘定に入れつつアジアでのバランス・ゲームをしていかなければならない状況は、明治以来変わっていない。その中で、戦後の日本外交の特色と言うか、いくつかのジレンマ、捩じれを論じてみよう。
(捩じれ一-安全保障での対米依存)
一九五一年サン・フランシスコ平和条約で主権を回復して以降、日本は米国を軸に構築された世界体制の中で生きることになる。安全保障と経済的利益は保証されていたが、重要な問題では米国の意向を忖度することになる。
この状況は、いくつかの問題を生んでいる。一つは、日本人の国際マインドの発達が阻害されたことである。もともと日本が鎖国を解き、グローバルに物を考え、グローバルな文脈の中で身の振り方を決めることを始めてからまだ八十年しか経っていなかったのに、戦後の日本は自らバランス外交を展開することがなくなったため、戦略論的思考が育たなくなってしまった。
日本をめぐる国際政治・経済の枠は米国が決めていたから、日本の外交官が戦後やってきたことは、平和条約の締結と賠償問題の交渉、次に日本の輸出が米国で起こした摩擦、直接投資が東南アジア諸国等で起こした摩擦の処理、そして米国の外交・経済政策との摺り合わせが主となった。日本はASEAN諸国を政治・経済両面で助け、中国に対するバランス勢力に仕立てたし、カンボジアでは初めて国連PKOに参加して一九九三年初の総選挙実現を助けている。これは別に米国に頼まれてやったのではない、日本の独自外交である。ただそれも、米国がベトナム戦争での敗北のトラウマで、東南アジア地域に関与する姿勢を失っていた間のことだった。
また日本は一九八〇年代前半にかけ、今の中国よろしく経済的成功に酔い、「欧米に学ぶものはもはや何もない」と嘯く者も出るほど、つけあがった。しかし一九八五年のプラザ合意で円レートを二倍にも押し上げられ、無理な内需拡大でバブルを破裂させて長期停滞に沈んだ一九九一年以降、そのような倨傲は姿を消した。
こういう状況だったので、口さがない者達はしばらく前まで「日本は大蔵省主計局が税収を配分して国内政治を支え、外務省北米局が米国の意向を総理、担当省庁に伝えることで成り立つ。政治家は国全体のことなど考えず、選挙民対策だけしていればよい」と陰口をたたいていたのである。
このような状態は、日本人の自立心や気概を阻害する。同じ敗戦国ドイツでも、これと同じような心象風景が広がっているのだが、日本の場合東アジアでただ一国、米国との同盟体制を支えているため、外部に与える対米依存との印象は益々強くなる。
そして問題は、後で詳述するが、安全保障面での対米依存を是正するのが難しいということである。米国が日本を永久に武装解除しておくため提示したと思われる憲法第九条は、戦前からソ連や中国と結びついて日本の権力奪取を企てていた共産主義勢力ばかりでなく、明治以来続いた戦争を嫌悪する大衆にとっても金科玉条となり、改正することが非常に難しい。
日本は米国、中国、ロシアと軍事大国に囲まれているので、完全な自主防衛はほぼ不可能で、同盟国を必要とする。ところが集団自衛権などについての制約から、日本は同盟の相手国を守ることはしない。NATOの欧州諸国は海外の多国籍軍に兵力を派遣するが、日本はしない。そうなると、日本は同盟相手(米国)への依存度が高くなり、相手から見くびられるのである。そして、旧ソ連諸国やアラブ諸国のように、マッチョで力を重んずる国の連中は、日本は経済大国だと言って威張ったり、平和とか民主主義のお説教をするが、その実米国に依存した、天皇崇拝の権威主義国家なのだと思ってナメているのである。
(捩じれ二 日本への過小評価)
人間が、その実力に見合った評価を得ることは難しい。国でもそれは同じことで、評価はいつも過大か過小なのである。マスコミの作り上げた虚像がまかり通り、人種・宗教の違いが目を曇らせる。
幕末の開国以後日本は、近代国家の構築と工業化ではるかに先行した欧米諸国からいつも差別的な目で見られてきた。そして国際場裡では、大国以外の存在は無視されがちなのである。中国が枠の外にいた冷戦時代こそ、先進諸国にとってアジアのパートナーは日本しかなかったが、現在のアジアでは中国しか彼らには見えない。
途上国も、日本が資金・技術等で助ける時は尊敬したふりをしているが、本来はよく見えない存在で、独立のファクターとして考慮に入れるのが面倒、アジアは中国とインドのことだけ考えておけば十分、ということなのである。
(捩じれ三―「日本は悪いことをしていない」と中韓に言う心理)
もう一つの捩じれは、戦争責任をめぐるものである。既に述べた通り、一九三九年の太平洋戦争は、主に中国での利権をめぐる帝国主義勢力同士の戦争と言ってよく、日本は米国に対して道義的負い目があるわけではない。しかも原爆投下、大都市の焼土爆撃など、人道上、戦争法上疑義のあることを米国はしている。また極東国際軍事裁判と戦犯の処刑(A級戦犯以外にも、約千名の軍人・民間人が海外で処刑されている)も、国際法から逸脱したものである。だから、「日本は悪いことはしていない」という声が今でも日本国内では聞かれるのである。
自分もそれに一理あると思うし、一般市民が一夜で十万名も焼き殺される情景を読むと憤激を覚えるのだが、日本はサンフランシスコ平和条約等で請求権を放棄したし(締結の相手も日本に対する請求権を放棄している)、今この問題を蒸し返すことに政府の主力を注ぐことはすべきでない。但し、民間の対話でこの問題を議論するのは一向に構わない。
しかし、「日本は悪いことはしていない」と中国や韓国に声高に言い立てることには賛成できない。韓国が日本を併合して、我々にハングルでの改名を推奨し、日本人女性を慰安婦にしたら、我々はどんな感じがするか。中国軍が日本や東京に攻め込み、身内の日本人を殺したら、我々はどんな感じがするか。いつも謝罪を繰り返すべきではないが、人間的な悼みの心は持つのが当然だろう「米国に言えないことを中国、韓国に対して言う」といういじましい(・・・・・)捩じれは卒業しなければいけないし、慰安婦の強制徴募の有無、あるいは南京虐殺被害者の数などを中韓と言い争って、日本の国際的イメージをかえって下げてしまう挙も避けるべきである。
今起きているパラダイム・シフトと日本の対処
戦争の結果作りだされた秩序、国同士の力関係は、その後の長い年月の間に変わっていく。第二次大戦後の秩序も、冷戦の終結(つまりソ連の崩壊)と中国の台頭で大きく変わるかもしれない。
(中国の台頭。米国の没落?)
冷戦の終結と中国経済の急成長は、米国に対して日本が持っている意味を相対的なものにしつつある。冷戦時代の米国にとって、日本はソ連に対するアジア方面の橋頭堡だったから、日本企業による大量の輸出で米国企業が敗退しても、目をつぶった。日本が自衛隊をベトナム戦争に出さずとも、基地を日本に保持できるだけで米国は我慢した。
一九九一年ソ連が崩壊し、中国がほぼ同時に国内市場を外国企業に開放すると、米国にとっての日本の価値は相対的なものとなる。米国は、中国での利益獲得に夢中になり、国際政治においては中国との協調、協力の夢を追うようになる。ソ連とその衛星国の経済は、米国を軸にして作りだされたGATT(後にWTO)やIMFの体制の外に離れて存在し、貧しい上に閉鎖的だったが、中国はグローバルな世界経済体制にしっかり組み込まれつつ、膨大な国内市場を外資に提供してきた。そのため米国は、中国と事を構えるのを避ける傾向がある。
そして二〇〇八年の世界金融不況で、世界の論壇では「米国の没落。中国の超大国化」が既成の事実であるかのように語られるようになった。実際には米国の経済は回復しつつあり、その成長力はおそらく中国をしのいでいる。中国の成長が外国からの投資と、巨大な貿易黒字(輸出の半分は外資企業が行っている)、そしてその金を国内のインフラ建設で膨らませる手法に依存してきたるのに比し、米国では企業の新陳代謝が盛んで、法制も金融体制も新規の事業立ち上げに便利にできている。
それなのに米国が没落したように見えるのは、オバマ政権が海外への軍事介入を極力控えていることによる。だがそれは、二〇〇二年のイラク進攻が大失敗に終わったこと、そしてイラク戦争が誘発した二〇〇八年の金融危機が米国の財政力を一時的に弱めたという要因によるもので、米国はまた積極的な介入を行うようになるかもしれないのである。
米国を筆頭とする先進諸国は、これからも世界の政治・経済・軍事秩序の軸であり続けるだろう。BRICSの伸張が一時喧伝されたが、その経済はインドを除いて停滞の度を強め、構造的な後進性を暴露しつつある。その中で米中関係は、これからも協力と対立の双方の要素をはらみつつ推移していくだろう。米中が過度の協力モードになっても、また過度の対決モードになっても、日本の外交・安全保障にはマイナスとなる。
(アジア回帰か日米同盟強化か)
明治以来、日本では「アジア派」と「欧米派」(脱亜入欧)の二大潮流が相争ってきた。アジア派は一つではなく、植民地主義勢力に対抗してアジア諸国と共闘しようとする者(孫文やボースのような革命家は、日本を有力な拠点としていた)と、逆に日本自らが植民地主義勢力になってアジアを日本の経済圏にしようという者、全く正反対の者達から成っていた。欧米派も反アジアというわけではなく、戦前、中国における軍部の独走を抑えようとしたのは、いわゆる英米派である。
そして中国が台頭し、「アジア人によるアジア」(米国は口を出すなという意味)を声高に唱えるようになった今、日本でも同様の声が高まっている。それは戦後連綿として日本社会に沈潜してきた反米主義――文化的・人種的な違和感、戦争で負けた恨み、或いはソ連・中国の社会主義に対する無知な憧れ等――の表れで、一九五二年の血のメーデー事件、一九六〇年、一九七〇年の反安保闘争などで噴出してきたものである。
経済が成長していた時代、反米主義は鎮静していたが、一九八五年のプラザ合意で円が切り上げを迫られ、バブルとその崩壊をもたらすと、日本社会では足の引っ張り合いが始まった。政治家、官僚その他、これまでの「権威」は次々に地に引きずり落とされ、日本は一時ガバナンスを大きく失った。そして生活不安の恨みが米国に向かおうとしていたところに、アベノミクスで国民の関心は再び逸れつつあるのである。
それでも米国を嫌い、そのエゴイズムを疑う人たちはTPPに反対し、中国主導のAIIBに参加することを主張し、東アジア共同体を作って米国を締め出し、アジアだけで共存共栄していこうと主張する。しかしこれは、東アジア諸国の善意を過大に評価していないだろうか。中国はその数千年の歴史の中で、他国と対等の関係を結んだことはない。朝鮮半島が再統一されれば、核兵器を持った人口七千五百万人の大国が日本のすぐ隣に出現し、歴史の清算を声高に求め始めるかもしれないのである。
米国は異質に見えるが、急速に多民族化したことで、国民国家と言うより、一つのルールの下で皆が動く小世界のようになっている。外国がその政治・経済に参画していける可能性は、中国その他におけるよりもはるかに大きい。そして、米国市場なしに東アジア諸国の経済は成り立たないし、米国にとってもアジアとの貿易額はEUとのそれを上回っているのである。日本のアジア派と欧米派は無益な対立を止め、「欧米もいるアジア」の中で生きて行こうとするべきではないか。
日本外交の実力―何が足りないのか
変化のマグニチュードを見極め、変化に応じた新しい世界の枠組み形成に自らも参画し、そうすることで自分にとって最良の力のバランス、国際環境を作りだしていくこと――これが今の日本の外交に求められている。日本外交、日本社会は果たしてこの課題をうまくこなしていけるだろうか? 長く閉鎖された農村共同体に生きてきた日本人にとっては、世界の変化というものは外からやってくるもので、自ら作るものではなかった。日本外交を支える諸勢力が抱えている問題点を解剖してみよう。
(「井戸の底から世界を見る」世論)
政治・外交の基本は社会、つまり世論にある。ところが、その「世論」というものが一筋縄では把握できない。以前、保守勢力の周囲には農業、医療、郵便など、そして野党側の周囲には労組など大型の利益団体がいくつもあり、意見の集約、選挙での集票を容易にしていた。これら利益団体の組織力が衰え、組織に依存せずに暮らしていく国民が増えた今、社会は砂状化、流動化し、政党の宣伝やマスコミの報道に煽られて極端な振れを示すようになっている。これはポピュリズムであり、うまくいけば広い底辺を持つ民主主義となるが、悪くするとファシズムに変異するものである。
その中で、「外交は世論に右顧左眄せず、『国益』を見すえ、超党派で一貫した政策を」ということが言われるが、それは理想論である。国民の利益・理想は様々に分かれているので、この違いを諸政党が党利党略のために利用するのは、防ぎようのないこと、民主主義のコストだとも言える。
そして、ポピュリズムの下でのガバナンスの喪失は、日本だけでなく、普通選挙を実施している国全般に通ずる問題である。日本での問題は、社会が世界を見る眼鏡が何かよけいなもので曇らされていて、世界の現実とはかけ離れた理解をぶつけ合っては議論するのに夢中になりがちなことである。
例えば、「戦争を放棄すると宣言すれば、日本人が戦争に狩り出されることはもう起きない」という声があるが、それは日本が外国に攻めて行った戦前なら正しくても、尖閣や南西諸島や沖縄の防衛がリアルな問題になっている今日では、能天気な話しだろう。こうした立場を標榜して票を稼ぐ政党があったとしたら、それは党利党略のために日本の安全保障を犠牲にしたと言われても仕方ない。
そして保守の側も、外交を論ずるのであれば、「・・・国はけしからん」と叫んで世論を煽るだけでなく、もっと世界の現実を見据えて、うまく立ち回ってもらいたい。例えば慰安婦や南京虐殺の問題について、米国で日本の立場を叫びたてると(インターネットで事実関係についての資料を出しておくことは絶対必要だが)、米国人は女性の搾取、他民族を殺すこと自体が悪だと思っているので、日本に対して却って悪い印象を持ってしまう。日本という島国の井戸の底で空の雲に映る像を世界と思い、あれこれ論じて斬りあいを展開するより、井戸の外に出て本当の外界を見るべきなのである。
(法律論・解釈論だけでなく戦略を)
日本は法治国家である。米国も法治国家である。しかし日本は大陸法の影響を受けて、法律の条文に厳格に縛られる「成文法」、米国は英国と同様、法律を現実の必要性に合わせて適用していく判例の積み重ねを重視する「判例法」の伝統を持つ。しかも日本にとっては、国際法や欧州型の近代法は明治になって学び取り、それを盾に幕末の不平等条約の改正をし遂げたもの、つまり外部から与えられた絶対の権威で、自分でこれを変えようなどとはなかなか考えない。
そして、長い冷戦、高度成長下の自民党支配の中では、国会で世界認識や真っ向からの外交戦略を議論しても意味はなかった。だから安全保障についても、野党は法律の解釈で政府の食い違いをついて得点をあげる姑息な振る舞いに終始し、その癖は今でも残っている。今の時代、世界の変化を議論して、それに対して日本のどこをどう変える必要があるのか、そういったわかりやすい議論をしてもらいたい。
(常に動く世界の中でバランスを)
何度も言うように、日本には農村共同体のモラルが強く残っている。共同体の中の上下の秩序は長年変わらず、村民はその中で互いに気配りしながら暮らしている。それは共同体の中では住みよい環境を生むのだが、外部とのつき合いでは問題を生む。日本では官民を通じて、日本は序列社会で、世界でも珍しいほど先輩・後輩の関係が厳しい。しかし世界では実力・実績で序列は常に流動し、国と国の間の関係も変わっていく。そして日本人は時に、その変化に遅れる。
外交でも、「あの国は日本より格下」とか「あの国はけしからん」とか「あの国は信頼できない」と言い募るばかりでは、日本の仲間は少なくなる。国と国のつき合いは好き嫌いでやるものではない。ある国とのつき合いが日本にどのようなプラスになるか、日本をめぐる力のバランスをどの程度有利なものにするか、という観点からやるものなのである。
(日本政府、そして外交官の外交力)
日本の外交官については、一九九〇年代末一連の不祥事が起きたこと、国連安保理常任理事国化、ロシアとの北方領土問題交渉で挫折したこと等から、不信感が高まった。しかし国際関係に携われる人材が少ない日本で、費用と時間をかけて育成した外交官を(筆者の場合、米国に二年間国費で留学させてもらえるまでは、英会話能力はほぼゼロだった。留学と在外勤務を経て、英語とロシア語の双方を自由に操るようになるまでは、十年以上の時間が必要であった)使わないのは浪費だろう。そして、コネや財力で選ばれる途上国の外交官と違って、日本の外交官は厳格で公正な試験で選ばれるので、地力は持っている。
どの組織とも同じく、外交官にも能力、意欲の凹凸はある。しかし、外国についての知見・人脈、語学能力などを総合的に最もプールしているのは外務省なのである。最近の問題は、世界についての知見が企業、学界、マスコミなどに広がったため、外交官はそれを上回る深さと広さの情報と知見、そして説明能力を持たないと、国内での説得力を持てない。
また、日本の社会は平等を重んじ競争を忌避する傾向を益々強め、受動的な人材を生みがちになっているが、これでは何(・)でも(・・)あり(・・)の諸外国と渡り合える外交官はできない。優等生的な法律論ばかり展開しても、外交では通らない。日本の外ではものごとは決まり通りには進まず、基本は力の勝負、利益誘導、イメージ戦略の世界なのである。正論は正論として踏まえつつ、ある時にはわかりやすい一言、二言で相手国世論を動かしてしまうような、変幻自在、融通無碍な「ワル」でもなければならない。
外務省以外の省庁も外交に関わる。政府部内の摺り合わせをうまくしないと、二元外交,多元外交になって、外国につけこまれるだけでなく、戦前の満州事変のような致命的な誤りを起こす。特に風通しを良くしておかなければいけないのが、国際金融について財務省・日本銀行と外務省の間、安全保障について防衛省、外務省の間である。防衛省では内局の文官とばかりでなく、制服組と外務省の間でも、情勢認識の摺り合わせが益々必要になっている。以前、通商政策をめぐってことごとに張りあっていた経産省と外務省の間では、摩擦は今やさほど見られない。また安全保障問題についての政府部内の摺り合わせは、国家安全保障局ができたことで、格段に向上した。ここには外務省、防衛省(文官、制服組とも)双方から出向し、安全保障政策についてはここを通さないと総理には到達しないからである。
新時代のいき方
冷戦が終わり、中国が経済大国として台頭したことで、米国からみた日本の価値は相対化した。さりとて米国がアジアで地歩を確保していく上で日米同盟は不可欠だし、それは日本にとっても同様である。「日本の意味が相対化した」という言葉の意味は、米国がいつも日本に好意的に対処してくれるわけではもうない、日本は国際情勢を自分の目で見、自分の頭で判断し、自分でやることを増やしていかなければいけない、ということである。では、自力でできること、やるべきことは何だろう。最後に、その点を論じておこう。
(東アジアで信頼醸成措置を)
東アジア諸国の経済・社会の進歩は目覚ましい。日本の資本、技術、援助が大きな貢献をしてきただけに本当に喜ばしいことである。最近までは日本経済一強だったが、今では日本が機械や部品、つまり資本財を輸出し、東アジア諸国が最終製品を作って輸出するという分業、共生体制が成立している。つまり自由貿易が維持されている限り、東アジアではウィン・ウィンの関係が成立しているのである。
しかし、今のように有力な主権国家が群立する体制は、アジアでは史上初めてのことである。どのアジアの国民もこれに慣れておらず、相手との関係で感情的になりやすい。日本は明治以来、非白人国では唯一工業化と近代国民国家の建設に成功し、そのことによって白人国からの圧力を一身に受けてきた。今、東アジアで仲間ができたと思いきや、中国も韓国も欧米を仲間に引き込んで日本の地位を引き下げる挙に出てきた。日本は、ワールド・カップよろしく、アジア・グループ予選をまず勝ち抜かないと世界に出られないという厳しい状況になっている。
自由貿易が維持されれば東アジアではウィンウィンの関係があると言ったが、自由貿易はTPPが成立することで益々深化していくだろう。他方、政治的な安定維持のための体制は、欧州にはるかに遅れている。既にARFや日中韓三国協力事務局などがあるので、これらをベースに一九七〇年代の欧州が実現した国境の固定、信頼醸成措置などについての合意を急ぐべきである。
(途上国の発展に貢献する姿勢)
欧米諸国は途上国に上から目線で、「まず『民主主義』を採用せよ。民主主義なしに経済は発展しない」と言う。しかしこれは、不親切なやり方なのだ。と言うのは、西欧の民主主義は産業革命後の経済発展があって初めて実現したものなので、現在の途上国のように広汎な中産階級がいないところで「民主主義」の表面だけ採用させても、近年のエジプトやウクライナのように、政治的混乱と利権の再配分闘争をもたらすだけなのである。
その点日本は、ODAの長期低利借款=円借款を用いて途上国でのインフラ建設、つまり経済発展の基礎の構築ができる長所を持っている。中国も借款を急増させてはいるが、それをODA基準で換算すると世界で六位程度にしかならない。今日本では中国のAIIBに入らないとバスに乗り遅れるという議論が見られるが、実は日本自身がはるかに大きなバスをずっと以前から運営しているのである。日本は世銀等とも提携して、途上国の発展を助け、それによって民主主義の基盤を作っていくという立場を明確にし、それによって途上国の信頼と支持を獲得していくべきだろう。
(経済・法制のグローバル化に備えて)
世界では今、米国、EUはもちろん、BRICSなど、図体の大きい多民族国家が幅を効かせている。日本は同質性の強い国民を持つ「純正」国民国家としては、今や世界最大の存在なのである。いわば、西欧近世の「国民国家」の恐竜的存在とでも言おうか。
米国は冷戦後、断トツの大国となったことで、その力をグローバルに及ぼしやすくなった。米国のグローバル化は軍事面だけでなく、経済・法制面でも顕著である。米国で事業を展開する外国企業は、米国外で行ったことについても、それが米国法に違反していれば、告発され、罰を受ける時代になった。例えばドイツのダイムラー・ベンツは二〇一〇年、ロシアや中央アジアなどで贈賄をしていたことを米国の連邦裁判所に咎められ、約二億ドルもの罰金を支払わされている。訴訟を拒絶するなら、米国での事業は許さないということなのである。同様に中国も、最近では外国企業間のM&Aが中国独禁法に抵触しないかどうか「事前審査」してノーと言う事例が出ている。従わないならば、中国での事業は認めないということなのである。もちろん日本も理論上は同じことはできるのだが、肝心の日本市場が外国企業にとっては魅力が小さいために、迫力がない。
米国がその軍事力・経済力を背景に、世界の秩序を仕切るというのなら、それはそれで中国やロシアに仕切られるよりはるかにましなのだが、それが米国企業や米国民の利益だけに資するということでは困る。米国が世界国家の核になる力を提供する気があるのなら、他の国も発言権を持つべきである。上記のように現在の世界で顕著になっている、法律の域外適用の問題は、国連やOECDの場で公平な議論を確保していくべきだろうし、日本などは仲間の「国民国家」を見つけて声を高めていくべきだろう。
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