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世界はこう変わる

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2013年12月 7日

ロシアの世界認識の特異性   その歴史との関連性において

「ロシアの世界認識の特異性――その歴史との関連性において」(試論)
                                                       河東哲夫

(以下は最近の国際政治学会で使用した論文。註はのぞいてある)

この小論では、ロシアの歴史が現代ロシア人の世界観や行動様式に如何なる影響を与えているか、そしてそれがロシアの外交に如何なる特異性を与えているかを論ずる。文献を広く渉猟した上でのものではなく、計11年間ソ連、ロシアに外交官として在勤、その他21年間、日本、西独、スウェーデン、米国、ウズベキスタンに在勤中、常にソ連、ロシアと関わりを持つ仕事に従事して、ロシア人、ロシア外交を観察してきた経験に基づく試論である。

歴史に起因する、ロシア文明の特質

 いずれの国も、長い歴史の中で形成され、維持、発展してきた居住・生産様式がもたらす人間関係のあり方によって、同じ民主制、議会制であっても、その態様に差異を生ずる。例えば日本の民主制は日本的村落共同体の同質性、同権性を反映して、コンセンサス形成重視型であり、変化は主として外部からやってくる。これに対して米国の民主制は移住者が形成した共同体の性質を反映して、弁論と多数決による機敏な政策決定を旨としている。現在が過去の歴史の刻印を受けている上では、ロシアも例外ではない。そこでこの小論ではまずロシア史を振り返り、それが残したとおぼしきロシア文明の諸要素を抽出してみたい。

なおロシアは、ノヴゴロド、キエフ等の通商都市国家から生起した。バルト海経済圏とイスタンブールを結ぶ河川通商路の上に建てられたこれら都市国家の起源については、未だに論争が続いている。多くの資料 は、これら都市をヴァリャーグ人、つまりスカンジナビア人が建てたことを示唆しているが、ロシアの学者たちはそれを認めていない。しかし仮にスカンジナビア起源であったとしても、現代のロシア人、ロシア外交の振る舞いにスカンジナビア的なもの――学問的な定義はできないが、質実剛健、控え目等の特質を持つことが多い――の残滓を見出すことは難しい。現代のロシア人(これもまた厳密な定義は不可能であるのだが)のメンタリティーは大部分において、その歴史と風土の中で醸し出された彼ら独特のものになっていると言ってよかろう。

(「敵に包囲されている」という意識)

都市国家群立時代の「ロシア」は特に南方において遊牧民族と対立することが多く、それは「原初年代記」に記述されたペチェネグ人との戦い、「イーゴリ公軍記」に記述されたポロヴェツ人との戦いからも明らかである。平原に囲まれた「ロシア」は、これ以降も、東からはモンゴル、西からはドイツ騎士団やポーランド、北からはスウェーデンの襲来(そして近世以降はナポレオン、ヒットラー等による侵略)に悩まされるのであり、「ロシアは敵に囲まれている」、「ロシアの同盟相手は自身の陸軍と海軍のみ」という、現在の心象を形作るのである。

(「領土」の神聖性と相対性)

 16世紀末、曲がりなりにも国土の統一を成し遂げたモスクワ大公国、後のロシア帝国は、当時の西欧諸国に100年後れて植民地の獲得に乗り出した。ビーフ・ストロガノフで今日に名を残す豪商ストロガノフ家はイワン雷帝のお墨付きを得て、コサックのイェルマークをシベリア征服へと送り出す。だがスペインが新大陸の金銀、オランダがモルッカ諸島の香料、イギリスがインドという大市場を海外で得たのに比べて、ロシアの植民地は地続き、そしてそこは人口希薄で寒冷な森林・草原地であり、収奪できる富といったらせいぜいテンの毛皮程度のものでしかなかった。現在でこそシベリア・極東は、原油、天然ガス、金、ダイヤなどの宝庫となっているが、当時のロシア人は毛皮を求めて東漸していったのである。

ここから生じたものは、「国土の広がりこそ富をもたらす」というメンタリティーである。工業化以前、世界の経済が農業、あるいは採取産業に依存していた時代は、どの国家、どの民族にとっても、国土の拡張なしに富の増大はなかったのだが、ロシアの場合、工業化が後れたことによって、国土の広さに寄せる思いが強く残っている。日本のように工業で稼ぐことのできる国と異なり、ロシア人は「あそこには資源がある」と聞いただけで、その埋蔵量如何にかかわらず、強く固執する。

他面ロシアは追い込まれると、領土の一部をトカゲのしっぽ切りのように切り離してしまう歴史も繰り返してきた。その最大の例は、1991年ソ連の崩壊である。これは、エリツィン・ロシア大統領がゴルバチョフ・ソ連大統領を除去するため、後者の基盤であるソ連を破壊した政治的策動であったと総括できるが、ソ連政府から助成金、補助金を持ち出していた諸国(バルト諸国はモスクワとの関係では「持ち出し」が多かったが)が「独立」していったことは、当時のロシア国民からは厄介払いとして、むしろ喝采を受けたのである 。
アジアの例としては、1918年日本がシベリアに出兵した後の1920年、モスクワのボリシェヴィキ革命政権は「極東共和国」なるものを独立させ、これに日本軍への対処を委ねたことがある。日本軍が大変な損害を出して撤兵した1922年、「極東共和国」はいとも簡単に廃止され、モスクワの政権に吸収された。

もう一つの例は、1918年革命直後のボリシェヴィキ政権がドイツ等と結んだブレスト・リトウスク条約である。これはボリシェヴィキ政権が反ドイツ連合から脱落、革命を守るため自分だけが戦線から離脱するものであったが、その際ボリシェヴィキ政権はバルト三国から黒海周辺に至る広い地域をドイツ側に割譲したのである。

(専制性)

ノヴゴロド、キエフ等の都市国家は、有力商人たちが形成する市会(Veche)と、彼らが互選する市長を首長とした共和制政体を持っていた。しかしキエフ等では主として武力を司る「大公」の力も強かった。モンゴル支配を経て生起したモスクワ公国においては当初から市会もなく市長もおらず、世襲制の大公が統治する専制性が取られた。モスクワ公国拡張の過程で共和制のノヴゴロド等の弾圧(15~16世紀)が行われたことで、専制性は一般化していった。

またロシア正教会は、988年にキエフのウラジーミル大公が国教として採用した後も長らく、東ローマ帝国のギリシャ正教会の下部に位置づけられていたが、1589年には新興のモスクワ公国の下、独立的な地位を獲得した。しかしピョートル大帝以降、ロシア正教会はツァーリの世俗権力の下に組み込まれ、資産管理、人事両面における主権を失った。

以上に見られるように、ロシアでは近代欧州国家を生み出したいくつかの要素――宗教改革やルネサンスによる「個」の確立、議会制民主主義、及び産業革命――が大きく欠落している。人口の大半を占めた農民は農奴として搾取されて、移動の自由さえ認められなかった。帝政ロシアは、農奴という奴隷が作る富を、皇帝をトップとした貴族層、そしてそれに奉仕する「雑階級」(下級役人、教師、医師など)が分け合う、ひとつの利権構造であったと言える。

中世の西欧では国民国家はまだ成立しておらず、有力な豪族がいくつかの王家を形成し、婚姻、征服を通じて西欧の諸方に所有するに至った領地を巡回して治めていた。王家の財産をベースとするこのような国家の在り方は「家産国家」と呼ばれているが、近世ロシアは国全体を皇帝が領有したうえで貴族及び雑階級がこれに寄生するという、いわば「家産絶対主義」とも呼ぶべき体制を1861年の農奴解放令まで続けるのである 。

自国民の大半を奴隷として、19世紀に至るまで搾取を続けた国は、他には思いつかない。中国もインドも農民は貧しいとは言え、大半が小作農以下の奴隷の境遇にまで落ちた、ということはあるまい。このために、ロシアの大衆は今でも大統領に慈悲を期待し、その下の官僚機構、議会は自分たちが作り出した富に寄生する邪悪な者として、これに敵対しがちなのである。

(近代国民国家を形成する諸要素の欠如――国家意識について)

中世西欧の「家産国家」においては、住民は近代的な国家意識を持っていなかった。西欧における愛国主義、あるいは国家への帰属意識は、西欧諸国が現在のような国境を確立し、「国語」を普及させ、工業化で中産階級を創造して市民権を高めて、初めて確立されたものである。19世紀まで農奴が人口の大半を数え、工業化も西欧より大きく遅れたロシアでは、近代的な国家意識や愛国心は育たなかった。だから第一次世界大戦においては、ロシア軍に徴募された農民たちは逃亡することが多かった。ロシア人に国家への帰属意識、近代的な愛国心が形成されたのは、第二次世界大戦でドイツに国土の多くを蹂躙され、1000万名以上の犠牲者を出して防衛を果たして以来のことであると言ってよかろう 。これは「大祖国戦争」と呼ばれて今に至るも、ソ連、ロシアの国家イデオロギーの大黒柱となっている。そして冷戦時代を通じて育まれてきた反米主義は、今や大祖国戦争に代わる「現在形の危険」として、当局が社会を把握するための大きな手段となっている。

どの国においても、支配階層といわゆる「大衆」の間には断絶があるが、ロシアにおける「エリート」と「大衆」 の間にはほとんど憎悪と呼んでいい関係がある。大衆は、ロシアの富はもともと自分達が作りだしたもので自分達に属している、という集団所有の観念が強い 。「エリート」が富を独り占めしているという恨みが常にある。そのため、普段は忍耐強いと言われるロシアの農民も、17世紀のステンカ・ラージンや18世紀のプガチョーフの乱のように、一度立ち上がると手の付けられない残忍さを発揮して領主一家を殺害したのである。ロシアの支配層はこれを「ルースキー・ブント」(ロシア大衆の蜂起)と呼び、今でも極度に恐れている。これは現在の米国や中国で顕著になっている「格差」の近世版であり、国家意識の形成を妨げている。
 
(近代国民国家を形成する諸要素の欠如――所有権について)

18世紀初頭、ピョートル大帝はヨーロッパにならって強い政府を作り上げた。それ以来、ロシアの社会は貴族、農民大衆、そして一握りの知識階級から構成されるようになった。そして知識階級は下級役人のように体制に奉仕する者、教師・医師のように中立的な者、そして少数の反体制分子に分かれてまとまらない。農民(農奴)は、領主には表面上服従していたが、村落の土地は自分たちで共同管理するという伝統を維持していた。肥沃な耕地を特定の農民が独占しないよう、数年に一度耕作地の割り振り替えをおこなう(「ミール」制度と言った)ところが多かったのである 。

これは他の国の農村史においても一度は見られる土地の集団所有、集団管理の慣習である。1917年のロシア革命後、大衆が富裕階級のマンションを割拠し、労働者や店員たちが工場や商店を軒並み自分達のものと宣言して国家に献納してしまったのも、この集団所有の伝統を引いたものと言ってよかろう。

ロシアでは、現在も生産手段の所有権は十分守られているとは言えない。あたかもピョートル大帝時代の大貴族のように、現代のロシア企業家は権力者に生殺与奪の権利を握られており、情実や賄賂である日大きな利権を得ても、次の日にはまた様々の理由の下に恣意的にそれを奪い取られるのである。16世紀末の英国で、カトリック教会の国教化に伴い教会資産(土地)を手に入れた新興ジェントリーの一部は、その後強い企業家精神を発揮して財産を運用し、英国産業革命の原資の一部を担当したが、それができたのは、一度入手した土地の権利が侵されなかったからである(清教徒革命および名誉革命で守ったのであるが)。

(近代国民国家を形成する諸要素の欠如――経済集権化の罠)

ロシアでは、20世紀初頭にかけて工業化が進展するとともに、一部国民の権利要求も高まり、それが1905年の第1次ロシア革命を起こして、議会の創設をもたらしたが、工業化・民主化の過程は1917年のロシア革命とそれに続く内戦で中断されてしまう。 
革命後、企業は商店に至るまで従業員による接収と、国家への自発的供出が行われ、経済はレーニンさえ望まなかった過度の集権体制、後には計画体制に移行していく。生産手段の私有は許されず、自営業も格差をもたらすものとして、住民相互の間で嫉妬も交えた相互監視・牽制が行われるようになった。
計画経済は罠と言ってもいい制度である。当初の重化学工業化においてこそ、住民を「自発的な」過重労働に駆り立てるそのやり方は、表面上の成長をもたらし、当時大恐慌とその後始末に苦しんでいた欧米諸国に比べて夢をかきたてるものがあった。しかし、戦後大衆消費社会が到来すると、競争のない計画経済は家電製品、乗用車等の生産に全く不向きであることを露呈した。
ロシア経済は2000年代、エネルギー資源国際価格の急騰でGDPを約7倍にも膨らませる奇跡の成長を遂げた。GDPの額は現在、世界で8位に躍進しているのだが、その経済の基本構造は、エネルギー資源価格の急騰で得た資本をサービスで膨らませ、その多くを消費に向ける、しかも耐久消費財の多くを輸入に依存するという、歪んだものであり、資源価格の急騰が止まった現在、緊縮財政への転向を模索して、国防費と社会保障費のいずれを削減するかで大きなジレンマに陥っている。資源以外に付加価値を作りだす手段を欠くロシアは、分配⇒停滞⇒革命⇒分配という不毛のサイクルを繰り返しやすく、そのようなサイクルの中で閉塞した現在の社会は、革命前の20世紀初頭ロシアを強く想起させるものになっている。

ロシア経済は、資源を除いては対外競争力を欠く。国内市場に特化し、しかも国家発注に大きく依存して操業してきたロシアの企業は、技術開発等のための資力、そして海外にビジネスを展開するための人材に欠けている。そのため、西側ならば企業が自力で推進するような案件を、ロシアは政府の強い関与の下に実現しようとしがちである。例えば2001年テロ殲滅作戦以降のアフガニスタン復興事業においてロシアは、民間ベースでの公開入札に加わることを忌避し、西側諸国の政府と「話しを付ける」ことでこれら諸国政府のODAを使わせてもらおうとしたのである 。

この「政治力で経済的利益を推進する」という思考は、「国家」というものについてのロシア人の理解が、19世紀の帝国主義時代のまま化石化していることを示すものとも言える。19世紀、西欧の列強は軍事力を用いて海外の市場を獲得していったが、その後これら諸国では国家の性質が変化し、国家は「戦争マシーン」から社会福祉の勧進元になった。しかしロシアは、世界が重商主義、帝国主義の中でゼロサムの奪い合いをしていた頃のマインドのままである。例えばロシアは「米国は超大国の地位を利用してドルを国際基軸通貨として他国に押し付け、法外な発行者利益を貪っている」といった歪んだ理解を持ち、自分でもそのような「超大国」になりたい、なる資格があると思い込んでいる。

(近代国民国家を形成する諸要素の欠如――個人の権利について)

西欧において個人の自由、個人の権利という概念が明確な思想となったのは、17世紀のことである。それは、それまで国王と諸侯を中心に形作られてきた社会で、新興ブルジョワが自分の権利を主張し始めたからであろう。だが前記の如く、ロシア革命まで皇帝の家産国家的色彩が強く、工業化の開始が遅れて広汎なブルジョワ・中産階級が成立しておらず、個人の精神を教会への過度の従属から開放するルネサンスや宗教改革がなかったロシアにおいては、個人の権利・義務を基礎に形成される市民社会はできなかった。個人の権利を主張する者は少数の反政府分子にとどまり、他は政府に奉仕するインテリ、あるいは権力外の無力なインテリにとどまった。
ソ連崩壊後、エリツィンの時代、ロシアは自由放任の様相を呈した。それは自由と言うより、犯罪や不正が跋扈する中に大衆はろくな収入もなしに放置されていただけだとも言えよう。エリツィン時代は自由と民主主義の時代として想起されることが多いが、それは適度の収入を持つ広汎な中産階級が健全な権利・義務意識を持って展開する、自律的な性格を持った市民社会、と言えるものでは到底なかったのである。

そして、ロシアにおいては現在に至るも議会制民主主義は根付いていない。ソ連崩壊後形成された議会は、民主主義と言うより小党乱立の混乱でしかなかったし、ソ連共産党にも類似した与党「統一」 に過半数を支配されている現在は、大統領府・政府の意向によって動く一種の付属機関と化している。また選挙は自由で秘密投票だと言っても、少なくとも2011年の総選挙までは、年金生活者に日当を与えて投票に駆り出したり、野党候補の票を分散させるために、当局が別の候補を群立させたり、開票結果を操作したり、いわゆる「政治工学」的手法が縦横に用いられてきた。西側での受けを狙って民主主義を装っては見たものの(1990年代の混乱期には、西側からの金融・物質的支援を得ることが重要だった)、政権を失うリスクは冒したくないために、裏から操作しようとしているのである。

このような状況は、西側のNGO等にとって絶好の活動環境である。彼らはロシア、旧ソ連諸国において活発な活動を行うようになり 、2003年にはグルジアで、総選挙の開票結果を不正だとして糾弾する動きが「バラ革命」と呼ばれる政権転覆に発展し、2004年にはウクライナで大統領選後、同様の経緯をたどって「オレンジ革命」、2005年にはキルギスで「チューリップ革命」が起きた。これらの騒動においては、西側のNGOが現地の「民主化団体」等に情報や小額の資金を提供することで、触媒的な役割を果たした 。当時のモスクワ論壇は浮足立ち、05年5月モスクワで大規模な停電が起きた時には、ロシアでも「色つき革命」が起きる可能性が喧伝されたのである。

現在でも、ロシア外交の一つの目標は、外国の介入によってこのような色つき革命を起こされるのを防止することにある。それ故にロシアは同種の懸念を抱える中国との提携を続け、2011年のリビア情勢、2013年のシリア情勢でも、欧米諸国による介入を極力止めようとしたのである。その際、ロシアが用いるのは、主権国家は至上の存在であり他国の内政問題に外国が干渉してはならないとする、17世紀の「ウェストファリア条約体制」の規範である。

またロシアは、シリア、ロシア、中国等にはそれぞれ歴史的・社会的な特殊事情があって、一足飛びに欧米並みの民主化はできないので、特別の存在として現状に目をつぶり、仲間として遇せよという一種のexceptionalismをかざすのである。ロシアは、人道のためには他国内政に介入することを当然視し始めている米英の立場を、「米国の特権意識」exceptionalismとして非難しているが、自分自身でもexceptionalismを唱えているのである。但し米国は他者に介入するためのexceptionalism、ロシアは他者に介入されないためのexceptionalismなのであるが。

(近代国民国家を形成する諸要素の欠如――価値観の混迷)

ロシアは前述の如く、個人の自由と権利を基礎に置いた西欧の思想体系を自ら発展させる、或いは取り入れることはなかった。19世紀末からは思想家が輩出したが、その思想はカント的な認識論、宇宙と人間の関係について壮大な思想を提示する一種の神学(宗教神秘主義的色彩の強いものもある)、そして革命思想といったもので、ロック、ルソー、ベンサム、スチュアート・ミルのような個人と国家の関係を律する社会思想が現れる社会的基盤はなかった 。
ロシアでは工業化が後れたために、その価値観は農村共同体の集団主義を色濃く引きずっている上、近隣のビザンチン、モンゴル、中東等から持ち込まれた専制的統治様式も引きずっている 。外交のスタイルも、ビザンチン的な権謀術数、或いは19世紀西欧的な遠交近攻の巧みなバランス外交、石油・天然ガスを低価格で供与するという懐柔外交、軍隊や諜報機関を用いての直接・間接の介入等、幅が広い。東アジアにおいては、同地域諸国の習俗にならって「謝罪」(西側におけるような法的意味を持たない)を外交に用いる術も持ち合わせている。1993年10月来日したエリツィン大統領が国会でのスピーチにおいて、終戦直後の日本人抑留に対して頭を垂れ、深く謝罪して見せたことが好例である。

ロシア外交はまた、マルクス・レーニン主義にも大きな影響を受けており、ロシア政府が西側諸国とは異なる情勢判断をしがちなことの原因の一つとなっている。マルクス・レーニン主義(あるいはいわゆるマルクス主義)では、ものごとの主因をただ一つの「基本的矛盾」(例えば「階級闘争」)、あるいは人物(例えば「米国大統領の邪悪な野心」)に集約し、それによってすべてを説明しようとする傾向が強い 。他方、西側においてはゲームの理論、あるいは複雑系の理論に見られるように、ものごとは複数の関係者の思惑、利益、相互の好悪感等の複雑なゲームの結果として生起する、という相対主義の思想が強くなっている。
ものごとの「基本的矛盾」を見出す努力はいつの場合にも必要不可欠なことであるが、誤った判断をするとそれは単なるドグマになってしまう。実例は後述することとする。

特異な世界認識

以上の歴史は、ロシア人の世界認識を現実から遊離させ、外交における過誤を生じさせることがある。また西側諸国もロシア及びCIS諸国を、過去の東西イデオロギー対立(「西側は自由で東側は専制」という単純なもの)時代の視点から眺め、これら国内における諸勢力間の複雑なゲームを無視する結果、外交における過誤を生ずることがある。


(陰謀論の伝統)

絶対主義家産国家の下で西欧列強と勢力争いをしていた頃の名残り、そしてマルクス・レーニン主義が残した階級闘争のメンタリティー、恐らくこの2点のために、ロシア人はすべての事件の裏に何者かの「陰謀」、「悪意」を疑う傾向 が強い。ものごとの本質、矛盾の本質を見極めようとする姿勢はいいのだが、西側社会に対する彼らの理解がドグマ的であるために、到達する結論も誤っていることが多い。
あえて一般化すると、ロシア人が理解できないものは、「ほぼ同等のプレーヤー(複数)が権力分立の原則と民主的手続きを守りつつ、相互の利益と主張の激しい相克の末、政策を決定する」という「相対的な」世界である。ロシアでも利益・主張の争いはあるのだが、それを放置すれば混乱に陥りやすい。権力分立や議会制民主主義の諸制度が形だけで、実質を有していないからである。従ってロシアでは、大統領や首相、そして大臣達に強力な力と権威を与え、その力で社会を統治する。諸勢力はこのような権力者達に取り入ることで、自分の利益を実現しようとする。西側社会は権力の分立と諸権力間の相互牽制によって独裁の出現を防止しようとするが、ロシアは自国の権力の在り様を「垂直関係」 と自ら称し、軍組織にも近い上下の命令関係 によって国を統治している。ロシアは、「専制か、しからずんば混乱か」という哀しい二者択一の下に置かれているのである。

このためロシア人は、西側ではマスコミが政府から独立していること 、議会が政府と同等、あるいはそれ以上の力を持っていること、西側NGOは政府の助成金をもらっていても活動方針で指令・干渉は受けていないことを、理解できない。西側諸国の社会を知るロシア人は理解しているが、彼らはその他大勢の誤解を解くことはできない。そのため、ロシア政府やマスコミは、CIS諸国や中東諸国での米国NGOの活動は、ホワイトハウス、あるいは国務省の意向を受けたものと見做す。実際にはホワイトハウス、国務省は、これら諸国の情勢が不安定化することを実は好まないのだが、NGOが人権問題や民主主義を旗印として掲げて活動していると、公式にはこれを支持する発言をせざるを得ない。ましてやこれらNGOが米国共和党や民主党の傘下にあったり 、政府から助成金を得ていたりすると、これが米国政府の政策に沿ったものではないとはとても言えなくなるのである。また国務省の民主主義・人権・労働局は、CIS諸国の人権状況について毎年報告書を発表する他、現地の関連団体に助成金を出しているが、これは国務省の当該地域局がその国の政府との関係を推進しようとしていても、お構いなしなのである。こうした場合、当該国は、国務省は「二枚舌」で真の狙いはレジーム・チェンジなのだと思い込み、ガードを固くしやすい 。西側における権力の相対性を十分見ないために、米国との関係促進という利益をみすみす失っているのである。

(経済案件を政治力で進めようとする傾向)

ロシア革命後、ソ連は国内の富の再配分を階級闘争の原則、つまり暴力で富裕層を収奪することによって実現した。その後も国内の富の配分は共産党官僚が計画、つまり政治的決定、に基づいて行った。経済を担当する首相は、軍・諜報・外交(いわゆる「力の機関」)を掌握する共産党書記長(ゴルバチョフ時代に大統領)の下位に常に位置づけられてきたのである。
今でもロシアの大企業のほぼ全ては実質的に国営であり、多くは対外競争力を持たず、国際ビジネスの経験にも欠ける。このため、石油・天然ガスや兵器の輸出はいざ知らず、海外の建設案件への参入などにおいても、企業ベースで公開入札に参加する方法は忌避し、政府レベルで政治的に「話しをつける」方法を好む。
またプーチン大統領を初め、ロシア上層部に多い諜報機関出身者の特徴としては、「何でもコントロールすることができる」という自己の力への過信がある一方では、市場型経済への無理解がある。経済が市場という「神の手」によって自律的に機能するということは、彼らにとっては西側のプロパガンダに過ぎず、経済も当局の指令と介入で人為的に動かすべきものなのである 。

こうした政治優位の思考法のため、「大国」というものについての理解が19世紀の帝国主義時代のまま、つまり「大国とは力にまかせて中小国を搾取するもの。していいもの。現代では米国がまさにそのような特権を貪っている」と考えている 。GATT、WTOの自由貿易体制の下、米国が市場を日本や中国に開放し、その結果、製造業の海外流出を甘受してきたことなどは眼中にない。だからロシアにとっては、ドルが「国際基軸通貨」として広く使われているのも、米国が強制した結果だと見える。それだからこそ、2000年代前半ロシアのGDPが6.5倍という急上昇を示したのを実力と勘違いし、「ルーブルが『国際通貨』でないのは不公平だ」と言い出したのである。

実際には、この期間に油価が7倍にも急騰したことがロシア経済の急上昇をもたらしたのだが、その脆さは自覚せず、表面上の数字に見合った国際的地位を直ちに手に入れられると錯覚したのである。実際には、「国際基軸通貨」は一方的な宣言で実現できるものではない。ルーブルを決済に用い、準備通貨とすることに利益を見出す国が増えて初めて、徐々に実現していくものなのである。

(潜伏する「マッチョ」気風)

前述のように、ロシアは「大きな領土」に拘泥する国であるが、そこにはマッチョ的でアグレッシブな拡張主義が未だに潜在している。リーマン・ショックの直前にはロシアの経済成長がピークに達していたが、ソ連崩壊後すっかり萎縮していたロシアの識者達は当時俄かに「世界を語り」始めたものである。
このような場合ロシアのエリートは、世界に対してロシアが何を貢献できるかを論ずるよりも、ロシアが世界で何を入手する権利があるか、米国、中国等大国といかに渡り合うかを論ずる傾向が強い 。

(「アジア」に対するぎごちなさ)

ロシア語では、「アジア」は広漠とした概念である。例えば詩人エセーニンが「ロシアよ。アジアの国だ、お前は!」と詠った時、彼は「ヨーロッパに非ざるもの」全般、つまり中東から始まる広い地域を想定していたのであろう。ロシアの知識人は自分自身を「ヨーロッパ人」と位置付け、「アジア」は教養と権利意識に欠けるものとして蔑視する 。他方、日本、中国、韓国のあたりについては「アジア」との違いを本能的に察知して、「東方」(ВОСТОК)という呼び方を用いることが多い。「東方」という言葉には、日本や中国の古い精神文化に対する畏怖と憧憬の念が込められていることが多い 。

他方ロシア人にとって、東アジアの黄色人種は数百年にわたって、征服と戦争の対象でもあった。これに由来する優越感 も、ロシア人には強く残っている。これに、前述の「精神性への憧れ」や、東アジア諸国の近年の経済発展ぶりに対する諦めにも似た、仕方なしの尊重感が混合する。従って、ロシア人の対アジア理解は混乱しており、時には粗野・乱暴、時には過度に儀礼を守ったものとなり、いずれの場合もアジアの現実からはかけ離れ、率直な話し合いを困難にすることがある。

西側の、ロシア・旧ソ連圏に対する理解の欠如

ここで論文の本旨から脇道に外れるが、「西側」においてもロシア・旧ソ連諸国の政治・経済力学への無理解が甚だしいことについて、述べておきたい。ロシア・旧ソ連諸国のエリートが、市場経済、民主主義社会における自由と規制の共存ぶりをどうしても理解できないのに対し、「西側」の識者もロシア・旧ソ連諸国の内情を、「『自由』とか『民主主義』の普及をめぐる新旧勢力間の争い」に単純化し、実際にはイデオロギーより利益・利権の相克が主要な動因となっていることを理解できないでいる。
ロシア・旧ソ連諸国の政治は、容易に理論化ができない。例えば共産主義という理念で動いているかに見えたソ連であるが、政治の実態は要人の間の赤裸々な競争であり、理念は利益・利権を正当化するための錦の御旗として使われがちであった。ソ連の諸共和国は地元の利権・統治構造を隠微に守っていたので、1991年の独立後直ちに国家として機能できたのである。従ってソ連時代、マルクス・レーニン主義を純粋に信じていた者は上層部においては皆無であったと言えるだろう 。

今日のロシアをプーチンを頭とする専制体制と見るのは、現実にかなり近いだろうが、これをプーチンによる恣意的「独裁」とすると、現実から遊離することになる。ロシアの大統領は軍、諜報機関、検察、警察、石油・ガス・ロビーなど諸勢力の間の均衡に乗っており、これら勢力のうちいずれかの体面、利益を過度に傷つけることは危険である。また、政府からアパートやその他の利益を「割り当てて」もらうことに慣れた国民が多数を占めるロシア社会では、大統領がたとえ必要だと考えたとしても、大胆なリストラにつながるような経済改革を行うことはできない。

また、ウクライナやモルドヴァなど、ロシアとEUの狭間に位置する旧ソ連諸国の外交については、これを「自由な西側と専制的なロシアの間の選択」として、イデオロギー的見地からのみ判断することが多い。例えばウクライナのユシェンコ大統領は「西側寄り」だったが、現職ヤヌコーヴィチ大統領は「親ロシア」である、とするような単純化である。実際にはイデオロギーというものは、政治家が用いる様々の道具の一つであるに過ぎない。外交方針を決するものは、安全保障と経済的な利益の確保であり、イデオロギーは決断を国民に説明するための飾りであるに過ぎない。
例えば、親ロシアと目されているヤヌコーヴィチ大統領は、ロシアの天然ガス供給価格引き下げを求めて譲らず、2013年11月にはEUとの連合協約を締結しようとしている。他方、天然ガス利権を握り、ヤヌコーヴィチ大統領の経済的後ろ盾ともなっている実業家フィルタシュは、EUとの連合協約がロシアとの関係を決定的に悪化させるのを怖れ、8月にはロシアがウクライナの全産品に対する国境での検査を強化したとの風評を広めてEUとの連合協約に対する国内の抵抗を高めようとした 。

現代ロシア・旧ソ連諸国に見られる外交手法

(nuisance value外交)

2015年9月、オバマ大統領がシリアに武力行使をする是非について議会の了承を取りあぐねた時、ロシアは当面の打開策(シリア政府保有の化学兵器廃棄)を提案することで、潮流を一気にその方向に傾けてしまった。これは、米欧が他の主権国家に実力を持って介入することに頑強に反対してきた、「プーチン外交の勝利」と言われている。本当にそうなのだろうか?

ロシアはソ連時代に比べて、海外で事態を能動的に動かす力に欠ける。ソ連はかなりの規模の経済・軍事援助を与えることで、エジプト、ベトナム、キューバ等の同盟国・准同盟国を世界の諸方に持っていた。そのような力に欠ける現代ロシアは、イラク、リビア、イラン等、西側から疎外されている諸国を自分のニッチと見なし、兵器輸出、石油・ガス開発、原発建設等を進めてきた。そして、西側がこれら諸国に制裁措置を取ろうとすると、自分の商権を守るためにも、またこれら諸国政府の信頼を確保するためにも抵抗するのである。

またロシアは、欧米諸国がロシア自身の「レジーム・チェンジ」を仕掛けることは極力防ぎたい。そのため、欧米諸国が人権問題を口実にして他の主権国に力で介入することも、防ごうとする。
このような外交は、本来受け身のものであるのだが、ロシアが国連安保理で拒否権を持つこと、ロシアと同じ理由で欧米諸国による力の介入を怖れる中国が、この点ではロシアと提携していることにより、ロシアの抵抗は大きな政治力を有する。いわゆる、「nuisance valueを発揮する」のである。ロシアも最後には抵抗を弱め、西側に妥協していくことが多いが、これは西側に対する「貸し」となる。このようなやり方は、国力が不十分であるにもかかわらず、国連での拒否権という触媒を使って「米国に対抗する政治大国」に化けてみせる、政治的錬金術と言えよう。

西側ではこれをもって、「プーチン外交の巧みさ」として驚嘆しているが、それは過大評価であろう。如上の頑固な抵抗、そして究極的な妥協は、野党、マスコミの力が弱いロシアであるからこそ可能なので、民主主義国で実行すれば政権が倒れかねない。また、ロシアにものごとを能動的に動かす力は足りないので、シリアの化学兵器問題についても、シリア政府による欺瞞が明らかになったりすると、立場が大きく崩れてしまう危険性を持っている。

(マイナスをプラスのものとして売りつける手法)

弱者が用いる外交手法なのだろうが、ロシアはソ連の時代から「マイナスをプラスのものとして売りつける」ことに巧みであった。それは現在の北朝鮮、中国等にも受け継がれている。例えばソ連は1970年、日本が日米安全保障条約を改定したことに難癖をつけ、1956年の日ソ共同宣言で合意された歯舞群島及び色丹島の引渡しについて、日本領土からの全外国軍隊の撤退という全く新たな条件を課すことを一方的に声明した。そしてソ連、その後のロシアは、これを対日交渉における橋頭堡として活用、つまりこれを撤回するには日本にコストを払わさせようとした。つまり本来、違法、マイナスのものを、少しづつゼロに戻すことに対し、相手から対価を引き出すのである。
現在、同様の手法は、北朝鮮が核開発問題で多用している。北朝鮮は核兵器開発、あるいは原発建設を再開すると脅しては、他国から援助、譲歩を引き出している。

(食言・ゴネ得)

 旧ソ連諸国においては食言、二枚舌、ゴネ得が、外交に多用されている。これは特に、ロシアを相手に用いられることが多い。これら諸国はソ連の一部であった時代から、モスクワに対して同様の手法を用いてきたのであろう。ロシアがこれら諸国との関係を失いたくないことを見すかして、ロシアを怒らせながらも疲らせることで要求を通してしまうのである。弱者の恐喝、あるいは尻尾が犬を振り回す、とも言えよう。

 典型例はベラルーシのルカシェンコ大統領で、ロシアの石油・天然ガスを「国内需要のために」割引価格で輸入しては、精製・加工して西欧に輸出し、本来はロシアが得るはずだった利益を横領してしまう。またロシアが、これら支援の肩代わりとしてベラルーシ国営企業を買収・合併しようとすると、言を左右にしてうやむやにし、取引を進めるためと称して再びロシアから支援を搾り取る、といったことを繰り返してきた。

 キルギスは、マナス空港をアフガニスタン作戦のため米軍に貸与しているが、ロシアは長年、これの停止をキルギス政府に求めている。バキーエフ前政権はこのロシアの圧力に屈したふりをして米軍に撤退を求めたものの、賃貸料の引き上げを勝ち取るや、「マナスは基地としてではなく、『貨物・旅客ハブ』として米軍が賃貸使用している」との名目を考え出して米軍存続を認めた。これをロシアはどうにもできない。かえって2013年には、軍事援助の強化で合意する始末である 。
 タジキスタンにはロシアの第201師団が常駐し、アフガニスタン(そしておそらくウズベキスタン)に対する抑止力となっている。2012年にはこのための地位協定が改定されたが、タジキスタンは交渉過程で一貫して多額の「基地使用料」支払いをロシアに求めた。この要求が容れられず、昨年10月には署名の止む無きに至ったのだが、タジキスタンは議会による批准を引き伸ばすことで、ロシアから出稼ぎタジク人労働者の待遇改善等、追加的な見返りを得ようとした。ロシアもさるもので、タジキスタンへの原油輸出価格引き下げを控えている 。

(「特別な国」論争)

 2013年9月11日、プーチン大統領の寄稿文がニューヨークタイムズに掲載されて話題を呼んだ。それはシリアへの介入の是非をめぐり、米国は他国の内政に介入する権利を有する、とする「米国例外主義」を戒めたものである。これは、2007年2月ミュンヘンでプーチンが吐露した、米国の拡張・介入政策に対する反発の焼き直しであるのだが、米国の一部識者からは強い反発を呼び、「米国は、他国における人権のためには介入をためらわない、世界でも唯一の正義の国なのだ」という居直りを呼んでいる。

米国のexceptionalismはブッシュ政権下の「ネオコン」のイデオロギーであり、「同権の主権国家から成る世界」という現在の国際法体系においては新しい要素として、その位置付が議論の的になっているものである。その点ではプーチンの問題提起も頷けるのだが、顧みると前述の如く、ロシアはロシアで「ロシアでは、急激な経済改革、民主化はできない。しかしロシアは大国で、特別の国なのである。ついてはロシアの国内問題は不問にして、G8の同等の仲間として扱ってくれ。OECDにも入れてくれ」という趣旨を言っていて、これはまたこれで一種の弱者のexceptionalismなのである。
国際社会においては、強者は自分の論理を通そうとし、弱者はこれから身を守ろうとする。そしていずれも、「自分は特別」という論理を用いる。日本にとってこれは、純粋な論理・倫理上の問題と言うよりは、強者、弱者のいずれにつく方が得か、という利害得失の問題であろう。

(ロシア外交近代化へのきざし?)

最近では「イスラム原理主義の脅威」がグローバルに意識されるようになり、かつ欧米とは異質の文明である中国の伸長が顕著になるにつれて、ロシアの異質性が目立たないものとなってきた感がある。ソ連の時代から知識人、外交官は西欧的な教養とマナーを備えていたし、ソ連崩壊後G7先進国首脳会議に迎え入れられ、APECの一員として首脳会議を主宰したりしているうちに、外交官、そして外交官以外のロシア人も、現代の世界は19世紀の帝国主義時代とは異なることを徐々に理解してきた節が見られる。

例えば、2012年ウラジオストックでのAPEC首脳会議の内容についてロシアは、ソ連時代の「アジア集団安全保障」等の珍奇な大風呂敷を広げることは一切なく、誠実なホスト役に徹した。2013年9月、ロシアはG20首脳会議を主宰し、ここではシリアの化学兵器問題が話題をさらったが、そうなる前の事前準備の段階においてはロシアは世界経済について珍奇な提案を行うこともなく、誠実な調整役に徹していたようである。

ロシアが歴史のトラウマから解放されつつある兆しは、例えばドミートリー・トレーニンの「ロシアはロシア。どの国にもなびくことなく、独自の存在としてやっていく」という言葉に見られる 。またプーチン大統領は2012年7月、全世界のロシア大使を一堂に呼び集めた会議で、「皆さんには積極的で、プラグマチック、かつ柔軟であって欲しい。ロシアは自立、独立性を重んじてやっていく。しかし(徒に)孤立や対決を求めることはしない」とスピーチしている。


参考図書

ロシア史 (新版 世界各国史) 和田 春樹  山川出版社

「膨張と共存」1-3 アダム・ウラム サイマル出版会

「アジアに接近するロシア―その実態と意味」 木村 汎、袴田 茂樹、ピーター・ルットランド、 浜 由樹子 北海道大学出版会

「アジア冷戦史」 (中公新書) 下斗米 伸夫

「アジア太平洋とロシア」河東哲夫
(「アジア太平洋と新しい地域主義の展開」渡邊昭夫編 千倉書房所載論文)

「ロシア新戦略」ドミートリー・トレーニン 作品社


コメント

投稿者: Anonymous | 2013年12月13日 15:14

よくがんばって分析してみましたねぇw
実際はウクライナをロシアに取られそうですよ西側さんはw
これで地域大国のウクライナをEU側に引き寄せられないようならその自由主義経済とやらもまやかしだと証明されそうですけねw
たとえどんなに口で言い訳しても結果が出せなければただの雑魚ですw
それは政治もスポーツも一緒ですw

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