インドという宇宙の中の小宇宙 ムンバイ
昔サタジット・ライという大映画監督がいて、岩波ホールで上映された彼の「大地のうた」は、僕にとってのインドの原風景のようなものだ。あの美しい自然に抱かれた、だが極貧の農村風景を求めて今回、バンガロールの郊外に連れて行ってもらったが、さすがにもうあのような光景を見つけることはできなかった。
ライ監督には「大都会」という映画もあって、カルカッタかボンベイ(ムンバイ)かどちらかは忘れたが、戦後間もないインドの大都会の光景が映し出されている。ムンバイはカルカッタと並んで、英国の東インド会社によるインド統治の橋頭保として、ほぼゼロから建設されたものだ。カルカッタは最近まで共産党政権の統治の下にあり、発展より分配を重視した。そのため、果敢に市場経済の発展を続けるムンバイに水をあけられてしまったらしい。
ムンバイはカルカッタより大きく、人口はデリーとほぼ同じく都市域に2000万人が住む。スラムが諸方にあるが、一つのスラムでは100万人が住んでいるという。ムンバイは、インドのGDPの25%以上を生産しており、インド政府歳入の3分の1以上はムンバイで徴収する所得税に由来しているそうだ。工場が集中しているだけでなく、タタなど大財閥の本社がムンバイにあることも影響している。インド人のほとんどは所得税を払っていない[i]中で、ムンバイには金持ちが多いのだろうか?
(海から見たムンバイ)
そしてムンバイには、インドの中央銀行である「インド準備銀行」が本店を置く。ムンバイは、まるでニューヨークのような金融の中心地で、ムンバイ証券取引所とナショナル証券取引所はインドの二大証券取引所であるのだそうだ。そして、世界中からインドにやってくるコンテナの6割がムンバイに集中する。周囲の地方は貧困だが、人口が約3億人もあり、その人口に比例して政治家もいるので、ムンバイと一緒になって大変な政治力を発揮する。
このあたりが、インドが中国と根本的に異なるところで、民主主義は迅速な経済発展にとってはブレーキの要素となるが、持続的な発展のためには吉の要素なのかもしれない。共産党一党独裁は、一度経済が崩れると共産党に代わる支配勢力がないため、選挙で政権が代わってガス抜き、と言うやり方ができない。共産党が締め付けを強化して不満を押さえつけるか、それとも全国的な暴動の波の中で統治能力を失い、全国的な混乱を招くか、どちらかしかなくなる。
「所有権の強さ」は経済発展にとって吉か凶か
北海道の函館に似て、海に突き出た岬にムンバイの中心部はある。弓なりの道が海岸沿いに数キロも続くビーチドライブは壮観で、世界にもこういうのはなかなかない。海があると、オープンな感じで気もまぎれるだろう。ビーチドライブの彼方には高層ビルがずらりと並ぶ。
しかし浜辺には貧民がたむろしている。それを見ていると、タクシーの反対側の窓をコトコトたたく者がある。赤子を抱えた母親風。可哀そうだとは思うが、このあたりでは赤子もレンタルで貸し出されているかもしれないし、一人に施しをすれば車がさらに大勢に囲まれてしまう危険もある。この「親子」に車内から首を振って、車が進むと、道路際には物乞いとはまるで違う世界のThe New Era Shoolなる一見金持ち用の学校がある。そしてその隣にはポルシェのディーラー、そして次には瀟洒な19世紀西欧風のマンション。だがそれは半分こわれているのがミソで。
インドは民主主義の国。そしてイギリスが優越感丸出しに、上からの目線で「開発」に努めた国でもある。生半可な知識で現地の社会をいじったから、インド社会の問題をかえってこじらせてしまった面もある。今のカーストも、英国が気にし過ぎて、かえって固定化してしまったらしい。
そういった英国の失敗がらみの「支援」の中に、私的所有権の確立があるだろう[ii]。インドは均等相続のようで、農地が細分化した上に強固な所有権で守られ、その上に抵当権などが入り乱れるので、外国の企業が工場を作るのはほぼ不可能だ。誰かに地上げをしてもらってたとえば工業団地などにしてもらわないと投資しにくい。
そして所有権は借家権にも及ぶ。なんでも、一度入居すると家賃の値上げを拒み、それが100年以上も続くので、家主はメンテする資金もなく、くずれかけた外壁にカビが黒くこびりつく古代のアパートにいつまでも居住民がいることになる。外壁はスラム風でも、内部のインテリアには住民が金をかけるので、しごく立派なのだそうだが、そのような旧マンションはある日崩れ落ちる。家主は厄介払いができた、これで新しい建物を建てられると思って心ひそかに喜ぶのだそうだ。インドだけでなく、エジプトのカイロなどでも昔のアパートが崩落するケースが時々あって、僕たちはそれを単に日頃の管理の不備、くらいに思っているのだが、実はこのどうしようもない借家人権の問題もあるのだろう。
欧米の経済学界では、「所有権」が経済発展の必要条件なのかどうかをめぐって、果てしないしかつめらしい議論が続いているようだが、インドなどを見ていると(そして土地買収に手こずって道路もろくにできない日本を見ていると)、所有権があまり個人、個人のレベルにまで行きわたると、インフラ建設が阻害されることがわかる。現に、土地は国有の建前である中国では(土地の上に建てた家屋に対しては個人の権利があるようだが)、再開発や道路の建設のための地上げが容易で、そのために中国の近年の経済発展は土建国家の様相を呈しているのだ。
だから経済発展のためには、個々の個人と言うよりは、個々の事業主の権利を守ることが必要なのだろう。17世紀から18世紀にかけての英国では、ジェントリーやマーチャントの権利は保護され、彼らはそれで事業を展開したが、農民たちは「囲い込み」によって農地から追い出されている。
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[i] (2010年時点で、次のような報道があった)
年収10万ルピー(=25万円)以下は納税義務がなく、国民の97%が納税していない。中間層(年収20万~100万ルピーと定義)が増え、幅を利かせてきた。しかし彼らは税金を払わず、申告年収を抑えるため少ない年収から寺院や学校に寄附する習慣がある。納税者3300万は人口の僅かに3%。国家はここから税金を幾重にも取り、最終的には36%程度徴収するもののインド政府は年中財政赤字。外資から徴収する政策を採っている。
[ii] (「インドの歴史」メトカーフより)
イギリス人たちは、既に18世紀までには、個人の土地保有権を認めなければ社会の安定と進歩は不可能と信じていた。そこで、1776年、ベンガル総督参事会委員フィリップ・フランシスはベンガル地域を対象とする「土地の権利法規」案を提出した。彼らは、インドのザミンダール(大地主)はイギリスの豪農に値する存在であり、ザミンダールに土地保有権を認めてやればイギリスの豪農と同じように優れた起業家となるだろうと考えた。
こうして1793年、ホイッグ党の大物政治家だったコーンウォリス総督のもので制定されたのが「ベンガル永代土地制度」だった。この土地制度はザミンダールの土地所有権を完全に認め、その土地の税率を永久に固定したために、長期にわたってベンガル地方に重大な問題を生じさせた。ザミンダールの社会的地位をまったく誤解して制定された。ザミンダールは売ったり譲渡したりすることができたのは、その徴税権であって、土地そのものではなかった。ところが、新しい制度では、農民は土地に対する権利のない借地人に成り下がり、ザミンダールは土地全体の所有者とされ、査定された税金を払うことができなければその土地を売らなければならなかった。税金は高く、支払期日厳守が鉄則だったために、ザミンダールは当初、税金を払うことができず、次々と土地を売りに出した。しかし、いずれの土地所有者も「改革的なイギリス人地主」の役を演じようとはしなかった。ベンガルのザミンダールは間もなく地代で生活する有閑階級になり、地代でますます優雅な生活を営んだ。彼らはまた、農作業を取り仕切っていたジョトダールと呼ばれる地権者と地代を分け合った。こうして「囲い込み」運動によって土地の統合が進んでいたイギリスとは対照的に、インドの土地は無数の狭い農耕地に細分化され、自給用作物が栽培され続けた。(このために、米国の南北戦争で南部の綿花生産が激減した時も、インドの零細農民たちは綿花を栽培することを拒んだのである。畑が綿花だけになれば、餓死してしまうからであろう)
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コメント
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