ロシアでの反政府集会のマグニチュード
12月4日に行われたロシア下院選挙では、その開票結果を不服とする市民たちが12月10日、24日と大集会を繰り広げて、世界の話題となった。1990年代の民主化に沸くロシアが再現したかのような興奮もある。だが、ロシアは本当に民主化、自由化の方向に向かうのか? 3月4日の大統領選でプーチンは当選できないのか? それを判断するために、ロシア社会における変化の実相とそのマグニチュードを測ってみよう。
12月4日に行われた下院選挙(すべて比例代表)の結果は、次のとおりである。
( 今回 前回
「統一」 49.54% 64.3%
共産党 19.16% 11.57%
自民党 11.66% 8.14%
公正党 13.22% 7.74%)
一見、与党「統一」が大敗し、その票が他の「野党」に流れたかに見える。しかし上記4党はすべて保守・中道層を基盤とする政党であり、共産党以外は「与党」的行動を示してきた政党である。そしてその共産党でさえ、幹部の処遇(住宅等)等によって当局に絡め取られている。
他方、ヤブロコ等、リベラルとされる政党は7%の足切り条件を満たせず、議席を取れなかった。抗議集会ではリベラルの声が目立っているが、上記4党の得票率は前回91.75%に比し今回は93.58%と漸増しており、格差、腐敗が目立つなかで社会はむしろ保守化しつつある可能性もある。筆者の友人(リベラル)も、現在モスクワでは奇妙な空気が流れており、リベラルというよりは共産主義革命前夜のような感じがする由。
抗議集会
(1)大きな集会は12月10日と24日に行われた。参加者の幅はリベラルから右翼国家主義者、ゲイ運動まで幅広く、単一の組織者、あるいは糸を引く者が見られないことが特徴である。2月4日に次の集会が予定されており、それまでに組織委員会が結成されることになっているが、おそらく突出した指導者は現れないだろう。また10日は群衆がクレムリン方向への移動を始めたために警官による取り締まりが行われたが、24日は挑発、流血、拘束がなかったことが特徴である。政府側、集会側双方とも、流血があればどちらかが決定的なマイナスを蒙ることをよく認識しているのだろう。
(2)背景
この集会の社会的背景としては、次がある。
(イ)「だまされていた」ことへの怒り
9月24日の「統一」党大会でメドベジェフ大統領は次期大統領候補にプーチン首相を推したのだが、その時彼は「推薦の理由については・・・多言を要しまい」と述べただけで降壇し、次いで何ら採決を取ることもなしにプーチン首相が登壇、「政策方針演説」を行ったのである。それだけではなく、両者並んでテレビ・カメラに向かい、「こういう風になる可能性もあるということは、4年前に話し合ったことがある」と言明したのである。ロシア人は、「すべては裏で仕組んである」こと、そして選挙は操作されていることに慣れてはいるものの、この4年間メドベジェフ大統領が盛んにリベラルな方向で世論を煽ってきたのは何だったのか、これから12年間プーチン時代に戻るのか、という閉塞感を強く感じたことは間違いない。
これまで、市民の不満の対象となってきたのは与党「統一」である。彼らのソ連的な権威主義的行動様式、能力と実績に関係なく「統一」党員であるということだけで種々のポストを侵食していく阿漕さが、社会の批判を彼らに向けていたのだが、これが上記党大会でのプーチン・メドベジェフの言動によって、プーチン個人にインテリ層の不満が向けられるようになったのだ。「皇帝は良い人だが、側近が悪い」というのがロシア人のマインドで、これまでもプーチンは批判の埒外にあったのが、今回は「裸の皇帝」となる危険を感じたに違いない。
(ロ)SNSの普及。動員も資金もネットで。
1991年8月に保守派がゴルバチョフに反対してクーデターを起こしたが、電話、ファックス等の通信手段を遮断することをしなかったために、結局は敗北している。つまりロシアは以前からITを利用する面では先進国だったのだが、今ではハードの面でも進んでいる。人口の48%はインターネットを使っており(昨年9月3日インターファクス)、33%がSNSを使用している。フェースブックは昨年10月末で640万人が使用し、10カ月で500万人増えた由。ツイッターは昨年10月で250万人が使用している(12月16日イタールタス)。大マスコミが体制化している中でブログは青年層、及びリベラルにとってむしろ主要な情報源ともなっている。今回の集会でも、主要なブロガーの1人ナヴァルヌイがリーダー格の一人として登壇している。
SNSの普及によって、集会の動員は非常に容易になった。12月の集会も「アラブの春」と同様、主催者は明確でなかった。そしてこれに劣らず重要なのは、インターネットを利用しての政治資金集金が可能になったということである。1月9日ウォールストリートジャーナル紙によれば、12月24日の集会めがけて5000名以上が計約13万ドル相当の醵金を行った由である。
(ハ)「中産階級」の増大
ソ連時代から工業化により、「中産階級」は広く存在し、彼らが権利意識を強めたことゴルバチョフの自由化政策の背景を成した。ソ連崩壊でこの中産階級は一時困窮したが、2000年代半ばからの石油景気により再び復活した。
社会学者ザスラフスカヤは、ロシア人口のうち、①「支配層」は1%で富の50%を占め(米国では1.0%で05年米国GDPの18%弱)、②「サブ支配層」(支配層に仕えて権力を行使し、富を得る者たち)が11%、③「勤労者」(エンジニア、教師も含め)が50%、④非熟練労働者、失業者、貧困層、年金生活者、身障者が30%としている。なお2007年1月の別の報道によれば、収入が1000ドルを超える世帯の半分以上は、政府予算に依存する「公務員」で、民間雇いは僅か35%(金融・流通等サービス部門が多いだろう)である由。
今回の集会は、これまで石油景気に浴して沈黙してきた中産階級が、政治的に再び活性化したことを意味する。ただ、中産階級のすべてが自由と民主主義と市場経済を求めるリベラル層、というわけではないことは念頭に置いておかなければならない。公務員的な存在が多いということは、プーチン首相が公務員給与、年金の引き上げを表明するだけで操作可能な人口が多いことを示しているからである。12月末レヴァダ(民間世論調査機関)調査によれば、12月24日の反政府集会の参加者の46%が知識層であり約60%が40歳以下であった由だが、リベラル層のマグニチュードはこの程度に限定されているとも言えるのである。
(ニ)社会にみなぎる閉塞感(その標的となったプーチン)
ロシアはリーマン・ブラザーズ金融危機を乗り切り、今また原油価格高騰の利益を享受しようとしているが、その蔭で社会には不満と閉塞感が広まっている。大衆は拡大する一方の格差に不満で、低価格の住宅等を当局が提供してくれることを切に望んでいるし、学生、インテリは社会の流動性が失われ(企業の実質的再国営化が進み、与党「統一」系の者がポストを独占していく。しかも彼らは腐敗の限りを尽くし、起業を妨げるのである)、能力を発揮できる場がないことに不満を持っている。そしてロシアの経済が石油に依存していることは大衆レベルにまで知れ渡り、かつては下に見ていた韓国、中国、ASEAN諸国等に軒並み抜かれていく屈辱感をぐっとこらえている。昨年5月の「新時代」誌報道によれば、この3年で125万人のロシア人が国外へ移住した。その多くは中産階級である由。
(ホ)プーチンの「整形手術」
プーチンは公言しないが、顔の若返りをはかって整形手術をしたことは確実である。ロシアの「2チャンネル系」は、これを揶揄する記事で溢れている。この手術によって、プーチンの目はロシア人の嫌う「アジア人のつりあがった目」に近くなり、ほとんど別人になってしまった。これは大きな要素である。
(3)当面どうなるか?
(イ)国民の3分の2は、「今回の政府批判運動は尻すぼみになる」と考えている(昨年12月28日インターファクス)。その背景には次の諸要因がある。
①「自由よりパン」を志向する者の多さ
2007年11月の世論調査では(レヴァダ)、「計画経済で富を分配してくれる方がいい」とする国民が97年から11%増えて52%になり、「私的所有権と市場に基づく経済の方がいい」は40%から29%に減少している。「民主主義と個人の自由が冒されても、秩序の方が重要」とする者は69%にも上っているのである。これはソ連崩壊後の1990年代が困窮と混乱と屈辱の10年間となったためである。繰り返しになるが、ロシアの中産階級の中で自由と民主主義を求めて集会に出ていく者は多数派ではないのである。
②リベラル側のリーダー不在
ロシアのリベラルはかつてエリツィンの周囲に結集したが(大衆までも)、最近ではそのようなカリスマを備えた指導者は見当たらない。反政府側は①選挙のやり直し、②中央選管委員長の罷免等具体的要求を掲げているにも関わらず、明確なリーダーと組織を持たないがために、政府側からは話し合いにも応じてもらえないでいる。
(ロ)大統領選に向けての見通し
政府系の世論調査機関はプーチンの支持率が再び50%を超えたと称しているが、1月25日中立系レヴァダによる世論調査では、今選挙が行われた場合、同人に投票する者は37%に過ぎない。ズュガーノフ共産党書記長は15%、ジリノフスキー自民党首は9%、実業家のプロホロフは6%、ミローノフ公正党首は5%である。最大のリベラル勢力「ヤブロコ」の党首ヤブリンスキーは、選管に提出した支持者署名に瑕疵が多いとして候補者登録を取り消されたが、2%の支持しか得ていない。
3月4日の大統領選で過半数の票を得た者がいない場合、第2回投票が行われる。ソ連崩壊以後、そのようなことは1996年に1回あったのみである。この時は第1回投票から18日後、エリツィン大統領とズュガーノフ共産党書記長の間の決選投票となり、(当時のうわさでは多額のカネが動いた末)エリツイン大統領が53,8%の得票率で当選している。
今回はリベラルを結集できる候補者がおらず、プーチンか共産党かという、リベラルにとっては不毛の選択となろう。選挙後に待っているものは、「経済近代化を実現するための」一連の措置採択と、それが官僚の腐敗と無能、その他の社会の現実によって効果を挙げずに埋没していくことの繰り返しなのであろう(ゴルバチョフのペレストロイカの時と同様の現象)。懸念されるのは、大統領選を前にテロが起きたり(統制強化を可能とするため、当局側が仕組む可能性も指摘されている)、政府批判集会に右翼青年組織が殴り込みをかける、あるいは批判集会で挑発が行われて暴徒化する、といった不測の事態が起き、コントロール不能となることである。
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コメント
世界中が閉塞感に覆われていますね。全く新しい発想に基づいたシステムが必要だと思います。
とりあえず、私は家政学から新産業を生み出そうと、「新産業の創り方」の勉強会を始めることにしました。