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世界はこう変わる

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2011年9月17日

失われた意味を求めて 第六話:現代の国家は、国民国家(強い政府・軍)・植民地・産業革命という「三位一体」の産物

ちょっと脱線したので、話を元に戻す。戦後65年もたつと、アメリカの絶対的な地位にもさすがに陰りが見える。おそらく世界は政治、経済、軍事面でばかりでなく価値観、文化の面においても「中国を入れて編成しなおす」ことを中心にして変わっていく途上なのだろう。

日本は長らく世界第二の経済大国の地位を保ってきたが、人口は限られ、安全保障では米国に大きく依存していることが初めから明白だったから、世界を変える力を持つ国とは見なしてもらえなかった。1990年代からの中国の急速な発展は、その起動力を先進国への輸出に負っていたが――輸出で稼いではその富を国内のインフラ建設、都市化建設に回して増殖させていった――、安全保障面では独立不羈を貫いたし、人口=市場も大きかったので、常にアジアの中心国と見なされてきた。この点、日本の中国に対する位置は、16世紀からの北ヨーロッパ経済成長を主導しながら、結局はイギリス産業革命推進のための資本・技術提供の役割で終わったオランダを思わせるものがある[i]。

まあそれはそれとして、今後の世界がどうなっていくかとか、どうして今のような世界になってしまったのかを考えるためには、二つのことをしっかり押さえておかねばなるまい。一つは、「世界」を論ずるうえでわれわれが当たり前のように使っている「国」とか「国家」とかいう概念は、果たして何なのか、実体を持ったものなのかということである。つまり「国」というものを主体にしてこの世界、そしてわれわれの人生を議論することに、果たしてどれほどの意味があるのかどうかを見据えておかなければ、本当の愛国心も起きないだろうということである

もう一つは、われわれが空気のように当たり前のものとして享受している、この便利で高度な生活はいったいどのようにして可能になったのか、それはこれからも続けることができるのか、という経済的な問いである。

この二つを検証するために、ここでは十七世紀頃から産業革命に至るヨーロッパ、なかでもイギリスの歴史を見てみたい。「産業革命」と呼べるものが本当にあったのかどうかをめぐっては学問上の論争があるが、中世の平均所得が月5000円ほどあったと仮定しても、現在の30万円ほどと比べると60倍、それに人口増を加味してGDPの差を考えてみると、それは100倍、200倍の差がある。革命的な現象はやはりあったのだ[ii]。

そのことは、19世紀と20世紀のヨーロッパ文学を比べてみてもよくわかる。ヨーロッパは、20世紀前半になるとほぼ今のモラルと考え方と同じ生き方をしているが、19世紀半ばまでは明らかに「一時代前」の世界を生きていたのである[iii]。

そのように決定的に重要な意味を持った産業革命は、17世紀後半以来イギリスを筆頭に形成された強い国民国家、そしてその国民国家が有するに至った強大な軍隊(イギリスの場合は海軍)、軍事力による植民地の獲得、植民地からの富の吸い上げと工業製品の押し込み販売なしには不可能であっただろう。

たとえば西暦1000年ぐらいに繁栄を極めていた北宋王朝時代の中国や[iv]、明朝時代の中国では西欧を先回りすること数100年、勤労の哲学も確立し、コークスで鉄を作り、火薬、クランクなどの技術を有し、繊維製品のマニュファクチャー制度の萌芽も見られた。このように進んでいた中世の中国でなぜ「産業革命」が生じなかったかを考えてみると、一つには官僚になることが最も「収益率が高い投資」であったと思われること、そして何よりも農民・大衆が貧しくて購買力が限られているために、大量生産をしてみても売る相手がいなかっただろうと思われること、に考え至る。

その点イギリスは、強い国家=国民国家[v]を作り、その軍事力を使って植民地を獲得し、そこに産業革命で大量生産した製品を売りつけて富を吸い上げた、つまり力で市場を創出したと言えるのではないか。西欧では、強い国家=国民国家・植民地・産業革命という三位一体とも言える3つの要素が互いに互いを支え、増幅し合いながら、18世紀以来の世界的優位を築きあげたのである

アメリカそして日本も、産業革命によって大量に作り出したモノを他国に売りつけては富を築いていった。ギリシア神話では、プロメテウスという神が全能の神ゼウスから火を盗んで人間に与え、人類はこのおかげで高度な文明を築いたということになっている。かつて産業革命と植民地主義の犠牲とされた中国は、「プロメテウスの火」を自ら手に入れることで、かつての先進諸国から富を吸い上げている。ゼウスは「空洞化」してしまった。

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[i] オランダは今でも世界的な大企業や銀行をいくつも擁し、石油を中心として欧州の流通ハブの地位を確保し、世界でも最高度の生活水準を維持している。日本もこれからそのような国を築ければいいと思うが、オランダに比べて今のところ、グローバルな企業活動を行えるだけの人材が少なすぎる。

[ii] 「産業革命」は普通、いくつかの波があったとされる。一つ目は18世紀のイギリスで起きた機械化された軽工業、つまり繊維製品の大量生産である。二つ目は19世紀の鉄道建設を契機に起きた製鉄、そしてドイツを中心に起きた化学産業などの重化学工業発展の時代、三つ目は20世紀初頭の電化によって可能になった家電製品大量生産の時代、そして四つ目は1980年代頃からのデジタル化、IT使用の普及である。

 第一の波ではイギリス、第二の波ではドイツとアメリカ、第三の波ではアメリカと日本等が台頭した。韓国、中国などはこの3つの波すべてに乗っている。現在のアメリカはITの波に乗っていると言われるが、それが経済を支える力は十分でないようで、経済成長の多くを金融業に負っているし、海外に移転してしまった製造業もしっかり利益をあげている。

 現在の日本人の多くは今の便利な生活しか知らないようだが、終戦直後を生きたわれわれ団塊の世代にとっては、電化生活以前の不便な生活はついこの間のことのように感じられる。テレビ、コンピューター、携帯電話などもちろんなく――携帯電話などわれわれが小さかった時代には魔法の世界のことでしかなかった――掃除はホウキでやり、食品は「氷冷蔵庫」に保管していた。電気冷蔵庫などなかったので、上段に大きな氷の塊、下段に食料品をいれておく「冷蔵庫」が各家庭にあったものだ。毎朝、近所の「氷屋」がリヤカーに大きな氷の塊に筵をかぶせてやってくると、各家庭の前でのこぎりでぎこぎこ挽いて適当な大きさにしては、売っていたのである。

 電化製品が作られるようになってからは、その収入が社会に行きわたって皆の所得が増えたが、それらを買うための費用もうなぎのぼりになっていく。つまり経済は一段高いところで回り出したのである。

[iii] 例えば20世紀初頭のパリを描いた「チボー家の人々」での登場人物たちは、今の時代に生きていてもおかしくない。しかし19世紀のバルザックの登場人物たちは前近代的社会の存在であることが明らかだ。

[iv] 故宮に保管されている当時の巻物図「清明上河図」は、北宋の首都開封の繁栄を克明に描いている。当時の記録「東京夢華録」は、開封の華やかな消費生活を克明に描き、露天で売られる食料品、菓子類の名称の列挙だけでも数ページにわたる。

[v] これを「財政・軍事国家」と呼ぶことがある。17世紀の英国は欧州でもっとも高い物品税を徴収して強大な海軍を作り上げたのであり、適切な言い方である。

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