失われた意味を求めて 第三話:罠にはまった近代国家・ポピュリズムと社会保障の蟻地獄
今日の国家は様々の問題を抱える。政治家や官僚を見ていると、いったい何が楽しくてあんな因果な仕事をしているのかと思う時もある。それでも、政府という怪物のような存在を少しでも動かして、それがニュースになり、人々のためになり、日本全体のためにもなるとなると、それは大馬力のスポーツカーを運転するような快感なのだ。ただ周りから沢山の手が伸びてきてハンドルを取ろうとするので、国家という自動車はよく迷走したり衝突したりするのだが。で、現代の国家がどういう問題を抱えているかというと、それはこういうことだ。
17世紀以来、戦争をやり領土を広げ植民地を拡大するための装置として充実してきた近代国家だったが、18世紀からの産業革命以後、その性格は変わった。一言で言えば、いわゆる「民主的」というものになったのだ。18世紀頃までの英国議会は、貴族、地主を中心とする特権層が牛耳るものだった。だが、産業革命は中産階級と後に称される階層を作り出す。彼らは政治的な発言権を求めるし、政党は彼らに投票権を与えれば自分たちに投票してくれるだろうと思って、投票権は次々に拡大され、遂には成人年齢の国民は全部、投票できるようになった。イギリスで女性も含めての「普通選挙」が始まったのは、1928年である。
社会保障とよばれる制度――つまり年金とか医療保険とか――が充実してくるのも、同じころである。19世紀末にドイツの宰相をしていたビスマルクは、熟練労働者の中に共産主義勢力が拡大しているのを憂慮して、労働災害保険や年金制度などを初めて導入した。これは、労働者自身が金を出し合って仲間を支える仕組みで、国庫の負担はない絶妙なシステムだったと言われる。
ところがその後、社会保障はどんどん政府にとっての金食い虫になっていく。1942年、まだ第2次世界大戦の最中イギリスでは、前線の兵士の士気を鼓舞する目的もあって、「ベバレッジ報告」と呼ばれる大風呂敷が発表された。国民の「揺り籠から墓場まで」を国家が(国民が払う料金で)面倒を見る、というのである。この中には、「所得水準に関係なく一律の児童手当を与える」という、日本民主党の政策がいち早く入っている。政府は国民のカネを吸い上げ、これを国民に還元することで、国民の歓心を買い、投票を得る、一種の大型贈賄システムを始動させたのである。
このシステムは戦後の労働党政権によって本格的に採用され、イギリスは「福祉国家」と呼ばれるようになった。だが、この制度は国民の自己負担で運営されるふれこみだったのが、イギリスの戦後経済が悪かったため、政府の負担が増すことになった。政府、与党は社会保障を維持・拡充するためには、どこかから財源を探してこなければならなくなった。国債を発行して借金し、それで社会保障を賄おうとするなら、インフレを呼んでしまうからだ。
こうして、かつては国民の「血と汗」(税金と徴兵)を搾りたてる装置としてできた近代国家は、今や比較的豊かな者から絞りたてて、恵まれない層にカネを回すための装置と化した。かては国民を絞りたてる存在が、国民から絞りたてられる存在になったのである。これが、現代国家がはまり込んだ蟻地獄、罠のようなものなのだ。このような国家・政府は、金持ちたちにとってはたまったものではない。無い方がいい。だから今、アメリカの茶会派と呼ばれる保守層は、政府の規模縮小を至上の課題としているのだ。
もう一つ、現代の国家がはまった罠の名を、「ポピュリズム」と言う。これは民主主義が極端になったもので、「世論」と目されるものに政府が盲従する、あるいは「人気取りに終始する」ことを意味する。
「世論」なるものの多くは、マスコミによって作り出される。そしてそれは多くの場合、国民の心、たとえば対中国感情の一部だけをえぐり出して煽りたて、日中関係を抜き差しならないものにしては、それをニュースとして販売部数を伸ばす、というような手法で作られているのだ。
このような社会では、政府・与党の政策は報道につられて左右にぶれがちで、真に必要な政策は取られず、ばらまきの結果借金だけが累積していく、ということになりやすい。
今日の先進国では日本、次に中国に産業が流出してしまったことで(「空洞化」)、膨れに膨らんだ社会保障を支えるべき税収は細っている。それなのに、ポピュリズムが支配する政治は支出を拡大していくばかりだし、社会もこれを是認しているのだ。
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