2011年6月モスクワ随想
6月末の数日間、モスクワ大学ビジネススクールの卒業式に招かれて行ってくる機会があった。何人かの友人にも会って話を聞いてきたので、それも合わせて印象を書いておく。
アエロフロート
かつてロシアのルーブルは海外では交換できない、というのが通り相場になっていたが(実際にはソ連時代にも西ドイツの空港などで替えることができた)、成田空港では一カ所だけ両替ができるところがある。僕はそこで、これまで手元に溜まったルーブルを円に替えたのだが、なんと3分の1も損をしてしまった。
円からルーブルに替える時には1ルーブル:3.37円なのだが、ルーブルを円に替えようとすると1ルーブル:2.37円に化けてしまう。窓口で文句を言うと、「ルーブルだけではなく、北欧の通貨のようにあまり需要のないものは調達費用もかかりますので・・・」ということだった。まあ、ロシアのように首脳が「何月何日からルーブルを外国でも交換可能にする」と宣言しただけでは交換可能にならない。実際にその通貨が外国にかなりの量溜まっていないと、ロシアから紙幣を飛行機で持ってこなければならず、それだけ費用がかさむ、ということになるのだ。
だがそれにしても、ひどい。日本の銀行はひとたび外国との取引ということになると、凍りついたように硬直してしまい、たった100ドルの送金に7000円もの手数料を請求して平然としていたりする。いろいろの規制が厳しいこともその原因だろう。だが、ロシアでもこんな時代遅れなことはしない。
と思いながら、アエロフロートの「チェーホフ」号に乗り込む寸前、蛇腹の脇に置いてある読売新聞を取り上げてふと見ると、いやに古いニュース。変だなと思って日付を見ると、2日前の新聞だった。2日前の「旧聞」を平然と顧客サービスとして置いてある神経も相当なものだ、やっぱりロシアは・・・と思って座ると、「チェーホフ」号は予定から1分と違わない12時きっかりに蛇腹から離れたのだった。まるで日本やドイツなみ。
モスクワを覆うペシミズム
モスクワに行ってみるまでもない、この頃のロシアのマスコミは、ペシミズム一色だ。金融危機を青息吐息で乗り切ってはみたものの(その前数年間石油景気でためこんだ金がなかったら、今頃どうなっていたかわからない)、春からはなぜか工業生産の伸びが止まってしまった。世界の石油価格は折角急騰を始めたのに、今年から来年の選挙シーズンをめがけてプーチン政府が公務員(ロシアでは労働人口の3人に1人は政府から給料をもらっているので、日本とはくらべものにならない費用)の給料や年金引き上げなどの大盤振る舞いをしたために、財政は赤字、原油価格が1バレル140ドル以上ないと、これからとても支えて行けない。バレル70ドルに落ちでもしようものなら、ロシアの財政と政治はパンクする。
金融危機が過ぎて消費が増えてきたものの、ロシアの商品の半分近くは輸入品だから、輸入が急増して貿易黒字は急減している。そして選挙後への見通しが不透明なことを嫌って、資本が海外に流出している。
中国にならってインフラ建設で成長率を上げてやろうとばかり、プーチン首相は道路建設を大幅に増やすと言明はしたものの、中国と違ってセメントや鉄鋼など資材の供給が追い付かない。そこらじゅう独占、寡占状態になっていて、生産量を上げるより価格を上げようとする。ロシアでは、何を作るにしても、サプライチェーンがないのだ。
予算をつけても、そこらじゅうで横領されてしまう。社会とか企業全体の利益を考えて動く伝統は、上にも下にもないのがロシアだから、様々の要因はからみあってどうしようもなく保守的な既得権益構造を作り出す。
スマート・グリッドという言葉は少し広まってはきたものの、ロシアの現実の中ではとても採用できないだろう。ロシアでは、家庭に電気メーターがまだない世帯も多いうえに、大口需要家の企業も自分の電力消費を正確に把握してもらいたくない。
そうした行き詰まりがこんがらがったような現実の中で大衆は、「自分達の資産を簒奪した資本家」たちを非難し、安い食糧、安い地下鉄、安い公営アパートの供給を当局に要求する。不満がたまれば、彼らは暴動を起こすだろう。このような奇怪な迷宮を一つにまとめておこうと思ったら、結局昔の「パンのために自由を少々犠牲にして、上から押さえつける」ソ連的な手法しかない。
これこそが現在のプーチンの政治で、メドベジェフ大統領はその神輿のうえで、少々リベラルなことをつぶやいて(彼はツイッターを使う)インテリ層、西側諸国の支持をつなぎとめているのだ。そしてこうしたすべてに倦んだ青年たちは、とみに外国への移住志向を強めている。「能力のある者ほど出て行ってしまう」というのが、最近ロシア人がパニック気味に言うことだ。もっとも、外国での生活もあまくはないので、「優秀な青年」も結局はロシアに舞い戻り、外国の友人とロシアの間を結びつけては何がしかの金を稼ぎだすようなビジネスをすることになりがちだそうだが。
彼らは、たとえばビジネススクールで西側なみの経営術を学んでも、それをロシアで用いる術はない。国営企業が未だに多いロシアでは、企業経営は公務員の仕事に近い。そして政府や企業は、20年前ソ連崩壊の大騒ぎのなかでのし上がった世代――昔はリベラルなことを言っていたが、今やすっかりニヒルで腹の膨れたブルジョア父親世代となってしまった――が、かさぶたのように上を塞いでいる。そして出世どころか、ろくな就職口さえない――というのが、最近ロシアの世論調査の数々が示す悲しい情景だ。
大学の卒業式で、メドベージェフのブレーンとされるあるジャーナリスト(もう2年間会わないうちに、すっかり髪が白くなった)は少し疲れ気味に言った。「この国が良くなるのは、君達の世代の先かもしれない。しかしそれでも外国に行くとか言わずに頑張ってほしい」
出口がないのは皆わかっている。だが今は夏。夜は11時頃までまだ明るい。朝は3時頃には明るくなってくる。空しく明るい、とでも言うか、ほこりとゴミの、そこらじゅう工事現場のような街を歩いていくのだ。街の風景が示す民度は、ロシア人が軽侮する中央アジア並み。荒れていて、教養水準が落ちている。
青年たち
ソ連の時代から西側は、「青年たちにこの国の明るい未来」を見ようとして、いつも裏切られてきた。それは今も変わらない――いや、もしかすると今はもっとひどいかもしれない。ソ連崩壊直後の混乱の中、保守派が生活苦の大衆をたきつけて反政府集会を連発する中、リベラルな友人達は言っていた。「ソ連の全体主義が染みついた俺達はもう駄目だ。何をやっても、すぐ昔の癖が出てしまう。革命歌でも聞けば、その場で直立だ。だがソ連というものを知らない世代が成人すれば、この国も本当に自由になるだろう。ああ、遠い先だ」
それからもう20年。その遠い先がもうやってきた。ところが、ロシアは良くならない。なぜか? まず教育水準が低下した。大学生になっても、彼らはインターネットから得た手軽な知識で全てを知った気になり、真剣に学ぼうとしない。論文も、インターネットの記事を切り貼りして作る。「外国に行ったこともない」祖父、父の世代は共に語るに値しない。彼らは、ツァーで外国へ行ってはガイドつきで駆け足で名所を回ってくるだけで、全てを知ったと思い込んでいるのだ。実際には外国をインターネットで見たと同じことで、外国とロシアの違いの本質などは全然わかっていないのだが。
そして共産主義に代わる、モラルの背骨がない。ただ「金を稼ぐ」、「アメリカ人のように『自由』にふるまう」ことが全ての目的となっている。アメリカのピューリタン的質実剛健の気風など、ロシアの青年には全然わからない。強者の権利で何をしてもいい、というのが、アメリカ的自由だと思い込んでいる。
18世紀、19世紀の西欧風、15世紀のロシア風、そして高層ビル、似非トルコ風のトガリ屋根のついた安普請ビル(トルコの建設会社が多いからだ)などが所せましと空をふさぐ今のモスクワの情景からは、モラルの不在がひしひしと臭ってくる。獣的な目、とでも言おうか。
90年代初期、ロシアの大学生の眼は輝いていた。「これから新しい時代がくる。自分達がそれを作る」という意気込みで。あるいはそれは、西側の企業に雇ってもらえるかもしれないという期待に過ぎなかったのかもしれない。だがビジネス・スクールでも2,3年前までは自分で企業を立ち上げようと考える学生もいた。それが今では、石油輸出の収入に支えられた利権構造の中に入り込むことしか考えていないのではないか。大企業はほとんどが国営だから、ビジネススクールも役人養成所になりかねない。体制内のエリートを作り出すのが大学の役目であるとは言っても、これではあまりに20年前のソ連共産党幹部養成学校と変わらないではないか。徒労感ばかりが先に立つ。
戻ってきた「ソ連」
中国では今、おそらく政争の一環として、社会主義イデオロギーとか、文革時代の歌とかが一部の都市で称揚されている。一方ロシアでも、「ソ連的なもの」が中国でよりもはるかに根強く蘇りつつある。それはプーチンが大統領時代に、以前の同僚、つまりソ連時代のKGB出身の者達を多数登用したことに起因する。彼らはすべてを規制し、不安定化の芽は早いうちに摘もうとしがちである。すべてが規制されると、人々は自由なイニシャティブの発揮を閉ざされる。そうなると、40代以上の人間の体に染みついたソ連時代の習慣、心持が惰性のように戻ってきてしまうのだ。
ボリショイ劇場は今修理中で、隣の仮設小屋(と言っても、立派な劇場だが)を使っている。ホールの入口にいるのは、ソ連時代にもいたような、老婦人の職員だった。ソ連崩壊からもう20年も経ったのに、あの頃と同じような年恰好の人たち。小柄で白髪で、少し腰が曲がってくたびれた、それでも家に帰れば孫の1人や2人はいそうな。
シェレメチェヴォ空港には実に30年ぶりに新しいターミナルができた。これまで国、州、市の間で権益争いがあって、建設計画が長いこと宙に浮いていたのだ。上海、香港、バンコックなどの最新式空港ターミナルに比べるとはるかに小さいものの、ないよりはまし。
ところがその運営の仕方がソ連時代のままだ。パスポートコントロール用のブースはいくつも並んでいるのに、空いているのは一つだけ。長い行列ができる。北京や上海でこんなことはない。税関めがけて歩いていくと、広い廊下に人がいっぱい並んで通れない。前に行くと税関、横に行くと他の目的地への乗り換えに分岐していて、ほとんどの乗客が乗り換えに向かうため、渋滞して税関行きの客の道をふさいでいるのだ。簡単な設計のミス。想像力の乏しさ、幹部の管理意欲の欠如。
日本に帰る時には、ターミナルに入るところで1回、チェックインを終えたところでもう1回、ほとんど同じ身体検査をやられる。真新しいターミナルの売店にはあまり客が入っておらず、どうしたわけか、万引き防止のセンサーがしょっちゅうピーピーいっている。この人達は、組織として働こうという意欲、DNAが備わっていない。
今回とどめを刺された感があったのは、日本に帰る時、空港まで乗ったタクシーの運転手。「もう、どのくらい運転手やってんだい?」と僕が聞くと、「いや、まだ5日目で」。「え? その前はどんな仕事を?」。「広告会社で営業をやってました。道路わきのポスター広告とか、ほらあの国立図書館屋上のSamsungの大ネオンとか」、「それでなんで、そんないい会社を辞めたんだ?」、「実は6月1日に社長が殺されて。殺し屋にやられたんですね。4発も撃ち込まれて」、「まだ、そんなことあるのかい」、「競争が激しいから。私は半年前結婚したのですが、これでは家も買えませんし、子供も作れません」
ソ連は戻ってきた。途方もなく強い復元力をもって。そうして来年3月の大統領選挙でプーチンが返り咲くと、1期6年だから、2期、つまりこれから12年は権力の座から去らないということになる。これは、いったいどういうことになるのだろう? 中心的な価値観やモラルが欠如し、皆あまり働こうとしない社会が12年も続くのか? フランシス福山がこれを見たら、「これこそ歴史の終わりだ」と言ったことだろう。改革か崩壊か、あるいはゴルバチョフの時のように改革に失敗しての崩壊か。ロシアはこれからどうなる?
プーチン大統領返り咲き?
プーチンは大統領を2期務めたあと2008年、「(三選を禁ずる)憲法を守る」と言って、自らは首相になった(ロシアの大統領は「力の機関」、つまり軍、諜報、警察、外交を司ることになっている。首相はこれ以外、つまり経済と社会保障を司り、大統領に服属する)。そして既に3年、「タンデム」(連結)政権とか称して、金融恐慌の難しいなかを乗り切ってきた。そしてメドベジェフはリベラル、親米、プーチンは強面、抗米をにじみ出させつつ、両者が一体となって社会の不満を宥めてきた。そして来年3月の大統領選挙ではどちらが出馬するかを言わないことで、マスコミの関心を引き付けるとともに、大統領府、政府のいずれかが勤労意欲を完全に失ってしまうことも回避しようとしている。だがこの芝居の手の内は、大衆レベルに至るまでお見通しだ。メドベジェフがリベラル的言辞を強めて、プーチンとの間に「ドラマ」を作り出そうとしても、大衆はもう相手にしない。
今回何人かの識者と会ったが、そのうち多数が「プーチンはこの頃、メドベジェフにいらいらし始めている。テレビで彼のボデー・ランゲージを観察しているとわかる」と言った。9月に彼の率いる与党「統一」が党大会をやる時、プーチンは大統領選挙出馬を表明するのではないか、という者もいた。
もっともそれに対しては、「いやいや、そんなことをされては、(メドベジェフ派の)自分の仕事があがったりになってしまうから、そんなことはあり得ないよ」という者もいたが。たとえば9月にはメドベジェフ系と見なされる「ヤロスラブリ会議」が予定されているのだが、それまでにプーチンが出馬表明をすると、ヤロスラブリ会議を足場とする連中は力を失ってしまう。
12月予定の総選挙は、与党「統一」の勝利が確実視されていたのだが、3月の統一地方選で「統一」が得票率を大きく落としたため、いくつかの変化が起きている。一つは「統一」の周囲に「全ロシア人民戦線」なる支持母体が作られたことだ。これは労働組合やその他諸組織を会員にして作られるもので、それぞれの組織が総選挙候補者を推薦し、「統一」のリスト(完全比例代表制である)から立候補させる。これはソ連時代の共産党のやり方と全く同じで、社会を窒息させるような効果を持つ。もっともソ連時代に比べると、今は野党が存在しているだけましなのだが。
もう一つの変化は、これまでの泡沫政党「正義の事業」がテコ入れされて、ノリリスク・ニッケルという大企業の社長プロホロフが党首に担ぎ出されたことである。この動きを大統領府の政局回し担当のスルコフ副長官は知らなかったという説もあり、誰がどのような目的でこれを仕組んだのかはまだわかっていない。プロホロフは身長が2メートルもあり、二つに折り畳んでもナポレオン並みのメドベジェフやプーチンより大きいと思えるほどだ。もっともプロホロフはこれから半年の長丁場を、「正義の事業」党の支持基盤を自分の口先三寸だけで拡大していかねばならず、マスコミから上げ足を取られて地に墜ちる可能性も大きい。だが、メドベジェフが側近達に押されて「正義の事業」の大統領候補になったりすると、ロシアの政治は俄然活気づくだろう。
「日本が北方領土問題で戦争を起こす」と思っているロシア人
日本は「北方領土占拠が既成事実化する」ことを恐れるなど、被害者意識に陥りやすいが、ロシア人も国力がソ連時代より大きく低下した中で自信を失っており、「日本自衛隊が北方4島に攻めてくる」ことを半ば本当に心配している。半年前ほど菅総理が「ロシアは北方領土を不法占拠している」と言ったのを、ロシアのマスコミが騒ぎたて、日本を好戦的・感情的な国として描いて以来の傾向だろう。
僕も今回、ビジネススクールで中堅企業経営者を相手に講演したとき、質問された。「日本が北方4島に攻めてくるとの報道があるが、どう思うか?」と。日本の事情を少しでも知っていれば、そんなことはあり得ないことがすぐわかる。だが、ロシアでそう思っているなら、そう思わせておけばいいではないか。
ロシア人はアメリカの力が低下したが故に、世界の枠組みが不安定化しているのを体で感じているのではないか。彼らの荒々しい国際情勢理解(経済力より政治・軍事力を基準に考える)では、枠組みが不安定化すると利権の再配分が起こり、それは戦争でしか解決できないということになる。だから、日本が北方4島を攻めるという報道を簡単に信じてしまうのだ。
我々日本人はいつまでもパックス・アメリカーナの枠内で思考しているが、パワー・ポリティクスの語法もそろそろ倉庫から引っ張り出して埃でも払っておくべき時か? 日本にとっては、また危ない――判断を誤って自滅するという意味で――時代になってきた。
だがロシア文化はいい
雨がしとしと降る日曜日の朝。ホテルで物書きをしながら、近くの正教会の鐘が鳴るのを聞くのも乙だ。15世紀の昔に呼びもどされるようで、心がなごむ。だが鐘の音はガラガラチャンチャンと、次第にうるさくなってくる。僧侶が様々のサイズと意匠の鐘を、まるでジャズのドラムのように乱打して、延々20分にも及ぶ。その間こちらは書き物が手に着かない。そうか、正教会の鐘の音は、昔は大衆用のエンタメでもあったのか。
グルチェンコという有名な女優がいて、一世を風靡したあと、つい最近亡くなった。モスクワへ飛ぶ飛行機のなかでは、彼女がまだ若い頃主演した映画が上映されていた。本当に、ロシアの昔の映画には心がなごむものがある。森を人間が歩いていく情景を見ていると、人間が自然の中で屹立しておらず、自然の一部になっている、自然と同じペースで呼吸しているということが、直観的に看取できる。そして人間の輪郭はソフト・フォーカスで映されているかのように、周囲の大気に滲んでいるのだ。そう、ロシア人の顔はいつも輪郭がぼやけている。
そこへ行くとアメリカの白人は、いつも周りから屹立する。背景に溶け込むことはなく、黙っていても「自己」を主張しているのだ。 (了)
ソ連崩壊からちょうど20年経ちました。その頃私はモスクワで在勤していましたが、それは目の前で大河小説が展開していくような趣きだったのです。その激動を背景に、ある自由気ままなロシア人の運命を描いた大河ロマン「遥かなる大地」(熊野洋のペンネーム。草思社)をお読みくださいhttp://www.amazon.co.jp/%E9%81%99%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E2%80%95%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89-%E7%86%8A%E9%87%8E-%E6%B4%8B/dp/4794211481/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1309795961&sr=1-1。
これは、日本人が書いたロシア文学としてユニークなものです。雄大な自然と人間の豊かな感情が織り成す一大交響楽――これを描こうと思ったのです。
以下に主人公イリヤーがスペインで、ロシアの女スパイ、オーロラと一夜を過ごす場面を収録しておきます。オーロラもまた、顔の輪郭が夜の大気に滲んで見えるロシアの女です。
「イリヤー・マコーシンとゴヤ・・・・・いい取り合わせだこと」 ゆらめくろうそくの光りを琥珀色のワインにすかして見ながら,オーロラがテーブルの向こうから挑むような目で言った。フラメンコ・レストラン「デ・チニータス」。イリヤーは財布の中身を心配し,料理の値段を必死でドルに換算していた。お茶だけのつもりが,夕食にまで。イリヤー,お前,おかしいぞ。いや,外国だからかまわない。でもこれじゃ,買い物ができなくなる。
「二人とも,がんじがらめの社会なのに自由にしてる。権力を馬鹿にして。とてつもな
いエネルギー。まるで,混乱した国の上,人民の上,全てを踏みしだいて歩いていくみた
い。まさに『巨像』だわ。ゴヤのこと良く御存知? アルバ公爵夫人のことは? ゴヤの愛人。公爵夫人のくせに,ゴヤのところに走ったの。この人も当時の自由人だった」
オーロラはこう言うと,グラスに映るろうそくの炎に再びじっと見入る。その目は,遠い昔を見るようだった。優しさと憂いと,かすかな残酷さをたたえた栗色の目。ロシアの目。やや厚めの官能的な下唇が,赤いワインに濡れてきらきら光る。いたたまれなくなってきたイリヤーが,沈黙を破る。
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コメント
この数年、モスクワに行っていないので大変に参考になりました。とくに「モスクワを覆うペシミズム」が面白かった。プーチンの「全ロシア人民戦線」の先には「ソ連復活」がある。でもその先にはまだ明るい見通しは感じられない。このところ、ロシアへの関心を失いかけていましたが、河東さんの報告を読み、これからまた面白くなりそうだなと予感しています。
私も久しくロシアの地を踏んでいません。今回、河東さんのモスクワ滞在雑感を読み、現在のロシアのペシミズムと日本の前途不明な閉塞感がなんとなく似ているような気がしてなりませんでした。たしかに3.11以後、日本では新しい価値観が生まれつつあるのかもしれませんが、ロシアではこれまであまりにも価値観のどんでん返しが多かったので、下手をすると以前の因習などが蘇って来そうだというのも感触としてわかります。また、これはモスクワという首都に限った様子なので、機会があればほかの都市の様子なども知りたいと思いました。
当方もロシアの上空を飛ぶことはありますが、モスクワに降りる事はありませんでしたし、北方4島に日本の自衛隊が攻めてくることを心配するロシア人の存在には驚かされました。
兎に角、隣国であるにもかかわらず、情報があまりにも少なく、河東先生の旅行記にはいつも感謝しています。
ロシアにはロマノフ王朝の遺産や、トロイの秘宝など歴史的に一見するべき価値あるものも多く、両国間の特別な協定で格安旅行が出来るようになればありがたく、お互いの理解も深まると思いますが、先生ご尽力いただけないでしょうか?
いつもながら、面白く読ませていただきました。ソ連時代の末期だけを知る小生ですが、今回の貴随想も「なるほど、そうだろうなあ」と思いつつ、最近のロシアの状況をよく知ることができました。感謝します。
夕闇に溶け込んでいく教会の懐かしい鐘の音とともに、「夕べの鐘」(Вечрный звон)の歌がミミに響いてきました!どうもありがとうごじました。ロシア(人)はそう簡単には変わらない(変われない)のでしょうね。むしろそうあってて欲しいという気がしてきました。
民族の持つ性格の上に国家が成立していることを考えると、ロシアが変わるのは難しいんでしょうね。
米国に移住すると、親の生まれた国が何処であっても、2世、3世は米国人になってしまいます。
ダルビッシュを見ると、日本も米国ほどではないが、同化力が強いのかな。
日本は鎖国で異なる者を排除すると言っても、他国の差別から見ると、社会が豊かなだけに、努力する者には機会が与えられていると思う。
日本が嫌だったら、外国に行っても、今のところ、日本で受けた教育や訓練は役立つし。将来は分からないけれど。
初めまして。大変貴重で面白い知見に,筆者の素養の深さを感じ取りました。私自身,何年もペテルブルク(ロシア人は略称するときにはこう言ったり,あるいはピ-テルといいます。日本人はサンクトと略しますが,失礼だし,ロシア人には不愉快でしょう)に住んだり往復したりしていますが,観察の不十分さ(あるいは当方の教養の無さ)を思い知りました。なお自己宣伝ですが,「サンクト・ペテルブルク断章」などといった拙書を上梓していますので,ご参考までに。