Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2007年2月12日

第三次安保闘争? ちゃぶ台を引っ繰り返す衝動

          この頃不安なこと
     ―――第三次安保闘争?―――
                               2007,2.11
                                  河東哲夫

この頃世界の雰囲気を見ていると、心配になってくる。日本でも「米国の没落」とか「世界の多極化」とか「自主防衛と核武装のすすめ」とか、右も左も米国への反感と不信を口にし、世はあたかも「第三次安保闘争」に突き進んでいるのでは、とさえ感ずるからだ。古来、同盟関係と言うものは両刃の剣だ。それが安全と繁栄を守ってくれる時には何も文句を言わないが、そうでなくなった途端、相手への屈従の記憶が屈辱感とともに蘇り、「独立」を叫びだす。だが、本当にこのまま進んでいいのか? 日本は孤立と玉砕の道に再び踏み込もうとしているのでないか?  
現在の日本の繁栄と言論の自由―――日本はこれを一国だけで守れるだろうか? どこにでもいつでも何でも輸出することができ、金を払えば何でも必要なだけ輸入できる世界。言ってみれば、これが日本の繁栄の基盤にある。ところが、こういう世界、自由貿易の世界は自然にあるものではない。世界経済の50%から20%を常に占めてきた米国が自由貿易にコミットしてきたことが、戦後60年という長期にわたって自由貿易体制を維持できたことの基盤にある。自由貿易が崩れれば、世界は戦前のように資源や市場を奪い合う戦争になるかもしれない。
世界に張り巡らされた米国の同盟システムによって政治的安定が維持され、東南アジア、中国は米国への輸出でその経済成長を実現してきた。自由貿易の旗を守った米国は、貿易赤字になった。貿易赤字に対して米国が政治的圧力をかけてくることもあったが、米国が武力を用いることはなく、WTOは米国の専横を難しくしている。しかも世界の諸国が溜め込むドルは、投資先を求めて米国に還流する。こうやって、自由貿易の原則の下に米国とその他の国々は、経済を支えあう共生関係を築いたのだ。世界経済というカジノがあるとするなら、米国は胴元、用心棒だと言えようか。

だがこのパックス・アメリカーナも今、風向きが不安定になってきた。米国が9.11事件の後の、米国民にとってみれば自衛の戦争に夢中になっているうちに、エゴを剥き出しにしすぎて、世界政治・経済のいわば「幹事」、「学級委員」としての適格性に疑問が呈されるようになってきたからだ。ドイツ、フランスなど「古い欧州」は米国に対する自己主張を強め、ソ連崩壊後米国にこけにされてきたロシアは意趣返しとばかり、石油ブームでできた小金を盾に、多極化の旗をしきりに振っている。

米国は、イラク、イラン問題に全力投球だ。反テロ闘争、核不拡散の建前がある上に、エネルギーの根幹を握る中近東を押さえておかねば、米国は超大国、世界の幹事としての地位を失いかねないからだ。石油が市場の商品としてではなく、産油国首脳の胸先三寸で供給されるようになると、自由貿易の原則や取引の透明性などは大きく害されることになり、腕力の弱い日本は不利になる。

だがここで、日米の認識にミスマッチが起きている。日本人は、中近東がどうなろうと、金を出せば石油は買えるものだと思いこんでいる。戦後60年続いた自由貿易体制のおかげで、日本人はすっかり楽天主義者になってしまった。日本人の関心はアジアにある。昇竜中国と北朝鮮の核ミサイルが、その主要な関心対象だ。「米国が中国の核に対して日本を守ってくれるはずがない。従って日本は核武装せよ」、「北朝鮮の核ミサイルが一発でも日本に届けば日本は終わりだ。日本は核武装せよ」という声が澎湃として沸き起こっている。
そして北朝鮮の核開発をめぐり行われている6者協議は、ウラン濃縮による核開発を防ぐ上で十分でないように見える点で、そして拉致問題が進展していない中で日本に対北朝鮮支援を強いる点で、対米不信を更に掻き立てるかもしれない。日本人には、米国が中近東にかまけて北朝鮮の脅威をおろそかにし、北朝鮮支援のつけだけ日本にまわして来たように見えるからだ。

日本の知識人や青年の多くは戦後長い間、自分の国、自分の政府に対して批判的、懐疑的だった。それが今では「自主防衛」を支持する者が増えている。日本が自由で繁栄した社会を築き上げたことが、かつてと違って自分達の国を守りたいという気を起こさせている。社会の第一線から去っていく団塊世代は、40年間自分達が働いてきたのは何のためだったのか、自分は果たして独立国で一生を過してきたのかと自問を始めている。
僕だって35年間の外交官生活の間に鬱積した想いはある。だが、核の傘と大規模攻撃からの防衛を米国に依存し、自分は経済建設に邁進するというのは、戦後の日本人が意識的、そして無意識的にしてきた選択ではないのか。60年間続けてきた体制を今変える必要があるほどの情勢変化があるのかないのか。このまま「独立」を求めて突っ走る前に、僕は次の問題が議論されるべきだと考えている

★米国は本当に没落するのか? 世界は本当に多極化するのか? 欧州もロシアも米国に盾突くふりをしながらも、土壇場では譲っているではないか。
実際に世界が「多極化」するとなれば、国連、IMFやWTOのような国際機関、そして各国の外交、経済政策は総見直しとなる。
だが、世界の先進国の中でこれからも人口が大きく伸びるのは米国だけだ。それに欧州も含めて、世界の多くの国が米国との経済共生関係にあることは何も変わっていない。
イラク戦争は、米国にとって独立戦争や太平洋戦争以来の「自分の戦争」であり、エゴに走りやすくなっている。世界の繁栄と安定の「幹事」としての役割、そしてそれが自分自身の利益にもなることを思い出す時は、また来るだろう。
★アジアにおける米軍の抑止力は本当に効かないのか? 中国は経済発展を優先し、周辺国や米国と事を荒立てることを好まない。北朝鮮の核に対しては、第7艦隊の有する核、巡航ミサイル、戦闘機が十分以上の抑止力になっているのではないか?
1980年代前半の西ドイツは大変な論争の末、NATO管理下の中距離核ミサイルPershingⅡの自国領配備を認めた。ソ連が欧州を狙って配備した中距離核ミサイル「SS20」に対抗するためだった。1987年には両者が相討ちの形で、双方の中距離核ミサイルをゼロとする軍縮協定が結ばれた。日本にも、こうしたオプションはある。
★日本が米軍に出て行ってくれと言えば、米軍は出て行く。それが米国の米国たる所以で、北方領土に居座ったままのロシアなどとは違う。だが米軍が出て行った翌日、米国と中国が「日本の脅威」に対して同盟関係を結ぶことにならないのか? ペリー提督の昔から、米国の頭には中国がまずあり、日本はその変数なのである。
★日米同盟なしの自主防衛が本当に可能なのか? 
★日本の核武装と簡単に言うが、核兵器用のウラン濃縮を始めれば世界からのウランの供給を止められ(NPT「核兵器不拡散条約」というのは、そういう取り決めなのだ)、日本の電力の40%を依存する原発が止まってしまう。では濃縮ウランではなく、日本が既に豊富に有するプルトニウムを使った核爆弾を開発しようとしても、これは実験が必要であり、実験場所があるかという問題がある。
★自主防衛、核武装の道を選んだ場合、守りたいと思っていた繁栄と言論の自由は失われ、周囲からの圧力の下に数々の政治的要求にも屈し、独立すらも失ってしまうのではないか?
いったん、方向が定まった場合の日本世論の凝集力はすさまじい。異端を許さない。僕は「硫黄島からの手紙」という最近の映画を見て、戦前日本社会のファッショの様を改めて認識した。埼玉県でパン屋をやっている若夫婦の家にある日、1銭5厘の召集令状が届く。乳飲み子を抱えて泣き崩れる妻。唇を噛む夫。そこに玄関ににぎにぎしくやってくるのは、「愛国婦人会」の面々。近所のおばさん達がもんぺ姿にたすきをかけて、「おめでとうございます。お宅もとうとう、お国のためにお役に立てることになりまして」とやるのだ。「夫はかけがえのない人です。絶対渡せません」と叫ぶ若く美しい妻の嘆きを楽しむかのように、婦人達は繰り返す。「この町内で、戦争に行っていないのはお宅だけになりました。お国のために散ることは―――」
そして兵士は、「お前の家族を守るために」「国を守るために」と言われて死んでいった。中堅将校の独走で満州事変、中華事変を起こし、それを抑えられなかった政府に動員されて。日本が植民地主義の圧力を受けていたことは確かだが、だからと言って自らが植民地主義勢力となる必要はなかった。日本の支援に期待する中国に対して21カ条要求をつきつけるようなことはせず、「アジアの解放」を錦の御旗に掲げていれば、歴史の展開は随分と違ったものになっただろう。
日本社会の現状は戦前と同様、一部の過激な意見や下克上が通りやすい状況にある。政治優位の原則と官僚バッシングは、政策に感情的なぶれをもたらした。政策決定に関わる学者は増えたが、彼らは官僚が国会で受けるような監査は受けない。マスコミは視聴率、購読者数を上げることを至上課題とし、世論を右から左へ、左から右へあおいではニュースを自ら作り出し、その責任は取らない。若くして官僚を辞める者があとを絶たず、残った者達は政策を立案し、提案する気概と勇気を失いつつある。日本の政治はアカウンタビリティーが十分でなく、ポピュリズムのままに漂流している。

僕はまだ、核武装や自主防衛を検討せねばならない程、日本が追い詰められているとは感じていない。その前にやるべきことがいっぱいある。世界に比べればはるかに格差の少ない日本の社会では、世界にも類を見ない民主主義が育ちつつあると思うのだが、そのための制度や仕組みはまだ十分ではない。他のアジア諸国にひっぱられて、国民国家が相争った19世紀の昔に逆戻りするよりも、自らの民主主義をもっと整備し、他のアジア諸国を協力の方向に引っ張っていくことの方が、はるかに自衛に役立つのではないか? 
米国はそんなに簡単には没落しない。米国より、他の大国が国内に抱えている不安定要因の方が、はるかに大きい。                       (終わり)

コメント

投稿者: 杉本丈児 | 2007年2月13日 13:09


日米の戦後の総決算は、どのような結果となったのか。
良好な関係が今日の日本の発展に繋がったことは常識的な評価だと思うが・・・。
ただ、歴史の示すところによれば、半永久的に良好な関係を保持・維持することは至難の業である。
歴史に「もしも」はつきものであるが、過去の反省を生かすとともにお互いの英知を絞り「もしもあの時」と後悔せぬ道を望みたいものである。

投稿者: 岩浅紀久 | 2007年2月14日 03:33

こんな事を書くと、河東様に現実離れした寝ぼけた事をほざいて、とお叱りを受けそうなのですが、人類の文化らしきものが始まって、数千年とか1万年とか、この間に武力紛争がなかった時代は無いと言われます。
しかし、もうそろそろ人類はその叡智を結集して、理性と知性によって、紛争を武力以外で解決する道を模索しても良いのではないか?
世界がどんな仕組みを持てばそれが可能になるか、研究は始まっているのだろうか?
国際世論がそのような方向に働かないのは、人類はまだ成熟度が低いのか?はたまた人類の知性レベルはこの程度が限度と諦めざるを得ないのか?
安保、核の傘、あるいは自主防衛、何か世界はエネルギーの使い場所と使い方が間違っているのではないか?
現実の問題として、夫々の国が、自衛力は持ちつつ、上記の模索と国際的な研究を始めるような動きに何故至らないのか?
憂いてみても、嘆いてみても如何ともし難く、凡人には憲法を変えようとする動きすら、遠い世界の出来事のように、虚ろに響く。
ただ上記の空想的希望からすれば、新憲法の制定論議は、本来人類が向かうべき方向とは、完全に逆行しているように思えてならない。

投稿者: K.M. | 2007年2月16日 00:57

以前中国にいたとき、日本を見ていると、「キッシンジャー訪中前夜」を想起してなりませんでした。中国の米国(もしくは米国人)崇拝は日本と比較になりません。韓国やベトナムと異なり、日本を対等なカウンターパートナーとしてみているのは、日米安保があるからにほかなりません。日本の一部の識者が「中国が日米の切り離し工作をしている」というのは、あながち言い過ぎではないです。

投稿者: T.S. | 2007年2月17日 23:03

興味深く拝見しました。安保世代です。
日本の安保政策として「日米安保をやめて独自防衛、核武装をする」という選択肢一位は、にわかには信じられません。
「米国はそんなに簡単には没落しない」との見解に賛成。過去のアメリカの良さは”より戻し”の幅が大きいこと。
国民国家が相争った19世紀、20世紀の昔に逆戻りすることは愚か。アジア諸国を「分断から協力」の方向に引っ張っていくことこそ、日本の役目。 
そのために、例えばアジア諸国とは人的交流こそ大いに意味がある。目玉として、外交官の交流を積極的に(アメリカ以上に)推進しては。
中国・インドとは特にです。お金や物は、「対話」はできません。

※ワンクリック調査のこと  初めてこの欄を目にしたとき、私は反射的に上のほうからクリックしてしまいました。つまり、いわゆる核武装論にです。
選択の間違いにすぐに気づいて、その下の選択肢、日米機軸でをクリック。恥ずかしながら、パソコン不慣れなための結果です。

投稿者: 勝又 俊介 | 2007年2月18日 13:48

いまの日本に、「孤立・玉砕」の道へと堂々と踏み込んでいける真の覚悟があるとは思えません。「自主防衛」が国民に何を強いることになるのか、「雰囲気の論議」だけに惑わされてしまうと、その裏にある苛烈な現実からどんどん目を背けられていってしまうような気がいたします。
日本世論の凝集力がすさまじいことは、決して悪い面だけではないでしょう。しかし、「雰囲気の論議」だけで一定方向への強い流れがつくられ、とんでもない深みにはまってしまった時に「そんなはずではなかった・・・」と言っても、もう遅いのです。地方公共団体の破綻による社会福祉の切捨てや、格差の拡大などの問題も、そうなることが予想された政策に、選挙でYESを唱えたのではないの!?と思いたくなる瞬間もあります。

投稿者: 河東哲夫 | 2007年2月25日 00:13

14日岩浅様のコメントについて

おっしゃるとおりで、経済活動が自由である限り、先進国の間では武力で闘争する必要性ももうなくなっていると思います。プライドと貪欲、この2つを何とかコントロールしていけばいいのだと思います。

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