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世界はこう変わる

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2011年2月12日

独裁・権威主義の構造――アンチ政治学

エジプト革命で「独裁」やら「権威主義」が話題になっている。今の日本の青年にはそれがどんなものかわからない? いや、そうでもない。全員が「友人」として建前上は平等なアメリカなどと比べると(ヨーロッパも、それに似た感じ。親しくなると、ファースト・ネームで呼び合う)、先輩・後輩の関係とか、体育会系とか、結構残っているんだね。

でも本場の独裁とか権威主義は半端じゃない。昔ロシアの役所の会議を傍聴したことがあるが、そこでの上下関係は軍隊に近い厳正なもので、空気はぴんと張り詰めていた。

では、ヒットラーでもスターリンでも、独裁者は秦の始皇帝なみの絶対的権力を持っているかというと、それがそうでもないのが人間世界の面白いところ。所詮、一人の個人が直接差配できる範囲は限られているから、それ以外の範囲は他人を使うことで差配せざるを得ない。そしてそこに、独裁者の権力を総体的なものにする秘密がある。

例えば、部下が上司の意向をおおげさに解釈して、命令を「過剰執行」したりすること、あるいは上司の命令を口実にして賄賂をとったりするということだ。独裁者がある日、Aという作家の作品を読んで舌打ちをしただけで、秘密警察がAを逮捕し、拷問してスパイであることを白状させる――大袈裟に言えばそのたぐいが権威主義社会では良く起きる。独裁の上司におもねって、覚えをめでたくしようというのである。

独裁者はAを逮捕することまでは望んでおらず、それが国際世論による非難を招いたことを苦々しく思っても、もう遅い。口をきわめてAを非難し、彼を摘発した部下を昇進させるしか選択肢がなくなってしまうのだ。

賄賂の例について言うと、昨年秋市長が代わった直後のモスクワで、街路のキオスクが撤去され始めたことがある。「新市長のお達しだ」という報道の下に。だが最近の報道では、新市長はそんな命令など出していない。結局、キオスク設置許可を一度全部チャラにしてもう1回登録料をせしめようとした者たちの陰謀だったようだ。

独裁者の権力も相対的で、世の中のことは彼(彼女)の思い通りになるわけではない。部下がいなければやっていけない反面、部下が勝手にやったことの責任を負わされて人気を失うこともある、わりと哀れな存在だということだ。

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