ニュージーランドというところ
この夏、忙しくてブログを書いている暇もなかったが、8月中旬ニュージーランドとオーストラリアに生まれて初めて行ってきたので、その感想をやっとのことでまとめてみた。日本もアジア・太平洋地域に属しているので、この2国の学者たちから当面の安全保障環境をどのように見ているか、意見を聞いてきたのだ。そして日本が何を感じ、何をしようとしているのかについて、ウェリントンとクライストチャーチの大学で講演をしてきた。
今回、太陽が北にあることほど面白いことはなかった。南半球では太陽は北に位置し、西から昇って東に沈む、季節も方角も何でも逆だ、と帰ってきてから言ったら、うっかり信じた者もいたが。
(ウェリントンの景色。丘の中腹には住宅が多数あり、専用のケーブルカーを備えるところもある)
おおまかな感想
○貧しい子供の頃、近所の米軍宿舎ほどの生活は無理でも、何かオーストラリアというはるか南の方の豊かな国くらいの生活はと思い、憧れの的にしていた。外国留学を終わって外務省に帰ってくると、仕事がつまらないことが多く、パースの大学で募集していた日本語教師の職に応募したこともある(運よく落ちたけど)。
だがその後、大洋州のことは忘れ、これらの国の外交官に第三国で会っても、何となく隣人としての実感はわかなかったものだ。
○だが今回、人口稠密、競争熾烈、歴史問題もこれありで息が詰まる思いのアジア東北部から大洋州へ初めて行ってみると、ちょうどトイレをすませて出てきた時のような爽快感、出口がないと思っていたアジアから南の方へ、何かすーっと風が通ったような、考える軸が無限に広がっていくような、そんな感じがしたのだ。あそこには、行いの義しさとか、会計の厳格さを尊ぶ人たちが大勢いる。「むっ、頼りになるな」――そういう感じ。
○オーストラリアのGDPは08年1兆ドルを超え、世界で15位ほどだ。つまりG8に入っているロシアとほぼ同等の経済力を持つ大国が、ASEANの南にあるということである。人口は僅か2000万人だが。
○そして大洋州を、東アジアとのかかわりだけで考えるべきではない。ポリネシアなどの太平洋諸民族がこれまでもしてきたように、太平洋は内海と見立てるべきだ。APEC首脳会議のように、アジア、大洋州、米西岸、中南米一体で考えていかなければならない。但しオーストラリア東岸からニュージーランドまでは飛行機で3時間半、ニュージーランドから南米のチリまではひとっ飛びと思ったら、実に飛行機で8時間もかかるのだが。
○本当にニュージーランドというのは、安全保障上、本当に安心できるところにある。地球儀を見ればわかるが、大げさに言うと「ニュージーランドと太平洋しか見えない」角度がある。
○そういうわけで豪州、ニュージーランドは地上に最後に残ったヨーロッパ文明の花園、といったおもむきがある。御他聞にもれず中国人やインド人の進出が激しくて、ニュージーランド最大の都市オークランドなどでは人口の30%くらいになっているそうだが。
(クライストチャーチの景色。Avon川という名前のとおり、英国の田舎そっくりなのだ)
○ニュージーランドは領土こそ小さいが、排他的経済水域は世界でも五指に入る広さだ。日本もここでカツオ・マグロを随分取らせてもらっている。だが広すぎて、密輸を監視できないのが、頭痛のタネのようだった。専門家の中には、「中国にニュージーランドの経済水域を守ってもらっては?」という考えを口走る者さえある。これは安全保障というより、財産の警備を米国、中国、どちらの警備会社に頼むかというような発想に近い。どちらに頼んでも、自分たちの社会の価値観は守れると思っているようだ。
○絶対侵されることのない安全保障環境に住んでいるニュージーランド人については、呑気すぎると言う人もいるが、この国の国際政治・経済の専門家はさすがによく周囲を見ている。聞けば、最近では南極での資源争いも昂じているそうで、これに客観的な立場から世界で最も詳しいのはニュージーランドの人たちだろう。
○ニュージーランドの白人たちは、オーストラリアの白人たちをいつもこきおろす。「彼らはもと囚人だが、私たちの祖先はインテリで、国を作ろうと思って自発的に移住してきたのだ」というわけだ。まあ、よくある話で、本当は両国、運命共同体なのだが、互いにくさしあって楽しんでいるのだ。
○ニュージーランドの経済は、ずいぶんしっかりしている。食べるものを自分で作っているし、農産品をベースにした食品工業を中心に工業もちゃんとしている。居住環境はいいし、都市計画はしっかりしているし、質素だ。中古品を使うし、自分でモノを直す。家も自分で建てる。さすがアングロサクソン(英国史をひもとくと、本当はノルマン系なのだろうが)だ。
○人口がわずか400万人のニュージーランドに、牛が千万頭、羊が四千万頭、鹿が二百万頭もいるのだそうだ。そして特徴は、配合飼料ではなく放牧で草で養っていること。屋根もないところで家畜を飼うなどなんと残酷、雨が降ったらどうするのだと、ふと思ったが、考えてみれば動物はみな昔は戸外で暮らしていたのだ。
クライストチャーチで評判のステーキ屋に行ったが、草で育った牛の肉は脂身がなくて赤身だけ、ほんのり草の匂いがして健康的ったらない。日本でもっと流行っても不思議ではない。
○ニュージーランドは一昔前、小泉改革ばりの行政改革、民営化で名をはせた。それは今でも残っているが、与党が保守系に代わったこともあって、少し揺り戻しがある。そして改革にしても、その揺り戻しにしても、経済学の教科書通りの合理的なことばかりではなく、多くは政治的妥協の末、玉虫色の結果に終わっているのだ。
○民営化の過程では、オーストラリアをはじめ随分外国資本が入ってきたが、ニュージーランド人はあまり気にしないのだそうだ。本当だろうか?
○外資が利益を国外に持ち出すため、経常収支が赤字になり、このためニュージーランド・ドルが安くなった。以前の1ドル90円が今、60円ほどに落ちている。
中国の台頭と日本の退潮
この頃は、外国に出るたび、講演をするたび、中国への関心の増大と日本への関心の低下をひしひしと感ずる。講演をする時には、日本のことだから当然関心を持ってもらえる、と思わない方がいい。随分考え、努力したプレゼンテーションをしないと、もう関心を持ってもらえない。日本も、「世界への貢献」などと奇麗ごとを言ってのほほんとしていられる時代ではない。一体自分が何をしたくて何が欲しいのか、それをまず最初に相手に強烈にアピールしていかないと、日本というのは何を考えているのかわからない、ということになる。
○ニュージーランドでは移民法を毎年改正するのだそうだが、毎年、数万人程度の移民が来るのを認めている。オーストラリアほど制限しないのだそうだ。その結果、特にオークランドで中国人が多く、大学では35%ほどを占めるそうだ。中国、インド、韓国人を合わせると、オークランドで20-30%となり、原住民のマオリ族と同じくらいの比率となる。オーストラリアのシドニーでは、中国人、ベトナム人が固まって犯罪も起こしている。
○観光拠点のクライストチャーチでも、この頃は日本人観光客はめっきり減って中国人観光客の方が多いのだそうだ。しかし「巨泉」の名を漢字で冠した店等、日本人観光客の名残は強い。巨泉の店には、日本人店員もいた。
○日本と中国の国際的地位については、ニュージーランドでも認識がしょっちゅう揺れていた。「アジアの情勢は、日本、中国、インドによって決まる」と言うから、日本を評価してくれるのかと思っていると、次の瞬間には「IMFの増資は中国にやってもらえばいい」と言う、という調子だ。
総じて日本が好きで、中国に違和感を感ずる者が多数であるにもかかわらず、日本にアジアを動かす力があると思っているのは少数派のようだった。中には、「日本は中国にくっついて一緒にやっていけばいいではないか」と言う者さえいた。自分から、「じゃあ、あなたはニュージーランドがオーストラリアに保護されながら一緒にやっていくことでいいのか?」と聞くと、答えは当然「いやいや」ということになった。
○日本が世界的に過小評価されがちなのは、国際関係分析において政治と経済が切り離されていることも一因だ。アジアにおける日本の力などは、中国とASEAN諸国の間の水平分業に日本の企業が果たしている役割の分析なしには語れないのだが。
○それに、日中韓が割れているように見えるのも、日本を過小評価させる原因だ。今やいずれも経済大国となった日中韓は、互いに割れている方が、欧米諸国にとっては組みしやすく、便利なのだ。そうしておけば、それぞれが欧米にすり寄るからである。
欧米側には、アジアについてdivide&ruleの意識が本能的にある。こちらもやればいいのだ。
ニュージーランドの行政・経済改革
今の日本の参考にもなるので、ちょっとまとめておくと・・・
○1980年代までのニュージーランドは社会主義的体質となり、政府助成金が多額で、外国に借金も重ねるようになっていた。
○そこで4回にわたる改革を行い、小さな政府を実現した。途上、需要拡大のためのケインズ政策はあまりとっていない。
7500万頭の羊を6000万頭に減らし、農民は4,5万人から3万人に減った。
そして政府の業務の多くは有料ベース、独立採算ベースに移された。
○郵貯は民営化し、オーストラリアの銀行に買収された。現在では一部過疎地の銀行がまた国営として復活している。ニュージーランド航空も、株の80%が再び国有化された。
随想
○日本に帰ってもう5年たったが、すっかり慣れて、そうなると今度は白人の国に行くと、何か支配慾むき出しの力を彼らはいつも発散させているように見え、もう対抗する意欲もわかない。日本人はいつまでたっても、この面ではとても勝てない。生理的な差がある。どちらが優れている劣っているの話ではなく、とにかく違う。
○帰りのJAL、ああこれで日本に帰ったも同然と思ったら、スチュワーデスの半分くらいはもう中国人になっていたのでした。別開玩笑了!
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