Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2009年4月 1日

3月の北京ーー経済状態

今回の観光旅行で、経済面で気がついたことを挙げておく。順不同。

価格水準の上昇→日本でも製造業は成り立つ
北京駅前の食堂での定食(夕食)は一人前400円相当だった。ガソリンは1リットル5元、つまり75円くらい。若者の場合、持ち家がなければ一月の生活費は800~2000元(1万2千円~3万円)。

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北京駅前の吉野家。ケンタッキー・フライド・チキンと吉野家は北京の定番

つまり日本の2分の1から5分の1ということだから、10分の1ぐらいだった数年前に比べると随分値段が上がってきたのだ。最近の世界経済危機もあって、日本での製造業はもう完全に成り立たなくなったと言う人もいるが、実はそうでもない、むしろ逆なのではないか? これからも、中国での物価水準はどんどん上がってくるのだから。1970年代、魔法のように給料と物価が上がってきた頃の日本を思い出して欲しい。今の中国がそれなのだ。

感心したこと、発見したこと
今回、万里の長城に行くガイド・ツァーで乗用車を使ったが、なかなかいい車なので日本製かと聞いたら、長春で作っている紅旗なのだと、若干気張った答えが返ってきた。確かどこか日本の自動車企業が協力しているはずだが、十分使える車だった。耐久性、サービス体制が整えば、手ごわいライバルになるだろう。

今回、確かめたいことがあった。聞いてみて納得したのだが、中国の一子政策と言っても、農村では規制がゆるかったのだそうで、第2子を生んでもそれほど罰金を取られなかったのだそうだ。だから農村家庭の子供は多い。
そして、中国に徴兵制はない。日本の自衛隊と同じで募集制だ。
そして都会の青年はめったに応募しない。親にしても、一人しかいない子供を軍隊に送りたくはないだろう。だから、中国軍の兵士は農村出身が多いのだそうだ。
他方、警察官は大学卒業で試験があるので、なるのはなかなか難しいのだそうだ。

話はどんどん飛ぶが、中国の青年はどんな就職意識を持っているのかと思って、一人に聞いてみた。外国語を勉強している青年だから典型的な例とはいえないかもしれないが、中国の企業に入ることは考えていないようで、こう言った。
「ハイアールとかレノヴォとか言っても、世界で知られてないでしょう? パナソニックやソニーとかは、世界のどこに行っても知らない人はいないでしょう」
そこで僕が言う。「でも、外国の企業に勤めるのもちょっと。じゃ、SINOPECは(石油の大企業)?」
「アメリカの大学でも出るか、博士号でも持っていれば別ですが、そういうところはコネがないと。」

ということでした。日本でも大企業にコネで入ることは多いが、中国ではその度合いはもっと強いということだろう。

伝統の強み
豪壮な宮殿と大広場が何セットも続く故宮も、大奥に入っていくとこじんまりとしてくる。
かの西大后などが使っていた居住屋などプライベートな部分は小さく、質素なのだ。
これは遊牧民族(清を作ったのは満州族)の伝統なのか? あるいは韓国の王宮や日本の御所も質素だから、儒教的伝統なのか?
それとも、ヨーロッパの白人と東アジアの諸民族は、住居についての考え方が違うのか? ルーヴル宮のプライベートな部屋の数々と比べてみると、その差は歴然としているではないか。

上に立つ者が質素なのはいいことだ。すぐロシアの話になって申し訳ないが、あそこではエリートも大衆も「ただ乗り」しようとする者が多過ぎるのだ。エリートは特権を得ては贅沢、大衆は政府に依存、というわけだ。

中国では他面、日常生活におけるモノの豊富さときたらハンパでない。菓子の種類は本当にバラエティー豊か、そして土産物用の工芸品の質と量も、例えばロシアを圧倒している。西暦1000年の頃の北宋の首都開封の生活を描いた「東京夢華録」(東洋文庫)などを読むと、その頃から中国はそうなのだ。コークスで鉄を作ったり。
 
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北京人は「広州人ときたら、四足のものは机以外、何でも食べる。空を飛ぶものは飛行機以外、何でも食べる」と悪口を言う。これは王府井の小吃街で売っていたサソリの串焼き。
隣ではタツノオトシゴが可哀想に同じく串刺しの刑にあっており、その隣ではゴキブリを小さくしたような虫が、佃煮になってしまった後もまだ手足をうごめかせていた

そして、中国というのは例えばロシアに比べると都市に余剰労働力が多いのですかね。
人があらゆる商売で身を立てている、という感じ。

衣食住の水準は世界でそんなに変わらない?
大衆レベルでも中国人の民度は低くない。大衆食堂の従業員も、状況に機敏に対応してくる。
そしてその駅前の大衆食堂は、考えてみればアメリカの下町のカフェテリアあたりと客種、生活水準、雰囲気は同じなのだ。(ここらへん、「意味が解体する世界へ」草思社 を是非ご覧下さい)

こうなると、基本的な衣食住というものは世界でそんなに変わらないのではないかと思えてくる。もっとも、インドの大都市で絶対的な貧困の様相を目の当たりにすれば、衣食住の水準にも随分幅があることはわかるのだが。

僕が言いたいのは、基本的な衣食住の要求が満たされると、ある人が「豊か」かどうかを判断する分かれ目の一つは、産業革命の産物であるところの耐久消費財のガラクタ類をどのくらい持っているか、という下らないことなのではないか、ということ。

そして、GDPが大きいと言って威張るが、それは自動車や家電のような値の張るものを沢山作っているからというだけの話で、これをそんなに買い放題で楽しめるわけでもなく、買ったところで人生にそんなに違いが生まれるわけでもなく、歳をとってくると考えが段々仏教の諸行無常的になってくるね、ということなのだ。

伝統の弱み
ホテルの従業員は、オリンピックを経て随分物慣れてきた。それでも朝食のときに、コーヒーを頼んでもなかなか持ってこない。どこかにコーヒーメーカーを置いておいてくれれば、自分で取りにいくのに。
ウェイターやウェイトレスがいつも客席を回っていて、客が使った皿を3分毎くらいに運び去る。それも、何も言わずに。
こうして、命令やマニュアル通りには動くようになったが、自分で合目的的に動くことはできない。自分の任務しかやらない、というソ連的な癖がまだ抜けない。

中世の中国文明はすごかった。西欧や日本の数百年先をいっていた。日本の伝統文化と言われるものの多くは、この南宋時代の中国から伝わってきたものだ(ちなみに「中国」、「中国」と言いますが、中国人は自分の住んでいた地域を漢とか唐とか宋とか王朝の名前で意識していたもので、「中国」という呼び方は比較的新しいものーーー清の時代のものなのだそうですが本当でしょうか?)。

ところが、清朝の文化を見ていると、自分で新しいものを創造するより、過去のものを再生産するか、外国のものをただ集めているだけという感じがする。偏見なのかもしれないが、よその地を征服しては文物を我が物にする遊牧民族的なアプローチなのだ。

河東哲夫

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