トランプで米国の世界支配は終焉するか ローマ帝国との類似
(トランプであろうとバイデンであろうと、最近の米国の経済政策は短視眼的に過ぎる。国債濫発が金利の上昇を招き、大量の不良債権を生めば、2008年金融恐慌の再発があり得る。これで世界の米軍を維持できなくなった場合、昔西ローマ帝国が短期間で滅亡したのと似たことになりかねない。今出版を準備している「失われた近代を求めて」(仮題)から、関連個所を抽出して、ここにアップしておく。これに今の米国を重ね合わせるのも、面白い作業だ)
ローマ帝国がどうして、そしてどのように滅んでいったかについて、ブリタニカ百科事典のancient Romeの項は次のように言っている。
――共和制初期からの、「エリートは社会に奉仕するもの」というnoblesse obligeの精神が廃れた。下層の者はカネで上にのし上がると、元を取ろうとした。このため、徴税は厳しく、文官の力は軍に奪われた。しかも軍人は後発のドナウ川流域から多く徴募され、後れた意識を発揮して、地方都市に至るまで、軍の専横が目立つようになる。貴族は大農園にこもって、納税を拒否するようになった。徴税力が低下した上、汚職のせいで兵士の給料は減少し、装備の質も低下した。
二六〇年代には、貨幣の改鋳で高率のインフレが起きたらしい。疫病も。史料はないが、当時の農園等を発掘してみると、砦のようになっていた。多分商業は荒れ、実際に文明の終末的状況にあったのだろう――
ローマ帝国滅亡の原因についてはさまざまの説があって、決定版はない。これからもないだろう。しかし言っておきたいのは、国というのは一種の利権構造で、大多数の者が国の枠組みの中で「食っている」。そんなに簡単に倒れるものではない。現代の米国もトランプと反トランプで国を二分する争いを続けているが、米国は存続している。
国が消滅、滅亡するのには、外部から征服された場合、国内が叛乱などで荒れて手がつけられなくなった場合、あるいは支配層が分裂し、自分で自分に足をかけて倒れる場合がある。西ローマ帝国の場合、そのすべての場合に相当する。一つの要因に集約できるものではないだろう。
(収奪経済の限界)
ローマ帝国は、戦争で周縁部を征服しては奴隷、金などを収奪して維持・成長をはかってきた。内部で新たな富を作る経済ではない。
紀元二世紀初頭のハドリアヌス帝の頃から、ローマは拡張を控えるようになり、奴隷の供給が減少しはじめる。イタリア半島の総人口四百万人に対して奴隷は百五十万人だったとされる。毎年七万五千人を補充しなければならないことになる 。それができなくなったために、ローマの経済は貴族の大農経営、そして鉱業、手工業ともマイナスの影響を受けただろう。貴族は農園の耕作を小作に出すことで維持するのだが、これで貴族の取り分は減少しただろう。大農園は納税を渋るようになり、西ローマ帝国の弱体化の大きな背景を成す。
周辺の弱い者を収奪することで維持・成長をはかってきた、ローマ帝国の限界がここには見える。自分で売れるものを作らない経済は、いつか精神が腐ってくる。そのあたりを「地中海世界とローマ帝国」で本村凌二教授は次のように言う 。
――共和政末期、地中海で覇権を確立する頃までは、(ローマ人を支配したモラルは)労苦と正義だったが、スッラが武力で専制をひいて以降、支配欲、金銭欲、陰謀、不遜が前面に出てきた――
そして、当時の歴史家ケルティウスは言う。
――不遜きわまりない態度や残虐非道な感情、さらには神々をないがしろにする傲慢さがのさばりだす。金銭の力こそが万物にまさると誰もかも考えるようになってしまった。このような風潮がめばえたのは、スッラが武力によって国家を乗っ取ってからだ。誰もがかすめとり、家も土地も奪いとり、慎みのない勝者ばかりが幅をきかせ、ローマ市民の間で残酷な殺し合いがくりかえされるようになった・・・
猛々しい少壮の者たちが権力をにぎり、元老院を非難し、民衆をあおりたてる。彼らは惜しみなく贈り物をあたえ、数々の約束をして、ますます民衆をたきつける。貴族閥族派は、元老院のためと称して死力を尽くして抵抗する。要するに、公明正大という名のもとに立ち上がったとしても、誰もが目的とするところは同じだった。公の福祉という美名のもとに、誰もが自分の勢力拡大のために戦ったのである――と。
なにやら近年の思い上がった米国を思い出させるフレーズだ。
(免税荘園の乱立)
ローマ帝国、特に西半分の衰退の最大の原因は、「ガバナンスの崩壊」にあるだろう。つまり有力者たちの欲と自惚れと暴力をうまくコントロールできない状態になったのだ。
紀元前二世紀頃から、ローマは征服して手に入れた土地を入札にかけて、大規模な農園を成立させていった。元老院の議員たちは表向きビジネスを禁じられていて――自分のビジネスに利益誘導することがないようにだろうか、それとも海上交易などで莫大な富と力を得るのを防ぐためだろうか――、土地の入手で富を築くしかなかったので、彼らが大農園経営をするようになる。自営農も力づくで大農園に組み入れられる。
そして彼らの農園は、免税特権を得るのである。これは平安時代の日本で、貴族や寺社が荘園を増やし、納税を拒否して天皇の権力を弱体化させていったのと、よく似ている。
彼らの大農園――ラティフンディウムと呼ばれている。Latus「広い」、Fundus「土地」を組み合わせた呼び名――は奴隷を使って高い生産性をあげていたが、小麦は作らず、自家消費用、そして販売用の商品作物(オリーブ、ブドウなど)の生産に集中していたようだ。新たな土地の征服がなくなると、奴隷の供給も途絶え、奴隷は次第に小作人の地位に昇格する。それでも彼らは様々の債務を地主に背負い、債務奴隷として使われていたのである 。
西ローマ帝国消滅後もラティフンディウムは残るのだが、発掘してみると砦のようになっていて、ゲルマン人や賊から自衛していたことがわかる。帝国消滅とともに治安は決定的に悪化して流通も途絶え、大農園も次第に消滅していったのだろう。一部は修道院に衣替えしたかもしれないが。
そして、大農園は農村の労働力を抱え込み、兵士として出すことはなくなっただろうから、それはローマの軍隊の弱化にもつながったはずだ。
(皇帝乱立時代)
既に言ったように、ローマ帝国の問題は、最高権力者の「元首」、次には「皇帝」の交代・継承プロセスがかっちり決まってはいなかったということだ。そういう体制では、継承を狙って必ず権力闘争が生じる。
特にひどくなったのが紀元二三五~二八四年の「軍人皇帝時代」で、ここでは地方の一兵卒あがりが軍団にかつがれて皇帝位につくこともあり、初めの三十三年間で十四名の皇帝(元老院に認定されていない「皇帝」を含めるともっと多くなる)が現れている。二三八年には六名の「皇帝」が各地に輩出し、短い間だが国は内戦状態になった。
これで国がよくもったものだと思うのだが、この体制で「食っている」者が大多数である間は、国は簡単には崩れない。内部でクーデターが起きるか、それとも外部からの要因で崩されるか、どちらかだ。で、ローマ帝国の場合、ついにその「外部からの要因」がやってくるのである。
(気候の変動)
気候の変動は、国を支えるものが農業であった時代には、国家を滅ぼすことがよくあった。中国でも、飢饉が反乱を誘発して王朝の代わり目につながることはよくあった。中でも四世紀に生じたグローバルな寒冷化は、北方に居住していた遊牧民族の南下を招き、中国で紀元三〇四年から四三九年まで続いた五胡十六国時代の引き金を引くのである。そして同じ寒冷化は、四世紀末からのゲルマン諸族の西への移動を誘発し、四七六年の西ローマ帝国の消滅につながる。
(気候変動と疫病)
疫病は、文明や国の滅亡を何回も起こしている。古代アテネはペロポネソス戦争の時、市内にたてこもる戦術を取ったのが逆目に出て、疫病が蔓延。指導者のペリクレスまでがそれで死去する有様となって、スパルタ連合に降伏した。ルネッサンス期の西欧ではペストが流行して人口の三分の一もが減少。これが労賃の高騰と、封建領主の困窮化を招いて絶対主義王政の確立を助ける。
そしてペストではないが、ヨーロッパ人がもたらした天然痘で、中南米の原住民は全滅に近い被害を受けるのである。日本でも一六三八年、島原・天草の乱では原城にたてこもる反乱軍の間に疫病が広がって、陥落につながっている。そして二〇二〇年世界ではコロナ新型肺炎が蔓延し、他ならぬ米国が百万人強と最大の死者数を出すのである。
そして西ローマ帝国も、疫病で人口が減少したことが最後の打撃となったのだろう。Ian Morrisは" Why the West Rules-For Now "で、三一〇~三二二年の疫病で都市部では五十~七十%が死滅し、経済、軍隊が弱化したことがゲルマン民族の襲来を許したので、疫病こそが西ローマ帝国消滅の最大の要因なのだと主張している 。これは、中国との交易で伝わった天然痘、ハシカ等に免疫がなかったのだと彼は言う。だとすれば、二〇二〇年のコロナ新型肺炎のヴィールスが中国発だと言われていることと似て、興味深い。
しかしローマ帝国はこのかなり前から、中国と交易をしていたのだ。インターネットで調べただけだが、二五一~二六六年には「キプロス病 The Plague of Cyprian」が流行している。これも天然痘の症状を示している。
そして二世紀末にも天然痘で人口が減少し、兵士のなり手が減少したため、カラカラ帝は二一二年、勅令を発してローマ帝国に住むすべての者に同等の市民権を与えることとしたのだ。これは、たぶん属州で正規兵より低い待遇の「補助兵」として勤務する属州出身兵士の給与を上げることで、軍務に引き留めようとしたのだろうか。しかしこれは、「補助兵として二十五年勤務すればローマ市民権を授与する」というニンジンがもう効かなくなることを意味する。このカラカラ帝の「アントニヌス勅令」は、こうしてローマ軍弱体化をかえって進めたものとなった。
つまり疫病は二世紀末からはローマにしばしば登場してボディー・ブローのようにローマを弱化させ、四世紀には寒冷化で流行の度合いはひどかったのだろう。
ローマ帝国では、三世紀に広範な干ばつがあったようだ。これは年輪を研究した成果 だが、地理的にどのくらいの範囲で、経済にどんな影響を及ぼしたのかはわからない。もしかすると、当時激化していたインフレの原因のひとつかもしれない。
(ポピュリズムとインフレ)
ローマ帝国の末期には、インフレが顕著になる。一つには領土の拡張が止まって、金銀が増えなくなり、含有度の低い貨幣が増発されたことがある。そしてもう一つは、軍人皇帝の時代、配下の将兵の給与をみやみに上げることが横行し、それに応えるために額面は同じでも、金銀含有度の低い貨幣がむやみに発行されたことが原因となった。通貨の発行量は七倍にもなっている。
(「ゲルマン民族」の乱入)
このようにローマ帝国が乱れに乱れ、弱りに弱ったところに、「ゲルマン民族の大移動」が起きる。こういう大移動は、島国の日本人には信じられないことなのだが、中国でも古来、「漢民族」の中身が変わってしまうくらいの大移動が数回起きている。なんで住み慣れたところを捨てて、見知らぬ土地に行けるのかと思うのだが、二〇一〇年代シリアの内乱で六百万人以上もの人々が難民となって他国に逃げた――国内でそれ以上の人が避難している――ことを見れば、命の危険というものが持つ力はわかる。
「ゲルマン人」という人種はいなくて、「いわゆるゲルマン諸族」と言う方が正しいのだが、いずれにしてもゲルマン人は東方からやってきた遊牧騎馬民族に命を脅かされたか、気候寒冷化で寒さから逃げたかったのかして、ローマへの移住を目指したのだろう。この時のゲルマン人は黒海北辺あたりから来たことになっているが、彼らは元々ローマ帝国の北辺にはべったりといたので、こうした連中がローマ帝国の弱化につけこんだということもあるのではないか?
ゲルマン族は、以前からローマ帝国の辺境には入り込んでいた。たとえば三六一年、皇帝になる前のユリアヌスは、ガリア総督の時代に地元のゲルマン系を重職に取り立てている 。しかし東方からやってきた「フン」族に圧迫されて、ローマ帝国への大規模越境を始めたのは三七六年のこと。この時は、ローマ帝国の許可を得てのことだったが、ローマ帝国に入ってからは荒っぽい待遇に反発してローマ軍と戦うに至っている。四〇〇年の頃には、ガリアに数十万の規模で侵入。こういうのが何カ所もで同時多発すれば、軍隊ではどうしようもない。
ところで、ゲルマン諸族をローマ帝国に追い込んだ「フン」は(アジアで漢朝を圧迫していた匈奴の一派だという説がある)、その後アッティラに率いられて自ら帝国に攻め込み、いくつもの都市を蹂躙している。この時、面白いことにローマ軍はゲルマン系のゴート族と連合軍を組んで敗北している。そしてこの頃、ゲルマンやフンから逃れて、沖合の潟に周辺の住民が住み着いたのが、後のヴェネツィアになる。アッティラは、ゲルマン族の叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に主役の一人として登場し(エッツェラという名)、ゲルマン諸族同士の凄惨な争いに加担している。このあたり、歴史は「ゲルマン民族の大移動」などという平面的な言葉ではくくれない、非常に立体的、そしてダイナミックなものになっている。
(滅亡は瞬間)
何度も言うように、「国」というものは利権の集積物なので、なかなか壊れない。二〇二〇年の米国はトランプ大統領の下で社会の分裂がひどくなっているが、米国をもうやめようという者はいない。一九九一年ソ連が崩壊したときもそうだった。エリツィンがゴルバチョフを追い出すために、地方をけしかけ(モスクワに税金を送るなと言ったのである)、ウクライナ等の指導者とともに「ソ連を解散する」という超法規的な宣言をしなければ、ソ連は今でも生き残っていることだろう。
西ローマ帝国では何が起きたのか? 直接的には、軍隊の弱化が一番大きな要因だろう。まず既に言ったように、有力者の大農園が労働力を囲ってしまったことが、兵員不足を招いた。そして二世紀末の天然痘の流行で人口が減少したことが、それに追い打ちをかける。カラカラ帝が、属州の住民にも兵役につくことなしにローマ市民権を与えることにしたことで、兵員不足に拍車がかかる。
そして最後に、ブライアン・ウォード=パーキンズがその著書「ローマ帝国の崩壊」で言うように、「無政府化と税収の激減による軍隊の消滅が十年ほどのうちに起き、悪循環となって事態は急激に悪化した」のだろう。英国の歴史学者ブライアン・ウォード=パーキンズによれば、蛮族に荒らされて税負担能力を失ったイタリア半島中央部と南部で、五分の四もの減税が行われている。これが軍事力の「蒸発」をもたらした可能性がある 。軍隊が無力化するには二、三年で十分だろう。定員を充足していない軍は、非力だからである。これは、現代の米国でも起こり得る深刻な危険性である。
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