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世界はこう変わる

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2024年6月10日

中国・インドは経済で西側をしのぐのか そして近代の黄昏

最近、中国やインドが欧米日を経済で抜き去るという議論が多いので、反論しておきたい。
19世紀初めまで、中国・インドが世界経済の大宗を占めていたのは確か。しかしそれは、農業が主体の時代。工業化で、経済規模は人口に比例しないようになった。そして、欧米日が蓄積した資本はもうかる所に投資されて、日々増えていく。
更に、中国・インドは欧米日が開発した機械、技術を使って成長しているのだが、それを自力で続けることができるかどうか。
ということで、次の一文を草した。もともとは講談社の「現代ビジネス」に投稿したものの一部。

中国・インドは経済で西側をしのぐのか

日本がインドに抜かれるのは、人口で15分の1だから仕方ない。それより問題なのは、自由経済、民主主義の「近代」モデルを奉じて世界の「進歩」を演出してきた先進諸国全体が中国、インド、ブラジルなど新手の経済大国達に抜かれてしまうかもしれない、ということ。
先進諸国は中国を真似て企業活動への介入を強め、補助金を乱発しているが、これは民間の自立心を弱めてしまう。中国の統制経済に過度にアラームされて、自由経済の活力を自ら傷つけるのは賢いやり方ではない。

中味がうつろな中国経済

中国の経済は、その大仰な数字の壁を叩くと、中が空ろになっている音がする。元々2000年代、外資優遇で外資が大量に流入。日米欧・台湾が建てた工場がたたき出す貿易黒字を合わせると、当時のGDPの10%程に相当した。2007年の対中外国直接投資は約800億ドル貿易黒字は1800億ドルほど。日本の現在で言えば、50兆円相当の資金が外国から1年でやってきた感覚になる。

中国企業はこの収入を人民元に替えて銀行に預け、銀行はそれを資本に土地開発、インフラ建設に融資する。中国の土地は国有、公有で安いから、投資が生み出す付加価値は絶大。これで中国のGDPは膨れに膨れた。
今ではインフラ投資の多くは採算が取れずに不良債権の山となり、不動産業も倒産寸前の企業が続出。輸出の35%分近くは外資系企業が抑えたまま 。中国はEVの輸出で台頭しているが、これは政府助成金に支えられた安値販売の成果。外国ではディーラー網や給電網が整備されていないから、あだ花で終わるだろう。ソ連も冷戦時代末期、国産乗用車「ジグリ」の輸出を政府のお声がかりで増やそうとして、海外に滞貨の山を築いていた。

トランプが高関税を課したのを皮切りに、欧州諸国も中国製品への障壁を築き始めた。外需が頭打ちの一方、内需も振るわない。もともと中国は大市場と言われながら、2023年になってもその国内消費の規模は米国の40%。その市場を中国の企業が取り合うから、過当競争もいいところで、はじき出されてしまう西側企業が増えている。

2023年、中国の成長率は公称5%強に落ちている。中国は外資の流入で高度成長を実現したが、それを自力で続けていける体制はなかったのだ。日本もその点は同じなのだが、中国は年金などのための資本を蓄積する前に、日本をはるかに上回る人口の老齢化に直面することとなった。華為技術有限公司(フアーウェイ)やハイアールのような民営企業は、自律的な成長力を持っているが、彼らだけでは中国経済を支え切れない。多くの企業は国営、或いは政府の発注、補助金に依存しているのだ。

文化革命時代、農村に送られ社会主義経済を叩き込まれた習近平達、「文革世代」が指導的地位から去り、とう小平の改革・開放時代に育った連中が指揮を取るようになっても、外資が大挙してやってくることはもうないし、国内企業が振る舞いを改めることもないだろう。

まだ始まってもいないインドの台頭

 今のインド経済ブームは、囃子はいやに賑やかでも、屋台骨は覚束ない山車に似ている。確かに中産階級は育ってきたし、大都市の大通りを牛が我が物顔に徘徊することもほとんどなくなった。乗用車など消費も格段に増えている。しかし、「インド・ブーム」はこれまで何度も起きては、つぶれているのだ。
18世紀英国の経済成長は、オランダなどからの投資(英国の国債を大量に購入)に支えられていたし、戦後の日本の高度成長も朝鮮戦争での特需が引き金を引いている。1990年代後半からの中国経済の高度成長も、既に述べたとおり「外資」がエンジンになっている。

インドでは、これに類する外資の大量流入はまだ始まっていない。世銀の統計(https://data.worldbank.org/indicator/BX.KLT.DINV.WD.GD.ZS?locations=IN)を見てもわかる通り、外国からの直接投資はGDPの3.5%周辺をうろついていて、2000年代の中国のような右肩上がりの増加はない。貿易収支は赤字で、2000年代中国が、外資流入と貿易黒字を合わせてGDPの10%程に達していたのには全く及ばない。

 そしてインドは、既得権益の網の目に絡み取られていて、外国投資や輸入を阻害しがちである。土地の収用が難しいため、タタ財閥でさえ2014年、西ベンガルでの工場建設を断念している。鉄道やハイウェーの建設でも、この土地収用の難しさは障害になっている。議会上院で与党が多数を抑えていないため、法律改正ができないのだ。

 国内の弱体な製造業の要求で、関税率が高止まりしていることは、外国の製造業がインドに投資して部品を輸入する場合の障害となる。政府はmake in Indiaとか言って、外国企業に投資をするよう求めるが、許認可権限を持つ役人達が動かない、あるいは賄賂を要求することが多い。そして関連法は突然、恣意的に変えられる。初等教育が不備なため、識字率どころか、始業時刻も守れない若年労働者が多い。インド人は世界中の大企業で幹部として活躍しているが、インド国内では企業内のお家騒動があったり、不正会計や株価操作に手を染める者がいる。日本や欧米の企業でもそのようなことはあるが、全体の雰囲気はそのようなことを許さない。

「近代」の黄昏

 こういうわけで、中国、インドの成長には限界がある。「グローバル・サウス」の国々は、外資が大量に流入して初めて高度成長を開始するので、国連などで先進諸国の動きをいろいろ邪魔することはできても、世界への変化を主導する力はない。

 しかし、国内の諸要因が成長を妨げている点では、米国もEUも日本も同じだ。西欧諸国では学校でギリシャ・ローマ古典を読まないようになっていることもあり、青年に文化的な背骨が感じられない。西欧白人に顕著だった健全な自立意識、個人主義は、万国共通のPCゲーム文化、日本のアニメ、コスプレ礼賛ですり減っている。

米国はもっとひどくて、自由と民主主義は成功した階層の独占物になっている。企業では経営者は法外な報酬を貪り、労働組合幹部も自分の地位を正当化するため、法外な賃上げ・年金額の要求で経営者をひるませ、海外へ脱出させてしまう。政治資金は青空化されて(つまり実質的に無制限で、かつ匿名)、金持ちが政治を壟断。議員を使って連邦政府を縮小し、税負担を軽減しようとする。そして民主党のネオコン勢力は、途上国の政治に力で介入することを躊躇わない。もう少し、「足るを知る」ことを知らないと、米国は崩れていくだろう。

19世紀、西欧諸国は急速な工業化=産業革命で、「中産階級」に属する者の数を大きく増やした。中産階級は投票権を求め、政党はこれに応じて、成人が全員投票権を持つことを前提とした民主主義体制が成立した。

しかし今、製造業が海外に流出したことで、先進諸国は「産業革命の逆回し」のような状況に陥っている。つまり製造業は縮小し、製造業が生んだ比較的高賃金の労働者・社員の数は減少しているのだが、一人一票の民主主義体制は残っている。生活水準の低下した中産階級は恒常的に不満を抱え、その不満を解消すると空約束をするポピュリズム政治家・政党を支持。米国のトランプ、ドイツのAfD、フランスの国民連合など、ポピュリズムを超えて、強権主義的な極右勢力の台頭を招いている。「経済・生活水準の上昇に支えられた民主主義」という、「近代」は虫食いになって黄昏れているのだ。

「ロボット・AI新世」の到来

この渾沌とした状況の中、今は「ロボット・AI新世」とも言うべき時代が有無を言わせず到来しつつある。ロボット・AIを設計し、使い、使われるごく少数の超エリートと、「そうでない人達」の大軍に、社会は分裂してしまうかもしれない。「中産階級」どころの話ではない。
先進国はロボット・AIの扱いに戸惑っている。他方、ロシアや途上諸国はまだ19世紀の頭でモノを考え、行動している。どの国はどの国より大きいとか、GDPは大きいとか、軍隊が強いとか、そういう子供っぽい見栄が彼らにとっての価値だ。

この中で日本にいる我々はどうしたらいいだろう。右往左往することなく、基本をしっかり押さえよう。「自由」とか「民主主義」とか、米欧がすっかり泥を塗ってしまった言葉は少し横に置いて、「人間らしい生活」を維持することを基本にしよう。「人間らしい」という言葉には、自分、他人の権利の尊重、高い生活水準など、失われつつある「近代」の成果物がつまっている。そして、我欲の追及で限度を知らない人間達には、中庸の美徳、「足るを知る」ことの大切さを説いていこう。

中国、インドが話題の中心になる中で、日本は世界ですっかり埋没してしまった。この「人間らしい生活」、「足るを知る」を日本のロゴにして、頑張っていきたい。

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