紛争凍結 の見本、朝鮮半島
(これは9月末発行したメルマガ「文明の万華鏡」第137号の一部です。ウクライナ戦争を停戦にする際の参考に)
ウクライナ戦争は、ウクライナ、ロシア双方とも停戦に応じる気配がない。世界史上、停戦の実例を調べてみることが役に立つ。朝鮮戦争の場合、1950年6月の開戦以来しばし北朝鮮軍が怒涛の勢いで攻めたが、国連軍は同年9月の仁川上陸で形勢を一変。38度線を越えたところで、それまで派兵を渋っていた中国が、スターリンからの圧力に負けて同年11月、義勇軍を派遣。国連軍を押し返す。その後押したり押し返したりの膠着状態が続き、1951年6月にはソ連が停戦提案を行っている。
しかし開戦当初はスターリンの派兵要請に散々抵抗した毛沢東は、朝鮮半島での戦果で自分の権力を強化できることに気が付いたのだろう。今度は停戦に散々抵抗した後、1953年3月のスターリンの死を契機にやっと停戦に応ずる。
同年7月板門店で、北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、以後終戦を認める平和条約は結ばれることもなく、70年に及ぶ暫定停戦が続いている。
なお韓国の李承晩大統領は、「北進統一」に固執して、休戦協定に署名していない。と言うか、停戦協定は軍の最高司令官たちの合意になっていて、中国では毛沢東も署名していない。北朝鮮の金日成は北朝鮮軍総司令官の格で署名している。
ウクライナ戦争で停戦合意が成立しても、それにはゼレンスキー大統領は署名しないだろう。それでも、停戦は成立する。
で、もし東ウクライナの一部をロシアが抑えたまま停戦が成立すると、どういうことになるのか? それは当面はロシアの居座りの成功、そしてウクライナはそれ以上のロシアの進軍を撃退したという成果、それぞれを誇ることができるだろう。歴史上の勝負は、そのあとやってくる。
朝鮮戦争停戦時、北朝鮮は日本統治時代の工業設備を引き継ぎ、「後れた農村地帯」だった韓国のはるか先を行っていた。70年後、その構図は全く逆転して、韓国はロシアにほぼ並ぶGDP、ロシアをはるかにしのぐ工業力を持つに至っている。同じことがウクライナでも起きるだろうか?
ロシアが占拠する東ウクライナの一部は、ソ連時代には工業・鉱業の一大中心。軍需工業の中心地でもあり、この地域はソ連の大型ICBM、大型輸送機の組み立て、空母建造、航空機・ヘリコプター・軍艦のエンジン製造等をほぼ独占していたのである。ウクライナ西半分は、農業中心の産業的には後れた地域。しかし文明的には西欧に近く、西側、日本の企業は直接投資を増強させていたところである。以前の韓国と同じような、外資・外国の援助主導の経済発展が十分あり得る。
ロシアが占拠を続ける東ウクライナの一部は、これから経済の一層の崩壊を免れないだろう。西側は、ウクライナ西部への投資を控えるかもしれないが、いずれにしても、東ウクライナは停滞するだろう。
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