（これは9月27日発行のメルマガ「文明の万華鏡」第137号に掲載したもの）

もうそろそろ皆、忘れている頃だろうが、9月中旬、北朝鮮の金正恩・最高指導者がロシアを訪問した。この超音速で空を飛ぶ時代に、低速の鉄道で相手国を訪問する大仰さ。2018年シンガポールでトランプと会談した時には、中国提供のボーイングで行ったのに。筆者は1984年モスクワにいたが、その年の5月に金日成・国家主席が北朝鮮から遠路、列車でやってきた時の騒ぎを覚えている。1週間以上もマスコミをにぎわした。日本の記者もシベリア鉄道沿いに張り込んで、途中のもようをルポする。だから、対外宣伝上は最高のやり方。しかしこのアナクロぶりは、北朝鮮指導部のマインドが現代から隔絶していることを示す。

筆者が知っていたロシア人は、だいたいが北朝鮮を上から目線で見ていた。「北朝鮮は後れた独裁国だ」と言うのだ。いわゆる目××が鼻××を嗤う、という口。それなのに、ロシアは北朝鮮を時々、外交のダシに使う。プーチンは大統領になって早々、2000年7月沖縄でのG7首脳会議に参加する直前、わざわざ北朝鮮を訪問し、極東で友好国を持っていることを誇示した。と言うか、「自分に言ってくれれば、北朝鮮にいろいろツナイでやるよ」と言いたかったのだろう。ウクライナ戦争で孤立している現在も、核大国一歩手前の北朝鮮との友好関係を、世界に誇示したつもりなのだろう。

こちらは何も「誇示」されたつもりはない。核兵器で脅して世界を渡るしかないロシアが、同じ北朝鮮と一緒になった、まるで「大北朝鮮」が出現したようなものだ、と言うと、ロシア人は怒るだろうが。

両国指導者は、対米恐怖で結ばれている。彼らの対米恐怖は、病的と言ってもいい。米国の策動で権力を失うことにびくびくしている。それだけ権力基盤が脆いし、権力を失えば、自分の生命、そして指導層の生活さえ保証されないという、切迫した危機感を彼らは持っているのだ。民主主義政体ならば、権力を失っても、生命までは奪われないのが普通なのだが。

だからロシアは、米国をねらって北朝鮮のミサイル・核開発への協力を秘かに続けてきたと思われる。またウクライナ戦争でロシアを非難する国連総会での決議には、北朝鮮は一貫して反対票（中国は棄権だ）を投じてきている。

でもなぜ今、金正恩はロシアに殊更接近したのだろう。この数年、北朝鮮は国連等から制裁を受ける中でも、中国との経済関係で多くの恩恵を得てきた。なぜロシアに近づかなければならないのか。

それは、日米との関係を急速に強化する韓国の尹錫悦政権に対抗して、核大国ロシアとの準同盟関係を誇示したいという目論見があるからだろう。そしてそれに加えて、「中国が北朝鮮にくれない何か」をロシアに期待しているからではないか。それは多分、核弾頭製造技術・ミサイル製造技術。ロシアが弱っている今なら話もしやすい。

北朝鮮は8月、米国にも届き得るロケットーー偵察衛星とか言っているが実際は長距離ミサイルICBMだろう――の打ち上げ実験を失敗している。同種のロケットでの失敗はこれで2回目。だから、北朝鮮はロシアに、長距離ミサイルICBMの技術、そしてそのために必要な半導体の融通――ロシアは西側からの密輸ルートを持っている――、このあたりを望んでいるのではないか？　

ロシアが北朝鮮に砲弾の供与を求めたという観測もある。ロシアは今、年間200万発の砲弾を生産していると言われるが、戦時にはこれでは足りない。ロシアは1日、1万発以上を消費している。一方、北朝鮮は長年、準戦時体制にある中で、砲弾の余剰備蓄を抱えていることだろう。

そしてロシアは2018年、その前年の国連の北朝鮮制裁に従って、北朝鮮からの出稼ぎ者を追放したことになっている。しかしロシアは、近年の労働力不足の中で、北朝鮮からの出稼ぎ者を極東を中心に大きく受け入れたいところだろう。

一方、一部で言われている「北朝鮮兵士のウクライナ戦争参戦」は多分ない。言語の障壁（つまりロシア語での命令を朝鮮語に翻訳しないといけないのだが、それでは戦争にならない）、補給の困難などがある。

両国は軍事面での協力を強化すると言っているが、極東のロシア軍はもともと弱体。だから両国は時々、日本海で共同演習をして在日米軍、自衛隊、韓国海軍を牽制する程度のことしかできまい。陸上で共同示威行動をすると、それは中国を刺激してしまう。

金正恩はまだ少年の頃、日本生まれの母親と何度か来日してディズニー・ランドにはまったという報道がいくつかある。それに彼は、日本との関係樹立、そして日本からの投資に多くの期待を持っているだろう。

文芸春秋最新号に石井妙子氏がまとめている金正恩、金与正兄妹の生い立ちは、ずいぶんメロドラマチックなものだ。この2人の母親は金正日の正妻ではなかったので、兄妹は日陰に育ち、小さいころにスイスの学校に送られたのが、面倒を見ていた叔母とその子供たちが、スイスから米国に亡命。兄妹はスイス留学を途中でやめて帰国した。というのだ。いろいろトラウマが残っているだろう。

兄妹に、日本についてのトラウマ、あるいは恨みはないようだ。筆者の気のせいかもしれないが、金・兄妹は日本の指導者について、韓国、米国に対してのような罵詈雑言を避けている。日本は、北朝鮮が過度の対米恐怖を卒業して21世紀の世界に踏み出せるよう、何かできないものか。