時代を決めるのは 資本
(これは3月27日に発行したメルマガ「文明の万華鏡」第83号の一部です)
世界多極化とかいろいろ言われる今日この頃だが、このすぐ次の記事で言うとおり、実際にはトランプの言う「強いアメリカ」、「世界で尊敬(畏怖)されるアメリカ」が戻ってきていると思う。欧州諸国は口ではトランプに逆らいつつも、実際には安全保障、経済面での対米依存は以前のまま。欧州独自の貿易決済メカニズムとか、EU軍を作るとか言っているが、殆ど何も進んでいない。中国も、対米貿易協議が整わないと、全人代もまともに開けない、という状況だ。
しかしその強い米国も、「経済」には敵わない。米国は1990年代、成長を生む手段をモノづくりから金融に替えて、随分水ぶくれした偽りの成長を演出してきたが、それは2001年のITバブルの破裂、2008年の住宅ローン・バブル破裂のように、定期的なバブルの崩壊と金融不況をもたらす。今回も財政赤字、企業借入額とも空前の額に達して(昨年11月2日付日経によれば、米企業の負債総額は9兆4000億ドル。GDPの46%。リーマン・ショック前と同水準。)、3月22日には株価急落が起きるなど、バブル崩壊の兆しが見える。米国、そして世界の運命を決する最大の要因はやはり、「資本」の動きなのではあるまいか?
「資本の動き」、つまり「持ち分をできるだけ大きくしたい」という、一握りの人間のリビドーは、人類が発生した当初からある。その意味では「資本主義」は、人類の本能に刷り込まれている。当初は差配する土地、人間、金銀財宝を奪ってこないと富を大きく増やすことはできなかったが――「重商主義」という訳語だが、mercantilismの元のmercantileは「やらずぶったくり」という意味で、まともな商業のことではない――、産業革命以後は何か大量にモノを作ってそれを売りつけることで、富はそれまでの数百倍の規模に膨れ上がった。
産業革命以後、我々は資本主義か社会主義かで争ってきたが、社会主義も資本主義の一種の変種。資本の増殖をある時点で止めて、成果を皆で食ってしまおうというのが社会主義なので。民営であろうが、国営であろうが、ロボットがあれば何でも生産できる、人よりも機械設備が重要なのだ、という未来の社会では、資本主義であろうが社会主義であろうが、人間の生活にさして違いは起きないのかもしれない。
しかし、皮肉なことだが、ジェレミー・リフキンの言う、「限界費用ゼロ」のような社会では、一体誰が技術革新投資をするのだろうと思う。AI社会では資本の増殖は止まり、何度も言うように「歴史は止まる」のだろうか? 進歩、革新の方向を一握りの政治家、官僚、学者が決めて、ロボットに指示を出すようにしたらいいのかもしれないが、その時一般の人間は動物のような存在に堕してしまう。そんな社会に住みたいとは思わない。
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