北朝鮮と中国は血で結ばれた同盟なのか ロシアは北朝鮮と米国を仲介できた柄なのか
(これは、10月25日発行したメルマガ「文明の万華鏡」第66号所載の記事の一部です。
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北朝鮮核ミサイルについては、ロシアと中国の対応の間に乖離が目立つようになっていた。中国は北朝鮮への石油輸出を大幅に減らし、石炭の輸入を止めるとともに、原子力工学等分野での北朝鮮留学生の受け入れを停止した。これに対してロシアは、今年に入って石油製品の輸出をむしろ増やすとともに、原子力工学・ミサイル技術等分野における北朝鮮留学生・技術者の受け入れを続けていたのである。こうして北朝鮮の核開発・ミサイル開発を直接助けながら頬かむり、北朝鮮に過度の圧力をかけるなとか、主権を尊重しろとか、米国等との仲介の労を取る用意があるとか、いいかっこうをしてきたのである。こういうマッチポンプ的な言動、北朝鮮との関係を独り占めするような抜け駆けに対して、中国でもさすがに苛立ちを示す向きが現れていた。
自分はこういうことを率直に書いて、ロシアの雑誌「オガニョーク」(16日発行)に投稿し、中ロの対北朝鮮・対米姿勢に齟齬が生じてきたのを指摘したのだが、その16日プーチン大統領は北朝鮮制裁強化を発表、核・ミサイル開発計画を助けるおそれのある科学技術協力を停止した。もっともその前日15日、北朝鮮の羅津港を例の万景峰号(ロシアの実業家の出資で、ウラジオストックとの定期航路用に改造されている)が出港しウラジオストックに向かった。同号は5月には就航していたが、期待していた中国人船客が全然集まらず、そのためウラジオストック港の使用料も払えずに数カ月運休していたものだ。今回は旅客なしの貨物船として運行するが、制裁強化の中でいったい何を運ぶのだろう。このちぐはぐさは、ロシア当局が意図的にやっているというよりは、例の「右手の仕業を左手が知らない」という、部内連絡の目詰まりによるものだろう。
「科学技術協力の停止」も、実効性はどこまであるのか? 北朝鮮にはソ連崩壊以後、ロシア人の専門家がまだ何人か避難したままだろうし、彼らは最新の知識を昔の同僚から得ているだろうからだ。
この中で、モスクワでは20日、北朝鮮当局者も参加しての核不拡散に関する国際会議が開かれたが、米・北朝鮮間では中身のある接触はなかったようだし、ロシア政府も仲介の労は取らなかったようだ。北朝鮮はおそらくロシアに擦り寄っているだろうし、それに応じてロシアは10日、議会代表団を送っているが、本格的な仲介をする気はない。米ロ関係の先行きが読めない以上、ロシアも北朝鮮問題をどう使っていいかわからないのだろう。
北朝鮮をめぐっては、世界に大きな誤解がある。それは、「北朝鮮を説得できるのは中国だけだ。北朝鮮は中国に経済的に依存しているし、何といっても朝鮮戦争で北朝鮮を米軍から救ったのは中国だからだ」というものである。このうち、朝鮮戦争とその後の北朝鮮・中国関係の実態は次のようなものだ。
1950年6月、ソ連に養成されていた金日成は、スターリンの要請を受けて韓国に攻め入った。これはおそらく、日本の占領行政が米国に牛耳られ、米軍が日本に居座っていることに対抗した動きであったろう。押し込まれた韓国を助けるために、1950年9月米国は仁川に増派兵力を上陸させ、北朝鮮軍を北に押し込んだ。そこで出てきたのが中国の「義勇軍」で、これは米軍との直接対決を避けたいスターリンから要請されたからだけでなく、韓国・米軍が38度線を越え、更に北進の勢いを示していたからでもある。
そして歴史上、朝鮮北部を何度も征服した経験のある中国は、北朝鮮を助けると言うよりも、北朝鮮軍も中国義勇軍の指揮下に置こうとした(沈志華「中国の対朝政策は鄧時代にすでに調整済み」2017年5月28日「多維新聞」)。毛沢東の息子は朝鮮戦争で戦死しているが、中国義勇軍の司令官だった彭徳懐は、勝手な動きで中国軍を危地に陥れた金日成をビンタで張り倒したこともあると言われる。
そして戦争が終わった後も、北朝鮮はソ連寄りの外交を続ける。ソ連が満州国から奪った旅順、大連、満州鉄道等を中国に返還して軍を撤退させたのはやっと1955年のことで、それまで北朝鮮の向こうは中国ではなく旧満州、ソ連であったこともある。中国は朝鮮戦争後も、2年間大使を北朝鮮に送らなかった。
その後のことはまだ調べていないが、1956年フルシチョフがスターリン批判を始めたことは、中ソ間だけでなく、北朝鮮とソ連の関係にも齟齬をもたらしていたはずである。しかし1961年、韓国で朴正煕が反共・親米の軍事クーデターを起こしたことに金日成は警戒、中国、ソ連とほぼ同時に友好協力相互援助条約を結ぶ。
しかしちょうどその頃から中ソ論争は表面化し、1969年には極東、新疆の国境問題をめぐって軍事衝突を起こすまでになる。北朝鮮は中ソの間で引っ張り合いの的となったことだろう。その後鄧小平が米国との関係を促進し始めると、中国と北朝鮮との関係は悪化したが、1990年経済的に困窮したソ連が韓国と外交関係を結んだことで、北朝鮮の怒りと軽蔑はソ連に向かう。しかしそれもつかの間、1992年中国が韓国とも国交を設定して西側資本主義に決定的に接近したことで、北朝鮮は四面楚歌に追い込まれる。
それもあり、1990年代飢饉に見舞われた北朝鮮は、経済復活をめざして中国、ロシア双方、特に経済発展著しい中国にすり寄る。「中国・北朝鮮間には(朝鮮戦争での流)血で結ばれた同盟関係がある」というlegendが喧伝され、中国共産党、軍の中には、北朝鮮との関係から利を得る者も現れた。特に北朝鮮との貿易で潤う、遼寧省の党組織・軍はそうであったろうし、その元締めとして党中央の張徳江・政治局常務委員、そして更にその背後の江沢民の名が引き合いに出されることもある。
こうして北朝鮮との関係は中国政府の外務部より共産党中央対外連絡部(共産党間の外務省のようなもの)の扱うものとされて、特別視されてきたのだが、習近平は政権についた当初から金正恩を嫌う姿勢を如実に示した。これに対して金も、今年5月北京での「一帯一路世界会議」、そして9月アモイでのBRICS首脳会議の開幕日にミサイルを発射したり、核実験をすることで、習近平主席の面子を完全につぶし、激怒させた。
中国はこれまで、北朝鮮に言うことを聞かせられるのは自分だけだという顔をして、米国などに恩を売って来たが(米国も中国に丸投げすることで自分は何もしない言い訳にしてきたが)、恩を売るどころか、北朝鮮が何も言うことを聞かないことで、米国が経済面での対中制裁を繰り出す口実にさえされかねない。それならば、経済問題は米国と話し合いで解決、他方言うことを聞かない北朝鮮は米国による武力制裁に委ねよう、但し中国の発言権は維持しておこう、と考えて不思議でない。中国の共産党大会では、北朝鮮へのこれからの出方をうかがわせるような発言は聞かれなかったが。
今、中国や米国の識者の一部は、米韓が北朝鮮に武力行使をした場合、中国も武力介入をするかどうか、米中は北朝鮮の核兵器捕獲の行動をどうすり合わせるべきか、等についておおっぴらな議論を始めている。
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