プーチン大統領側近更迭 その意味
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急流で馬を乗り換えたプーチン大統領
――大統領府長官の突然の更迭
12日の夜、ロシア語を磨かなきゃと思って、ロシアのテレビ・ニュースをクリックした途端、ビッグ・ニュースが飛び込んできました。なんと、日本の菅官房長官に相当するようなセルゲイ・イヴァノフ大統領府長官の交代式が行われている場面に出くわしたのです。式と言っても、プーチンとイヴァノフとその後任のアントン・ヴァイノがコの字型に坐って話しているところがテレビに映されているだけの話しでしたが。プーチンが旧友イヴァノフの長年の労を労わる発言をする間、イヴァノフはうれしそうに聞いていましたが、自分からも挨拶をして、最後にプーチンを見た目は、何か不満げな鋭いものを含んでいました。
ロシアは9月18日に下院総選挙を控えています。日本の官房長官なみの権限(政府部内調整)に、さらに政局の引き回しも加えたような、ロシア大統領府長官というスーパー・ポストをそのような時に代えるというのは、よほど差し迫った状況があったのか、それともプーチンの側に自信があるのか、どちらかでしょう。本件交代劇については報道がゴマンと出ていますが、真相を報じたものはなく、いずれもあれこれ推測しているにすぎません。
Radio Free Europeなどはこの中で、この人事は政局の緊張を示すというよりむしろ逆で、政局が落ち着いていることを示すものではないかと評していますが、私はこれに賛成です。いくつか状況証拠があります。一つは、イヴァノフはプーチンよりも年長であること。エリツィン以来、大統領府長官は大統領より年少、時には若年と言ってもいい人物がなっています。アレクサンドル・ヴォローシンなどは、1999年3月に突如長官に任命されて、「何をどうしていいか知らなかった。大統領には『12月には議会選挙があるからよろしくな』と言われたのだが、一体選挙について何をやればいいのか、途方に暮れたものだ」と面白半分述懐したことがあります。
イヴァノフは、2011年12月という、プーチンにとって最も危機的な状況の時に任命されています。この時プーチン(首相)は翌年3月の大統領選に出馬して大統領に返り咲く意向を表明していましたが、リベラル勢力はそれに反発、12月の議会選挙での与党「統一」の勝利は投票・開票操作によるものだと糾弾して、10万人もの抗議集会を組織、プーチン退陣を求めるまでになっていました。それまで内政を担当していたスルコフ大統領府第一副長官は責任を取らされて更迭、代わって野心家であることで知られたヴォロージンが大統領府第一副長官になりました。能力、年齢などを考えると、当時の大統領府を差配できたのはイヴァノフしかいなかったでしょう。今回の更迭においてイヴァノフは、「自分は2011年に長官職を引き受けた際、4年くらいにしてくれとプーチンに頼んだ。それから既に4年半経過してしまった」と発言しています。
更にロシアの報道が指摘しているのが、2014年イヴァノフの長男アレクサンドル(享年37歳)が「事故死」したことが、イヴァノフの身心を蝕んだのではないかということです。アレクサンドルは同年11月、アラブ首長国連邦で休暇中、娘と泳いでいて、彼だけ高波にのまれて死亡したことになっていますが、ペルシャ湾でその季節にそんな高波は立つのでしょうか? 更に今年2月モスクワにいた筆者に対してあるロシア人は問わず語りに、イヴァノフが奇妙に肥満している、近く辞めるのではないかということを述べた経緯があります。
イヴァノフは2000年、プーチンの文字通りの右腕として国家安全保障会議の書記に任命された頃は、颯爽、溌剌、切れ者そのものという顔をしていましたが、もはや63歳、今回テレビを見ても以前より顔がむくんで健康状態に問題があることをうかがわせました。
それでも、イヴァノフは全くの引退ではありません。環境保護活動・環境問題・運輸問題についての大統領特別代表という、彼のために作られた職につきます。そしてそれより重要なことは、ソ連時代の政治局に匹敵すると見られる「国家安全保障会議」の常任メンバー(プーチンも含めて12名)の地位を保持したことです。軍事にも外交にも詳しいプーチンの戦友格のアドバイザーとしての地位は、維持しているのです。
後任のアントン・ヴァイノは、2012年5月大統領府副長官に突如任命された時にも、日本のマスコミの注目を浴びました。彼は外交官の卵として大学で日本語を専攻し、1990年代後半、東京のロシア大使館でパノフ大使の秘書官をしていたからです。彼は、エストニア人。エストニアと言えば、反ロシアで知られているところなのですが、彼の祖父はソ連共産党幹部で、ロシア側に立つ人でした。そして彼の父はロシア随一の自動車企業AVTOVAZの国際関係担当副社長を務めていましたから、ここの株51%を買収したルノー・日産にも多くの知己を持っていることでしょう。
日本のマスコミでは、「プーチンが北方領土問題を解決したがっているので、日本通のヴァイノを引っ張って来た」と評している向きもいますが、それは希望的観測というものです。大統領府長官は内政を取り仕切るポストであり、日本の官房長官と同じく、特定の外交問題を念頭にすげ替えるようなことはあり得ません。
ヴァイノはこれまで4年にわたって、プーチン大統領の日程を管理してきた人物です。いつ、どこで誰と会い、何を視察し、どこでどういうスピーチをするのか――日程管理は政治そのものであり、細心の注意を要します。プーチンはその中で、自分の人脈、自分の気分、自分の政策をよく心得、日程をめぐって大きな問題も起こさなかったヴァイノを高く評価するに至ったのでしょう。
ヴァイノを知る人は、彼を堅実、忠実、物静かという類の言葉で評します。これこそは、首脳の秘書的役割を果たす人物に求められている資質で、ヴァイノはそれを持っていたから選任されたのでしょう。問題は、これまで国内政治を担当し、9月18日の議会選挙を無風のものにする上で大きな功績を上げているヴォロージン第一副長官をイヴァノフの後任に引き上げなかったことが禍根を残さないかどうかです。ヴォロージンは野心家で、これまでも上司の失脚を乗り越えて自分は昇進を重ねてきた人物です。しかも彼は52才で、ヴァイノよりもかなり年長。ヴァイノとしてはやりにくい場面も出てくることでしょう。
日本関係の人脈を持つヴァイノについては、「私ならヴァイノを通じてプーチンに北方領土問題の解決策を吹き込むことができる」と称するフィクサーが、自薦他薦で出てくることでしょう。しかし大統領府の幹部は、その行動を常にロシアの官憲に見張られています。国益に反する行動、例えば対立している国の人間と会うとか、外国に領土を渡す話しを仲介していないかどうかを監視されているのです。「自分ならヴァイノにいつでも会える」という類の話しには眉に唾をつけて聞くべきですし、運よく会えたとしても、慎重な性格のヴァイノは相手の話しをそのままプーチンに伝えるようなことは金輪際しないでしょう。「ヴァイノ、ヴァイノとワイワイするな」ということです。
もう一つ、ヴァイノの表舞台への登場は、ロシア上層部での世代交代がこれから本格化することを意味するかもしれません。25年前のソ連崩壊、その後のロシアの大混乱。その中で、ロシアの政治・経済を動かしている連中は殆ど代わっていません。25年前30歳前後の新進気鋭でリベラリズムの夢を追っていたエリートが、60歳前後になった今、ロシアを押し込んでくる米国に対して切れて、軒並みナショナリストになっているというのが現代ロシアの構図で、これは筆者のような古顔にとっても本当に便利な構図でありました。昔の友人が今でも力を持っていて、いろいろ教えてくれるからです。それも、9月の議会選挙、2018年の大統領選挙あたりを契機に、馴染みのない新顔に切り替わり、こちらも本当の引退に追い込まれる――こういうことになるのでしょうか?
プーチンの周囲を固め、ロシアの権力を支えてきた、旧KGBの老幹部は相次いでクビになっています。国有鉄道総裁だったヤクーニンは2015年引退に追い込まれ、ヴィクトル・イワノフ国家麻薬取締庁長官も、2016年4月には行政改革のあおりを受けてあっさりと降格されています。そしてその総仕上げが今回のイヴァノフ長官の更迭と言うわけです。
かつてエリツィン大統領は、同年配の側近は僅か数人、主要スタッフは30歳程年下の若年層で固めていましたが、プーチンもそのような感じになるのでしょうか。彼ももう63才。エリツィンがプーチンに「家督を譲った」のは67才の時。2018年3月の大統領選を念頭に、プーチンも後継者を選ぶ過程に入ったのでしょうか。ロシア人男性の平均寿命は2014年で約65歳、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコという歴代のソ連共産党書記長はそれぞれ現役のまま73歳、69歳、73歳で亡くなっています。
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