世界のメルトダウン
13年前、「意味が解体する世界へ」という本を草思社から出版した。
米国のイラク攻撃が、「自由」とか「民主主義」というスローガンへの幻滅をかきたてると同時に、米欧諸国の足元でも移民により多民族国家化が進行して、近代の「自由民主主義」が危殆に瀕している様を随筆風に書いたものだ。僕が自分の書いた中でいちばん好きな本。
そして今、13年前に書いたことは世界のメルトダウン現象を起こしている。そのことを書いた共著本の出版を策していたのが頓挫したので、ここに自分の書いたものを発表していくことにする。
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目次
その一・世界の溶融
国家は崩壊する
「国家」とは何なのか
国家の意匠
崩壊してわかる「国家」の意味
「近代」の溶融・中世戦国時代への逆戻り
国境のメルト・ダウン――欧州への難民問題
その二・近代の諸概念の意味の喪失
「理念」の後退
ネオコン流民主主義の独善
民主主義のポピュリズム(煽動+迎合)への堕落
「主権」の相対化
「国際法」のメルト・ダウン
「常識」の溶融・文明の溶融
その三・国際紛争の新たなactor達
矮小国家の続出
国民国家以外の登場人物:NGO
国民国家以外の登場人物:義勇兵、傭兵、私兵、軍の「民営化」
テロ、そしてIS
主権国家の暴力装置・特殊部隊の海外派遣
野放しになった軍事行動
その四・理念の時代から情念の時代へ-貪欲・驕り・無教養
理念より利権
新しい理念「グローバリゼーション」をめぐる迷妄
吹き出す怨念-謝罪外交
「謝罪」と法
キリスト教徒とイスラム教徒―積もる歴史的怨念
倨傲・驕り
法律の域外適用――それは国際的独裁か、それとも世界国家への道なのか
格差の拡大はファシズムへ
「世界国家 (Global State)」の胎動
まとめ
(本文)
その一・世界の溶融
日本に暮して日本のニュースを見ていると、いろいろ事件は起こるものの、生活の大枠、ものごとの序列は変わらない。基本的に天下泰平なのだ。
ところがCNNなどにチャンネルを切りかえると、そこには違う世界が現れる。旅客機がビルに突っ込み、中国が海を埋め立てて島を作り、テロ集団がにわかに拡張して国家を名乗り、米国の地方都市では黒人が蜂起する。日本の外の世界がじわじわとメルト・ダウンし始めているのである。
この章の筆者が生まれて初めて外国に出たのは一九七一年、二十三歳の時だった。それまでずっと日本の空気を吸い、日本の空気しか知らず、世界も同じなのだろうと漠然と思っていたが、初めての国際線に乗って広い太平洋を飛び越え米国に着陸してみると、「空気が違う」。世界が違う。とにかく周りは外人だらけ。と思ったが、何のことはない。今度は自分がガイジンになった・・・いや、米国に住んでいる人間にガイジンはいない、肌の色、目の色、髪の色は違っていても米国人なのだ、という発見に、頭の中が引っ繰り返る。
それ以来、三十五年弱の外交官歴で、筆者は非常について(・・・)いた。ソ連、ロシアを専門にしたおかげで、戦後史の大転換の現場に何度か居合わせ、国家とか経済が運命の鉈でぶった斬られて、赤い断面をさらす――つまり国家とか経済というものの本質をさらす――のを、何度も見ることができたからだ。一九九一年ソ連崩壊を見た時は、国家は人造物、取り扱いを間違えれば崩壊するということを思い知ったし、一九八九年ソ連の東欧支配が崩壊し、EU、NATOが旧ソ連圏に拡大する過程では、世界の基本的な枠組みが変わる時の容赦ない歴史の力――経済の悪化が民衆を動かし、その圧力が政治家を動かして新しい政治・経済状況の成立を促す、とでも言おうか――を、心に深く刷り込んだ。
万物は流転する。世界の秩序、国の序列、国の秩序、社会の中での序列も、はかないものだ。ものごとは、自由や民主主義を実現することを目指して「進歩」するものだ、という通念も、実は幻想かもしれない。そしてそのことは、日本なら日本、米国なら米国、一カ所だけにとどまっていると見えてこない。その点、方々に住んで様々の視点から世界を見ることのできた筆者は非常に恵まれていたのである。
世界の変化は、必ず日本、そして我々の暮らしに影響する。世界の変化を諸行無常と言って諦めるのではなく、自分達でその変化に参加し、日本、そして自分の立ち位置を確保していかねばならない。そのために、この章では千々に乱れてきたかに見える最近の世界の状況を提示、その意味、そして底流を論じてみたい。まず、「国家」というものについて。
国家は崩壊する
一九九一年十月、著者がモスクワの日本大使館で勤務していた時、世界第二の超大国ソ連の政府はもう機能していなかった。政府が機能しないとは、役人がいなくなり、予算がなくなるということ。当時、たとえば国費留学生交流の話しを動かそうと思って、高等教育省に行ってみても、担当局長がたった一日前に辞めたとかで、何も話は進まなくなってしまったのである。政府が動かなければ国家は崩壊するので、ソ連の場合その二カ月後の十二月には国家として消滅、国土は十五の国家に分裂してしまったのである。
日本の財務省の連中は、「税は国家なり」といつも言っている。その意味は、この時のソ連のように税収を失った政府を見て、しみじみとわかる。一九九一年十月と言えば、その八月に起きた保守クーデターが失敗し、エリツィンーその後ほどなくソ連が崩壊した後のロシアの大統領になる―がのし上がってきた頃。全体主義のソ連で、反逆児の彼がどうやってのし上がれたかの説明は省くけれど、とにかく彼はできもしないことを大声で約束しては国民の人気をとっていたのだ。
エリツィンはそのやり方でソ連の一部、つまりロシア共和国の大統領に選出されたのだが、その上にソ連の大統領ゴルバチョフがいるのが面白くない。そこで彼とその側近達は、ゴルバチョフ失脚を企てた。それがまたロシア的にスケールの大きな陰謀で、「ソ連という国家をなくしてしまえばゴルバチョフも消える」という戦略を彼は立てたのである。エリツィンはソ連邦を構成する十五の共和国に呼びかけた。「あんたたちは『主権』を欲しいだけとりなさい」と。これが具体的に意味したことは、「あんたたち、これから地元の税収をモスクワに送るのは止めなさい。自分で使っていいよ。外国との貿易も自分でやっていいよ」ということ。
モスクワでゴルバチョフの権力が真空化したのを見て取った各共和国の首脳たちは、自分と自分の周囲で営々として築いてきた地元の利権構造を守るため、次々と独立を宣言、一九九一年の十二月にはロシア共和国のエリツィン、ウクライナ共和国のクラフチュク、ベラルーシ共和国のシュシケーヴィチが一堂に集まって、「ソ連邦はここに解散した」と一方的に宣言、それが既成事実となってしまったのである。ソ連邦の憲法には、連邦解消の手続きは定められていなかったのだが、ロシアでは政治が法に優先する。つまり、法律や憲法に何が書いてあっても書いてなくても、力を持つ政治家や官僚が自分達の都合を通してしまうのである。
こうなると、ゴルバチョフが居座りを続けようとしても、税収はないのだし、役人ももういない。軍や公安警察を使ってエリツィンを抑えようとしても、そもそもこの軍と公安警察が八月の反ゴルバチョフ・クーデターをしかけたのだ。そこでゴルバチョフは仕方なく、十二月二十五日には辞任を表明、その日、凍てつくモスクワの夜空、ライトに照らされたクレムリンの屋根からは、約六十五年間見慣れたソ連の国旗がしずしずと降り、次に赤、白、青のロシアの三色旗(この三色はフランス、オランダの国旗と同じなところが面白い。それぞれ意匠が違うが)がまたしずしずと上がってきて、何事もなかったかのように夜風にはためき始める。これだけのことだった。一つの国家が崩壊し、別の国家が生起するということは(と、その時は思えた)。
国家というものは「フィクション」、つまり生身の人間たちが作り上げたものなので、人間たちが壊したり、作り替えたりするのは全く自由。ある国家を守るために「戦え、命を投げ出せ」と言われたら、その国家から自分は本当に利益を得ているのか、その国家は自分の命をかけても守るに値するものなのか、しげしげと考えてみないといけないな、と思ったものだ。 (続く)
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