東アジアの地政学 戦国時代への逆行か、ポストモダンの千年至福か
(これは、7月19日Newsweek日本語版に掲載された記事の原稿です)
東アジアが騒然としている。5日中国海軍は、南シナ海のパラセル諸島周辺で大規模な演習を始めた。12日ハーグの仲裁裁判所がこれらの島の領有権につき判断を示すのを前に、示威行動に出たのであろう。中国軍は東シナ海でも、6月中旬の日米印共同演習に対抗してか、日米を挑発するかの動きを強めているし、北朝鮮は核兵器、ミサイル開発の手を緩めない。ロシアはロシアでその中国に接近して米国に対抗し、千島列島の中央、松輪島には調査団を送ってオホーツク海防衛強化の構えも見せている。台湾では民進党政権が国民党政権時代の中国本土寄りの政策を修正して、中国政府との関係を冷却化させ、香港では本土に政治的・経済的に呑みこまれてしまうことへの抵抗が強まっている。東アジアは地政学の季節を迎えたのだ。
「地政学」と言うと仰々しいが、英語でGeopolitics、つまり読んで字の如く、地球規模の政治学のことと思えばいい。政治学と言えば、あれこれの紛争や競り合いの主要当事者(アクター)にはどんな国やどんな組織がいて、それぞれはどのような内部事情を抱え、何を目的にしてどのように他のアクター達と組む、あるいは競り合っていくつもりなのかを調べる――まあ、学問と言うより分析の「技」なのだ。
東アジアは古来、パワー・ゲームの大舞台。合従連衡という言葉自体、紀元前3-4世紀、中国の戦国時代に発する。その後、三国志時代は言うに及ばず、8世紀、唐・新羅連合に大和朝廷と渤海国(高句麗の後身。今の北朝鮮とロシア沿海地方)が連携して対抗したことなども、合従連衡の実例である。
アヘン戦争以後は、米欧露、そして遅れて日本が東アジアでの利権をめぐってパワー・ゲームを繰り広げたが、中国が力を回復した今、東アジア諸国自身が再びパワー・ゲームの主体となっている。と言っても、アヘン戦争以前の秩序、つまり中国を核とした服属関係(冊封・朝貢関係)が復活したわけではなく、米国をハブとする同盟関係が支える安定と、米国が戦後作り上げ支えてきたグローバルな貿易ルールという枠組みの中で、パワー・ゲームは展開されている。
中世とポスト・モダンの間のタイム・トラベル
幕末の日本人は、外国人を知りもせず、攘夷・尊王に分かれて死闘を繰り広げたが、今でも世界を日本と言う島国、いわば井戸の底から眺めて空疎な論争にふけりがちだ。井戸の外、そして上空から周囲を眺め渡さないと、井戸が置かれた状況はわからない。
日本史も通常、日本国内の視点からのみ語られる。日本で起きた歴史的事件のいくつかは、日本周囲の国際情勢と密接に連動していたにもかかわらず、その結びつきに目が行っていないから、歴史の意味がわからなくなる。日本での大化改新も、大陸で実に400年に及ぶ分裂混乱期が終わり、隋・唐という大国が出現したという危機感の中で行われた、中央権力強化の企てだろう。鎌倉末期から戦国時代に至る不安定期は、元寇での出征で窮乏化した御家人達を救うための徳政令が土地所有関係を流動化させたことも背景としている。
そして鎖国時代も、日本は中国との朝貢関係こそ結ばなかったものの、中国をハブとする国際交易ネットワークの中に常にいた。戦国時代、諸大名が地元の経済開発にいそしんだ結果、大量に産出されるようになった金銀は、マニラを通じて明朝へと大量に輸出され、鎖国時代も長崎の「唐人屋敷」に屯した中国人は出島のオランダ商館よりはるかに大量の交易に従事していたのである 。
このように東アジアは、中国という太陽の周りを諸国が惑星のように回る構造の下に近世まで推移していたことを忘れてはならない。そして繰り返すが、この構造は西欧の植民地主義によって破られて、以後東アジアでは「列強」のパワー・ゲームが展開される。1840年のアヘン戦争の後、1844年には米国も望厦条約を結んで中国での利権獲得競争に参加する。1848年にはカリフォルニアをメキシコとの戦争で取得、ほぼ同時に始まった金鉱ブームで西海岸を急速に開発した米国にとって、東アジアは西部に続く機会を意味した。ペリーの黒船艦隊は1853年に日本にやってくるが、それは日本自体を目的としたものと言うよりも、捕鯨とアジア進出のための中継・補給地としての日本開港を狙ったものだった。日本は米国のアジア進出の足掛かり――このベクトルは今日でも生きている。
その後、中国という一大利権をめぐる欧米露日間の争いは熾烈を極める。1905年ロシアを抑えて満州の利権に食い込んだ日本は、1932年満州国樹立によって同地の利権を独占、その後中国本体にも侵入して米欧の利権を脅かす。国民党政権は宋子文・前財政部長などを米国に派遣、米国政府と世論を中国の側に決定的に傾けさせたばかりでなく、1937年には軍事援助まで勝ち取るのである。1941年11月米政府が日本につきつけた「最後通牒」ハルノート作成にあたっては、蒋介石は米政府に対して日本に譲歩しないよう、強い要請を伝えている 。日本は、戦争に負けた相手は米国だけだと思っているが、実は米国をけしかけた中国の手腕に負けた要素も強い。冷戦時代、日本は米国の最重要の同盟国であると考えるのに慣れてしまったが、東アジアにおける最大の磁力線は一貫して米中の間に通っており、日本はその中で副次的な役割を果たす、敗戦というハンディを背負った国であるという基本的な事実を忘れてはならない。
戦後の東アジアは米ソ冷戦の舞台となり、朝鮮半島とベトナムで代理戦争が行われた。中国は日米と外交関係を持たず、国内の権力闘争に明け暮れただけでなく、同じ共産主義のソ連と敵対関係に陥って(1969年には軍事衝突)、国際政治の表舞台からは遠ざかる。そしてベトナム戦後、米国は東アジアへの関心を後退させ、この地域では日本を先頭とする「雁行経済発展」ばかりが目立つこととなる。
冷戦が終了し、中国が対外開放に舵を切った1990年代、東アジアは国際的経済分業を通ずる相互繁栄への道を歩み始める――かに見えた。中国の低賃金労働を活用した、「グローバル・サプライ・チェーン」が現出する。つまり、米国のアップルやクアルコムは自分では工場を持たずとも、台湾企業の所有する中国の工場で日本などから輸入した部品を組み立てさせ、iPad、iPhoneなどとして売出し、日本企業を打ち破ったのである。
こうして中国、韓国、ASEAN諸国の工場が、最終製品を米国、EUに輸出、得た外貨は米国債に投資して、米国経済を更に膨らませ、もっと多くを輸入させるという、共生関係が成立した。自由貿易が守られている限り、いずれの国も(北朝鮮を除く)ハッピーで、国境問題などで争うのは野暮という状況が、リーマン・ショック前の東アジアには現出したのである。
ここでの主役は実際には、西側そして日本の資本と技術と経営手腕であり続けたし(今でも中国の輸出の半分は、外資系企業によって行われている )、日本を主要基地とする米軍がにらみを利かせていたので安定が保たれていたのだが――当時、中国の識者は、日米同盟をアジアの安定を維持する要素として前向きに評価していた――、ちょっと見には、東アジアは「ポスト・モダン」の先頭を切っているように見えたのである。
ポスト・モダンとは、グローバルな経済関係の進展によって、「国」を前面に立てた対立が時代遅れで馬鹿らしいものに見えてしまう、夢のような時代のことである。だがその夢は、リーマン・ショックで破られた。中国は4兆元(約60兆円)もの内需拡大措置で空前のブームを演出、そのバブル景気の勢いと急拡大した軍備を背景に、米国にことごとに楯を突き、米軍を東アジアから押し出す構えを見せた。そして習近平時代になると、東シナ海、南シナ海を中心に領土要求を先鋭化させ、周辺諸国を威圧するようになった。ポスト・モダンは一気に、プレ・モダン、つまり中世の乱世時代に後戻りしたのである。
今の東アジアは、いくつものパワーの間のバランスで、かろうじて安定を維持している。それはモービルのようなもので、各パワーはある時は連携、またある時はいがみ合いつつ、バランスを維持している。そしてそのバランス構造は、いくつもの各断層によって安定を脅かされている。
東アジアの活断層地図
その活断層の一つに、身に沁みついた過去の記憶、癖というものがある。中国人、特に今の習近平国家主席は、アヘン戦争までの中国の栄光と勢力範囲(実際には満州民族が樹立した清帝国のものだったのだが)を回復したいという意欲を露骨に見せる。経済発展の中に生きてきた中国の現代青年の多くと違って、文化革命時代に青春を送った習近平の世代は意識が古い。彼らにとっては、主権国家の平等を前提とした(かなり偽善的なものではあるが)現代の国際秩序は理解の外。中国が父親で残りは目下の一族郎党という「国際的家父長制」しか理解できない。その中国一家の中で日本は、ついこの前父親に歯向かったはぐれ者なのである。
尖閣や「歴史問題」を日中間の活断層と見なし、日本が譲ることで早く収拾してしまえと呼びかける人たちがいる。だがこれらの問題は、日中国交回復の時、声明や条約によって既に解決されたものである。中国の反日は、日本をおとしめ、追い込み、譲歩させるための外交手段として使われているので、日本がいくら譲って見ても、また新たな要求をつきつけてくるだけである。これは、活断層と言うより、人造の地下トンネルのようなものだ。
東アジアでは、戦後初めて近代国民国家を持つに至った国々が多数ある。ここでは遅れてやって来たナショナリズムが国民に浸透している。生計をたてることにかまけていた彼らも、生活水準が上昇すると新聞を読みテレビを見るようになり、外国と問題が起るたびに強硬姿勢を政府に求める。パワー・ゲームは以前、国を牛耳る少数のエリート間の意地の張り合いであったのが、今や国民全体がゲームをリードし、対立の歯止めが利きにくくなった。
戦後間もなく、政府間の条約、そして声明の類で解決されたことになっている慰安婦の問題、そして賠償の問題も、韓国や中国の国民にとっては「そんな条約や声明のことは聞いたことがない。交渉をやり直せ」ということになってしまう。竹島や尖閣のような領有権がからむ問題についても、日本政府の言い分は「聞いたことがない」のである。
そして東アジア諸国の国内の状況も、断層を動かす要因だ。例えば、中国では独裁の存続――と言うか共産党員を頂点とする今の利権構造の存続――が、共産党政権にとって至上の課題なのだが、それは豊かになった社会にもうそぐわない。選挙というガス抜き手段を持たない政治体制は、ばらまき、或いは弾圧によってしか維持できないし、暴動によってしか権力の交代は起らない。そして共産党内では、習近平一派と江沢民残党との間で熾烈な権力闘争が続いているようで、習近平は対日ばかりでなくあらゆる外交問題において弱みを見せることができなくなっている。共産党による一党独裁は時代遅れになっているばかりでない。政権を、外国との対立に向けて押しやっていくものとなっているのである。
そしていくつかの国では、この前の英国の国民投票や米国でのトランプ人気にも通ずる、ポピュリズムの横行が国際関係を阻害する。例えば韓国は、1988年の盧泰愚政権までは強い権威主義政治の下にあったが、民政移行後はポピュリズム化が進行。その傾向は現在の朴槿恵大統領において頂点に達している。韓国人は常時反日を叫んでいるわけではないが、誰かが反日を叫ぶと誰もそれを止めようとしない。そうなると世論とマスコミが火に油をかけあって、落としどころも考えずに燃え盛る。政府はそれに従うしかないのである。
韓国は、中国に対しても不安定な対応を見せた。米国や日本に対する当て馬として中国を引き込んだつもりが、米国からの圧力で、中国の嫌うミサイル防衛システムTHAAD配備を進めることとしたのが祟ったか、1月の北朝鮮「水爆」実験では、習近平は北朝鮮への強硬な対応を求める朴大統領からの電話を受けようとせず、後者は完全に面子を失ったのである。周囲の状況を読み違えては揺れ動く韓国に、日本外交の軸足を置くことは到底できまい。
もう一つの活断層、朱子学儒教の権威主義に戦前の日本軍国主義、そしてソ連の全体主義をブレンドした究極の独裁国北朝鮮は、既に20年余も経済崩壊、あるいは韓国による吸収合併の可能性を指摘されてきた。朝鮮半島統一が実現すれば、人口8000万弱、GDP1.85兆ドル、そして核兵器と強力な軍隊を持つ大国が出現する。大国であっても、米中との良好な関係が政治的・経済的に不可欠なので、両国のいずれかに大きく傾いて東アジアのバランスを崩すおそれはないが、日本に対しては高姿勢で対応してくることだろう。日本の国際的地位は、更に一層低下する。
もう一つ、日本にとって危険な要素が東アジアにはある。それは、米国がロシアとの対立を激化させる場合である。ロシアのクリミア占領、シリアでの爆撃以降、米国ではロシアを「主敵」とする論調が盛んになっている。世界には、米国がからむ、紛争の大きな温床が3つある。
一つは欧州(ロシアとの対立)、二つは中近東(イスラエルと産油国サウジ・アラビアの防衛)、三つめは東アジア(太平洋戦争という血の代償で贖った地域における中国との対決)である。ロシアが主敵ということになると―それは米陸軍・空軍にとっては予算獲得のためのかっこうの大義名分となる―、オバマ政権の「アジア・リバランス」政策は棚上げになり、中国への抑えが利かなくなる。また、米国は日本をロシアとの過度の対立に引きずり込もうとして――極東ではロシア軍はさしたる脅威ではない――、安倍政権の対ロ外交を止めにかかるだろう。
こういったところが、東アジアの「地政学」の現状だ。ロシア、そして中国の西方「ユーラシア」のモンゴル、中央アジア、インドといった諸国は、東アジアのパワー・ゲームでは副次的な役割しか果たさない。ロシアは中国と語らって、ユーラシアに統合市場を作ると豪語しているが、それは砂漠の蜃気楼のように実体の乏しいものに止まるだろう。経済取り引きの大宗はユーラシア大陸の内部よりも、米国、日本、中国海岸部、ASEANといった海洋部分で行われているのである。
なお、ASEAN諸国は東アジアのバランス・ゲームで重要な存在になっている。この国々は後れた軍政や腐敗の問題を引きずるところもあり、そういう国々では米国との関係も、外国からの直接投資も進みにくい。またカンボジア、ラオスを中心に中国の影響力が大きく浸透してもいる。それでもなお、人口総計で6億人を越え、GDP総計では2.4兆ドル(ロシアの2倍)を有し 、外交面では声を一つにして発言することが多いASEANは、大国の出過ぎた行動を戒める力を持った安定化勢力として、重要な存在なのである。
日本の立ち位置
米国で、内向きの傾向が強まっている。そして、これは日米同盟に軸足を置いてきた戦後日本にとっての転換点、あるいは危機だとして、浮足立つ人がいる。しかし米国は常に内向き傾向を持つと同時に、外部にもかかわってきた国である。特に日本に有する米国の足場は、太平洋戦争の結果、血で贖ったもので、軽々に手放すわけにはいかない。そして日本は、東アジアの諸国(特にASEAN)を取りまとめていくには、何かと便利な存在なのである。
米国は日本が好きだから日本を守ってくれるわけではない。日本、つまり日本語で好い暮らしができる空間を守るのは日本人自身だ。米国には核の傘など、日本だけでは不足する抑止力を提供してもらうこと以上を期待すべきでない。しかし、米国が中国のことも大事にしているから日米同盟は止める、というのは短慮だろう。中国から得られる経済的利益に目がくらんで、米国が日本を犠牲にすることがないように、常日頃関係に油を差し、釘をうっておく。乱世の現在に、日米同盟を放り投げてしまうような軽挙妄動は禁物である。
日本は、欧米文明とも、中国文明とも、一味違った価値観に生きている。それは、農村共同体での人付き合いに仏教や儒教の教えや武士道がブレンドされたもので、「ちゃんとしていること」という言葉で集約できる。それは、個人主義と権威主義の中庸をいく生き方である。日本では、中世以来、農地を特定の農家が代々耕作してきたが、農民はそうすることで、権利意識を培ったはずである。これは、小作人の多かった中国、その他のアジア諸国と一線を画する、日本歴史からの贈り物だろう。地政学、シニカルなパワー・ゲームに惑わされず、「ちゃんとしていること」という旗印を掲げ、実行していくことが日本のパワーとなる。
それを踏まえて、東アジアが乱世からまたポスト・モダンに戻るよう、あるいは更にその先のAIやロボットが主役を果たす新次元の文明に進めるよう、旗を振り、汗もかいていくのが、日本の役割ではないだろうか。米国のように民主主義を力で他国に押し付け、そのあげく大混乱の中に放棄するのでなく、経済発展を助けることで民主主義をじわじわと浸透させていく――そういうことの手助けをする中庸穏健な民主主義国で、日本はあり続けたい。
">
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/3221
コメント
手の平が常に湿っていて友人と手もつなげないし、スマホのモニターが反応しなかったり、紙が破れたりすることもある。そんな手の汗のことですごく悩んでいるあなたに、手汗を効果的に止める対策をご案内します。