世界的デフレは新たな文明の到来を意味するのか
(これは、メールマガジン「文明の万華鏡」に掲載したものの一部です。全文はhttp://www.japan-world-trends.com/ja/subscribe.php
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やっと回復してきた米国も含めて、世界の主な工業国はどこもデフレ気味。まるで米国やドイツが台頭して20余年ものデフレになった19世紀末に似ている。19世紀後半は金本位制が主要国に広がった時代だが、金本位制の欠点は金の量が限られているから通貨供給量も限られることで、モノが急激に増える高度成長時代には向かない代物なのだ。モノが大量に作られれば、金による価格表示はどんどん下がる、つまりデフレになって、企業が投資意欲を失うということだったのだが、今は管理通貨の時代。各国の金融当局は通貨をじゃぶじゃぶに印刷している。それが結局は銀行に滞留してしまい、投資に回らない。賃金が十分上がっていないので、消費が不振だからだ。それに中国から安価な製品が流入してくるからモノの値段は上がらない。デフレは続く。こういう構図になっている。
それだけなら、これまでの経済政策の範囲で対策を講じていくのだが、今新しい文明、つまりロボットや人工知能が普及して、生産性が非常に高くなる時代にさしかかっている。基本的にはロボットや人工知能に生産活動をさせ、人間は「創作」活動をするか、怠けているかどっちかにすることが可能な時代になるということである。そのことはJeremy Rifkinの"The Zero Marginal Cost Society"とか、シェア経済とか、公文俊平教授の「プラットフォーム論」などによって、既にかなり論じられている。
これは青銅器でエジプトなどの古代文明、鉄製農具の普及で中世農業革命、そして18世紀の産業革命にも等しい、文明の転換をもたらすだろう。そして面白いことに、これはGDPの数字を下げていく可能性がある。例えば無人自動車やタクシー・アプリの普及は、自家用車の数を減らしていく。既に米国では青年人口の運転免許取得率がかなり大幅に低下していることが指摘されている。1月22日発表されたミシガン大学の調査だと、自動車免許保有率が20〜24歳で約77%と、83年の92%から低下している。18歳では80%から60%に低下している。
20世紀初頭、電化製品や自動車の普及でそれまでの何百倍にも膨れ上がったGDPの数字はこうして表面的には下がっていくだろう。下がっても、生活は豊か、かつ便利になる。GDPの測り方を変えないといけない。それにGDPなどを一々計算してどうこう言うこと自体、意味がなくなってくるかもしれない。生産の費用がゼロに近づくと、「人間は欲しいだけ消費する」という共産主義の理想社会になり、経済が成長するもしないも関係なくなるからだ。人間はあくせく稼ぐ必要はない。もしかすると、通貨も不要になるかもしれない。
しかし、本当にそんな時代は来るのだろうか? そんな時代が来たら、人間は向上心や企業家精神を失わないか? いやそれどころか勤勉さ、責任感、正直といった多くのモラルが不要になってしまう。そんなことで、人間は人間としていられるだろうか? 社会は成り立つだろうか? 人間は「創造に専念」できると言っても、そんなものに関心を持たない人間は多い。大学、いや高校にさえ行かなくてよくなるだろう。
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