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世界はこう変わる

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2015年5月 3日

ユーラシアを理解するために 4  中央アジアにおける米国

米国
  中央アジア地域において米国がロシアに次ぐ影響力を持っているかどうかは議論の余地があるところだし、後述のように米国は中ロと勢力争いをここでしているわけでもないのだが、中央アジア諸国首脳のマインドにおいて米国が占める比重はやはり大きいものがあるだろう。米国のActorとしての基本的性質は次のようなものである。

グローバル志向
米国は20世紀初頭は新参の大国で、現在の中国のような存在であった。当時の世界は英仏を中心とする植民地帝国によって分割されていて、米企業は海外で欧州企業の後塵を拝していた。第2次大戦で植民地帝国が崩壊したことで、米国はIMF(金・ドル体制)、GATT(グローバルな自由貿易体制)を両輪として、世界全体を自分の市場とした。そのイデオロギーは自由とオープン性と民主主義であり、米国社会の活力を保証し、他国にも米国市場での活動を許すもので、他国にとっても都合の良いものであった。

権力の分散・戦略の不統一
   ロシア、中国、アラブ諸国のような権威主義・専制主義の社会に住む人間は、「米国は一握りのエリートが牛耳る社会で、大統領が独裁的権限をふるっている。米国の海外での振る舞いはすべて大統領の指図によるものだ」と考えがちである。ところが実際の米国は多民族化していることもあって、外交政策が揺れやすい。例えば韓国系・中国系の住人が反日運動を行うと、日米関係の波乱要因となる。アゼルバイジャンとアルメニアは飛び地ナゴルノ・カラバフの支配権をめぐって敵対関係にあるが、米国ではアルメニア系米国人が有力で、ワシントンでロビー活動を展開しているため、米国とアゼルバイジャンの関係は滞りがちである。

   そして米国では大統領、議会、国務省の官僚、マスコミ、NPO等主要な政治勢力の間で考えることは全く異なる。議会は、大統領の政策に予算をつけないことで、その政策を葬ることができる。同じ国務省の中でも、地域を担当する地域局と人権難民局の立場が調整されていないことがしばしば起きる

例えば、中央アジアを担当する次官補が来訪するのと前後して人権難民局が中央アジア諸国の人権状況を強く批判する報告書を発表したりすることがよく起きるのだが、中央アジア諸国の政府は「米国政府はアメとムチを使い分けしている。二枚舌だ。そのようなやり方で我々を屈服させようとしても・・・」と言って反発する。

そして米国のNGO・NPOは近年、必ずしも政府の意に沿うものではない政策(拙速な民主化等)を海外で推進しては、現地政府との摩擦を引き起こしている。中央アジアを例にとって、米国政府とNPOの関係について述べると、国務省は中央アジアに切実な関心を持たず、この地域におけるロシアや中国の影響力を是認している 。そして中央アジア各国の政権が非民主的であっても、それを倒すつもりはない。ところが、米国のNPO、特に民主党の傘下にある国際民主研究所、共和党の傘下にある国際共和研究所は、現地米国大使館の意向は無視して自由、民主主義、市場経済の価値観(「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる)を広めようとして、現地当局と衝突することが稀ではなかった。

現地の当局は、民主党の傘下にある団体なら当然、大統領、あるいは国務省の意を受けて「レジーム・チェンジ」を仕掛けているのだと思い込み、これらNPOを抑え込もうとする。そうなれば米国政府もこれらNPOを支援せざるを得ず、そうなると現地当局は「ああ、やはり米国政府はこれらNPOを使っていたのだ」と思い込んで、米国政府との関係を一層悪化させてしまう。NPOの活動は、このような悪循環を時々引き起こす。このような不毛なプロセスからは、ロシアや中国が漁夫の利(現地政府と米国の関係悪化)をせしめるだけである。

 いずれの国でも「外交は内政の延長である」と言われるが、超大国の米国もその例外ではない。一貫した外交戦略を実行できる力を持つ米国でさえも、内政の都合に振り回されてしまうのである。そして超大国であるが故に、ワシントンの中の政争の結果は外国にそのまま押し付けられてしまいがちである 。ユーラシア大陸における米国の行動を分析する場合、そこに戦略的な遠謀深慮を見ようとするより、ワシントン内部での政治地図を分析した方が、正しく判断できる場合があるのである。

自己の目的のために米国の力を使いたがる国々
 米国の政治家(特に下院議員)は、常時選挙運動をしている感がある。米国の選挙は金がかかるため、政党も政治家もスポンサーへの依存度が高い。ここに、イスラエル、サウジ・アラビア、中国、韓国といった金満国家が、米国で大きな政治力を発揮できる鍵がある。太平洋戦争開戦前の中国国民党による対米宣伝活動には大きなものがあり、前財務部長の宋子文はワシントンに定住してロビー活動(ルーズベルト大統領に対する贈り物攻勢も含め)を展開、それはビルマで援蒋ルートを建設したスティルウェル将軍の派遣、援助物資の発想につながっている。

 現代においては、イスラエル及びイスラエルを支持するユダヤ人達が米国で展開するロビー活動が、絶大な力を発揮している。またサウジ・アラビアは石油利権を通じて米政界に深く入り込んでおり、現在のサウジ・アラビアの諜報長官バンダル王子は2005年まで実に22年の長きにわたって在米大使を務め、ホワイト・ハウスには出入自由であった 。
   
海外への介入を嫌う米国民
 米国においては、国内重視主義と対外拡張主義という、相矛盾する思潮が併存する。後者は米国経済が急成長した19世紀後半顕著となり、当時の米国政府は対スペイン戦争でフィリピンを獲得したり、民間植民者の強引な進出を後追いする形でハワイの併合に踏み切ったりしている。戦後においても、1961年のキューバ・ピッグス湾への侵攻、1983年の中米グレナダへの侵攻、1989年パナマへの侵攻とノリエガ大統領検挙等の実力措置は取っているし、朝鮮戦争、ベトナム戦争においては共産主義の浸透に対抗する戦争、1991年のイラクのクェート侵入においては冷戦後の世界秩序を守るための湾岸戦争に積極的に踏み切っている。

しかし第1次世界大戦、第2次世界大戦とも、米国は自国民が多数犠牲になるまでは参戦の決定ができなかったのである。ベトナム戦争は米国社会と経済に大きな傷を残し、ニクソン大統領による世界の米軍配置の大幅削減につながったし、湾岸戦争後、国内経済の建て直しが最大課題となった1990年代前半、クリントン政権は国連のPKOにさえも米軍を出したがらなかった。そして現在は、イラク戦争が多くの問題をもたらして終わって間もない情勢にある。米国民は孤立主義というほどではないが、自分達自身の利益に大きく関わることでなければ、海外への武力介入を是認しないだろう。但し、現在の米軍はベトナム戦争当時のような徴兵制によるものではなく、志願制なので(多くの米国青年は、軍務につくことで、その後の大学優先入学権等を得ようとする)、徴兵制の時代よりは軍隊を海外に派遣しやすいのは事実であろうが。

中央アジアでは政治力に欠ける米企業
 中央アジア諸国にも米企業は進出している。石油大国カザフスタンへの米メジャーの進出が最も顕著な例である。カザフスタンの原油生産は世界全体の5%程度を占めるに過ぎないが、近年世界で稼働した大規模油田がカザフスタンに集中していたため、その重要性は数字を上回るものがあった。
 
 カザフスタンの原油採掘は技術的に難しかったため、ロシア企業ではなくシェブロン、シェル・モービル、エクソン等が開発に従事、一時は「カザフスタン石油のウィンブルドン現象」と呼ばれた程、西側メジャーがカザフスタン石油を牛耳った。しかし最近ではカザフスタン側の出資率が引き上げられている。また中国がカザフスタン・石油ガス公社(「カズムナイガス」)の株の11%を所有し、カザフスタンの原油輸出の10%強が中国向けになっている現在 、西側メジャーの発言権は低下している。2013年7月にはConocoPhilips社が、新規稼働の大油田カシャガンの株8.4%を売却、これを中国のCNPCが購入している 。このような現象は、カザフスタン政府が「全方位(マルチ・ベクトル)外交」を標榜し、米国よりロシア、中国との関係の方をより切実なものと捉えているからに他なるまい。中央アジアでは、経済関係は大統領の政治意思のままにmanipulateされる

 ウズベキスタンでは米国のNewmont社がナヴォイ金山の利権を所有していたが、この金山はカリモフ大統領の直轄下にあると言っても差し支えないほど重要なものである。Newmont社は1992年参入以来9000万ドル以上を投資したが、2006年に税優遇を廃止され、補償もなしに撤退を余儀なくされた。ウズベキスタン独立以来、同国の国庫を潤してきたであろうが、この撤退に際して米国政府はNewmont社を擁護することができなかった。

 米国製造業も、ウズベキスタンにはかなりの地歩を有している。東部フェルガナ地方のアンディジャンでは韓国の大宇自動車が近代的な組み立て工場を有していたが、韓国経済危機で大宇自動車が1997年破綻すると、この工場には一時ゼネラル・モーターズが協力することとなった。また農機大手のCase社も、首都タシケントの既存工場の一角で生産を行っていた。また2011年にはクリントン国務長官が来訪した際、タシケントにゼネラル・モーターズのエンジン製造工場が稼働した。
 
 しかし内陸にあって海へのアクセスが不便なウズベキスタンでは、自動車等重厚長大な工業製品の大量生産は採算を取りにくいものである。更に同国の工業は実質的に国営で、外資といえども生産量、輸出量などについての「目標」を当局から下ろされているようだし、利益を海外に送金しようにも外貨の割り当てを受けられず苦労する例も頻繁である。
これらの点について米国商工会議所や大使館が苦情を申し立てても、ウズベキスタン政府は真剣に対処しない。それどころか、2005年5月フェルガナのアンディジャンでテロ事件が発生した際は、ウズベク政府の過剰な対処によって無辜の市民が数百名虐殺された可能性があるとして、米国が独自の調査団の派遣を申し入れたことにカリモフ大統領が怒り、6月にはハナバード空軍基地からの米軍全面撤退の要求がつきつけられ、7月には米軍は完全撤退に至った。

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