世界史の意味1 ユダヤ人という人種について
「ユダヤ人」とはどういう存在なのか?
人生で残された時間も少なくなってきたので、これまで仕事のかたわら勉強してきたことども、つまり日本人の特質や、世界史・日本史上の様々の要因について、あまり書かれていないことどもなど、思いつくまま書き残していくことにしたい。
そこでまず、今に至るもまだわからない、「ユダヤ人」の素性、そしてそう呼ばれる人たちの現代世界における力のほど(特に金融界での)を探ってみたい。「反ユダヤ」の立場からではない。実態と実力のほどを知りたいだけで、対抗するより協力した方が良い相手であることは重々知っている。
で、ユダヤ人についての通史は類書がいっぱいあるので、僕が特に関心を持っている点についてだけ書き連ねていくことにする。
(まず、近世「ユダヤ人」の発祥の地について)
古代の「ユダヤ人」は、エジプトから現在のイスラエル周辺に集団移住してきた、旧約聖書そしてユダヤ教を奉ずる特定の種族であったと思われている。つまり「ユダヤ人」という人種、民族がいたということだ。しかし、近世以降の「ユダヤ人」という定義は人種Ethnosよりも、ユダヤ教を信じている者とか、そして母親もそうであった者(つまり母系)という、より抽象的なものになっている。欧米の「ユダヤ人」というと、例の鉤鼻の特有の面相が思い浮かぶが、ロシアで「ユダヤ人」と呼ばれる者の中には、顔のわりと平たいアジア的面相を示す者も多く、「ユダヤ人」がもはや人種的なものではないことを示している。
(知られざるハザール帝国)
「アジア的」面相と言うと、思い浮かぶのは中世カスピ海沿岸で栄えたハザール帝国である。ここはビザンチンのキリスト教、中東のイスラム教に挟まれた地域で、そのためかハザールの支配階級はユダヤ教を採用したと言われる。そして中東、地中海周辺地域からユダヤ人がハザールに移住、その後ハザールがキエフ・ロシアなどからの攻撃で滅亡すると彼らは東欧、中欧に逃亡した。彼らは、それまでドイツを中心に欧州北半に分布した「アシュケナージ」系ユダヤ人に溶け込み、セファルディーム(イベリア半島、地中海周辺を中心に分布したユダヤ人)が90%を占めたとされる在欧州ユダヤ人の構成(「スペインのユダヤ人」関哲行P9)を、12世紀頃にはアシュケナージ優位に傾けたものと思われる。東欧・中欧のユダヤ人の遺伝子を調査した米国の学者がいるが、それによると、ハザール方面から移住してきた者の子孫が過半ということのようなのだ(2013年2月7日付Gazeta.ru)。
つまり、セファルディムもアシュケナージもハザール・ユダヤ人も、同じ「ユダヤ人種」をベースにして遺伝子的つながりは深いのだが、それぞれが周辺諸種族と混血して面相も違ってきたということではないか。
(スペインのユダヤ人)
イスラエル王国はアッシリアに滅ばされ、その後も地元に残っていたユダヤ人達はローマ帝国に殲滅された。ユダヤ人たちは今の出稼ぎのように、地中海周辺地域に広く分散した。その中で、1492年の「レコンキスタ」完成まで、実に約800年間にわたりイスラムが統治を続けたイベリア半島に、ユダヤ人が集結する。それはカトリック教会がユダヤ人を圧迫したのと異なり、イスラムは信仰の自由と広範な自治権を認めたからである(「スペインのユダヤ人」関哲行P17)。カトリック教会が農耕社会からの徴税で成り立っていたのに対し、イスラムは商業・流通への課税で成り立つ。地中海周辺地域にネットワークを有して手広く商業を営むユダヤ人は、イスラム勢力にとっては好都合な存在(財源)だったのだろう。
そしてユダヤ人の方は、時の強者に尽くしては、後者の力で自分たちの民族的な利益を実現しようとする。950年頃、スペインのイスラム宮廷に仕えていたイブン・シャプルートなるユダヤ人は、当時のハザール帝国汗に書簡を送り、パレスチナにユダヤ国家を再建し、ユダヤ人の逃散に終止符を打つ構想を、語っている(同上)。それから約1000年の後の1915年、ロスチャイルドが当時の超大国・英国のバルフォア外相から「パレスチナにユダヤ国家を再建」することへの支持を取り付けた(バルフォア宣言)ことを彷彿とさせるではないか。
話しを戻すと、イスラムが寛容だったからユダヤ人がイベリア半島に集まった。そのために、中世欧州でのユダヤ人というと、スペインのユダヤ人が話題の中心になりがちなのだ。レコンキスタでイスラムが欧州から追い出されると、ユダヤ人もスペイン王家に圧迫されて欧州各地に分散し、西欧の歴史に大きな影響を及ぼす。ユダヤ人はその金融・通商ネットワークにものを言わせて、ヴェニス、ジェノア、ドイツ、オランダ、英国、そして遂には米国と結びつき、これら勢力が覇権を握るのを助け、その覇権に乗じて自らも利を収めたのである。ユダヤ人が大いに貸し込んだ相手は、超大国になることが多い。日露戦争前後の日本にも、ユダヤ資本は随分貸し込んだものだが、にもかかわらず日本が中国利権を独り占めする姿勢を示すと、ユダヤ資本は日本をたたく側に回った。今は、そのユダヤ人たちが中国にどこまで入れ込んでいるかが、日本にとっては重要なポイントとなる。
(以上はメルマガ「文明の万華鏡」第33号から一部を抜粋したものです。全文をご覧になるにはhttp://www.japan-world-trends.com/ja/subscribe.phpをご参照ください)
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コメント
Great article.