保守化・自由化の堂々巡り ロシア政治・外交を運命づける「プリモダン」の経済体質
(「インテリジェンス・レポート」誌12月号所収)
この数年日本では、対ロ投資ブームとも言える現象が目立った。安倍政権もロシアとの経済関係推進で音頭を取り、2013年には官民合同で「日ロ経済交流促進会議」を立ち上げた。現在このような機運は、ウクライナ情勢をめぐる対ロ制裁で水を差されている。
しかしロシアは世界8位の経済大国だし、対ロ制裁がロシアとの経済関係を全面的に閉ざすことにはなるまい。冷戦たけなわの1970年代にも、日本は「シベリア・極東開発」に大々的に乗り出したことがあったのである 。
今は、「ロシアと貿易する。ロシアに投資する」ということの意味を落ち着いて吟味しておく時期だろう。ロシアは人口1億4000万、GDP2兆ドルの大市場であるが、人々のマインドは当然のことながら日本人とは大きく異なるし、自ら投資して事業を行う場合には、日本で想像のつかない多くの問題が起きるからである。
「ロシア」の意味を考えるということは、冷戦復活とさえ言われる現在の厳しい東西対立の根にある、ロシアの保守化、ロシアの「ソ連回帰」の根にある経済・社会的背景を、十分吟味しておくということでもある。そのような作業を怠ると、ロシアに対する外交・経済関係上の対応も腰の据わったものにならないであろう。
以上の問題意識に基づいて、「ロシア」とはどのような国で、なぜ今のようになっているのかを、経済・社会的側面から論じてみたい。
ウクライナ情勢で水が入った対ロ投資ブーム
ロシア・ビジネスは、ウクライナ情勢による対ロ制裁の動きまではブームとなっていた。2005年のトヨタに始まった、日本大企業によるロシアへの直接投資は製造業から周辺の金融・運輸等にも及び、自動車部品製造等の中小企業による進出にまで及んだ。2013年、日本からロシアへの直接投資は約4.5億ドル 、進出企業は約240社に達している 。ソ連時代は外国企業の直接投資自体を認めていなかったことに比べると、様変わりの感がある。
現在、ウクライナ情勢がらみで東西関係が悪化し、対ロ制裁が続いていることがビジネスの見通しを不明確なものにしている。しかし米欧諸国の企業は、制裁措置の対象外のビジネスは従来通り続けている。欧州はロシアの天然ガスに需要の30%分を依存しているが、これには変更がない(日本は、サハリンの天然ガス、シベリアの石油に需要の10%弱相当を依存しているが、これにも変更がない)。一方、エクソン・モービルがロスネフチと合弁を作り、これから20兆円相当の資金を投じて北極海等の石油・ガス資源の探鉱・開発を行うとの契約を結んでいた件は、エネルギー資源開発技術及び資金の提供を禁ずる制裁措置の対象となって、進展が止まっている。
日本政府が執った対ロ制裁も米・EUのものと大同小異で、既存の貿易・直接投資案件を止めるものではない。日本の制裁措置の中で一番効き得るのは、天然ガス液化技術の供与とエネルギー資源開発関係の融資が制限されることである。また当面気を付けるべきなのは、今後、銀行送金に蹉跌が生じ得るということ(例えば、ロシア関係の決済をSWIFTから閉め出すことが西側の新聞紙上では議論されている)、制裁措置対象外でも米国政府の神経を逆撫でるようなことをした企業は米国でのビジネスを陰に陽に妨害される等の「制裁」を喰らいかねないこと、ロシアが多額の予算を投じて軍備近代化を加速している今、軍需転用可能な物資・機材の輸出については細心の注意をもって臨むべきであるということである。
普通の国とは異なる経済・社会
日本人は、外国でも日本のやり方、考え方が通るように考えがちだが、ロシアの社会・経済は、当然のことながら日本とはまったく異なる。ロシアは白人の国だからヨーロッパなのかと思うと、そうではない。19世紀半ばまで国民の大半が農奴であったために産業革命で大きな後れを取ったこと、そして20世紀の大半をソ連という厳格な中央集権・計画経済の下で過ごしたことが、欧米とは全く異なる社会・経済環境を作り上げ、それが今のロシアの政治・外交のあり方を規定しているのである。いくつか具体例を挙げてみよう。
ロシアでは、「政治」が「経済」を文字通り支配する。1990年代、計画経済時代の国営企業の多くは「民営化」されたが、リーマン金融危機のあおりを受けて政府が企業の再国営化を進めたし、残っている民営企業も政府独占をコネで「受託」している性質のものが多い。所有権はあやふやなもので、当局や競争相手に不法な手段で奪われることがある。裁判所に訴えても、裁判官が籠絡されていることがある。「政治」が重視される社会では、経済原則、採算性は二の次の問題とされる。
例えば2009年、サンクト・ペテルブルク近郊の町でアルミ工場閉鎖に反対する住民運動が起きたが、プーチン首相は現地に飛ぶと、当事者ルスアルのデリパスカ社長を呼びつけ、足下に善処を約束させている。その時デリパスカは、「国に求められれば、自分の企業は一切合財差し出す用意がある」と言ったことが、大きく報道された。また本年9月にはエフトシェンコフという大実業家が一時「自宅逮捕」の措置を喰らったが、これは民営のバシキール石油会社の持ち株を国営のロスネフチに売却せよとの要求に応じなかったこととの関連とされる。エフトシェンコフはかつてプーチンに対抗して大統領職を狙う構えを見せたこともあるルシコフ・モスクワ前市長(2010年にメドベージェフ政権によって強引に市長の座から引き下ろされている)の子飼いの実業家で、ロスネフチの会長はプーチン大統領の一の側近、セーチン元大統領府副長官なのである。
ロシア企業の財務データは非常に貧弱かつ不透明なため、公開資料からだけではその体力を判断することはできない。また、ビジネスにおいては社長のレベルで緊密な信頼関係を築くことが必要なのだが、ロシアでは企業によっては真の所有者がわからないようになっているものもある。KGB関係者が関与していれば、それはかえって企業の安定性を保証するものとして評価できるのだが、1990年代不正な資金で企業を入手した、いわゆる「マフィア」が所有者であるなら、その企業の信頼度には疑問符がつく。
ソ連時代の計画経済はすべての資源を100%活用することを建前としており、「余裕」というものを想定していなかった。そのため今でも、経済活動のためのインフラが不十分である。鉄道、ハイウェーの整備は中国にはるかに劣り、発電力増強も中国のように機敏には進まない。極東方面の港はヴァニノ港が石炭用というように専門化の傾向が強く、一般貨物を扱うウラジオストックもソ連崩壊まで対外的には閉鎖されていたことから、今でも荷役・通関のキャパシティーが限られている。ロシアはシベリア鉄道を日欧間貿易にも用いるよう推奨してくるが、運賃は高く、しかも欧州部まで1週間にわたって貨車で揺られていることは精密な製品に悪影響を及ぼす。
ロシアの失業率は目下5.5%周辺で、ほぼ完全雇用の状況を呈している。特に製造業における熟練労働者は不足しており、彼らは少しでも待遇の良い企業に移動していく。日本の企業は終身雇用を前提とした労務管理を行っているが、ロシアでは(中国もそうであるが)従業員に対する研修は勤労意欲を掻き立て生産性を上げると言うよりは、転職意欲を掻き立てがちなのである。管理職要員もそれは同じで、働き先を変えながら昇進していくのが、ロシアは多い。そして賃金水準は先進国並みに高い。従ってロシアで製造業を立ち上げるには、細心の注意を払う必要がある。
西側風「改革」への拒否反応
1991年ソ連崩壊の前後では、西側の資本主義、民主主義への強い期待が大衆レベルにまで広がっていた。1985年原油価格が暴落したことで、原油輸出に大きく依存していたソ連の財政は危機に瀕した。これを克服し、社会主義経済を再興することがゴルバチョフの「グラースノスチ」(社会の欠陥の指摘)と「ペレストロイカ」政策につながったのだが、これが民主化と分権化を伴ったために共産党組織が抵抗、これをゴルバチョフが力で押さえつけたために共産党組織が維持してきた経済運営も蹉跌、それまで厳格な計画経済体制の中で潤滑油のように機能していた不法分子は「マフィア」として社会の表面に進出、彼らが値上げを狙って物資を大量に隠匿したことが大衆の不満を呼び、それにエリツィン一派が乗ってソ連を分解してゴルバチョフを追い出し、すべての悪を共産党に押し付けてその活動を禁止し、西側にすり寄ることで経済発展をはかろうとしたのである。1991年当時、モスクワの街頭は無法化していたが、学生たちの目は「市場経済がもたらす明るい未来、そして民主主義」への希望で輝いていた。
しかしエリツィン政権は、ロシアの改革に失敗するのである。ソ連崩壊後エリツィンが真っ先にしたことは、1992年1月の「価格の自由化」である。食料品価格維持のための政府助成金は財政を圧迫していたし、ほとんどすべての商品の価格を役人が定めるという計画経済では、需要と供給に見合った生産が行われない、つまり市場経済を導入することができない。それよりももっと切実だったのは、価格を自由化しないと「マフィア」が退蔵した商品が商店に出て来ない、買うものがなければエリツィン政権はあっという間に国民の信頼を失ってしまう、ということがその背景にあった。このうち最後の点は、当時首相代行をしていた故ガイダール氏が筆者に述べたところである。
価格の自由化は、改革の第1歩であった。この後には国営企業の民営化、経済の非独占化を直ちに行わないと、生産性は向上せず、独占企業の横暴で商品は割高、かつ悪質なものになってしまう。しかし1992年1月1日、価格の自由化が宣言されると、価格は急上昇を始め、その後の2年間で6000%というハイパー・インフレが現出した。同時に共産党支配が崩壊したので、社会は文字通りひっくり返って、ロシア人の生活を支えていた「コネ」も効かなくなってしまった。誰が何を差配しているのかが常に流動的な状況が生じたからである。
この窮状で、大衆はエリツィンに幻滅し、共産党や国家主義政党を支持するようになる。以後大衆 は「改革」、「市場経済」、「民主主義」という言葉に拒否反応を示すようになったので、政府は今「近代化」という言葉を代わりに用いている有様である。
原油価格急騰がもたらした仮初の繁栄
それでも、エリツィン政権は改革政策を続けた。言論の自由は固守したし、経済においても1993年以降「民営化」を曲がりなりにも進めたのである。しかしロシアは、真の民営化のための条件を欠いていた。市場経済とはどのようなものかを体験した者がほぼ皆無の中で、市場経済を実現しようとしても無理なのである。資本主義、市場経済とは「利益至上」、「やりたい放題」のことと同義と曲解され、信用、ビジネス倫理は無視された。当局が「民営化」、つまり国営企業の株を売却しようとしても、その企業の資産価値をしかるべく評価することもできず、しかも民間には国営企業の株を買い取るだけの資金は蓄積されていなかった。そして、市場経済を知っている者、市場経済の条件下で企業を運営できる人材は決定的に不足していたのである。
結局、「民営化」は一部の企業に止まり、しかもそれは数名の「寡占資本家」(オリガーク)に集中した。国営企業が旧共産党から引きはがされ、オリガークに委託されたと言ってもいいだろう。オリガーク達は巨万の富を得るとともに、2006年の大統領選挙ではエリツィンを大々的に支援し、対抗本命のジュガーノフ共産党党首を引き下がらせて エリツィンの続投を実現した。これによって、オリガーク達は政権の支えとなって、政治面でも大きな力を行使するようになる。
1996年以降、経済は国債の大量発行で偽りの繁栄を一時示したが、1998年8月国債の返済が滞ってロシアはデフォルトを起こし、ルーブルの対ドル・レートは6分の1に低落する。健康も悪化したエリツィンは1999年12月、国民の生活を良くできなかったことをテレビで詫び、権力をプーチン首相(その前は連邦保安庁長官)に禅譲して去るのである。以後ロシアでは、金融が機能せず企業は決済を物々交換で行う(バーター取引)ことが一般化したし、給料が数カ月遅配することも珍しくない状況が2年ほど続いた。
2000年5月正式に大統領に就任したプーチンは、当初エリツィンの「改革」「民主化」路線を表向き踏襲した。企業関係の法制は整備され、外国からの投資を促す体制が取られた。他方、エリツィン時代にあまりに緩んだ政治の「タガ」が締められ始める。タタールスタン共和国が独自の憲法を持つ等、地方自治体にまちまちの権能が与えられていたのを整理し、政治に介入を強めていたベレゾフスキー、グシンスキー等オリガークは国外に追放された。
プーチン大統領は運の良い政治家で、エリツィン期には底を這っていた世界原油価格は1999年には上昇を始め 、2008年までの間に実に5倍になった。原油・天然ガスの生産と輸出に課税して国庫の60%強をまかなうロシアにとって、これはまさに天の救いであり、GDPは同期間に実に8.5倍になるという、世界経済史上でのフロックを達成するのである。
同時にプーチンは2004年からの第2期では、締め付けを強めた。大統領選挙出馬への野心を示したオリガーク、ホドルコフスキーは石油最大手だった「ユーコス」社を接収され、本人はシベリアに約10年にわたって流刑となった。ユーコスは最終的には国営のロスネフチに吸収され、後者を世界最大の石油企業に押し上げたのである。
そしてプーチン政権は2004年9月、南部でテロ事件が起きると、それをきっかけに知事の公選制を廃止するなど、一連の集権化策に打って出た。言論機関は陰に陽に当局から圧迫され、政治を語るよりも娯楽、趣味関係の番組を増やしたので、社会には原油価格に支えられた仮初の繁栄とでも言える、隠微な停滞気運が漂った。それは、「政治体制はソ連的。しかし店は西側の商品でいっぱい」という状況だったので、筆者は「幸せになったソ連」と名づけたものである。
1990年代のロシアでは、「sovok」という言葉が流行っていた。これは「ソ連野郎」とでも訳すことができる悪口で、国に対する依存体質が強く(だから力による異分子の取り締まりを容認する)、自分では勤労意欲、経済意識、向上心に欠けるという意味を持っている。原油価格が高水準にあるおかげで、大衆が政府に住宅や年金を期待して大統領を支持するという、「大統領―大衆」複合体とも言うべき、一種の利権構造が成立しているのである。
だから、米国や欧州のマスコミが書きたてる、「ロシア人をプーチン独裁から解放してやろう」という考え方は致命的に間違っており、かつ危険である。今のロシアはプーチンとその取り巻きが独占しているものではない。彼らはロシアの「大衆」の輿望をになって君臨しているのである。プーチンを敵視することは、ロシアの大衆を敵に回すことになる。プーチンを倒しても、その後はプーチン以上に強権的な指導者が出て来るか、90年代のような大混乱を呼ぶかであろう。
「ソ連」への回帰
現在のロシアの保守化状況は、プーチン大統領第2期に輪をかけて、殆どソ連への回帰と呼んでもよいものになっている。プーチン政権を支える諜報関係者が、ソ連時代のDNAと呼んでもいい保守的・統制的な統治スタイルを復活させているし、多くの者は利権にも手を出して社会の雰囲気を隠微なものとしている。与党「統一」は、かつての共産党と同じく官僚層を糾合したものとなっており、彼らは組織の要職を次から次に侵食していく。彼らにとっては、規制・統制が力の源泉になるので、各組織内で細かい規則を強要しては活動を窒息させている。
このような体制は、競争力を持った企業を生むことはできない。そのために、ロシアは周辺の旧ソ連諸国と共同市場を作って、これを第三国には閉鎖的なものにしようとするのである。そのような目論見でプーチンは「ユーラシア経済連合」結成を企て、EUへの「逃走」をはかろうとしたウクライナを力で押さえつけたのである。これは、クリントン政権末期からNATOの東方への拡大をはかっていた 米国と、もろにぶつかることとなる。
今回、ウクライナ絡みの対ロ制裁はロシアにおいて、経済政策についてのいくつかの奇抜な発言、妄想を生んでいる。まず通貨については、ドルの使用を忌避しようとして、決済にルーブル、あるいは中国との間では元を用いることが益々提唱されている。また銀行間送金については、SWIFTに代わる「独自の」国際決済システム創設が言及されている。前者については、ルーブル、元がドルのように広く受け入れられる通貨ではないため、その規模は限られるだろう。
以前、ソ連圏の諸国が集まった「コメコン」においては毎年、2国間の「貿易計画」が作られて、輸出入のバランスが人為的にはかられ、僅かに生じた過不足は「振り替えルーブル」という一種の計算単位によって各国中銀の間で付け回されていた。つまりコメコンは実質的に二国間のバーター貿易を集めただけのもので、振り替えルーブルは広汎な決済・備蓄機能を持たないものだったのである。今ロシア人が「ルーブルの国際化」を言う場合、この振り替えルーブル的なものを念頭に置いている可能性がある。これは真の意味での「国際通貨」ではなく、ソ連時代の計画貿易への回帰なのである。
またSWIFT等、西側決済メカニズムを回避されると、西側企業はロシアとの貿易のみならず、ロシアで行った直接投資案件からみの送金に不便を感ずるようになる。ソ連の時代は西側からの輸入に対して、銀行の信用状ではなく、「インカッソ」と呼ぶ独特の決済方式を取っていた。
更に10月9日、マントゥーロフ産業貿易大臣はロシア新聞とのインタビューで、40ほどの重要品目については30%以上の価格上昇があれば人為的な抑制策が必要になるかもしれないとして、価格統制の必要性に言及している。戦前、戦時の日本でそうであったように、価格統制は一つの品目に対してだけ行うことはできない。例えば自動車価格を抑制するなら、鉄鋼価格、ガラス価格等も抑制しないと採算が取れなくなる。そして鉄鋼価格を抑制するなら石炭価格や電力価格も抑制しなければならず、という具合に規制は無限に増殖して、経済を窒息させるのである。
規制を批判されると、ロシア人が反論の材料として使うのが、「中国経済は『国家資本主義』なのに成長している。規制は悪くない」ということである 。しかし中国は1979年の規制緩和で高度成長を開始し、その後2000年代には年間25兆円にも及ぶ外国資本 の流入で伸びた国である。中国の輸出の50%は今でも外資企業によって行われている。「国家資本主義」や集権経済は経済のブレーキとはなっても、経済成長をもたらす要因ではない。
計画経済というものは、「何を、いくつ、いつまでに作って、どこで、いくつ、いくらで、誰に売るか。どういう原材料を誰から、いくつ、いつ入手するか。運転資金、投資資金をいくら、どの銀行から、どういう条件で得るか。従業員の賃金をいくらにするか」という、企業運営のすべてを「役人」が決めるものである。市場に出回るモノだけでも1億品目は優に上回る現代、消費者の心変わりまでも勘定に入れた計画モデルなど作れるものではない。そして一旦計画経済・集権経済を確立してしまうと、大衆は政府への依存心を強めるし、役人は規制に寄生して私腹を肥やす。
だから計画経済というものは「死のキス」にも等しく、隠微な安定から得られる快感は甘美でも、次第に全身に毒が回って死に至るのである。このような経済は実質的には産業革命以前の「プリモダン」の段階にあって、GDPを自律的に伸ばすことは難しい。国内では「今あるもの」をどのように分けるかというゼロサム経済を続け、不満が溜まると暴動や革命でガラガラポンをやって、めいめいの取り分を変える、国外では力で弱小国を従え自分の市場として囲っておくという堂々巡りを続けていくことになりがちである。実は、現在のロシア・インテリの間に漂う閉塞感は、20世紀初頭チェーホフが書いた「桜の園」で描かれた心象風景にそっくりなのである。今のロシアでも、また「革命」があって、エリートは地に引きずりおろされ、その財産は山分けされる、新しいエリートがその中で、権力を独占してまた財を築いていく、というプロセスがまた繰り返されて不思議でない。
「国家資本主義国家」のトリセツ
このようなソ連的政治・経済体制にロシアが陥った場合、日本はどのようにつきあえばいいだろうか? これを無理に「民主化」して「市場経済」にしようというのが、米国のNGOやネオコンが考えることである。欧州の連中は一般にもっと現実的なので、自分の利益につながらないこと、できないこと、あるいは手がかかり過ぎることはやらない。相手が少々奇異でも、これを相手に儲けようとするのが欧州の連中である。北方領土問題を抱えている日本は、ロシアに対して欧州人ほどには現金に出ることはできないのだが、さりとて民主化や市場経済化をロシアとの経済関係進展の条件にするほどの意欲も力も持っていない。
この中で言えることは、まずロシアへの直接投資はもう打ち止めにして、これからは製品の輸出や設備の「売り逃げ」に徹するということだろう。先述のように、ロシアに直接投資をしても、いつ所有権を侵害されるかもしれないし、送金や物流に支障を来すことがあるかもしれない。設備を売ると、製品を第三国に輸出されることを日本の企業はすぐ心配するが、ロシアの企業に限ってその心配は少ない。ソ連時代からそうなのだが、彼らは西側から先進的な設備を導入しても、それを改良しながら製品の質を常に上げていくことはしない。ロシア人はちょっとした独占を築いては、そこに仲間内だけで安住することが好きで、貪欲な拡張欲を製造業で示すことは少ないのである。
だから、今すぐは難しいかもしれないが中期的には、直接投資よりは製品の輸出、あるいは第3国の組み立て企業にロシアに進出させて日本はそこに部品・機械を輸出する、或いはセルビアのようにロシアと自由貿易協定を結んでいてかつ政治的リスクもロシアより小さい周辺国で生産して輸出するというような、リスクを限定したやり方に徹するべきではないか。
確かにロシアは、外国からの直接投資を切望している。直接投資は単なる製品や設備の輸入に比べて、経営スキルや部品生産技術の水準向上をもたらす。更に借款を導入して設備を輸入する場合に比べて、資金を返済する義務が生じない。これらのメリットを持っているからである。だが、これは外国企業にしてみれば、それだけリスクが大きいことを意味する。制裁は、ロシアへの直接投資を抑制していくチャンスかもしれない。
エネルギー資源を必要とする日本はロシアに対して弱い立場にある、という議論があるが、日本は石油・天然ガスとも既に需要の10%弱をロシアから輸入している。中国よりも高値で安定して購入する日本は、ロシアにとって上得意であり、ロシアはできるならもっと日本に輸出したい。日本はこの面でロシアに対して負い目があるわけではないのである。
ロシアを過小評価しないこと
ロシアについては、政治、軍事だけでなく、経済においても過小評価をしないことが肝要である。米国などでは、今回の対ロ制裁がロシア経済に「致命的打撃をすぐ与える」ことについて、希望的観測が目立つ。ここには、ロシアに対する根深い悪意が介在している。確かに西側との関係悪化はロシア人の消費マインドを冷やしており、乗用車の売れ行きは5月には対前年5%弱落ち、夏休み明けのショッピング・センターでの人出は、昨年より25%弱少なかったと報道されている。またロシアが西側の制裁に対抗して「逆制裁」の形でEU農産品の輸入を止めているため、モスクワの店頭ではロシア国産の酪農製品、リンゴなどが売られるようになっている他、海産物の供給が大幅に落ちた。
しかし意外にも財政では、ロシアはまだ逼迫していない。来年度GDP成長率は1%程度しか見込まれていないのに、予算案は歳入は5.9%増、歳出増11,1%と、むしろ強気の財政運営ぶりである。ルーブルの価値が年初来23%も落ちたため、エネルギー産品輸出収入がルーブル表示で急上昇し、本年1-8月にはGDPの2%分(約4兆円)に相当する歳入超過があったと、プーチン大統領は述べているし、来年もルーブル下落効果によって約2.7兆円分の国庫歳入増が見込まれているからだ。この強気の予算で年金・公務員給与引き上げ、軍備の近代化、インフラの建設などを同時に実行しようとしているのである。
資本がロシアを嫌って流出、それによってルーブル価値が下落すると国庫歳入が増える、それを年金・給与引き上げに回す――これでは、ルーブル下落が引き起こすインフレと、年金・給与引き上げのイタチゴッコになる。更に世界原油価格は10月になって下げ足を速め、ロシアの国家歳入を10%以上減少させることとなる。世界マクロ経済の不調による輸出の不振と制裁措置が相まって、さすがのプーチンも強がりを言ってばかりはいられなくなろう。
それでもロシアは人口1億4千万、GDPは世界8位の2兆ドル強を持つ大国である。原油価格も、米国におけるシェール・オイルの生産原価を割ったり、サウジ・アラビア政府の財政に大赤字をもたらすと目される、1バレル80ドル以下のレベルに定着することはないだろう。加えてロシアは5000億ドルの外貨準備、1500億ドル強分の石油・ガス税収積み立て基金を持っている。企業は本年、1300億ドル以上の対外債務支払いを抱えているが、他方1500億ドルの外貨を持っている。ロシア経済が今すぐ大崩れする可能性は低い。
ただ、原油・天然ガスに依存したままでは、ロシア経済の未来はない。プーチン大統領は最近のスピーチで、ロシア経済の構造改革、特に「製造業」増強の必要性を強調している。これは、既に以前からプーチンを初め、いろいろな要人が言っていることだ。しかし、食品・繊維など軽工業は輸入代替で伸びるだろうが、自動車・家電等の製造業は外国からの直接投資に依存せざるを得ない。それには限界があるので、結局「製造業」の名の下に軍需部門の生産が伸びることになるだろう。
こうして自律的な成長能力を欠いた経済を抱えるロシアは、プーチンのように力を頼む保守政治・強面外交で西側との対立を激化させるか、エリツィン、メドベージェフのように「リベラル」で宥和的な政策で西側からの支援を引き出そうとするか、両様相を繰り返しながら、西側の一周・二周遅れで追随してくることになるだろう。その途次には、国内のガバナンスが悪化して、政治・経済混乱が起きる時もあるだろう。
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ウクライナ問題サッパリだったんですが、sovok、ソ連回帰、「大統領ー大衆」複合体といった説明で、何か理解する手がかりのようなものが掴めた気がします。
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