2012年10月ウラジオストック雑感
10月15日から18日までウラジオストックに行ってきた。米国のカーネギー財団が「アジアの安全保障」というテーマの下にロシア、米国、中国、韓国、豪州の専門家を集めて行ったシンポジウムに呼ばれたもので、日本からは元自衛艦隊司令官の方も招待されていた。竹島、尖閣をめぐる情勢が緊迫化した直後だけに、日本に自重を求める圧力が集中することを僕は危惧していたのだが、中国、韓国の代表は個別の問題についての論争は避け、紛争拡大、武力行使は避けたいとの点を前面に出していた。
このシンポジウムはウラジオストックで開かれたにもかかわらず、ロシアが話題になることはほぼ皆無であり、会場の雰囲気は「中国vs.その他」という感じだった。日本の立場に矛先が向けられることは皆無だった。
今回は小生にとっては2年ぶりのウラジオストック訪問で、その間に9月のAPEC首脳会議があったわけだが、ウラジオは外面上変わったところもある半面、市民の生活、マインドには何ら変わったところがないことが看取された。
ウラジオストックの詳しいことについては、2年前の記事http://www.japan-world-trends.com/ja/cat-1/post_624.phpをご覧いただきたい。今回は、それとの重複を避けて目新しいことだけ書いておく。
ロシアの飛行機・今昔
ウラジオストックへは週4便、成田からウラジオストック航空社の直行便が飛んでいる。その便がない日も含めて、ソウル経由で毎日行けるそうだ。「ウラジオストック航空」など名を聞いただけで怖気づいたものだが、実際には機材は真新しいエアバス、機内のサービスもあか抜け、英語もあの重い巻き舌のロシア語訛りがない。今回すべて定時に離陸した。そして以前は着陸すると、ロシア人乗客たちはすぐ立ち上がって棚の荷物を下ろしはじめたものだが、今回は機内アナウンスで「機体が完全に止まるまで、そのまま着席してお待ちください」と言われると、おとなしく全員座っている。ルールを守る、という簡単なことが、ロシア人に根付き始めたということは、これは画期的なことだ。ソ連崩壊以後、20年かかったが。
2年前のウラジオストック空港は、寂しい鄙びたターミナルしかなかったものだが、ここもAPEC首脳会議の御利益で、中型の小奇麗なターミナルが建っていた。ウラジオストック航空は、成田空港ではバスで空港の外れまで行って乗り込むが、ウラジオストック空港ではちゃんと真新しい蛇腹で下りる。旅券審査は速いし、2年前は1時間も待った荷物も、今回はすぐ出てきたものだ。もっともどこかに、昔のソ連風は残っているもので、たとえば壁のペンキも裾の方は塗り残しがあったりする。
ソ連時代の国内線は地獄のようなもので、薄暗い空港ターミナルで19世紀風の大きな「秤り」で荷物の重量を測る。そして次にどこに行って、何をしたらいいのか、いつも情報が皆無なのだ。暖房もろくにない待合室で座っていると、いつまでも搭乗の案内がない。アエロフロートの係員に聞くと敵意をこめて、「知らないわよ」の一点張り。口をきくだけで超過勤務、といった風情。7時間、8時間の遅れはざら。その間何がどうなっていて、どんな見通しなのか、誰も何も教えてくれない。「乗客は仕事(何もしない)の邪魔をする敵」という意識があって不親切なこともあるが、実際これからどうなるかは誰も知らないのだ。こうして空港の待合室は、モスクワで買ったテレビの大きな段ボール箱、タンボフからノボシビルスクへモスクワで飛行機を乗り継いで行く農民が携行する、足を縛られた鶏、こうしたものが発する臭い、騒音が無遠慮なアナウンス、そして床を拭いたひまわり油のきつい匂いと混じって雑然、騒然としていたものだ。
だから今回、ウラジオストックからの帰途、ハバロフスクで乗り継ぎすると聞いた時は、昔の国内線を思い出して身構えた。20年前、モスクワからサハリンへある大使館員が一人で出張したが、彼はロシア語ができない人だったので、乗継では往生した。で、覚えたてのロシア語で「ヤー・ハチュー・サハリン!」と叫びながらロシア人にくっついていったそうだが、それは「サハリンに行きたい」よりも「俺はサハリンが欲しい」という意味に近い、政治的には非常に危険な表現だった。
今回はそれほどのことはなかった。でも、ウラジオからの飛行機を降り、荷物をいったん下ろしてから、さて国際線はどちらに行くかというところで表示も何もないので、ロシア語のできない人は困るだろう。もっとも、小生がロシア語で聞いても、女性の係員は「国際線はあの建物の彼方」程度のことしか言ってくれないので、元自衛艦隊司令官とスーツケースをごろごろ引いて外のでこぼこ道を歩くこと5分、開いているのか閉まっているのかわからない、それらしい建物のドアを押すと開いていて、入るとそれが国際線ターミナルで、中はがらんとしていて、でも係りの女性達は「無機質」的なモスクワ人に比べるとよほど人情味があって、カウンターはまだ誰もいないが、そこがカウンターだということはよくわかり、座って待つベンチもある。どこに行って何をやればものごとは進む、ということがわかるだけでも、30年前に比べて天地の差だ。ロシア極東の人たちは、日本人には親しみと信頼感を寄せてくる場合が多い。ロシア極東にとって日本は「ブランド」だし、中国人に比べると日本人は「ちゃんとしている」というイメージが確立されている。
変わったウラジオストック、変わっていないウラジオストック
ウラジオの夜はなかなかのもの。夜、空港から都心にアプローチすると、丘の上に高いビルが並んで煌々と輝いている。不夜城の如し。極東の隅に薄暗く逼塞していた以前のウラジオとは様変わりだ。港からは対岸の半島に大きな吊り橋がかかり、無数の車がイリュミネーションに明るく照らし出されて続々と渡っていく。
感心して見ていると、前席のロシア人が振り返ってさも得意そうに聞く。「ウラジオストックは変わったでしょうか?」 そして、自ら照れくさそうに笑う。僕は聞いた。「ああ、すごい。で、生活は良くなったかい?」「生活?! ・・・・・まあ、まあ」。そして彼は、隣の運転手と笑う。「生活なんて言われてもなあ」
ロシアはイベントがある時だけ一生懸命、その後のメンテは悪いのが常だ。今回も大騒ぎの末(建設中に火災が起きたりした)、やっと完成した大吊り橋も、通ってみると、マイクロバスの目の前にビールか何かの空き瓶がころころ転がってきた。そして、長い吹きさらしの橋の真ん中ほどではペンキ工がただ一人、刷毛でペンキを塗っている。この調子では全部塗り終わった時には、端からもう錆び始めていることだろう。
(橋の彼方に作られた新しい大学)
そして人々のメンタリティーは驚くほど変わっていない。シンポジウムが終わったあとの市内観光では、われわれの乗ったマイクロバスが大学の入り口で門番に止められると、日本語と英語が流暢で大学院に行っているというガイドが大声で叫んだ。「おい、アメリカ大使が乗っているんだぜ(元大使)。通さないと外交問題になるからな!」 こうやって現場の者を脅かし、ルールを曲げようとすることは、ソ連時代からのやり方だ。しかもいつもはアメリカを批判しているくせに、アメリカの大使と言えば水戸黄門の印籠のような効果があるという、悲しい現実を暴露もしている。
乗った車の運転手と話したところでは、「ここの人間はいらついている」ということだった。ロシアの場合、シベリアや極東の人間は欧州部の人間に比べておっとりとし、正直なところがあったのだが、ここも中途半端な資本主義の洗礼を受けて人が悪くなってきたというのだろう。そして彼は更に言った。「ロシアの男の平均寿命は59歳なんだぜ。知っているか?」 「それは数年前のことだ。今ではもっと伸びている。心配なのかい?」 「そりゃ心配だよ。もう俺は60歳だから」。
今回泊まったホテルは、韓国資本が作った真新しい「ヒュンダイ・ホテル」。素晴らしいのだが、細かいところには神経が行き届かない。窓のカーテンは丈が足りず、ぴったりとは閉まらないし、それにコンセントが部屋にただ一つしかない。コンセントを探し求めて、5分くらい浪費した。そして空調が調節できない。全館一律に28度もの空気を流しているそうで、何とかしてもらおうとしてボーイを呼ぶと、「窓を15分くらい開けてみてください」ときた。真冬ならどうするのだろう? 真新しいホテルの下からは、真夜中でも車のバーグラー・アラームのけたたましい音がよく鳴り響く。ソ連崩壊後のモスクワでも、そうだった。あれからもう20年、この国では窃盗防止アラームが鳴りっぱなし。もう疲れた。
部屋のテレビは50以上もチャンネルがあったが、その中にFX専門の番組がロシア語の翻訳つきであるのには驚いた。いろいろな通貨の市況説明になると、通訳はしばし息をひそめた後、機関銃のような同時通訳を息も継がずに始める。
ウラジオストックは以前、日本から輸入した中古車があふれる街だった。2009年関税が引き上げられて、最盛期には年間50万台以上が輸入され、20万人もの雇用を提供していた日本中古車輸入商売は壊滅した。当時、ウラジオストックの街では、抗議デモも行われたものだ。あらゆる種類の中古車が輸入されていて、中には右翼の街宣車だったとおぼしき車が「返せ!北方領土」と横腹に書いたまま、市街を走り回っていたそうだ。今回も日本車は多かったが、僕にはほとんどが新車に見えた。
中古車輸入に代わる雇用を創出するために、当局は若手の資本家に自動車組み立て工場を作らせた。それはソレルスという社名で、ウラジオストックの金角湾の一番奥に、かなり大きな真新しい屋根を見せている。ここには韓国や日本の乗用車が「部品」として陸揚げされ(完成品は関税が高い。2つにでも3つにでも分解してからここに持ち込む)、この工場で一つに「組み合わせて」から出荷するのだそうだ。ほとんどはシベリア鉄道を割引価格で、欧州部へと搬出される。
ガイドの説明では、ウラジオストック人口の65%は女性なのだそうだ。そのせいかどうかは知らないが、離婚率は50%というからすごい。平均収入が月800ドル、家賃が月500ドルほどなので、共稼ぎでないとやっていけない。
ロシア極東の経済開発
ロシア極東部が安定し、経済的にもまあまあの状態でいてくれることは、日本にとってもいいことだろう。国境の向こうの中国は、東北部だけでロシア極東部の20倍の人口、1億3000万人を有する。かつての満州鉄道の沿線には500万都市が多数存在し、その産業は自動車製造、製鉄、石油化学、軍需と幅が広く力強い。ロシアは中国のGDPの約3分の1、ロシア極東部はそのうち5%の分しか生産していないので、中国GDPの10分の1強を生産する中国東北部に比べると、約7分の1の経済規模でしかない。
このまま放置しておくと、中国がロシア極東部を席巻するかもしれない。ロシア極東部の多く、150万平方キロはかつて清王朝の領土だったのを、1860年の北京条約でロシア帝国が取り上げたものなのだから。日本は米国や韓国、そして他ならぬ中国などと語らって、ロシア極東の開発を助けることがいいだろう。中国がこの地域に勢力を伸長すると、日本海で中国海軍が活動をし始めて(中国は今のところ、日本海への出口を持っていない)、日本、韓国の安全保障上の問題となるだろう。
ところが、この地方の経済開発は難しいのだ。例えば物流の大動脈であるシベリア鉄道が中国との国境に至近距離にあるので、もっと北方にあるバム鉄道を複線化、増強しようという考えもあるのだが、このバム鉄道の太平洋への出口はウラジオストックではなく、そのはるか北方のソヴィエツカヤ・ガヴァニであるために、ウラジオストック市民は喜ばない。
製造業はコムソモルスク・ナ・アムーレ市のスホイ飛行機工場、そして潜水艦等建造のズベズダ造船所程度しかめぼしいものがない。だから極東、シベリアの開発と言うと、人はすぐ「エネルギー資源」の輸入を思うのだが、日本は既にサハリンやシベリアから原油、天然ガス、石炭を大量に輸入している。原油、天然ガスはそれぞれ、日本の消費量の10%程度をロシア極東部から輸入するに至っているのだ(サハリン石油・ガス田の比重が大きい)。日本は原油の80%程度を中東に依存しているので、ロシアからもっと入れてもいいのだが、シェール・オイルが世界の市況を下げている現在、シベリア産の原油はそのうち割高になってくるかもしれない。また天然ガスについてはそもそもシベリアからのパイプラインが存在していない上に、日本は輸入の約70%をマレイシアやオーストラリアのように、マラッカ海峡以東の国々から入れている。そして天然ガス価格も、シェール・ガスの普及で下がっているので、シベリア産のガスをパイプラインを引いて太平洋岸までもってくることは、引き合わなくなるかもしれない。
ウラジオストックは、だいたい札幌、ローマと同じ緯度にある。土壌は豊かな黒土である。従って、ロシア極東部は中国の東北部と同じく、大穀倉地帯になる可能性を持っている(その前にまず林業、製材業)。既に中国人や韓国人が入り込んで農業をやっているし(中国人は地元の官憲に袖の下を渡しては土地を占有し、化学肥料を多用して土壌を傷めるので嫌われている)、日本の企業がソバを栽培している。問題は、労働力が不足していること、そして内地のアムール州で農業をすると、産品を港まで運搬する費用が高いことである。
また、ウラジオストック周辺は中国の東北地方、または中央アジア諸国に対する物流の拠点となり得る。以前はウラジオストックから真西へ向かい、ハルピンに至る鉄道があったのだが、今ではそれは中ロ国境地帯で分断されている。中国側は接続するよう求めているが、ロシア側が渋っているらしい。接続すれば、沿海地方がますます中国に席巻されてしまうことを恐れているのだろう。なお接続しても、ロシアの鉄道の軌道幅は欧州基準の中国よりも広いために、国境で車輪を入れ替える作業をしなければならなくなる。しかしこれは大した障害ではなく、ロシアの対欧州国境では1時間で終わる作業である。
なお物流については面白い話がある。それは沿海地方の港はいくつもあって、それぞれ目的が特化し、特定の大企業の専有物のようになっている、ということである。汎用のウラジオストック港にしても、クレーンの一つ一つは違うオペレーター企業に貸し出されていて、そのオペレーターは効率を上げるために、小口のスポットものを嫌うのだそうだ。だから北朝鮮との国境付近にあるポシェット港は石炭の大企業メチェル専用、その北のザルビノは日本の自動車各社の荷揚げ地、コズミノは原油の積み出し基地ということになる。
中国への恐怖感
ウラジオストックの街で中国人を見かけることは少ない。「中国市場」というのがあるらしいが、これは随分郊外にある。だが車の運転手は中国への恐怖感、嫌悪感を隠さなかった。こんな調子だ。
運転手「中国との国境は30キロ先だぜ。この海きれいだろう。ウラジオ市は下水の浄化設備を作ったからだ。ところが南の中国との国境近くの川からは中国人の汚物が湾に流れ込んでな。はっきり言って彼らはこのあたりでは、××だぜ」
僕「そうかい。でもこのあたり、以前は中国領だったんだぜ」
運転手(驚きと恐怖感で目をみはったまましばらく絶句)「・・・。中国領じゃないだろう。満州の一部だったんだろう?」
僕「満州は中国の一部だから」
運転手(恐怖感と嫌悪感をこめて)「中国人は嫌いだ。人に噛みつくような話し方をしやがる。ガフ、ガフってな。日本人はいい。本当にいい。友好的だ」
僕「衣食足りているからだろう」
運転手「いや、それだけじゃない。何かある。ああ、朝鮮人もいい。もっとも俺は昔国境警備をやっていて、その時こういうことがあった。北朝鮮人が森林の伐採で出稼ぎに来ていたのだが、彼らはトラックにブルドーザーを積み、その周りを木材で隠して持ちだそうとしたんだな。俺たちの軍用犬がディーゼルの臭いがするというので、ブルドーザーを見つけたのさ」
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相変わらずprolificですね。河東さん一人の発信力は、
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