プーチン大統領 新陣容のすべて
プーチン新政権の陣容がやっと決まったので、自分のデータ・ベースや現地の報道から言える、最大公約数を書いておく。ロシアの権力は大統領府と首相府に分かれており、双方を分析する必要がある。
(大統領府と首相府の名簿は、下の3.4.にあります)
(なお、下記フリステンコにつき不正確なところがあるとのご指摘を、ロシア専門家中澤孝之様のご指摘を受け、誤りを確認したので、5月29日修正しておきました。更に同30日、メディンスキー文化大臣等について、6月2日及び7日その他の情報を付加しておきました)
1.概観
細かいことを言うと非常に長くなるので、いくつか面白いことだけコメントする。人事の細かいことについては、後出3の名簿のところに少し書いておく。
(1)もたついた人事―-辞退者続出?
2008年政権交代の時、プーチン新首相は就任後5日で閣僚名簿を完成させた(これですら、日本に比べると異常に遅い)。今回はメドベジェフ新首相が議会に承認されて実に約10日後になってやっと、人事が整っている。
人事がこれほどもたついた理由につき18日付のVedomosti紙は、大臣になることを辞退する者が多かったことを挙げている。ナビウリナ前経済発展相は社会問題担当副首相への昇格(実際の力は少ないのだが)をメドベジェフに提案された時、「もう政府で働くのは疲れましたわ」と言って辞退しておきながら、プーチンの下の大統領府に補佐官として横滑りをした。実際の権限を持っているのは大統領府であることを、皆知っているということである。
ナビウリナの夫で高等経済学院学長を務めるクズミノフも、教育大臣の座を提示されながら辞退した。キリエンコ原子力公社総裁(元首相)はエネルギー担当副首相という重要なポストを提示されながら、これも辞退した。Vedomostiは、セーチン元副首相が国営石油会社ロスネフチ社長となってプーチンに直結し、隠然たる力を振るうことが予想されるエネルギー分野で働きたくなかったのだろうと推測している。そして、3月4日の大統領選ではプーチンに対抗し、実業界、インテリの支持を得て第3位の票を得たプロホロフ(ニッケル等製造の大企業ノリリスク・ニッケル社の元社長)も産業担当の副首相の座を提示されながら辞退した。
(2)「改革派」内閣? だが経済政策の司令塔は誰なのか?
今回閣僚中の約75%は新顔である。但し新顔とは言え、多くの者は同じ省で次官から繰り上がったか、大統領府から内閣への横滑りであり、まったくの新顔は僅か3名である。
それでも共産党は「リベラルだらけだ。左の匂いもしない」と評しているし、米国の専門家(スウェーデン人だが)オスルンドはG8に欠席するプーチンには毒づきながら、この内閣の陣容はリベラルだとして好意的で、「改革ができるかもしれない」と評している(21日付のForeignpolicy.com)。
他方、ロシア政治の内情を知るボフト記者は23日付のMoscow Timesで、「閣僚にリベラルが多いと言われても、自分は何も感じない。4年前『ロシアよ、前へ!』と書いて、国民に虚しい期待を持たせたのは誰か(注:メドベジェフのこと)? 新しいと言っても、3名をのぞいては以前の次官か、クレムリン官僚ではないか。」と書いている。
メドベジェフ首相自身は、第1回の閣議で、「当面の最重点は国営企業の民営化推進だ。1週間から10日の間に案を上げろ」とシュヴァーロフ第1副首相に厳命している(22日付 Business New Europe)。これからの2年間で、国営企業の株売り出しで300億ドルの歳入を上げ、経済の効率化もはかりたいのである。
ところが23日プーチン大統領は、株式市場が低迷している現在は、エネルギー関係国営企業の民営化は不適当であると明言、メドベジェフ首相の顔に泥を塗った(既に何回も泥を塗っているが)。これに象徴されるように、今回の人事では大統領府も含め、経済政策を強力に引っ張っていける人物が見当たらない(昨年9月まではクドリン財務相がいた)。プーチン大統領の「プーチノミクス」を実現したかっこうをしてみせることで終始し、支離滅裂になる可能性がある。
(3)ノリリスク閥? サンクト・ペテルブルク大法学部閥?
22日付Business New Europeは面白いことを指摘している。それは既に言及したプロホロフが社長を務めていたノリリスク・ニッケル(ノリリスクはシベリアの真ん中、クラスノヤルスク州の北極海岸にある企業城下町。チタンも含めたロシアの非鉄産業を支える)勤務経験者が多いということである。まず前内閣から居残ったフロポニン副首相もノリリスク・ニッケルの社長をしたことがあり、今回エネルギー担当相になったノヴァクは、そのフロポニンの下でノリリスク・ニッケルに勤務していたし、フロポニンがクラスノヤルスク知事に転任すると、これについて州政府に転勤している。そしてフロポニンはプロホロフとも親しい。さらに、今回モスクワ副市長から転任して社会問題担当副首相になったゴロデツ(Golodets。女性)も、以前ノリリスク・ニッケルに勤務していたことがある。これでは、プロホロフが将来首相となり、そこで人気を蓄えて大統領になるシナリオが準備されているとさえ見える。
プーチン大統領もメドベジェフ大統領もサンクト・ペテルブルク大学法学部卒(日本で言えば京都大学法学部に相当)であるが、今回の内閣にはコーザク副首相(留任)、コノヴァロフ法相(留任)、ソコロフ運輸相と、メドベジェフ首相を入れると計4名の出身者がいる。
(4)その他内閣人事の注目点
今回内閣、大統領府双方の人事を通じて最も注目されたことは、プーチンに最も近い腹心と目されるセーチンが内閣、大統領府のいずれにも行かず、結局国営石油会社のロスネフチ次期社長就任の含みで政府外に去ったことだろう。彼は、以前から不仲が噂されているメドベジェフ首相の下には置いておけず、さりとて大統領府上層部にも空きがないことから、プーチンはセーチンの処遇に窮し、国家安全保障会議書記等、種々のポストを勘案したあげく、ロスネフチに落ち着いたとの報道もある(23日付コメルサント)。
石油はロシア経済、政治安定の根幹であり、プーチンはここに腹心のセーチンを送り込んだと言えるかもしれないが、ロスネフチの民営化、ロシア石油のトレーダーであるGunvor社社長チムチェンコ(プーチンの親友)との関係をめぐって問題を起こすかもしれない。
もう一つ、昨年まで日ロ政府間貿易経済問題委員会のロシア側議長を務めていたフリステンコ産業・貿易相は、1月から発足したベラルーシ、カザフスタンとの自由貿易地帯「単一経済空間」(これまでの関税同盟が発展したもの)運営のために創設された「ユーラシア経済委員会」(これまでは関税同盟委員会だった)の議長に就任したまま、今回内閣には名を連ねていない。本来は、このユーラシア経済委員会の各国代表は副首相ということになっているようなのだが(2011年11月18日付イズベスチア)、フリステンコは今回副首相に任命されていない。なお、彼の夫人ゴリコヴァは社会労働問題担当の大臣として評判は悪かったが、今回大統領府の補佐官に転じている。
最後に、「極東開発省」が新設され、日本にもなじみの深いイシャーエフ元ハバロフスク地方知事(その後、極東地方での大統領特別代表)が大臣に就任した。急伸する中国が隣接する極東の開発はロシアにとっては安全保障問題でもあり、プーチンはかねて政策の重点項目として挙げ、頻繁に視察もしてきた。今回組閣の前には、17世紀英国の「東インド会社」にならい、財政・徴税面等で独立性の強い「極東開発公社」を作るという案が何者かによってマスコミに喧伝され、社長にはシュヴァーロフ第一副首相を送る(実質的に島流しの意味がある)というアイデアがまことしやかに語られた経緯がある。極東開発のための政府予算はおそらく既存の各省に配布されていると思われ、新設の極東開発省は冷や飯を食わされる可能性がある。
(5)大統領府人事の注目点1:ヴァイノ副長官
日本のマスコミが最近、在日大使館勤務の経験があり日本語も堪能として持ち上げていたヴァイノ首相府官房長官は今回、大統領府に4人いる副長官(うち2名は「第一」副長官)の一人に任命された。副長官の1人は第一副長官のヴォロージンVolodinで、国会対策など内政担当である。もう一人はグロモフ第一副長官で、これまでは副長官としてマスコミ担当をしていた。従ってヴァイノ副長官は、プーチン大統領第1期、第2期目に腹心のセーチン副長官が務めていた、大統領の秘書室長役を務めるものと思われる。そうであれば、大統領とのアポ、文書の大多数は、ヴァイノを通過することになる。
彼はこれまでロシア・マスコミでは意識されておらず、今回の人事は驚きをもって見られている。彼は1972年タリンで生まれたエストニア系なのだが、西欧の一員として高い矜持を持ち、ロシア人を上からの目線で見るエストニア人は、ロシア人からは特別の感情で見られている。ロシア・マスコミは早速彼の経歴を意地悪な目でほじくり、彼の父は1981年から85年東京のソ連通商代表部に勤務したこともあり、自動車企業AVTOVAZ(今般、日産・ルノーと提携)の対外関係担当の副社長であること、また祖父カルル・ゲンリフはロシア帝国から独立したエストニアからソ連に避難してきた、エストニア人共産主義者の息子として1923年トムスクで生まれていること、第2次世界大戦でソ連にエストニアが編入されると祖父はエストニアに戻り、1978年から1988年までエストニア共産党第一書記であったこと、エストニア社会から指弾されて解任され(当時は既にソ連からの独立運動が起きつつあった)、モスクワに転勤したことを報じている(ari.ru)。
以上が示すことは、ヴァイノは故郷エストニアでは受け入れられず、他方ロシアでは「エストニア人」、そして共産主義者の子孫として、特別の目で見られやすいということである。日本が彼を持ち上げすぎると、ひいきの引き倒しということになりかねない。
(6)大統領府人事の注目点2:ウシャコフ外交担当補佐官
ロシアでは、外務省は大統領のための政策実施機関としての性格が強い。もちろん多くの政策について大統領に建言はするのだが、対米政策、対中政策の基本、日本との北方領土問題など大きな問題については、大統領の顔色を見ながら仕事をするのである。そして外務省等から上げられてくる外交関係の情報・書類をまとめて大統領に上げるのが、外交問題担当補佐官の役割である。北方領土問題について言うなら、ロシア・チームのディフェンスが外務省、そしてゴールキーパーが大統領府の外交問題補佐官なのである。
これまでは外交官出身のプリホチコが、エリツィン時代後半から16年ほどこのポストに務め、堅い堅い守りでその名をモスクワ外交団の間に鳴り響かせていたが、今回メドベジェフについて首相府に移り、後任の補佐官は元駐米大使のウシャコフ(これまでは首相府でプーチン首相のアドバイザー)になった。
彼も守りは堅いであろうが、少なくともスマイルを浮かべて守るくらいの如才なさは示してほしい。
(7)大統領府人事の注目点3:多すぎる閣僚からの横滑り
プーチン首相時代の内閣には、マスコミから無能、腐敗等の理由で頻繁にたたかれる大臣が数名いた。今回それら不評の大臣はメドベジェフ内閣からは一掃されているが、その多くは大統領府に横滑りした。フルセンコ教育相、ゴリコヴァ社会・労働問題相、トルトネフ・エネルギー相、レヴィチン運輸相がそれである(ヌルガリエフ内相は国家安全保障会議事務局副書記に横滑り)。プーチンは部下に対して温情あついところがあるので(一部報道は、部下を野に放つと暴露・批判をしがちだからだとしている)、彼らはしばらく大統領府で閑職をあてがわれた後、天下りしていくものと思われる。
閣僚から大統領府に横滑りした中で実権を保持しているのは、ヴァイノ副長官、ナビウリナ補佐官(前経済発展相)であろう。このうちナビウリナ補佐官が経済政策でどのくらいの重みを発揮していくかは注目点である。
2.うまく離陸できるか?
(1)プーチン新政権とは言うものの、本質はプーチン・メドベジェフ・チームの続投なので、やること、やれることに大きな違いが出てくるはずもない。引き継ぎに時間を取られて実務が滞ることもないだろう。唯一心配なことは、今回の顔ぶれからは清新な息吹が感じられず、ロシア社会にみなぎる閉塞感は拭えないだろうということだ。
大統領選挙後は鎮まると思っていた反プーチンの運動は、モスクワではまだ続いている。1年前ニューヨークのウォールストリートでテント村ができて全国から人が集まり、金融資本を批判したのにならって、モスクワの諸方をテント村が転々としている。モスクワは夏休みモードになるのが早いので、この運動も6月12日までと宣言されているが、9月の休暇明けには再び盛り返すだろう。
与党「統一」党員でプーチン寄りの社会学者クルィシュタノフスカヤは11日、モスクワの浄ケ池でテントをはる1000名のうち110余名にインタビューした結果、「当局はこの運動をあまく見過ぎています。プーチンは『そんなのは学生が小遣い銭欲しさに参加しているだけだ』と言っているそうですが、そんな歪んだ情報を誰が上げているのでしょう。自分には、これは『インターネットによる革命』の前夜に見えます」と言っている(14日付 Osobaya Bukva)。
この運動には右翼から左翼まであらゆる勢力が参加しており、改革派を国家主義の右翼青年達が覆面をして守る、という情景が展開している(16日付RIA)。あたかも、1991年8月クーデターに対して立ち上がったリベラルなモスクワ市民を思わせるが、今回の参加者の多くは中流の下に属し、政府にもっと何かしてもらいたいという「左翼的な」雰囲気が強いそうだ(16日付クリスチャン・サイエンス・モニター)。
そして運動は暴力に訴えず、デモや集会をしているわけでもなく、ピクニック的なのりでやっているので、周りに詰める警官隊も手出しがしにくい(16日早朝には浄ケ池のテント村を強制撤去して顰蹙を買ったが)。警官が間の抜けた存在に見えるようになっている。「ピクニック」参加者は、プーチンや政府をくそみそにこき下ろしている。
(2)問題は、プーチンのカリスマがこの「ピクニック」参加者の間だけではなく、社会全体で次第に剥げ落ちてきた兆しが報道されていることだ。17日モスクワ・タイムズが報じた中立系世論調査機関レヴァダの調査によると、プーチンに個人的魅力を感ずる者は7%、知的・教育水準が高いと思う者は18%、強くて勇気があると思う者は18%、彼が職権乱用で私腹を肥やしていないと思う者は11%に「上っている」そうである。
(3)そしてロシア経済と政治的安定の土台を支える石油の価格が落ち始めた。5月初めからだけでも7%以上下がっている。今年度の政府予算では、1バレル・117ドル(ウラル原油)ないと収支のバランスが取れないが、それがもう108ドルまで下がっているらしい。
こうした状況が続くと、ロシア政府は予算が執行できなくなる。「軍人の給料を2倍にする」など、プーチンの選挙公約が守れなくなる。そして秋には一連の地方で知事が交代するが、これはメドベジェフ大統領末期の法改正で、任命制から公選制に変わるのである。経済状態が悪化する地方では、ポピュリストが当選して「独立性」を標榜し、中央から予算を脅し取る動きに出かねない。当面の外交政策上の目玉である9月1-8日ウラジオストックでのAPEC首脳会議も、オバマ大統領の欠席で大きくつまずいた。
プーチンは、大統領第1期目もかなり厳しいスタートであった。就任直後はそのカリスマ性の欠如をテレビの風刺番組で露骨につかれていたし(その後間もなくこの番組は閉鎖となり、ディレクターの一人は自殺した)、就任後4カ月目には原潜クールスクの爆発・沈没で乗組員遺族達から面罵を受けた。今回も挽回は可能だろうが、第1期目、2期目と異なり、政権の基盤となってくれた旧KGB勢力は後退し、政策面での停滞を補って余りあった原油価格の高騰という幸運が消えつつある。世界の中で最も経験と能力のある大統領になれるはずだったプーチンは、当面乱気流の中を飛ぶことになるだろう。難しい立場にあるので、日本にも微笑を見せるだろうが、北方領土問題解決を真剣に進めるどころではあるまい。そんなことをすれば、反対勢力から足をすくわれるからである。
3.大統領府主要人事
大統領府長官:セルゲイ・イワノフ
(留任。昨年12月に副首相から転任して、プーチン復帰の準備をしていた。
KGB出身でプーチンに近い。但しこの半年、長官としての動静があまり
報じられないのが不可思議)
第一副長官:ヴォロージン
(留任。内政担当。同じく昨年12月に副首相から転任して、大統領選挙を指揮
した。プーチン人脈には属さないが、大統領選を勝利に導いた功績で留任した
のだろう。保守的・強権的手法に傾きがちな人物と言われており、反政府運動を
力で弾圧すれば危機を招きかねない)
第一副長官:グロモフ
(副長官から昇格。これまでマスコミ担当。外交官出身だが率直で善良。今回
マスコミ担当副長官にはペスコフが就任したので、グロモフには新たな任務が
与えられるのかもしれない)
副長官:アントン・ヴァイノ
(既に説明ずみ)
副長官:ペスコフ
(首相府スポークスマンから横滑りで、大統領スポークスマンに)
補佐官:ブルイチョーヴァ(女性。日本の法制局長官に類似)
ゴリコヴァ(女性。社会労働問題相から横滑り。2008年グルジア戦争の際、
グルジアから分離独立を宣言した南オセチアとアプハジアの社会、
労働問題担当[23日RIAの報ずるペスコフ発言]。これは実質
的に、ロシアが両国を併合したことを意味する)
ナビウリナ(女性。経済発展相から横滑り。経済政策担当)
トルトネフ(天然資源・環境相から横滑り。セーチン系と目される。大統領府
では「国家評議会」[知事達を糾合した非公式の会議]を担当
[23日RIAが報じたペスコフ発言による])
ウシャコフ(1998-2008年在米大使。プーチン首相外交顧問から横滑り。
外交担当。対米強硬派でラヴロフ外相とは疎遠という報道もあった
が、それほどでもあるまい)
フルセンコ(教育相から横滑り。今回学術研究費担当)
チュイチェンコ(留任。監査担当。メドベジェフの学友。メドベジェフは今回
彼を検事総長に推したが、プーチンの容れるところとならなかった
との報道がある[23日Vedomosti])
シコーロフ(新任。人事部長。インターネットの情報によれば、1955年ドレス
デンで諜報機関要員の家庭に生まれたが、その後の経歴は長く
イワノヴォ州で過ごしている。80年代ドレスデンのKGB事務所
でプーチンと机を並べていたとの報道もあるが、確認されていな
い。プーチン大統領第1期の2002年、ヴォローシン大統領府長官の
補佐官に抜擢され、後任のメドベジェフ長官も含め2004年まで
勤務している。その後石油企業のトランスネフチ等で過ごした後、
2006年から内務省勤務。次官まで務めた後、2011年7月退任して
いる。経歴から見て、諜報機関の肩書を有しているかもしれない)
シチョーゴレフ(マスコミ・通信担当大臣から横滑り。IT政策担当
儀典長:オストロヴェンコ(大統領の日程責任者。1969年モスクワ生まれの外交官。
ドイツ在勤経験あり。2008年から首相府儀典長)
参与:多数。その中にはレヴィチン前運輸相等、腰掛け的処遇ではないかと思われる者もいる。
G8、G20担当大統領シェルパ:スタニスラフ・ヴォスクレセンスキーが留任。
4.内閣主要人事
(以下の順番は政府機関紙ロシースカヤ・ガゼータによるもの)
第一副首相:シュヴァロフ (留任。もう一名いた第一副首相
ズプコフは老齢のために去り、文字通り内閣の第一人者となった。
予算、公共投資、税制、貿易、極東、ユーラシア経済同盟結成、
WTO加盟、ワールド・カップ主宰準備等を担当。ドヴォルコヴィチ
副首相とダブル配置で産業政策を担当。弁護士から転じた能吏と
して鳴るが、政策形成よりは執行の方が強いと言われる)
副首相:
スルコフ (留任。昨年12月までは大統領府第一副長官として内政担当。今次
内閣では首相府官房長官に。政府提案立法、地方知事の業績フォロ ー、マスコミも担当することになっている。仕事を入れ替わった
かっこうのヴォロージン大統領府第一副長官とは不仲が噂されて
いる)
コザク (留任)
ロゴージン (軍需工業担当。政治家出身で野心大)
ドヴォルコヴィチ (シュヴァロフの代理格として所掌範囲は広い。MIT卒の改革派。大統領府補佐官から横滑りしてエネルギー、
電力、運輸、農業等幅広い職掌を得たが、実務経験には乏しく、
今回所掌分野でどこまでにらみをきかせられるか)
オリガ・ゴローデッツ(女性。モスクワ副市長から。社会・労働問題担当)
フロポニン (留任。テロ等で不穏な北コーカサス担当)
財務大臣:シルアノフ(プーチン大統領が指名。クドリン財務相の下で次官)
内務:コロコリツェフ(モスクワ警視総監から。前任ヌルガリエフは強権、腐敗で不評
だったが、国家安全保障会議事務局次長に転出。コロコリツェフ
については、評価が分かれているが、彼を知る者は良い評価を
与えるようである)
緊急事態(災害等):プチコフ(次官から昇格。ショイグ前大臣はモスクワ州知事に
転出済み)
外務:ラブロフ(留任)
国防:セルジュコフ(留任)(文民大臣として大幅な軍改革を実行したため、軍人
との関係が悪いと言われており、今回交代との観測も
あったが、留任した)
法務:アレクサンドル・コノヴァロフ(留任。メドベジェフに近い)
保健:スクヴォルツォヴァ(女性。次官から昇格)
文化:メディンスキー(新顔。国際関係大学でプロパガンダを教える40歳のやり手。
政府肝いりの、「歴史改竄修正委員会」のメンバーとして、
保守的な史観を広める。映画のニキータ・ミハルコフ監督と
昵懇)
教育科学:リヴァノフ(モスクワ鋼鉄・合金大学長から。前任フルセンコは大統領府参与に)
天然資源・環境:セルゲイ・ドンスコイ(前任トルトネフは大統領府参与に)
産業通商:マントゥーロフ(昨年フリスチェンコが去って以来、大臣代行を務めた)
地域開発:ゴヴォルン
極東開発・極東地域代表:イシャエフ
通信・マスコミ:ニコライ・ニキフォロフ(29歳。政府IT化の専門家)
農業:ニコライ・フョードロフ(プーチンの選挙対策で作られたシンク・タンク社会経済
政治研究所長から横滑り。元チュヴァシ共和国大統領)
スポーツ:ムトコ
運輸:ソコロフ(首相府部長から横滑り。前レヴィチン大臣は大統領府参与へ)
経済発展:ベラウーソフ(学者出身だが、グレフ大臣の下で経済発展省次官の経験あり。 穏健改革派的な存在。)
エネルギー:ノヴァク(財務省次官から横滑り。石油・天然ガス、電力等担当。2008年
までフロポニン現副首相の下でクラスノヤルスク州副知事。
1971年ウクライナ生まれ。)
労働社会保障:トピリン(次官から昇格)
開かれた政府担当:アブィゾフ(奇妙な名前の肩書であるが、新設のポスト。
メドベジェフが大統領の時代に手掛けていた「開かれた
政府」という一種の諮問機関の担当)
5.その他人事
権力の重要な基盤である秘密警察FSBの長官は今のところ、ボロトニコフのままである。プーチン大統領第1期、第2期にはFSB長官として活躍したパトルーシェフは、国家安全保障会議事務局長に留任しているが、メドベジェフ時代以来、彼の名がマスコミに出ることは稀になっている。
また今回、「連邦金融・予算監査庁」(2004年創設)が大統領直属になったと報道されているが、昨年7月同庁長官になったパヴレンコ・セルゲイ・ユーリエヴィチも含め、この機関についての報道は少ない。ソ連時代からこの国では「監査」と名のつく機関が多数あった。現在も会計検査院等、多数の同種機関が存在している。その中で大統領直属になったのは、不正を摘発するためなのか、あるいは逆に隠ぺいするためなのか、まだわからない。要注目の機関である。
なお、民営化に抵抗してきたと言われるヤクーニン鉄道公社総裁も、今のところ留任しているようである。
その他プーチンのKGB人脈も含めて第1期、第2期の有力者たちがどのような処遇をこれから得ていくかは、一つの着目点であるが、もはや後日談的なエピソードでしかあるまい。
(今のロシアを知るのに一番旬な本)
">(日本人が書いたロシア大河小説。ソ連崩壊の大乱を背景としたラブ・ロマンで、ロシア語版はドクトル・ジバゴの再来と評された)
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/2179