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2012年2月20日

インド旅行 ムンバイ バンガロール その1

2月9日から16日まで、インドのムンバイとバンガロールに行く機会があったので、見聞したことを書き記しておく。バンガロール大学の大学院にタシケント時代の知り合いだった日本人教師が日本語科を開いていて、スピーチをしにきてくれと言うので、前から一度見たいと思っていたバンガロール、そして一度も行ったことのないムンバイに行くことにしたのである。往復の飛行機は、これまでたまったマイレージを使った。ルフトハンザのマイレージ係りはずいぶん丁寧にてきぱきと、航空券を作ってくれた。

インドの入り口=成田空港で

ムンバイに着いたら空港からタクシーでホテルに行くつもりだった。昔の記憶をたぐって、デリーの空港で両替にてこずった(てこずったと言うより、空港唯一の両替所に人がいなかった)のを思い出し、成田空港でルピーを入手しておこうと思った。最近では、ロシアのルーブルも中国の元も、割高ではあっても成田空港で両替できる。ところが「ルピーはありません。みなさん、ドルをお持ちになっています」なのだそうだ。インドの通貨管理が厳しいからか(インド国内では両替は簡単にできるのだが)、それとも需要が少ないのか。

インド航空のチェック・イン・カウンターで「ヴィザはお持ちでないのですか?」と言われて気が付いた。「インドはヴィザ不要」と思い込み、確かめもしていなかったのだ。
「でも、なんとかなるでしょう?」
「はい、御着きになるデリーの空港でヴィザを購入できます。60ドルかかりますが、よろしいですか? (もちろん、よろしい)あと、写真が必要になります」
「写真、撮れるところ、ありませんか?」
「エスカレーターを上がられて、左の奥に進まれますと、自動写真がありますのでご利用ください」

やれやれ、行けなくなるところだったと思いながら、重い手荷物(読むべき書類が厚さ15センチほど入っている)を半分引きずって「左の奥」まで行くが何もない。通りかかった警備の人に聞いても、階下の案内で聞いてくれと言われるばかり。おお、インドは成田から始まる。あらゆるサービスを受けるのに、大変な労力と胆力と時間を使って、要するになんでもありの世界が(あとでバンガロールでは、必ずしもそうではなくなっていることを認識したが)。

日本から外に出たら、何を言われても信じない。自ら確かめるまでは信じない。ものごとは実際に起きるまで、うまくいったと思わない。これが、外国に行く時の心がけ。別に、外国の人たちを蔑視して言っているのではない。普通の人間は、いい加減なものなのだ。他人のことなど、どうでもいい。そこを認識せず、相手に好意しか期待しないこちらの方が脳天気なのだ。写真は結局撮ることができたが、ガイドブックをチェックすると、デリー空港でのヴィザ取得には問題あり、と書いてある。気を抜くことはできないな、と思う。でも、その時までは別に思い煩うこともない。

成田空港第2ターミナルは、第1より力が入っていない感じで、セキュリティ・チェックのところには長い行列ができている。ブースがまだ二つあるのに、開いていない。そのくせ入り口ではチェック要員が二人もいて、おしゃべりしている。チェック手前のかごがなくなっても補充しないなと思って見ていると、チェック要員が一生懸命かごを持ってきた。こういうのが、日本人の現場力というものなのだが、本来は現場監督が目を配り、もっとブースを開けさせたり、おしゃべりしている職員に籠をもってくることを指示するべきなのだ。

インド航空機

乗った飛行機の名前はAndhra Pradesh。インド南東、ハイデラバードを首都とする州の名だ。機材はボーイング777。これももう、初飛行から20年弱もたっている。内部は相当古びて、座席の背にあるスクリーンで安全説明をしているのはいいが、画面は歪むし、雪(・)は降るしで、なにもわからない。そして機内アナウンスも、エンジン音に埋没してわからない。

デリーまでは9時間かかる(帰りは7時間だった)。背もたれに入っているパンフに路線図を探して見ると、成田とデリーの間には中国を横切って飛ぶ路線が無造作に書いてある。こんな簡単に中国上空を通過できるのかと思って下を見ると、一面の海。自分がどこにいるのかわからなくなる。後で調べたところでは、香港あたりまで海上を南下して、あとは一路西へ、雲南省の上空あたりを通過していくようだ。

エコノミー・クラスの搭乗率は半分ほどで、日本の若者が多い。20年ほど前までは、「生と死が隣り合わせのインド人の厳しい生活を見て『自分を発見する』のだ」などという、センチメンタル、かつ他者の苦しみに無頓着な若者たちがインド旅行ブームを演出したものだが、それがまだ続いているのか? この就職難の時代に、まさか。
 客室乗務員が身を乗り出し、機内食は何になさいますか、と窓際にいる僕に聞いている。僕は思わず、「何があるんですか? チキンかビーフの選択ですか?」と聞いてしまい、その音が口外に出ていくそばから、唇が寒くなっていくのを感ずる。ヒンズー教のインド航空で、ビーフを出すはずがないだろう。なんという失礼な。客室乗務員が当惑した苦笑いを浮かべている。スミません。

 飛行機は北インド上空にさしかかる。ガンジスの支流だろう、蛇行する大河が下をずっと流れ、ヒマラヤが地平に聳えている。この山脈を飛行機から見るのは3回目だが、毎回雲に包まれ、高い峰だけが頭を出している。飛行機から見ると、インドの農地は形も色も不揃いで小振りだ。言われているように、均等相続がインドの農地を限りなく細分化し、商品作物を栽培する余裕がなくなったことが、インドの貧困の大きな原因なのだろうか。

デリー空港ターミナル

デリー空港ターミナルについては、薄暗いうらぶれた印象が残っていたが、今回は最近のアジア特有の巨大でモダンなものに変わっていた。一昨年新設されたものらしい。その割には、それほどぴかぴかでもなかったのだが、トイレは日本なみの清潔さだった。Visa on arrivalのカウンターに行ってみる。2人も係員がいて、ほっとする。ガイドブックには、「係員がいないこともあります」と書いてあったからだ。掲示を見ると、「カンボジア、日本、ルクセンブルク、フィリピン、ベトナム、ミャンマー、フィンランド、ラオス、NZ,シンガポール、インドネシアの方はここでヴィザを購入できます」とある。これらの国は、いったいどういう基準で選んだのだろう。ヴィザ購入に特に問題はなかったが、英語のできない個人旅行者には難しいだろう。

やれやれと思って、国内便に乗り換えるために、ターミナルの外に出る。すると冬のデリーの戸外は十分寒いのだ。ターミナルに戻って中でセーターを着ようとすると、汚いイスに腰掛けてターミナルに入る者をチェックしていた老人が手を振って「しっ、しっ」とやる。3秒前に目の前を通り過ぎたばかりなのに。この手の人たちには、英語は通じない。
 国内便ターミナルのFood Courtで、懐かしいマクドナルドを見つけたので行ってみると、ハンバーガーがない。当然だ。マクドナルドもチキンの照り焼きくらいしかない。でもそれではマクドナルドではない。

歳を取ってくると、インドではビーフはタブー(イスラム教徒も多いので、安全パイはチキンかマトンかということになる)ということは、頭の中に残らない。自分の食べたいもの、やりたいことしか考えないようになってくる。

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