英国のEU離脱騒ぎ キッシンジャーのロマンティシズム
6月30日、キッシンジャーはWall Street Journalに"Out of the Brexit Turmoil: Opportunity"と題する論説を投稿した。
欧州諸国に対し、当初の統合理念(平和、自由と民主主義、法治主義)を思い出し、英国とは密接な関係を維持することで、国際秩序を担う勢力としての役割を取り戻してほしいと呼び掛けたものである。
まずその要約をお目にかける。
・Brexitは、欧州(特にフランスとスペイン)で広がるEUという制度への疑念、そして人と財の自由な移動に対する反発を体現したものである。国民投票という世論のバロメーターで示された、この情念を軽視してはならない。(その通りだ)
・国民投票の前は、離脱派はこれほどの勝利を予想しておらず、自分達の運動が社会におけるこれほどの裂け目を抉り出すことになるとは気が付いていなかった。(その通りだ。離脱を煽った政治家たちは、おぞけをふるって逃げ出している)
・そもそも欧州統合は、欧州で戦争が起きるのを防ぐとともに、欧州を偉大なものとした理念(Values。民主主義と法治を掲げる国民国家を核とする)を確固たるものとするために作られた。しかし制度は動脈硬化を起こしており、人々は「ヨーロッパ」のために何かを犠牲にしようという気になれない。(もう若者は戦争の昔のことは忘れてる)
・様々の価値観の衝突で世界が荒れている今、米欧加(Europe and its Atlantic partners)は共に思案をこらして先に進むべきなのに(common act of imagination)、欧州は今、英国の離脱問題に精力を取られようとしている。
・しかしBrexitを災難のようにばかり言っていないで、前向きに活用するのが政治家(statesman)の任務である。EUは、欧州統合のヴィジョンを思い出し(ヴィジョンがもう古いのでは? 昔ドイツを抑え込むために作られたEUは、今やドイツの製品に市場を提供するところになっている)、英国を罰しようとするよりも、統合(unity)の見通しを蘇生させるようなやり方で交渉を進めてほしい。英国の方も、EUから独自の立場を取るとしても、それとの協力を主体とするような交渉結果を目標として欲しい。そうやって、欧州に国際秩序の形成者としての役割を回復してほしい。
・欧州は紛争や移民の問題に取り囲まれているが、もっと前向きの役割を果たさないと、状況に埋没するだけである。欧州がこれから、そのような役割を分野毎に検討していけるようだったら、今回の投票結果も無駄ではなく、未来へ向けての触媒になったと言える。(そうはならない。欧州各国も、自分の国内問題で手いっぱい)
・そうやって欧州が復活すれば、米国はリーダーシップの取り方を変えるべきである。米国は欧州を圧倒する(dominance)ことによってではなく、説得することでリーダーシップを取っていくようにするべきである。そしてその中では、EUから離脱する英国を軽んずるのではなく、米国建国の時以来の「特別の関係」(チャーチルが言ったように、英米だけで世界から屹立するのではなく、共通の理念の護持者として)を体して協力していかないといけない。(圧倒しなければ、欧州は米国の言うことなど聞きはしない。)
・欧州は分裂すれば、力を失い、20世紀の最大の成果と言える米欧パートナーシップはずたずたになるだろう。欧州の統合を維持する上での英国の役割は大きい。英国は欧州文明の一員であり、経済的にも大陸に結び付いている。(その通り。だが・・・)
・現代の国際秩序は、英国で生まれた諸理念の上に築かれている。それは北米諸国にも深く根付いている(注:ジョン・ロックの自由主義等のことを言っている)。これから国際秩序にテコ入れしていくに当たって、米国のリーダーシップが不可欠であるゆえんである。(その通り。でも、これだけ格差が激しくなると、多くの者は「自由」とか「民主主義」は眉唾の価値観なのだと思い始める)
・英国の国民投票結果は、欧州、米国の双方で、懸念を呼び起こしている。希望を回復し、世界の期待を取り戻すためには、欧州と米国がまず自信を示さないといけない。
まあ、ざっとそんなところ。キッシンジャーと言えば、マキアヴェリ並みのシニカルなパワー・バランス論を思い浮かべる。最近でも彼は、ウクライナに関与することに反対し、ウクライナの犠牲においてロシアとの対立を避ける姿勢を如実に見せている。ところが、この論説では自由、民主主義という欧州発の価値観へのロマンチックとも言える帰依ぶりを見せている。ナチス・ドイツから逃げて米国に移住した過去が、彼の地を形作っているのであろう。
と同時に彼はここで、欧州が国際秩序形成者としての役割を復活すれば、米国は欧州における過度のプレゼンスを止めて、協議(persuasion)を通じてリーダーシップを取っていけるとも述べている。彼の地はやはり、初期の著作に示されている、バランス外交(concert of power)にもあるのだと思う。
青臭いとも言えるほどの欧州中心主義を前面に出した議論であるが、その趣旨には賛成する。しかし、キッシンジャーの主張は、現実から遊離しすぎている。EU離脱問題はまず英国の国内政治のイシューとなっており、離脱の手続きは未だ始まってもいない。そうこうするうちにEUお得意の問題糊塗が始まるだろう。英国は、移民受け入れの制限権などを勝ち取った上で総選挙に訴え、EU残留を決めてしまうかもしれない。
今回国民投票の結果、そして米国でのトランプ、サンダース人気などは、この数十年にわたって欧米で進行してきた多民族化、格差の増大と、職の中国への流出に対する民衆のプロテストが顕在化したものと言える。しかし欧米の政治家たちには、キッシンジャーの大上段から振りかぶった提言を実行するヴィジョンと力はなく、その場しのぎの対応を続けるしかないであろう。
自由と民主主義の価値観であるなら、現代日本はその良いショー・ウィンドーとなる。しかし、そこで「すわ、日本の出番。日本が自由・民主主義の価値観の旗振りを世界でやろう」としても、理解は得られまい。「日本は閉鎖的な国で難民も受け入れない」というイメージが染みついているからである。
日本ができること、やるべきことは、自分の持ち場であるアジアにおいて自由と民主主義と法治主義、そして自由貿易の松明を高く掲げ続け、発信し、実際に行動し続けることであろう。そして、それを中国を貶める手段とするよりも、中国を前向きに巻き込んでいく姿勢を取る方が受け入れられやすい。
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(この本は今から13年前、自由とか民主主義の近代の価値観が、侵食され、崩壊していく様をアメリカ、ヨーロッパなどからルポした随筆。いっぱい売れ残っている)
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