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世界はこう変わる

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2008年2月21日

EUでは「国家」はもう過去の遺物? 

1月の末EU諸国を東京財団の出張で回ってきましたので、その時の感想をご報告します。

EUの諸国については最近、EU委員会(正しくは欧州委員会)からは外交権を、地方自治体からはその他の権限を侵食される等、政治・経済における主体としての地位をめっきり低下させた、加盟国間の往来が自由になったEUにおいてはもはや主権国民国家は終焉を迎えつつある、アジアも早くこれに見習うべきだ、というような議論が見られます。
今回出張は、そのような議論が正当であるかどうかを調査するために行ったものです。行き先は英仏・ベルギーに限られ、調査もEUのほんの一面にしか及ばないものですが、一つの判断材料としてご報告します。

 得られた結論は、「主権国民国家こそ現在でも欧州の主要なプレーヤーであり、欧州委員会は『数あるプレーヤーの中の一人』でしかない、ということです(但し、国連やWTOなどいわゆる「マルチの外交」の場では、多数の票を有するEUが一つの立場で動くと、それで大勢が決せられてしまうことがよくある由ではありますが)。
 EUは今のところ、ヨーロッパの、ヨーロッパによる、ヨーロッパのための国連、あるいはASEANのような性格を持っていると言えます。加盟国はある時は主権国家として振る舞い、都合が悪くなるとEUを前面に立てて行動するのです。そして、主権国民国家が根強く保持されている上で最も大きな力になっているのは言語の違い、そして各国に政治家・官僚が存在しているという事実でしょう。

 つまりEUは、超国民国家の方がいいとか、国境で人間を分けることは意味がないといったイデオロギーの範疇で考えるより、欧州委と各加盟国政治家・官僚の間のせめぎ合い、化かし合い、利用し合いの物語として捉えた方が、実像に近いのではないかということです。
 そしてEU加盟国は主権国家の性格を強く残しているのですが、それは17世紀以来形成されてきた、単一の民族というフィクションはもはや維持しにくくなってきました。ドイツ、フランス、イギリスでも、昔から単一の民族とはとても言えない状況でしたが、現在では人種・宗教を異にするトルコ人等の大量流入によって(イスラム人口はフランスで20%、デンマークでさえ10%に達しています。2050年にはこれが50%になるという予測さえ一部に見られます)、社会は決定的に多民族化しつつあります。

 つまり西欧諸国は、「多民族主権国家」、あるいは領域・言語・福祉法人化してきたと言えるでしょう。

 今回、あらためて感じたことですが、それはこれまで個人の自由、合理主義、人道主義の老舗であった欧州も、最近ではこうした多民族化やグローバリゼーションの荒波に洗われて自分を見失い、内向きになっているということです。
 権威主義的政体を持つ国が多いBRICsなどが台頭する現在、「価値観を共有する(?)日米欧」が結束を強めようとしても、肝心の欧州側における地盤は随分危ういものになっているということです。それにもともと「個人主義、合理主義などの価値観は欧州でさえ少数のエリートの間でしか根付いていなかった」(あるフランスの学者の言葉)ということであれば、私などの欧州信仰もその知的薄弱さを露にしてくるというものです。

報告書全文をお読みになりたい方は、東京財団のホームページhttp://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=56を是非ご覧下さい。

月末から3月初めにかけて2週間、モスクワ大学ビジネス・スクールの招待で集中講義をしてきます。比較経済体制論ということだそうで、世界史をひもときつつ「我々はどこから来て、どこに今居て、これからどこにいこうとしているのか」というテーマで講義をします。産業革命と西欧型国民国家の由来に重点を置きます。
ロシアの学生に重商主義的、ゼロサム的な考え方を克服してもらいたいと思っているのです。

コメント

投稿者: 杉本丈児 | 2008年2月22日 10:31

EU。
それは、歴史に残る人類の大いなる挑戦、大改革である。
また、気の遠くなる時間をかけて、小さな実現を積み上げていく壮大な計画だ。
ひるがえって、日本はどうか。
コップの大きさと中身がずいぶんと違うようだ。
ただ、「沈みゆく日本」との危機感をバネに警鐘を鳴らす河東様の見識に今後も期待したい。

投稿者: 匿名(欧州在住記者) | 2008年2月22日 14:08

今回は私も関心有るテーマゆえ、いつにも増して面白く読みました。
> 特に、日本人(知識階層)が陥りがちな、「EU・超国家幻想」を見事に打ち砕いている点が痛快でした。
> フランスに住んでいますと、やはり、国家というものの重みを感じます。また、国家・民族の存続の為に成すべき事を成すという基本原則が維持されていることが感じ取れます。
EUとは言っても、各国の壮大なエゴがぶつかり合い、結局、大国主導という形で色々なことが決まっていくという構図にも納得いたします。
>
> ただ河東さんもお書きになっていた通り、調査した国々が英仏などの「大国」であったため、紹介されていた識者の声には、何かと持ち出しが多い大国側のややシニカルなトーンが多かったように感じました。
>
> 卑近なことで恐縮ですが、小生は、大国とはまったく異なる道筋を歩むことを強要されたフィンランドや中東欧などの”間欧”諸国を多く歩いてきたこともあり、そこでは、いささかの過大評価も含めてEUへの期待というものを、
また、耳にすることが多いのです。欧州大国にとってのEUと、彼ら間欧にとってのEUはまったく異なった姿で立ち現れて参ります。
私見では、EU評価というものは、河東さんがお聞きになった見解と持ち上げ気味のEU論との中間あたりではないかという気がいたします。
>
> そして、ご指摘のあった、「過度のグローバリズムへの抵抗を試みながら、市場経済との共存を図る」という観点こそ、今のEUの存在意義なのではないかと感じます。
> この点は、日本も軽視すべきではない論点だと感じております。
>
>

投稿者: 静岡県立大学・小久保 | 2008年2月23日 18:58

EUにおける国家のお話し大変興味深く読ませて頂きました。
>最近日本を始め世界中で、EUが新たな政体を構築しており、国家の役割は減少しているという主張が多く聞かれますが、私は、河東さんがご指摘のように、EUにおいて、国民国家が終焉する方向には今のところ進んでいないと思っています。
> 最近、慶應の田中俊郎先生の還暦を記念して出版した研究書の中に、私はEUの日常的な政策決定においても、やはり加盟国政府が背後に必ずいて、決して加盟国の手を離れて物事が進んでいるのではないので、安易にEUがSui Generisな政体を構築していると断定するのはまだ早いのではないか、という思いを込めて一章書かせて頂きました。
> >
> > 田中俊郎・小久保康之・鶴岡路人編著『EUの国際政治』慶應義塾大学出版会、
> > 2007年12月。
> > >
>昨年12月にベルギーのEU政策をテーマにブリュッセルで現地調査を行い、政治空白の続いていたベルギー政界の重鎮にインタビューする機会がありましたが、その現地調査の結論も、ベルギーという国家が分裂することはあり得ない、それは外国のマスメディアが面白がって誇張しているだけである、というところに落ち着きました。ベルギーはあれだけ連邦化が進み、地域政党が躍進しておりますが、それでもベルギーという国家あってこその地方であり、ベルギー国家が存続することで、EU内で発言権を確保し、地方も存続しうるという現実がわが国では十分に伝わっていないと感じました。
> >
>EU統合は、たしかに時代の流れに対応するヨーロッパが選択した一つの解決策ですが、まだ主権国家は厳然として残り続けるであろう、と考えております。
> >

投稿者: 仲井 | 2008年4月 5日 00:35

全部読みましたが、基本的に違和感はありません。EUは参加国民国家の「コンセンサス(根回し)ユニオン」です。超国家的性格は、一度だけかつて欧州石炭鉄鋼共同体にありましたが、あれは今日解散しています。EECは超国家的性格を弱めた機関でした。EUの性格はさまざまな国旗を立てた連合艦隊なのです。その連合艦隊も防衛ではNATO依存です。連合艦隊司令長官はアメリカです。仲井

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