中東における主要な対立軸 サウジvs.イラン、アラブ vs.イスラエル の変化
中東と言えばパレスチナ問題をめぐるアラブとイスラエルの対立、という時代はとっくに終わっている。そのことは5月11日に来日したネタニヤフ・イスラエル首相も強調していたことだ。なぜそういうことになるかと言うと、イスラエルに代わってイランこそが中東の脅威だということで、サウジやエジプトがまとまってしまったからだ。イスラエルはイランの核開発の脅威を言い立て、米国やサウジ・アラビアを自分の方に引き付けることに成功していた、とも言える。
もともとこの地域はペルシャ、アラブ、トルコ、ローマ帝国⇒西欧+米国の4大勢力が四つ巴、五つ巴の勢力争いを繰り広げてきた地域である。現代のペルシャ、つまりイランは核兵器開発でイスラエルの脅威になっているだけでなく、聖職者が政治も経済も支配するその統治構造は、王家が政治と経済を支配するサウジ等の世俗支配の構造を脅かす。そこでサウジとイスラエルは近年めっきり協力度を高め、共にイランと対立してきたのである。サウジは、パレスチナ問題の手前、格好悪いので黙ってやっていたのではあるが。
そうした構造の中でサウジは、イランと提携するシリアのアサド政権、そしてイラクのマリキ政権を敵視、それぞれの反政府勢力を支援するに至っていたようだ。そしてそのような政策を推進してきたのがバンダル王子、即ちサウジ総合情報庁長官だ。この人は1983年から2005年まで実に22年間も在米大使を務めていたが、9月11日集団テロ事件の際には犯人との資金面での関係が浮上した人物だ。今回はシリアの反政府勢力を助け、米国介入を実現しようとしたし、2013年8月にはロシアに赴きプーチン大統領に直談判、「15億ドル分のロシア兵器を買ってやるからアサド政権支援を止めろ、さもないとソチ・オリンピックでテロが起きるかも。チェチェンなどのテロ勢力を支援してきたのが誰か知っているだろう?」というモノの言い方をして、プーチンを激怒させたと報道されている。
このバンダル王子の地位が危なくなっているとのうわさが流されたのが2月で、これはイランのテレビが流したのである。イランは、「バンダルはサルマン王子を国王後継者の地位から引きずりおろそうとしている」という報道も流している。そして、バンダル王子は本当に4月、総合情報庁長官の地位から解任されてしまった。因みにサルマン王子はもう76歳だが、2月中旬に来日して安倍総理と会談している。
今回バンダル王子からシリア反政府勢力「支援」を引き継いだのは、ナエフ内相だとされている。ところがこのナエフ内相の父親ナエフ王子は、内相を30年以上勤めて国内のアル・カイダ勢力を潰滅させた人物であるばかりでない。2011年12月にはイランのモスレヒ情報相とも会談しているのである。この(父)ナエフ内相は2012年6月、スイスで79歳で「急死」している。その後を継いだのが、現在のナエフ(息子)内相なのである。アル・カイダとは関係が良くないのだろう。
現にこのナエフ(息子)内相は、既に2013年12月には「アル・カイダのテロリスト」約1000名に死刑を宣告したことを発表しているし、この5月6日には「イスラム過激派」60名余の逮捕を発表している。後者の嫌疑の一部には、シリアでアル・カイダ勢力を支援していたこと、サウジ高官の暗殺を企てていたこと、外国企業襲撃を企てていたことが挙げられている。そして畳みかけるように5月13日、サウジのサウド外相は、イランとの関係を改善する用意があるとして、イラン外相にサウジ訪問を招請したことを明らかにし、イラン側もこれを歓迎する談話を出したのだ。
まるで、王位継承問題も絡んで、外交がバンダル路線からナエフ父子路線に180度転換したように見える。サウジ・イランの接近。これは何を意味するか? サウジは、米国が頼りにならないことに腹を立て、イランと手を打つことで、自前の安全保障を追求し始めたのか? そうなると、パレスチナ問題が再び中東の主要な対立軸となる。
いや逆に、サウジはイランとの和解工作を進める米国に従い、おいてきぼりになるのを防ごうとしているのか? この場合でも、イスラエルはイランに対して不利な立場に置かれる。
4月28日にはオバマ大統領がサウジを訪問したが、アブドラ国王には夕食会をドタキャンされる等(老齢の国王は夕食会の前に長時間オバマと会談したので、夕食会のキャンセルも仕方ないとの見方もある)、「成果がなかった」ということになっている。しかし、いろいろのことを見ると、どうもサウジが反米の方向に舵を切ったとは思えない。むしろ米国の対シリア政策(軍事介入せず)、対イラン政策に順応する方向に舵を切ったと思えてくるのである。CNNなどが最近はアル・カイダ関係の報道を増やし、米国政府もアル・カイダ殲滅作戦を再強化しているように見えるのも、サウジがそれを支持するようになったからだとも言える。
そしてそうなると、原油価格低落の可能性が出てくる。なぜかと言うと、イランの核開発をめぐって西側との合意が成立すれば、イランに対する制裁は解除され、世界はイランの原油を購入して良いことになるからだ。イランはかつて、世界における原油貿易の6%を占め、世界第4位の輸出国だった。これが世界市場に復帰してくれば、油価は当然下がるだろう。油価が下がれば、バラマキ政策で社会不安を抑えているサウジ・アラビアなどは歳入を確保するため原油採掘の量を増やさざるを得ず、それはまたさらに原油価格を下げる方向に作用するだろう。
1985年、サウジ・アラビアは米国の要請を受けて原油の大増産を開始した。当時1年間で原油価格は1バレル30ドルから10ドル弱へと急落したのである。それまでの10年間、エネルギー危機後の原油価格暴騰の恩恵を貪り、改革努力を怠ってきたソ連は、たちまちに財政赤字に陥った。経済を強化しようとしたゴルバチョフ(1985年書記長就任)は、経済・政治両面の改革に乗り出し、それで統治機構と経済メカニズムを破壊してしまう。ソ連は1991年12月、あえなく崩壊してしまうのである。
風が吹けば桶屋がもうかるではないが、油が下がれば今でも国家歳入の60%強を石油・ガスに依存するロシアが危ないのである。浄瑠璃の「女殺し油地獄」ならぬ、「ロシア殺し油地獄」なのである。
(以上はメルマガ「文明の万華鏡」第25号からの抜粋です。「文明の万華鏡」は「まぐまぐ」社サイトhttp://www.mag2.com/で購読予約いただけます)
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