開放か閉鎖か、それが問題だ 中国の異形の経済
(これは1月26日付Newsweek誌に掲載された記事の原稿です)
世界は、年頭から中国の株、通貨価値のぶれに揺さぶられた。中国経済を語る時、3D映画ではないが、特殊な眼鏡をつけないと実像はわからない。どんな眼鏡か? それは「集権国家の官僚主義・閉鎖性」という眼鏡である。中国は、民主主義・市場経済とは違うシステム、違うマインド、違うビヘービアで動く国なのだ。
中国は鄧小平の改革以来、外国資本を大量に取り入れることで高度成長をはかってきた。今の中国は、さらに開放しないと発展できないが、開放すると国内の政治・経済コントロールを失うというジレンマに突き当たっている。「官僚主義・閉鎖性」のマインドで行くと多分、外に向かって閉鎖・統制的な色彩を強めていくだろう。外国にとって、「中国は儲かる」時代は終わる。これは、米欧の対中姿勢をも変え、日本の対中関係の性質も変えるだろう。
内にこもるモメンタム
中国経済は今すぐ崩壊するわけではない。毎年の輸出で得る約二兆ドル の外貨は中国経済の実力だし、十三億人の国民が働いて作り出すモノやサービス(但しそのうち売れた分だけ)も実力である。合わせると筆者のラフな推算で六・五兆ドルくらい 、そしてこれを生産するのに必要な輸入約二兆ドル を引くと、四・五兆ドルくらいが中国経済の芯で、あとは贅肉だと言える。
そしてこの脂肪の多い大型力士は異形でもある。中国の経済は西側の経済と大きく異なる。権力・体制の維持、つまり政治が人間の暮らしより重視され、国の力、国の格も、国民の暮らしぶりより、単なるGDPの大きさ、そして軍事力で測っている。これは、中国が「近代」――つまり産業革命、そして産業革命がもたらす富が中産階級を創り出し、彼らの権利意識が民主主義を醸成していく過程――を経ず、大量の外国資本のおかげでいきなりのし上がったことに起因する。
中世の中国経済は、西欧より数百年先行していた。十一世紀、宋王朝時代の中国は高度の商品経済を確立、十八世紀の英国に七百年も先立って、コークスで年間十五万トンの鉄を作っていたし 、火薬、羅針盤(この両者を使って西欧は植民地を作り上げた)、そして紙(西欧の出版・情報革命を可能とし、科学を進展させた)は、この頃の中国で開発されたものと言われる。資本も技術も労働力も潤沢にあった当時の中国で、ではなぜ近代=産業革命が起きなかったのかと言えば、それは社会に必要なだけのものは手工業で十分できたから、そして機械で大量生産をしても中国国内に市場はなく、海外に植民地もない、つまり事業をしても儲からない、目ぼしい利権は皇帝政府が押さえているから、「科挙」で高級官僚になってその利権を掠め取り、蓄財して地主になるのが立身の確実な手段。こういった事情があったためだろう。
モデル・チェンジの必要性
中国経済は異形・・・もう一つ、中国がソ連と同じ集権・国営経済を採用しているのを忘れてならない。話はさかのぼること一九一一年、辛亥革命で清朝を倒した漢族のインテリは、二千年ぶりに皇帝というものがいなくなったこの広大な人口大国をどう統治するかで思い悩んだ。当時、欧米に留学する者も多く、民主主義の良さもわかってはいただろうが、「自由」、「平等」で中国社会をまとめることはとてもできない。しかも、一九一九年第一次世界大戦の後のヴェルサイユ条約で、列強が山東地方をそれまでのドイツから日本に渡してしまったので、彼らもキレ、革命直後のソ連に急速になびいたようだ。
一九二三年蒋介石は、ソ連視察団に加わって、共産党独裁=「政党国家」の姿にいたく感心して帰ってくるのである。共産党が立法、行政、司法、軍、警察、文化、教育を一手に握り、選挙なしに恒久的に支配する体制は、中国の王朝と同じで親和性が高く、しかも経済を強権で高度成長させるのに向いている。そして戦後、政権を取った共産党は、これに計画経済を上乗せしたのだ。
現在、厳格な計画経済はなくなったものの、大企業の殆どは国営・公営で、党や政府に任命された官僚がそれを運営する体制は残っている。官僚たちの夢は、種々のポストを渡り歩いて北京での要職につくことで、企業や従業員の将来は二の次の問題である。そして今回のように、共産党のトップが代わると、国営企業の社長も突然更迭、あるいは投獄されたり、競争相手の企業の社長になったり、西側の経済ではあまり起きないことが普通に起きる。
そのような国営企業は効率で劣る、民営化しないと活力が出ない、我々はそう思うが、中国では逆、習近平政権は大規模な国営企業を更に合併させ超巨大企業にしないと、世界の大企業と互角の勝負ができないと思っている。化学や鉄道車両部門での国営企業合併が相次いでいる。しかし収益率の低い企業を合併させても大した効果は上がらず、官僚が企業を運営する体制では、動きが益々鈍くなる。低利融資の乱発で勝ち取った海外の大規模案件の中には、これから贈賄行為が摘発されたり、本社の社長が不意に更迭されたりで、工期が遅れるものが出て来るだろうが、官僚主義だから責任のありかも不明瞭なまま、途中で放棄されるものもでてくるだろう。
そしてもう一つの政治的要因が、中国の難儀を増幅する。習近平政権は、汚職を一掃することで共産党に対する国民の信頼を繋ぎ止めようとしている。これは、一九八〇年代後半、同じく腐敗を一掃することで社会主義の再活性化をはかろうとして、かえって崩壊の淵にはまっていったゴルバチョフ・ソ連の例を強く思い出させる。ゴルバチョフは、共産党を浄化しようとして党組織をマヒさせ、経済を活性化しようとして党の権限を制限したことで、経済・社会をコントロールする手段を自ら破壊した。習近平は、ソ連の過ちを繰り返さないよう、ソ連崩壊の過程を詳細に調べさせたが、おそらく正しい教訓を引き出せなかった、あるいは見たくなかったのであろう。それに、歴史の渦に巻き込まれた者は、何をやっても、魅入られたように破滅の底に引き寄せられていってしまうものだ。
開放か閉鎖か、それが問題だ
今、中国の経済の問題は、外部の世界経済との接点で特に深刻になっている。昨年八月には、IMFのSDRのバスケットの中に入れてもらうため元為替レートへの介入を停止、元急落、そして世界の株式市況の暴落を招いて慌てて介入を再開した。ここには、SDRのバスケット入りという国際的地位の向上しか目になく、ものごとを全体的に見ない官僚マインドが見て取れる。そして今年一月は、上海株式市場の暴落を当局は取り引き停止で止めようとして、かえって狼狽売りを助長、ますます株の売り圧力を高めた。経済を、行政的な命令、規制で動かそうとするマインドが直らないのである。
中国の経済を外部に向かって開放するか、それとも閉鎖・規制するか・・・それが問題なのだが、集権主義社会で働く官僚の本能は、こういう時「閉めてしまおう。規制しよう。命令しよう」という方向に傾く。官僚にとっては、それが安全な道なのである。中国には、西側で学んだエリートが多数いるので、開明的な方向に政策を運営するだろうと皆思っているが、国内政治の前には西側帰りのインテリは無力だし、西側の経済学とて経済を救えないことは我々も身に染みて知っている。
昨年十二月には、中国の外貨準備は約千億ドル減少した 。金融当局は、日本と通貨スワップ(危機時に、元をかたに円、あるいはドルを融通する制度)のための協定再開の話し合いを開始したと報道されている。IMF等、国際金融機関への拠出枠の拡大を求め、AIIBを作って世界に乗り出そうとしていた中国が、金融支援を求めてくる時が目の前に迫っている。
「中国ではもうからない時代」の意味
鄧小平の改革以来の成長モデル――つまり外資に優遇条件を与えて釣り出し、中国で輸出用製品を作らせることで、多数の雇用を創出、そして海外から流入する莫大な資本をインフラ建設に回してGDPを膨らませる――は限界に達している。エリートは公金を着服しては海外に送金し、外資企業には「独占的地位を利用して製品価格を吊り上げている」と難癖をつけては法外な罰金を徴収し、従業員は賃上げを性急に要求する。上も下もよってたかって、海外から入ってきた富をくいつぶしているのである。
このまま中国経済の不調、外資の流出、そして閉鎖・排外的性格が強まって来た場合、いくつかの問題が起きる。まず国内はどうなるか? 中産階級以上では、国外への脱出志向が強くなるだろう。外資の工場は共産党や政府から益々多くの要求にさらされ、中国国内企業からは嫌がらせを受け、引き揚げるものも増えるだろう。そして都市での治安は悪化する。
世界では、元の国際化の動きが鈍る。「ユーロ元」を創りだしてシティでしこたま儲けようと思っていた英国勢は失望するだろう。「中国は儲からない」ことが西側の企業家に明らかになった時、中国は欧米諸国にとって魅力を失う。外資が撤退した中国では、工業製品の質は次第に低下し、中国は二十年前にはそうであったような、日用品を安価に輸出するだけの国に後退しかねない。
しかし中国は、経済が途上国そのものであった二十年前にも、世界では大きな政治的存在感を持っていた。従って、中国経済が下降しても、日本は中国と無用の対立は避け、友好・協力関係を維持していくべきだろう。
BRICS諸国は、近代化=産業革命を成し遂げることができず、振幅の激しい膨張・収縮を繰り返している。ロシアGDPは、二〇一三年のピークが二・一兆ドル、二〇一五年のIMF予想が一・二兆ドルで 、実に四十三%縮小してメキシコ以下の水準となろうとしているのである(ルーブル価値の急落が大きい)。
世界経済は、再び「先進国」が主導する時期に入った。ここでは、人工頭脳、無人運転、遺伝子工学、代替エネルギーなど、新しい経済、新しい文明を築いていかねばならない。そして、一九七一年のニクソン・ショック以来続いてきた通貨増発バブルを克服し、モノ・サービスの生産とカネの量が一致した堅実な社会を作ること、国と国の間で子供っぽい威信を競うのをやめ、人間のための社会を作っていく。中国の夢、いや悪夢は終わりつつある。
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