世界のメルトダウン その29 理念の時代から情念の時代へ 世界国家Global Stateの胎動
(13年前、「意味が解体する世界へ」という本を草思社から出版した。
米国のイラク攻撃が、「自由」とか「民主主義」というスローガンへの幻滅をかきたてると同時に、米欧諸国の足元でも移民により多民族国家化が進行し、近代の「自由民主主義」が危殆に瀕している様を随筆風に書いたものだ。僕が自分の書いた中でいちばん好きな本。
そして今、13年前に書いたこのことが、世界のメルトダウンを起こしている。
それについて共著本の出版を策していたのが頓挫したので、ここに自分の書いた分を発表していくことにする。これはその第29回)
「世界国家 (Global State)」の胎動
既に述べたように、現代の世界では、企業の活動は国家の枠や国境を超えている。アップルが世界中から部品を集めては製造を台湾のホンハイ社に委託、そのホンハイは中国に作った大工場で中国人労働者を低賃金で働かせてiPhoneを組み立て、アップルはそれを米国に輸入して販売、多大の利益をあげる一方で、中国の労働者は販売価格500ドル中10ドル分ももらっていない。モノとしてのiPhoneは中国から米国に輸入されるので、米国の貿易収支を赤字にするのだが、米国は自国通貨のドルで払っているので、一定限度の赤字なら痛くもかゆくもない。その分を「印刷」すればいいだけの話しなのだ。つまり米国にとっての国際貿易は、日本で言えば仙台の人が福岡産の乗用車を買うのと同じで、国内交易化しているのである。
そして世界国家ができるかして通貨が統一されれば、同じことは日本や中国についても言えるようになる。同一国家の中の一地方になってしまうのである。たとえそこまで行かずとも、現代の経済において国家、国境、そして国際収支などは、その意味を大きく失ってきている。
こうした中、創造力のある一握りのエリートは、自分達を「ノーマドnomad―遊牧民 」と称し、世界のどこでも(エリートとして)働けると豪語する。彼らはインターネットで世界中の情報を入手し、インターネットで世界中のものを注文し、インターネットで友人たちと連絡する。そしてビット・コインや「フィン・テク」 が発達すれば銀行はいらない、世界の全員が使えるようなコンピューターのアプリケーション、つまり「プラットフォーム」の類――今の世界ではモノやサービスを所有する代わりに、シェア(必要な時だけリース、共用)するやり方が広がりつつあり、この一種の共有物を「プラットフォーム」と称する――ができれば国家もいらなくなる、と豪語する。そうなれば、世界が国民国家に分かれて相争う必要もなくなってくるだろう。
その上、人工知能が進化すれば、彼らは自分で学習するようになり、支配欲を学ぶことによって、ただ一台のスーパー・コンピューターが世界を支配する時代さえやってくるかもしれない。このようなコンピューターは「シンギュラリティー」と呼ばれている。
しかし、「世界国家」は言うは易く実行は難しい。白人が黄色人種の大統領に長期にわたって従うだろうか? 苦労してやっと一国の大統領や首相になった政治家が、その権力を世界国家にやすやすと差し出すだろうか? 治安と秩序を確保するための「世界国家軍」、「世界国家警察」はどのように組織するのか? そして、「世界のどこに行っても自分の能力だけをたよりに良い職に就けるノーマド」など、実際には殆ど存在しない。世界各地の利権は、その地のエリート達によって独占的に差配されているので、よそ者は能力だけでは入り込めない。
にもかかわらず、「世界国家」実現に向けて希望を持たせるものは、現代の世界でもいくつか見つけることができる。一つは、二〇〇三年オランダのハーグにできた国際刑事裁判所である。これは国家の刑事裁判権を補完して、国際関心事である重大な犯罪について責任ある個人を訴追・処罰する国際機関であり、右の重大な犯罪とは具体的には集団虐殺、人道に対する罪(性犯罪など)、戦争犯罪、侵略行為などと定義されている。そして、現職の国家元首であっても、その国内政策が国際的関心をひく重大な犯罪と認定されれば、告発され得ることとなっている。
この裁判所は、いくつか問題を持っている。まず「国際関心事である重大な犯罪」であるかどうかを認定する基準が曖昧である。そしてもっと大きな問題は、米国がこの裁判所設立に当初は協力して署名までしておきながら、ブッシュ(ジュニア)政権になると、その署名を撤回するという、超法規的な行為に出たことである。米国は世界の警察官的役割を果たしているため、米軍将兵の冒した行為を戦争犯罪と認定され、自分たちの手の届かない国際法廷で裁判されるのを嫌っているのである。ここには、今や超大国となった米国が、独立戦争時代の心理そのまま自国の主権を汲々として守ろうとすると、超大国のエゴと誤解されてしまうジレンマが如実に表れている。
一般には知られていないが、米国政府もその裁定に服する国際機関としては、世界貿易機関WTOの中にある紛争処理機関「パネル」が興味深い。ここでは、特定の国による貿易・投資上の措置により被害を被った国が提訴することができ、訴えられた国はそれに対する拒否権を持たない。裁定もコンセンサスを要するわけではなく、訴えられた国が裁定を実行しないと、訴えた側は対抗措置を策定してパネルの承認を求めることになる。これらの結果、裁定の実行率は九十%に及んでいる。
このパネルに訴えられるのが一番多いのは米国(米国が他国を訴えるケースも多い。米国は二〇〇三年までに百二十件訴えられ、百六件他国を訴えている)だが、米国も裁決に対して拒否権を持っていない。パネルの裁決に不服な場合、上級委員会に上訴することができるが、ここでもいずれの国も拒否権を持たない。上級委員会は七名の委員から成っており、いわば国連の安全保障理事会に相当するわけだが、日本は最近まで常に委員を送って来た。つまり、WTOでは大国の専横が見事に抑制されて、法治主義が貫徹されていると言えよう。但し二〇一六年五月、米国は上級委員会の人事に介入。韓国人委員の再任を妨げようとした。
TPPのISDS条項(Investor-State Dispute Settlement)は、企業が外国での投資において不利な扱いを被った場合、その国の政府を当該企業が仲裁機関に提訴できる、とするもので、反対者は米国企業が日本政府を訴えるのはけしからん、と言う。しかしISDS条項は、これまで多数結ばれてきた二国間の投資保証協定の多くに含まれている。そして反対論者達は、TPPにISDS条項が入っているおかげで、日本企業が米国政府の不当な措置、あるいは中国(がTPPに入った暁には)政府の不当な措置をパネルに訴え出るのが可能になることを見落としているのである。米国に対する被害者意識が過ぎる。
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