世界のメルトダウンその9 近代の諸概念の意味の喪失3 民主主義のポピュリズムへの堕落
(13年前、「意味が解体する世界へ」という本を草思社から出版した。
米国のイラク攻撃が、「自由」とか「民主主義」というスローガンへの幻滅をかきたてると同時に、米欧諸国の足元でも移民により多民族国家化が進行し、近代の「自由民主主義」が危殆に瀕している様を随筆風に書いたものだ。僕が自分の書いた中でいちばん好きな本。
そして今、13年前に書いたこのことが、世界のメルトダウンを起こしている。
それについて共著本の出版を策していたのが頓挫したので、ここに自分の書いた分を発表していくことにする。これはその第9 回)
民主主義のポピュリズム(煽動+迎合)への堕落
今日の先進国における政治の背骨となっている「民主主義」については、第二章で詳しく論考されるので、ここではその民主主義がポピュリズムに堕落してしまったために、先進国のガバナンス(統治)が危殆に瀕している、ということだけを指摘しておきたい。
現代の民主主義の原型の一つは近代英国で育ったが、その過程は決してきれいごとではなかった。十九世紀前半までの英国政治は腐敗と政党間の泥試合にまみれていたし、成人男女の全員が投票権を獲得した(普通選挙)のは、近々一九二八年のことである。投票権の拡大は、各政党の消長、そしてその背後の利益団体の利害に直接結びつく問題なので、きれいごとではなかなか進まない。米国は建国の当初から民主的であったが(奴隷は除外)、それでも初期の大統領は有力者間の談合で決まり、徒党(政党)を組んで相争うのははしたないこととされていたのである。大統領を選ぶ「選挙人」を選ぶ投票に、国民のほぼ全てが参加できるようになったのは一八二九年のこと、今のように選挙戦で候補が全国を行脚して回る習わしと共に、ジャクソン大統領(米国ポピュリズムの父とされている)が再選された時からのことである。
しかし全員が投票権を持つ社会、全員が政治に参画できる社会というのは、とりまとめができない。一人の人間が何とかとりまとめることができるのは、せいぜい十人~十五人だろう。人数が多くなると、トップと底辺の間には企業なら部長とか課長、政治の世界では政党、そして政党を支える労働組合、農協、業界団体等が介在して票集めをする。学問の世界では、これを「中間団体」と言う。
世界史はこの中間団体が次第に骨抜きになり、政府が国民一人一人に直接権力を行使し、国民個人々々が政府に働きかけることができる方向で展開してきた。ビジネスの世界で言えば、問屋や仲買人などは迂回して、生産者と消費者が直接結びつく「中抜き」である。現代はインターネットの登場やマイナンバー制の導入で、この「中抜き」の現象が究極にまで進みつつある。日本の総理大臣がツイッターで何かをつぶやけば、それは理論的には日本の全員が見ることができる。
しかし、中間団体が抜けたことで、社会はコントロールがほぼ不可能なものになった。総理大臣がツイッターに消費税を一%上げたいと書いても、誰も同意しないだろう。以前なら、労働組合や業界団体ベースで意見を取りまとめてくれた。今では中間団体の組織率が低くなったり、若者に嫌われて組織が老齢化したりで、力を失ってきているのである。
こうやって政府の意図を社会に受け入れさせるのが難しくなったとすれば、社会の要求を政府に伝えるチャンネルもまた、目詰まりしている。国民一人々々が総理大臣にメールを送ることは可能だが、総理大臣や政府はそのすべてを消化し、調整し、対応する能力は持っていない。以前なら中間団体の掲げる要求に対応していればよかったのが――それだけでも大変な労力と予算を必要としたが――、今ではばらばらになった一億人の有権者の意向を政府が一手に「集約」しなければいけない。これは、いくらビッグ・データの処理法が進んでも、スーパー・コンピューターが発達しても、おそらく解けない課題だろう。
このつかみようのない現代社会を相手に、政治家たちは行動しなければならない。きめの細かい対応などできるはずもなく、どうしても予算をばらまくことで歓心を引こうとする。その結果は財政赤字の拡大で、増税につながるのだが、政党はそんなことはおかまいなし、「とにかく権力を取ること」を優先する。
政党はまた、イシュー(有権者の関心を引くような問題)を仕立て、「悪者」を作り上げ、自党をその悪者と戦ってイシューを解決しようとしている善玉に見せて、票をかせごうとする。現代の日本で言えば、「安保法制は徴兵制につながる」という議論とか、極端な反中や反韓、米国や西欧で言えば移民・イスラム排斥の類である。これは、大げさな議論によって国民をたぶらかし支持を得ようとするファシズムの手法に類似している。
政治家のうち無責任な者は、このつかみどころのない大衆という大海の波に乗り、ある時は波をあおり、制御をしない。正しいリーダーシップを発揮しない。その結果、海水はある時は岸にたたきつけられ、ある時は堤防を破壊する。波に乗っていた政治家、あるいは政党も、次の瞬間には水に呑まれてしまうのである。これをポピュリズムと言う。議論の結果、多くの者にとって益のある結論を得ようとする民主主義とは全く違う、民主主義のミュータント(突然変異)のようなものである。そしてポピュリズムの極致がファシズムとなる。
現代社会は「中抜き」によって制御不能となり、政府と国民の間のインターフェース(連絡回路)は目詰まりしたまま。つまり「民主主義」という言葉も溶融したのである。
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