世界のメルトダウンその7 近代の諸概念の意味の喪失1 「理念」の後退
(13年前、「意味が解体する世界へ」という本を草思社から出版した。
米国のイラク攻撃が、「自由」とか「民主主義」というスローガンへの幻滅をかきたてると同時に、米欧諸国の足元でも移民により多民族国家化が進行し、近代の「自由民主主義」が危殆に瀕している様を随筆風に書いたものだ。僕が自分の書いた中でいちばん好きな本。
そして今、13年前に書いたこのことが、世界のメルトダウンを起こしている。
それについて共著本の出版を策していたのが頓挫したので、ここに自分の書いた分を発表していくことにする。これはその第7 回)
その二・近代の諸概念の意味の喪失
「理念」の後退
意味が溶融してきたのは、国家、国境だけではない。近代の工業化社会で基本的な理念とされてきた「自由」とか「民主主義」の概念も、そのあやふやで相対的な性格を露わにしてきている。なぜそうなったか、筆者の考えるところを説明しよう。
二〇〇一年九月、アルカイダがニューヨークの国際貿易センター・ビルに旅客機を突っ込ませ、三千人弱もの死者が出た時、ブッシュ大統領が「これは戦争だ」と宣言し、アルカイダへの報復のためその根城アフガニスタンに侵攻したところまではよく理解できた。しかしアルカイダに無縁のイラクが次の標的とされたのは、理解しにくかった。米国は、「フセイン政府が大量破壊兵器を製造して所有している」からだと主張したが、その後その大量破壊兵器なるものはイラクのどこからも発見されなかったのである。そして、ロシアや中国は国連の安保理で、イラクを武力で制裁することに賛成しなかったから、米国がイラク侵攻のために組織した多国籍軍は、国連安保理の明示的お墨付きを得たものではなかったのである。
当時の米国では、リチャード・チェイニー副大統領、ポール・ウルフォヴィツ国防副長官など、「軍事力を用いてでも自由と民主主義を途上国、独裁国に広めることがその地の人間たちのためになるのだ」というネオ・コンサーヴァティズム(「ネオコン」。後出)の独善的理想主義が幅を利かせていた。そしてソ連亡き後、唯一の軍事大国となった米国は、自分の意志を軍事力を用いて実現するのをためらわないようにもなっていた。多額の軍事予算でうるおう軍需産業や、イラクという脅威を除去しておきたいイスラエルがこれを煽る。思念、打算、野心と欲がどろどろにからんで一つになったのである。
アフガニスタン、イラクでの戦争では、数々の不条理なことが起きた。中でも、テロリストの疑惑をかけられた約七百五十名の現地人たちが、キューバにある米軍のグアンタナモ基地に送られ、証拠もなしに拘留されたままになった(黙秘を続けているからでもある。その後人数は三百名以下に減少)こと、またイラク戦争の際マググレイブ刑務所において、現地人被疑者が米軍関係者に肉体的・精神的な拷問を受けて自白を迫られた(ビデオが世界に流布された)ことが印象深い。これらの例を見る限り、弱者に自由はない、自由であることができるのは力と富を持つ者だけである、ということが如実になる。
「自由」は、ソ連末期の民主的改革に乗って台頭した若手インテリの標語でもあった。彼らは米国の自由と民主主義を礼賛、ロシアにも同じものを導入しようとしたのである。しかし、当時のロシアのような経済が未発達な社会で自由を拡大すれば、人々は暴力で利権を奪い合うだけであり、大多数の国民は貧困のままなのである。しかも西側は、ロシア人が自由であるかないかに関係なくロシアを敵視して、ロシアから独立したばかりのバルト三国をNATOに入れた。
こうしてロシアの大衆は、自由と民主主義を叫ぶ西側帰りの「青二才たち」が、自分たちの生活や国をめちゃくちゃにしたと思い、リベラルという言葉、自由という言葉、民主主義という言葉を憎むようになった。現在のプーチン政権は、ソ連時代の保守集権体制を復活させているが、大衆の多くは「自由よりも安定を重視する」という姿勢を何度にもわたる世論調査で示しており、そのためにプーチン支持は高止まりしているのである。
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