旧ソ連諸国旬報第6号
(旧ソ連圏には計13年間勤務したが、今でもロシア語、英語のニュース、論評を毎日読んで、自分でデータバンクを作っている。それをベースに四半期ごとに若手の専門家の参加を得て勉強会を開いている。その際の報告をもとに旬報として公開することにした。あと何年できるかわからないが、お役に立てば幸い。
旬報は、ロシアと旧ソ連諸国の二本立て。期間の記事データバンクは量が多いので、別のブログに掲載してある。ご関心の向きはhttps://wakateeurasia.seesaa.net/article/481287437.htmlをご覧いただきたい)
ここでは、主要な点だけ指摘しておく。なお、ベラルーシでの反政府活動家、「空中捕獲」は、今回間に合わなかった。
1)ベラルーシ
昨年後半は強力な反政府運動を受けてロシアへの依存を強めざるを得なかったルカシェンコ大統領だが、最近になってすっかり自分のペースを取り戻している。これは、国営企業の従業員を中心に彼を支持する国民が実は多いこと、反政府分子のうち有力な者たちが、海外に逃れるか、収監されて無力化されたことによる。彼らはもともと、まとまっていなかったのである。
それでもルカシェンコはロシアに対して、早期大統領選を行って自分は引退するかのようなことを言い続けている。しかし彼の権力が安泰なものになれば、いつでも前言を翻すだろう。
ルカシェンコは4月13~14日、アゼルバイジャンを公式訪問して、同国からの石油輸入を増やす件を話し合っている。ベラルーシはロシアの原油を割引価格で購入しては、それを加工したものをEUに輸出して多額の利益をあげている。ロシアはこれまで、この価格の引き上げ、あるいは供給量の削減をちらつかせてはベラルーシに圧力を加えてきたのだが、ルカシェンコはアゼルバイジャンの原油を輸入することで、ロシアの鼻を明かしてきたのである。アゼルバイジャンの原油はトルコの黒海沿岸の港からウクライナのオデッサに運ばれ、そこからパイプラインを通ってベラルーシに運ぶことができる。これは以前は、ロシア産原油が逆方向に流れていたものだ。このパイプラインはロシアの領内を通らないので、ロシアに止められることもない。海千山千のルカシェンコの本領である。
2)モルドヴァ
モルドヴァでは親EU(ということになっているが、それほどでもない)とされるSandu女史が昨年11月の大統領選で、親ロシア(ということになっているが、基本的には日和見)のDodon前大統領を破った。しかしモルドヴァでは議会が選ぶ首相が、行政の実権を握る。Sanduは自党「行動と団結」の議員を首相とするためには、議会を解散させて多数議席を握る必要があるのだが、モルドヴァの大統領は憲法上、議会の解散権を持っていないし、彼女を支持する野党連立も議会を解散するための多数議席を持っていない。そこで半年にわたってモルドヴァの政治は膠着状態が続いていたのだが、Sandu大統領は憲法裁判所の裁定を仰いだうえで4月28日、(超法規的に)議会解散を宣言。7月11日に総選挙を行う旨、一方的に宣言した。この行為が合憲かどうかは怪しいのだが、社会党その他から抵抗への動きは見られない。何者かのカネが動いているかもしれない。
3)コーカサス
ナゴルノ・カラバフ戦争で敗戦したパシニャン・アルメニア首相は、権力を保持している。ナゴルノ・カラバフ問題に熱心な国民は、アルメニアで多数ではないのだ。パシニャンは野党勢力の策動を断つため、4月25日に辞任。これは新任首相候補を議会に2回拒絶させることで国会解散を実現、早期総選挙を可能にしようという姑息な手段なのである。総選挙までは、パシニャンが「首相代行」としてこれまでと変わらず権力を行使する。総選挙は6月20日が想定されている。
ナゴルノ・カラバフでは、アルメニア系住人たちが自分たちの政府を保持し、反アゼルバイジャン独立勢力としての地位を固めつつある。国外のアルメニア人の資金・兵器援助を受けることとなれば、アゼルバイジャン軍に武力攻撃をしかけ、平和維持のために常駐するロシア軍に頭痛の種となるかもしれない。
アルメニア領にあるアゼルバイジャンの飛び地「ナヒチェヴァン」は、逆の立場にある飛び地の「ナゴルノ・カラバフ」と違って、国際的注目を浴びてこなかった。しかし今回、アゼルバイジャンは同地に至る回廊をアルメニア領内に確保した。この回廊に沿って、これまでもナヒチェヴァン領内にあって朽ち果てていた鉄道を復旧し、アゼルバイジャンとナヒチェヴァンを結ぶだけでなく、アゼルバイジャンとイラン(トルコと結ぶことも可能)を結ぶというアイデアが浮上している。ナヒチェヴァンはアルメニアにとっても、イランと結ぶ唯一の鉄道が通っていたところで、これを復旧させることには大きな意味がある。いずれも、まだすぐ具体化するわけではないが、面白い話しだ。
4)キルギスとタジキスタンの国境紛争
4月末、キルギスとタジキスタンの国境で軍同士の衝突があり、2日間で36名のキルギス人が亡くなった。このあたり、ソ連時代の国境線引きで、多数のキルギス人がタジキスタン領内に取り残されている地点。
この件で、キルギスとタジキスタンの双方が加盟している「集団安全保障条約機構CSTO」は何もしなかった。衝突の起きた4月28日、CSTO諸国の国防相はタジキスタンの首都ドシャンベで会合し、アフガニスタンからの米軍撤退に伴う、国境防衛問題等を話し合っていたのだが。
もっともNATOでもトルコとギリシャの争いが止まらない等、加盟国同士の争いは厄介なものだ。それに、このキルギス・タジク国境部分は、両国間の密輸のルートが通っているようだ。よそ者は下手に手を出せないのだろう。ロシアはタジキスタンのラフモン大統領を5月9日、戦勝記念日でのモスクワ軍事パレードに外国賓客として唯一招待。彼はプーチンとショイグ国防相に挟まれて軍事パレードを閲兵するという奇妙なことになったのだが、ロシアの狙いは上記国境紛争の調停だったのだろう。
5)ウィグルが焦点
5月12日、中国は西安で中央アジア五か国の外相との会議を主宰した。この「中央アジア+中国」会議は2回目で、前回は2020年。今回王毅・外交部長は5か国の外相に対して、ウィグル問題に介入しないよう、釘を刺した。彼は同時に、「米軍のアフガニスタンからの撤退は、順序を追ってやるべきだ。拙速にやるべきではない」と述べた。
面白いことに、日本の菅総理は同日、ウズベキスタンのミルジヨエフ大統領とカザフスタンのトカエフ大統領に電話。中国でのウィグル人の扱いについて深刻な懸念を表明した。偶然なのだろうが、少し露骨過ぎる感じがする。
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