世界のメルトダウンその5 近代の溶融 中世戦国時代への逆戻り
(13年前、「意味が解体する世界へ」という本を草思社から出版した。
米国のイラク攻撃が、「自由」とか「民主主義」というスローガンへの幻滅をかきたてると同時に、米欧諸国の足元でも移民により多民族国家化が進行し、近代の「自由民主主義」が危殆に瀕している様を随筆風に書いたものだ。僕が自分の書いた中でいちばん好きな本。
そして今、13年前に書いたこのことが、世界のメルトダウンを起こしている。
それについて共著本の出版を策していたのが頓挫したので、ここに自分の書いた分を発表していくことにする。これはその第5 回)
近代の溶融・中世戦国時代への逆戻り
一九七四年、筆者は初めて西ベルリンへ行った。当時は米ソ冷戦のたけなわ。ドイツばかりかかつての首都ベルリンも無惨に二つに分けられ、東のソ連支配地区の住民が西半分に逃げないよう(そちらの方が生活水準がはるかに高かったし、自由があった)東西の境界には分厚い壁が建てられていた。そこに行って、高いやぐらから壁の東側を見ると、広い空き地になっている。東から西に逃げようとする者は、この何もない空き地をまず横切って、それから壁にとりつくので、十中八九見つかって射殺される。国家権力と言うか、国家機構を牛耳る支配階層による剥き出しの暴力からはもう無縁になった日本人には、信じられないだろうが、そういう時代だったのだ。
それが一九八九年、東欧圏諸国が次から次に共産党政権を倒し、ソ連の支配から脱却すると、残る東独政権にも大衆運動の強い圧力がかかるようになった。その中で十一月九日、ある東独高官が不用意に壁を直ちに開放すると公言したものだから、民衆は壁に殺到、遂に無秩序に西ベルリンに出た上、数時間後には壁を金づちなどで壊し始めた。こうして、いくつものドラマ、悲劇を生んだベルリンの壁は数日にして多くが消え失せたのである。壁のかけらは一つ数ドルで売り出され、世界中に散らばっていった。それは冷戦の終了、と言うか、ソ連の終焉を象徴する事件であった。
ソ連邦の崩壊で、米国にとっては煙たい存在がなくなった。この広い世界に超大国と言える存在は米国のみ、米国ににらまれても、保護を求めて駆け込めるソ連という国はもうこの世にないのである。米国一極支配の様相が高まった。もともと第二次大戦での勝利の結果、米国は圧倒的な政治・経済・軍事大国として立ち現れ、世界を一つの市場として統一しようとした のが、ソ連の抵抗で世界は二分されてしまっていた。ソ連が崩壊したことで、終戦直後の米国一極支配の状況が戻って来たと言える。
今や米ドルは世界中で通用する国際通貨、だから米連銀の政策が世界各国の金融政策を左右する。そして世界の安定は米軍に依存という色彩が濃厚で、後で指摘するとおり、米国はその法律を海外にも適用する例を増やしている。となると、米中ロシア間の角逐で麻痺した国連に代わって、米国を核とする世界国家が形成される前夜に世界はある――と言ってもおかしくない。近代は別の、もっと進んだ文明に足を踏み入れるかに思われた。
しかし、二十一世紀のちょうど初頭、二〇〇一年九月十一日の晴れた日に、ニューヨークの世界貿易センター、双子のビルに、ハイジャックされた旅客機二機が相次いで衝突、ビルを崩壊させ三千人弱もの犠牲者を生むテロ事件(九・一一事件)が起きたことで、世界史は逆回転を始める。近代=モダンからポスト・モダンに移行するはずだった世界は、近代以前の戦国時代、国家以前の部族、傭兵、暴力集団といったactor達が絶え間ない抗争を繰り広げる、まるで中世の世界に逆戻りしたような様相を呈したのである。この「ポスト・モダン」と言うのは最近よく用いられる言葉で、要するに経済がグローバル化した現代では、近代史(モダン)におけるような国民国家同士の角の突き合いは無意味、過去のものになった、現代は「近代後」の時代だ、という意味である。
この中世への逆行は、二〇〇三年のイラク戦争に端を発する。米国は、九・一一事件を起こした国際テロ組織アル・カイダをアフガニスタンで殲滅した勢いで、中東地域の反米、反イスラエル勢力の中心、イラクのサダム・フセイン政権の殲滅に乗り出したのである。しかし、イラク戦争の戦費を賄うために紙幣を増発したことは、金融バブルに輪をかけて、二〇〇八年にはバブルを崩壊させ、リーマン・ショックを生み出す。米国は、海外に干渉する余裕を一気に失い、以後八年間のオバマ政権の全期間を通じて、内向きの政策を取るに至った。そしてそのことが、二〇〇〇年代に急速に成長していた中国を増長させ、ロシアとともに米国一極支配への挑戦をするようにさせたのである。
しかし、中国、ロシアは二国ともポスト・モダンの担い手とは成り得ない。両国とも、強い軍隊、警察、徴税、財政、金融政策などでは強い中央集権で、主権国家の要件を備えているかに見えるが、それは民主的な選挙による政権交代の可能性を認めていない点で、近代国家の要件を欠く。その強い中央集権制は、中世のオスマン・トルコ帝国のような近代以前のものなのである。
中国で議会に相当するのは全国人民代表会議で、ここでは確かに選挙が行われるが、全人民代表会議に実権はない。共産党・政府官僚が提出する法案・決定を形式的に承認するだけである。そして実権をもっている共産党については、一般国民がその人事、政策について意見を表明できる仕組みがない上、野党、マスコミは無力化されている。
中国共産党は戦後間もなく、武力によって権力を掌握し、その後は選挙の洗礼を経ることもなく、一党独裁を継続しているのであり、これが交代するのは失政で暴動が相次ぐとか地方幹部が独立を宣言するとか、超法規的な暴力によるしかない。その意味で現代の中国は、過去三千五百年にわたって続いた王朝、あるいは西欧の絶対主義王政に近い存在なのである。
民主主義、自由、つまり近代性を欠いた中国、ロシアの力が増大すれば、世界は近代以前、中世の価値観に引き戻されかねない。米国を中心とする資本主義世界の転覆を企図したテロリスト、アルカイダの勢力は、米軍に殲滅されたかに見えたが、米国の力を消耗させることで、資本主義世界にやはり深手を負わせているのである。
今や中国は南シナ海でのフィリピン、ベトナム等との境界係争地域に人工島を築いてまで、周囲の諸国の要求を抑え込もうとしている。この二千年も周囲の諸国を服属関係に置いてきた古い帝国にしてみれば、主権の平等を前提とする、僅か四百余年の歴史しか持たない近代国際法など、「自分はそんなこと聞いていない」の一言で切って捨てるべきものなのである。
原油価格の急騰でソ連崩壊後の瀕死状態から俄かに蘇ったロシアも、NATOの東方への拡大に武力で抵抗、二〇〇八年にはグルジア戦争、二〇一四年にはウクライナ内戦を引き起こす。東ウクライナからは120万もの親ロシア系市民が難民となってロシアに向かい、国境ではウクライナ政府軍に射殺される。その年の七月には、東ウクライナの上空を通過したマレーシア航空の定期便が何者かが発射したミサイルによって撃墜され、乗客・乗員合わせて298人もが亡くなった。
そしてロシアは二〇一五年九月、准同盟国シリアのアサド政権をサウジ・アラビアや西側から支援を受けた反アサド勢力の攻勢から救うために、僅か四日で百余発もの巡航ミサイルを発射する、まさにやりたい放題の武力の行使にも訴えた。その目的は、ソ連崩壊後、ロシアの弱みにつけこんで、旧ソ連地域のバルト諸国にまでNATOを拡大するとともに、旧ソ連諸国や途上国に民主化運動をしかけては政権の転覆をはかる――そのようにプーチン大統領は考えている――米国の鼻を明かし、シリアやロシアの主権を守ることにあった。しかし、ロシアはやることがオーバーで、すぐ刀を抜くという印象がぬぐえない。
それに加えて現代は、ISという暴力集団が、国際テロを行うばかりでなく、主権国家の内部に本拠を築き、支配領域を広げて国家を名乗る狼藉さえも、行われる時代になった。ポスト・モダン、あるいは「世界政府」の樹立どころか、その正反対。世界はあたかも戦国時代に投げ込まれたかのような、混乱、混沌ぶりを示すようになってしまった。 ――続く
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