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世界はこう変わる

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2021年5月23日

ロシア旬報第6号 21年1月から5月のあたり

(旧ソ連圏には計13年間勤務したが、今でもロシア語、英語のニュース、論評を毎日読んで、自分でデータバンクを作っている。それをベースに四半期ごとに若手の専門家の参加を得て勉強会を開いている。その際の報告をもとに旬報として公開することにした。あと何年できるかわからないが、お役に立てば幸い。
旬報は、ロシアと旧ソ連諸国の二本立て。期間の記事データバンクは量が多いので、別のブログに掲載してある。ご関心の向きはhttps://wakateeurasia.seesaa.net/article/481287437.htmlをご覧ください)

概観:
 この間、ロシア内外政に大きな波乱はなかった。反政府活動家のナヴァーリヌイはドイツで治療後、1月に帰国したが収監され、その後2年半の刑期で投獄されてしまった。彼を支持するデモも盛り上がらず、組織も公安によって破壊され、9月の総選挙・地方選挙に向けて反政府側は核を完全に失った。ロス・ナノテク社社長の座を利用してリベラル派を資金面で支えてきたであろうチュバイスも、昨年12月に「Sustainable Development担当の国際機関とのリエゾン担当大統領代表」に移された後は、環境問題で国際的に活躍するわけでもなく、おそらく力を失ったものと思われる。
9月総選挙はこうして、当局主導で進もうとしており、今のところ与党「ロシアの統一」が票を減らすも、多数議席は維持するものと予想されている。ロシアでは国営企業が多いため、有権者の半数程度(家族を含めて)は政府予算で食っていることが、「ロシアの統一」を支えている。

 コロナは一時、減少の勢いを示し、4月21日プーチン大統領もその年次教書で、勝利宣言じみたものを行ったが、皮肉なことにその直後からコロナは再び急増し、プーチンも5月1日から5月10日までを「非労働日」、つまり実質的なロックアウトと宣言さぜるを得なかった。もっとも、この旧メーデーから9日の戦勝記念日に至るまでは、ロシアでは「伝統的に」休む者が多かったのだが。
 経済は昨年、コロナで一時大きく沈んだが、2020年を通じてではGDPの減少をマイナス3%に食い止めることができた。日本のマイナス4.6%より、はるかにましである。これは年末にかけて原油価格が大きく回復したことが大きい。
他方、2024年までに4000億ドル相当の官民資金でインフラ改善等を行う「12のナショナル・プロジェクト」は、コロナで予定が狂い、規模を縮小した上で2030年までの完遂に後倒しされた。これでこのプロジェクト完遂を、プーチンが2024年に退陣、あるいは再選をはかる際の「業績」にすることはできなくなった。
またこの2年強、徐々に引き下げが図られてきた政策金利は、今年の3月0.25ポイントの引き上げで4.5%になり、ロシアの経済は緊縮ぎみに運営されることとなった。今年はGDPの0.5%分の財政黒字が予定されている。

 外交では、ロシアが4月にかけてウクライナとの国境に「十万の軍隊を集結」させたことがイシューになった。これは米国でのバイデン政権誕生を受けて、米国の支援を過度に期待したウクライナ政権が大物の親露政治家を告発したり、東ウクライナについての「ミンスク合意」を覆そうとする動きがあったこと、そして同時にNATOが大規模な演習Defender Europe 21を開始したことへの対抗措置だろう。
しかしロシアは基本的に、バイデン政権に米国との関係正常化の希望をかけており、バイデンを反露の方向に固定してしまうような行いは避けている。トランプ時代、米民主党はロシアを過度に批判することで親ロのトランプの足を引っ張ってきたが、バイデン就任後は反ロ言動をやや抑えている。4月15日、バイデンはロシアの大統領選挙介入とハッキングに対するロシア制裁措置を公表したが、これもロシア、米国双方にほとんど痛みとならない、形だけのものであった。

1. ロシア内政
1) コロナ情勢

プーチンはこの1年、ほとんどの会議・会見をズーム方式で行ってきたが、3月23日にはワクチン接種を完了(ここまで待っていた理由は不明)、4月21日の年次教書は満場の議員等を前に「ナマで」行った。しかし、コロナが再び激しくなったためか、5月の会議は再びズーム方式で行っている。因みにコロナ感染者は5月15日、全国で8790人で、4月20日の8164人より増えており、同日モスクワでは3073人が新規感染している。https://xn--80aesfpebagmfblc0a.xn--p1ai/information/。
ワクチン接種を完了した者は人口の6.5% https://coronavirus.jhu.edu/region/russiaで、日本とは比べ物にならないほど良いのだが、ワクチンを早期に開発した割には接種率が低いことが問題視されている。これはワクチンの国内での量産能力に欠けること、そして国民の間に国産ワクチンへの不信が高い(あまりに短期間に開発された)ことによる。

2) 9月総選挙へ向けて
9月19日に想定されている下院総選挙、及び地方選挙が、当面の最大イシューである。正式にはプーチンが6月中旬に日程を発表することになっており、コロナ情勢を勘案して投票日が数日にわたる可能性もある。
中央選管委員長パンフィーロヴァは4月26日、プーチンに準備状況を報告している。西側で、「ロシアの選挙はインチキだ」という批判が絶えないことを強く意識しており、開票要員の構成などで客観性をはかろうとしている。

もう一つ面白いのは、スマホ投票が広がりつつあることだ。パンフィーロヴァは、「既に1300万人がこのアプリを使いました」と報告している。政府統合サイトで投票できるそうだが、多分地方選挙のことだろう。またパンフィーロヴァはQRコードを使って開票スピードを迅速化・かつ正確化すると報告している。これにより、以前は投票日に30%の開票しかできなかったのを、90%開票できるようになったとしている。
ロシアは自分ではIT機器をあまり製造しないが、利用では日本の先を行く。素直に参考にするべきだと思う。

3) 総選挙へ向けての国内締め付け強化、そしてお仕着せ新党設立
こうしてロシアでの選挙開票の体制は、世界標準になってきたが、それであるだけ、おおもと、つまり選挙に参加できる政党・候補者を当局の都合の良いように操作する動きが目立つ。外国の資金を受けて活動する組織、候補者には肩書に「外国分子」(foreign agent)と必ず付記させるとか、ナヴァーリヌイの運動を力で押しつぶすとか(彼の財団幹部はほぼ全て海外に避難せざるを得なかったし、その後財団の事務所は地方も含めて当局の立ち入り捜査を受けて閉鎖に追い込まれた)、デモ参加者は大量に拘束して、その後は所属の大学・高校等に連絡して圧力をかける等のことが行われている。
当局は政府批判票が共産党に集中するのを防ぐため、また青年の不満票を吸収するため、いくつか当て馬の新党を設立させている。昨年9月には、「新人民党」、「緑の代替党」、「真実のために」党が設立され、12月にはプーチンの従兄ロマン・プーチンが20万の署名を集めて「汚職のないロシア」党を設立している。

このあたり、シナリオを誰が書いているのかわからない。治安強化は治安当局、政党操作は大統領府の内政担当部あたりか? 大統領選ならば選挙対策本部ができて、その本部長が指揮を執るのだが、総選挙はそうでもないように見える。

 なお、5月11日にはモスクワ東方カザン――少数民族タタール人の集住するタタール自治共和国の首都。工業・学術文化のハブ――の学校で、卒業生による発砲事件があり、7名の生徒と2名の学校要員が死亡した。これを契機に、ロシアでも米国のような銃砲所持取り締まり強化論議が出ている。
学校でのテロと言えば2004年9月、プーチンが2期目の当選を果たして間もなく、南部の北オセチア共和国のベスランで「チェチェン系の」テロ事件があり、150名余人もの学童(全体で334名が死亡)がテロリスト、公安、双方からの銃火にさらされて亡くなった事件を思い出す。プーチン政権はこれを境目に、一期目の改革路線から保守・取り締まり路線に転換。ホドルコフスキーの投獄や民放の独立テレビ局の弾圧につながったのである。
今回、カザンでのテロ事件はベスラン事件ほどの規模ではなく、政治的背景もないため、学校の保安規定の改善、そして銃所持許可年齢の引き上げなどで終わるだろう。2018年は同じく南部のケルチの職業学校で、生徒が仲間を20名殺して自殺する事件が起きた時、当局は右許可年齢の引き上げ(18歳から21歳へ)を当初はかったものの、うやむやで終わっている。

4) 「プーチン後はプーチン」なのか?
プーチンの任期は2024年に切れるのだが、「次の大統領」論議は今下火で、総選挙、そして対米関係の成り行きが主要な関心対象になっている。プーチンは健康だし、昨年は憲法を改正して、2024年大統領選挙にも再出馬できる体制を作ってある。これによって、レームダック化するのを防いでいるのだが、20年余にも及ぶ長期政権(その間4年間は首相に退いてメドベジェフを前面に立てていたが)は、「プーチンしかいない」と「もうさすがにもたない」の両極端の意見に常にさらされている。

    プーチン以外の大統領候補として最も有力なのは、ミシュースチン首相である。彼の支持率は1月で58%で、プーチンの65%と並んでダントツである。首相はいつも高い支持率を得るのだが、メドベジェフが首相だった時より明らかに高い。国民は、ミシュースチンが国税庁長官時代、納税電子化も強力に進め、至便性、透明性が格段に良くなったのを評価しているだろう。これはもう十年も前、モスクワのタクシーの運転手が問わず語りに言ったことで、河東は驚いたことがある。
さらにミシュースチンは国税庁長官だったので、要人の弱みを握っているだろう。またメドベジェフ首相が検察と対立していたのに比し、ミシュースチンは現検事総長クラスノフとしっかりタグを形成している。この基盤があれば、公安を含めて政府をしっかり把握していくことができるだろう。そしてプーチンが彼に向ける視線が温かいことも、重要なことだ。12月24日のテレビ閣議でプーチンは、「難しい時に、混乱なく、放り出す者もなく、落ち着いて、てきぱきと」仕事をしてくれたとねぎらいの言葉を投げているが、これはミシュースチン個人に対する評価でもあるだろう。

 一方、メドベジェフは昨年1月、プーチンの年次教書で解任を「知らされて」以後、国家安全保障会議副書記という新設のポストに落とされていたが、2月1日には複数の記者と会見し、「昨年のロシア」を大統領的な視点で振り返っている。彼は野心を捨てていないようだ。

5) 汚職摘発強化
総選挙対策の一環だろうが、汚職摘発が強化されている。ターゲットは中央政府より、地方知事レベルに絞られている感があり、3月末にはペンザ州知事が逮捕され、自宅から5億ルーブルの現金を押収されている。また経済犯罪取り締まりに当たる警察・公安幹部が、収賄で不当利益を得ているケースも摘発されている。

6) 青年層との断絶

プーチンは既に20年余、権力の座にある。1990年代初め、ソ連崩壊の混乱に乗じて諸組織の上部にのぼった当時の若手エリートも、既に老年世代になりながらも権力の座から去ろうとしない。

他方、今のロシアでは34歳以下の者が人口の43%を占めており、このソ連時代を知らない連中がこれから社会の主流となってくる。旧ソ連世代と新世代はそれぞれ別世界に生きており、新世代は今のロシア指導部を自分たちのものとは感じていない。積極的に反抗するというのではないが、別世界に属する存在、自分たちには無関係な存在として扱っている。

若者は、老年世代の国家主義、あるいはナヴァーリヌイ的な自由主義ロマンチシズムの双方に関心がない。彼らは、「普通の自由な生活ができる国を望んでいる」(3月5日 ロシア専門家Paul Gobleのブログ)。河東も、長年モスクワ大学で教えてきて、強くそう思う。ロシアの青年は、よく言えば、何かに「憑かれている」ことがない。悪く言えば、勉強していないのである。

ただ、若い世代の可能性を過大評価するのは適当でない。平均寿命が短いロシアは、常に若年世代の比重が大きい国であったのだろう。ソ連の時代でも、「若者が国を変えるだろう」とは常に言われていた。そしてペレストロイカとソ連崩壊の時には、確かに若年世代の価値観が前面に出てきた。しかしいつもそうなるわけではない。権力という地殻にゆるみが出た場合のみ、若い世代というマグマは地表に出ることができるのだ。

7) ロシア世論の口に合わなかったナヴァーリヌイ
ブログで要人の汚職を摘発して名を挙げた活動家ナヴァーリヌイは、上記のように当面マスコミから忘れ去られることとなろう。もともと彼への支持率は表向き5%を超えたことがない。面白いのは、「ロシアでは、政府や既存の権力と無関係の人間が、市民の信頼を得ることはない」という見方があることだ。これはどこの国でも言えることだが、ナヴァーリヌイの場合、これに加えて西側の支援を得ていることが明白だったことも、マイナスに作用している。

ロシア人は、西側の手先になって自分たちの政府を倒そうとする者を嫌う。更にナヴァーリヌイが、ある時はリベラル、ある時は人種差別的な国家主義の間をふらふらし、時々発表するYoutubeでのビデオも、その真正さに疑問が呈されたことも、マイナスとして作用した。
彼の財団が1月末に発表した「プーチンの宮殿」というビデオも、現地に取材に赴いたロシアのテレビ局がその宮殿はまだ完成もしていないことを放映した後は、勢いを失った。ナヴァーリヌイはこれに対して意味のある反論、反証を提示することがなかったのである。

その他、彼についての興味ある事実は、データ・バンクの中に多数あるので(特に、昨年8月ドイツで入院のための移送、回復した後の上記ビデオ作製において、ドイツのNPOの支援を受けていたこと等)、「ナヴァーリヌイ」で検索して見ていただきたい。
なお、昨年8月、「毒を盛られた」彼をシベリアのオムスクで最初に治療した病院の幹部医師たちが、その後既に3 人ほど不明死を遂げたと報道されることがあるが、最初の2名はナヴァーリヌイの治療には関係しておらず、死因は自然死との報道もある。5月7日、オムスク州の保健大臣(昨年8月は、ナヴァーリヌイが入院した病院の医科長だった)ムラホフスキーが森に狩りに行ったまま行方不明になったと報道された件についても、10日に無事に発見されている。

2. ロシア・経済

この1年、ロシアの経済は新型コロナ流行に大きく揺さぶられ、財政拡大から緊縮への転換等、いくつかの方向転換を迫られた。しかし2020年第2四半期には対前年比7.8%も下落した経済も、第4四半期には前年比1.8%の下落にまで急回復。20年のGDPはマイナス3.0%の減少で食い止め、日本のマイナス4.6%に比べればましな結果となった。
しかし2009年以来の成長率は年平均1.8%弱に止まり(日本は0.8%弱)、2014年のクリミア併合と原油価格の低落を引き金とする実質可処分所得の低落は、コロナ禍でまた勢いを増している。今年9月には総選挙を迎えるので、国民の間に不満が溜まらないようにしておかないといけない。
なお2020年ロシアは、OPECの一部に協調して原油生産をかなり削減した。サウジアラビア等が増産に転じた後、21年2月になっても、ロシアの産油量は対前年同期比マイナス13.8%の水準に下落傾向を強めている。「減産のためにバルブを止めて凍結してしまったロシアの油井は回復が容易でない」という以前からの説明は、本当のことだったのだろう。
化石燃料から脱却というグローバル・トレンドもあり、20年はロシアが原油依存から別の途を追求し始めた年として記憶されることになるかもしれない。20年4月採択された、35年に向けての「エネルギー戦略2035」では、水素生産で世界のリーダーとなるとの目標が掲げられている。

1)停滞への「回復」

20年のGDPは3.0%縮小した。これは先進国の中では良好な成績であり、また製造業が第4四半期には対前年同期比2.0%の増加を見せたこと、穀物生産が好調で世界一の小麦輸出国となり20年には農産品輸出で300億ドル強を稼ぐに至ったことも、救いである。20年4月にかけて原油価格が大幅に下落したため、20年の総輸出額は対前年21%減少したが、それでも920億ドルの貿易収支黒字、339億ドルの経常収支黒字をあげた。
21年第1四半期の統計は出揃っていないが、昨年第3四半期に見られたコロナからの回復傾向は第4四半期で足踏みし、そのトレンドが持ち越されているようだ。ロシア経済は、コロナ禍からはほぼ回復したものの、19年までの長期停滞トレンドに戻っただけだと言えよう。2009年~20年、ロシアのGDPは実質で19%増加したが、これは年平均1.8%弱の低率なのである。

2)緊縮政策への転換

コロナ禍直前までは、長期停滞傾向を財政支出拡張と利下げで克服しようとしていたロシア政府は、21年には緊縮財政・利上げの方向に転換している。これは、2020年の国家歳入が実際には不振であったと思われること(最大手銀行のズベルバンクの株を操作して穴埋めをしている)、また2020年末から一部品目でインフレが顕著となり――食品価格は6.7%上昇――、21年1月末にはバター、砂糖等にソ連時代のような価格統制を導入せざるを得なかったことも影響しているだろう。
この2年強、利下げに努めてきたロシア中銀も21年4月末には、0.5ポイント利上げして政策金利を5%とした。

また一律13%だった個人所得税に手が入れられ、21年からは年収500万ルーブル以上の高所得者の税率が15%に引き上げられたし、海外に本社を置くことでロシアでの節税をはかっていたロシア人の企業に対しては、その本社所在国との二重課税防止条約を破棄してまで、課税が強化された。
その上で政府は20年9月の閣議で、21年度予算では公共福祉に関わらない項目の予算は軒並み10%削減することを決定。それを受けて、21年度予算の歳出額は20年度に比べて6%削減となった。これに応じて「国家的プロジェクト」も規模縮小の方向が示された上、20年7月にはその完遂時期がこれまでの24年から30年に後倒しされた。24年はプーチン大統領の今の任期が切れる年であるので、この後倒しは内政上の意味合いも持つ。

3)ロシア経済は言われている程悪くない

ロシアの経済は、西側で言われている程には悪くない。世界での石油需要は当面続くし、天然ガスへの需要も今年はEUで非常に大きいものがある。石油、兵器に加えて、穀物等農産品が20年で300億ドル強と、大きな輸出品に育っている。財政は黒字で、外貨準備は約6000億ドル、石油輸出の超過利益分を積み立てた「国民福祉基金」は2019年から倍増して1800 億ドル強の水準にある。本年の総選挙、そして2024年の大統領選挙に向けてばらまきを行うための資金は十分あるのだ。
このため、ロシアの株価は上昇を続けており、ロシアの国債も外国金融機関の間では人気が高い。西側諸国によるロシア制裁は、先端技術の輸出制限でロシアの兵器生産を阻害している他は、金融面も含めてロシアに痛みを与えていない。
ミシュースチン首相の行政能力は高い。彼が産業政策面での知見に欠けている点は不安要因なのだが、プーチンは20年6月のスピーチでIT関連企業の法人税、社会保険負担を大幅に削減することを約束しているし、前期のように35年に向けての「エネルギー戦略2035」では、水素生産で世界のリーダーとなるとの目標を掲げている。ロシアは、経済の構造改革にも取り組んでいるのである。

4)対外経済関係

 ロシアの経済は、閉じた体系ではない。耐久消費財の多くを輸入に依存しているだけ、天然資源等の輸出で外貨を得ることが重要だし、その外貨収入は海外で運用されることが多い等、金融面でもロシアは世界経済に組み込まれている。そしてロシアの政府・銀行は、旧ソ連諸国を中心に外国に低利融資を行うこともある。
ロシアの貿易相手国としては中国が第一位の座を占めているが、欧州を国毎ではなくEUとして括れば、ロシアの輸出の50%弱を吸収するダントツの貿易相手である。EUとの間では2014年、ロシアが逆制裁としてEUの食品輸入を禁じたことが、20年には食品価格の上昇となって跳ね返って来た。

なお、米国はロシアの天然ガスの対EU輸出を抑制しようとしているが、米国産シェール・ガスはロシア産に価格で劣ることもあり、EU側は譲る気配を見せていない。米国はロシアへの制裁を強化しつつも、自身は前述のようにロシア産重油の輸入を急増させる等(20年は米国石油輸入の7%に達した)、外交統合失調のところを見せている。総じて、ロシアと西側諸国との経済関係に大きな変化はない。
中国との貿易、特にエネルギー資源、海産物の輸出で対中依存が強まっていることには、ロシア国内で警戒する議論も見られるが、改まる気配はない。ロシアは米国に対抗するために中国との提携を強め、経済面ではドルを国際基軸通貨の座から追い落とすことを目標として、20年央には両国間貿易決済でドルの比重を50%以下に落とした。またロシアは保有する米国債を2017年には売却し始め、20年5月には僅か38億ドル分の保有(保有分を96%売却したことになる)になっていたが、以降買い増して21年3月には60億ドル強になっている。
なおコロナ禍で、中央アジア諸国等からの出稼ぎ者は数字の上では大きく減少。4月初め、公式統計では550万人で、昨年同期より42%少ない(5月9日付Financial Times)。キルギス、タジキスタンを中心に、経済に大きな影響を与えている。ロシアでも、出稼ぎ者の急減は建設、農業面での労働力不足となって、問題化している。政府の経済政策の目玉であるNational Project関係のインフラ建設のための労働力が足りない。また今年は記録的な穀物収穫が予想されているが、収穫要員が不足するだろう。

3.ロシア・軍事
1) 国家安全保障戦略発表の遅れ
小泉悠氏によれば、昨年中に公表される予定だった「国家安全保障戦略」(6年に一度改定される。日本では中期防衛力整備計画に近いだろうか)が未だ公表されていない。おそらく、バイデン政権の政策を見定めてからと思っているのだろう。できれば、国防予算を増やしたくないものと思われる。

2) 西側の先端技術禁輸
もう一つ、非常に重要なことなのだが、米国、そして西側諸国が、中国にだけでなくロシアに対しても先端技術の輸出を停止するようになったことが、ロシアの新兵器開発・製造に響き始めている。冷戦時代、ソ連は先端技術移出禁止の主要な対象で、西側は「ココム」で対象品目とその性能を定期的に改訂。それを各国の輸出関連法令に記して、輸出を止めていた。日本の場合、それは輸出貿易管理令の別表に今でも記載されている。
ソ連崩壊後、ココムは解散したが、ロシアも参加したテロ対策の「ワッセナー合意」に移行。ロシアは先端技術の輸入ができるようになった。これが、2014年のクリミア併合を契機に、米国が規制を強め、西側諸国もこれにならったことで(そうしなければ、米国市場での取引を禁じられる)、ロシアへの門戸は再び閉められたのである。

5Gの利用がこれから兵器にも広がろうとしている今、西側の先端半導体、コンピューター等の供給を止められたロシアは、非常に困窮するだろう。ソ連の時代、高性能コンピューターや工作機械入手の道を止められて、すべての工業製品の生産で大きく後れることとなった。例えばソ連製ジェット・エンジンは出力が弱く、かつ耐久性も劣っていたし、潜水艦のスクリューは雑音を発したのである。

現在、この西側先端技術の途絶は、ロシア版GPSのGLONASS用衛星の更新で問題を生じさせている。合計28の衛星のうち25が旧世代のもので老朽化し、更新を必要とする。しかし新世代の衛星を製造するには西側部品が大量に必要で、自力で製造すれば一基約1億ドルかかることになる(1月22日付Jamestown)。また、海軍でも新型軍艦製造がこの問題で停滞している。

4. ロシア・外交
1)バイデンの肩透かし

ロシアの外交は、コロナで往来が難しいこと、そして米国のバイデン政権の様子見をしてきたことから、大きな変化はなく、不活発気味に推移した。バイデンの民主党はこの4年、2016年の大統領選敗北の原因をロシアの介入だとして攻撃を集中、かつトランプを親ロシア分子だと決めつけて、その足を引っ張る材料とした。そのため、ロシアはバイデン政権の誕生でさぞかし「構えて」いたことだろう。
しかしバイデン自身は原理主義的な反ロシアではない。彼は議員活動の初期からソ連との核軍縮交渉を推進した人物で、ロシアに対しても警戒・抑止しつつ、必要なところでは協力するという柔軟な立場。かつ当初は国内問題(外交では中国)に注力するので、外交は適当なところで止めておきたい、ロシアは問題を起こしてくれなければ良しとする、という立場である。オバマ時代までは海外でのレジームチェンジをしかけてきたCIAの長官には、元在ロシア大使の生粋の外交官William Burnsを配している。バイデンはBurnsについて、「諜報は政治的であるべきでない(レジームチェンジなどの工作を控えるべきだという意味だろう)という自分の信念を体現・・・」と言っている由。

バイデン政権は、就任早々、トランプが逡巡していた戦略核兵器削減の「新START条約」の延長をあっさりと決めた。4月15日には米国大統領選挙への介入、そしてハッキング事件などについてロシア制裁を発表したものの、前記のようにその内容は米国業界等の利益はもちろん、ロシアの利益もさして害することのない、軽微なもので終わった。
3月17日にはバイデンがインタビューで、プーチンは殺し屋だと思うかと(ナヴァーリヌイ等の「毒殺未遂」のことを意味している)聞かれて「そう思う」と答えたことから、双方が大使を引き上げるような騒ぎに発展していたが、ウクライナ国境へのロシア軍集結で緊張が高まった4月13日にはバイデンがプーチンに電話。右「殺し屋」発言を釈明することもなく、数カ月内に第三国で会談することを持ち掛けて、ガス抜きをしてしまった。ロシア制裁はその2日後に発表されたのだが、バイデンはこの電話会談の際にそれを予告したようで、トランプのように何をするか読めない政治家という印象をロシアに与えることはしなかった。
こうしてプーチン・ロシアは目下のところ、老練なバイデンの掌の上で、頭をなでられておとなしくせざるを得ない状況に置かれている。上記4月13日の電話会談でプーチンは、同22日ワシントンでの環境問題サミットへの参加(テレビで)をバイデンに再度持ち掛けられ、当日わざわざウクライナ国境に集結させた10万の軍隊の撤収を発表した上で、このサミットに参加している。

プーチンは外交巧者と言われるが、それは相手が何かをしかけてきた時、柔道の巴投げのように相手の力を利用して相手をたたきつけるやり方なので、自分から何かをしかけて相手をねじふせる力は持たない。


2)マージナライズされたロシア
こうしてロシアが米国に適当にあしらわれ、世界でmarginalizeされていることは、例えば3月29日のJamestownが指摘している。ロシアができることは、「三隻の原潜が北極の氷の下から同時に並んで浮上して見せるような、子供っぽい力の誇示」しかない、というのである。そのせいか、2月ころにはラヴロフ以下、ロシアの外交官にはヒステリックな言動が目立った。ラヴロフは、わざわざ訪露したボレル・EU上級代表の面前でEUを、「頼りにならない存在」と嘲笑。直後にはナヴァーリヌイ擁護の街頭デモに加わったドイツ等の外交官を国外追放している。リャプコフ外務次官は、「米国を封じ込める」ことを世界に呼び掛けている。

3)対立の裏の取り引き
米ロ関係においては、裏で取引が進んでいる面もある。例えば、ロシアから米国への石油製品(主に重油)輸出が急増しており、2020年ロシアは米国の石油輸入の7%を占めて、上位の石油輸入先となった。これは、これまで米国の東海岸の精油所は、重質油をベネズエラから輸入していたのが、ベネズエラ制裁でこれが断絶。重質油がないと精油の効率が落ちるために、ロシアの製品輸入に切り替えたのである。

4)バイデン、アフガニスタンをロシア、中国に丸投げ
バイデンが、アフガニスタンからの米軍撤退を決定したことは、ロシアに負担をもたらす。これまでロシアはアフガニスタン政府、タリバンの双方と渡りをつけて、米国主導の平和交渉に何とか割り込もうとしてきたのだが、米国が勝手に抜ければ、すべての負担はロシアにかかってくる。また国境を接する中央アジア諸国の安全確保もロシアの肩にかかってくる。ロシアにとっては、米軍がいてくれた方が、自分の負担なしに簡単にポイントが稼げるのである。ロシアは仕方なく4月末、タジキスタンと合計5万人の兵力で共同軍事演習を行う(もともと一個師団を常駐させている)など、中央アジア諸国(特にタジキスタン、キルギス)への防衛支援を強化しつつある。

アフガニスタンについては、中国もあわてている。これまで「米軍が他国の領土を踏みにじる」ことを批判してきた中国だが、王毅外交部長は最近、「米軍の撤退はもっと時間をかけて秩序だったものであるべきだ」という趣旨を公言した。これは米軍が撤退してタリバン支配が広がれば、タリバンと組んできたウィグルの反中国テロリストが新疆地方に進入しやすくなるので戦々恐々としているのである。

5)中東方面
中東の諸問題で、ロシアの出る幕が減っている。ここも、米国が力を抜くにつれて、米国への当て馬になる以外使用価値のないロシアは、中東諸国にとって意味のないものになってきたのだろう。5月、イスラエルでのハマスとの衝突についても、ロシアはバイデンの調停活動に割り込むことはできなかった。

6)米ロ欧間の緩衝地帯とされるウクライナ
3月から4月にかけて、ウクライナ東部との国境地帯に10万とも推定されるロシア軍が集結したことが、米ロ間でも問題となった。これはもっぱら、ロシアの攻撃性を表すものとされているが、そうでもあるまい。
基本的には、ウクライナのゼレンスキー政権が、バイデンの当選で米国の支援を過度に期待するようになったことがある。ウクライナは米国の支援を得て、クリミアと東ウクライナをロシアの手、影響下から奪還したいのだが、トランプはゼレンスキーを嫌った。トランプは、オバマの時代の副大統領としてウクライナ支援を担当したバイデンが、「その地位を利用してウクライナの企業に圧力をかけ、息子のハンターにおいしいポストを提供させた」証拠を出すよう、ゼレンスキーに迫ったのだが、後者はこれに応じなかったのである。

バイデンが大統領になった今、ゼレンスキーは米国支援の下にクリミア、東ウクライナを取り返すチャンスと見て、攻勢に出た。東ウクライナでは親ロ勢力との武力衝突が増えたし、2月からは親ロ政治家メドベドチュクの殲滅に乗り出したのである。
メドベドチュクは、ウクライナ独立後第2代目大統領クチマの大番頭。つまり大統領府長官だった男。そのころからプーチンと、家族ぐるみの親交を築いている。この人物は2014年のクリミア併合前後から、ロシアとウクライナの間のフィクサーとして動き始め、その途上で東ウクライナを基盤に大変な利権の巣を作り上げた。
親ロシア勢力が占拠している東ウクライナ(ハリコフ地方を除く)は石炭や鉄資源に富み、ウクライナの工業地帯であるのだが、キエフ政府はこことの交易を自ら絶っている。そのため、東ウクライナの利権を相変わらず抑える寡占資本家たちは、産品をロシアに搬出、そこからウクライナに再搬入するようなごまかしをやっている。メドベドチュクは、このスキームに割り込み、いくつもの企業を立ち上げて儲けているのである。
そしてその資金で自前の政党「生活のために」を立ち上げ、これは今やウクライナ議会で44議席を有して第2党となっており、次回総選挙では国民の信を失ったゼレンスキーの「人民の僕」党に代わって第1党となりかねない勢いを示すようになったのだ。

   つまりゼレンスキーにとってみれば、裏口どころか表口から、ロシアに権力を簒奪されかねない状況となっている。そこで彼は、バイデン就任後間もない2月、メドベドチュク系のテレビ局3局を閉鎖した他、クリミアをロシアに売り渡した反逆罪での捜査を開始、5月11日にはついにその罪で告発したのである。プーチンにしてみれば、個人的にも親しい自分のエージェントを逮捕されただけでなく、口をあけて待っていたウクライナという獲物を奪われて、何かしてみせざるを得ない立場に追い込まれていただろう。
   しかしゼレンスキーは、バイデンを頼りにし過ぎた。これは2008年、ブッシュ政権の支援をあてにしてロシアを不必要に刺激し、ついに同8月ロシア軍の侵入を招いたグルジア(ジョージア)のサカシヴィリ大統領を髣髴とさせるものがある。
   一方バイデンは、ゼレンスキーにしがみつかれること、そして息子のハンターへの利益供与事件をマスコミに再度掘られることを警戒している。オバマ時代、副大統領としてウクライナを担当していながら、大統領に就任後、ゼレンスキーとの電話会談を避けてきたのはそのためだろう。しかし前記のように、ロシア軍がウクライナ国境に集結していた4月2日、彼はゼレンスキーに電話して・・・おそらく支援との引き換えに自重を求めたものと思われる。ゼレンスキーはこの後、プーチンに電話して会談を持ちかけるなど―ーまだプロパガンダの域を出ていないが――、対立から対話路線に切り替えている。
   こうしてバイデンは、ドイツやフランス、そしてロシアとも足並みをそろえて、「ミンスク合意」の線での東ウクライナ情勢解決をゼレンスキーに迫っている。これは、東ウクライナの一部を親ロシア勢力が制圧している現状を認め、この地域に自治権を与えた上で選挙を行い、事態を最終的に解決するというものである。つまりバイデンは、同盟国でもないウクライナのためにロシアと戦う意志はない。ウクライナはNATOとロシアの間の緩衝国として扱われることになるのである。

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