2019年10月ロシア紀行 蘇る自信・蘇るソ連
(6-13日、モスクワ、サンクト・ペテルブルクを2年半ぶりに回っての印象です。10月23日発行のメルマガ「文明の万華鏡」の一部分です)
2年ぶり、ロシアに行って来た。ソ連崩壊後の混乱と自信喪失ぶりは、完全に過去のもの。今は「主権を持った大国」だと自分を思い込んでの水平(低空)飛行中。以前プーチンは言った。「ソ連の崩壊は今世紀最大の悲劇だ。しかしロシアは欧州文明に属する。自由で公正な社会を作ろう」と(2005年2月大統領教書 )。だが今のプーチンは、いつまでも自分を「差別」する欧州に見切りをつけて、バラバラになったソ連の破片を再び集める方向に転じたようだ。
ロシアはまず、NATOとの間の最前線ベラルーシに圧力をかけている。空軍基地の設置を持ち掛けたのは断られたが、20年前結んだ「連合国家条約」(当時は喧伝されたが、殆ど何も起きていない)を具体化して、2022年までにロシア・ベラルーシ経済国家連合を作ろうとしている。これは税制、エネルギー政策等での統一を目指すものだ。
ウクライナの南方モルドバでは、これまで数年プラホトニュクというマフィア的実業家が国内の利権と政権を握り、親EUを標榜して外部勢力を締め出してきたが、6月にはロシア、EU、米国が手を握って反プラホトニュク連立政権を押し立てた。直後、プラホトニュクとその側近は外国に逃亡したのである。しかし米国、EUは、その後の手間とカネを惜しむ。ロシアは、そこに付け込んでモルドヴァとの軍事協力を進め、空港や海への出口を買収する構えを見せる 。そしてウクライナではゼレンスキー新大統領が、西側の支援・声援を得られない中、ロシアが突きつける条件にほぼ屈する形で東ウクライナ情勢を収めようとしている。
こうしてみるとロシアは今、第2次大戦直後のソ連のように、西欧との間に緩衝地帯を作る企てに着手したのだ、としか言いようがない。だが、「西側」は何もしない。トランプにとって、自国の政府がやってきたこと、やっていることは、他人事。自分の再選のためには、何でも叩き売って愧じることがない。EUは国内を治めることで手一杯で、ウクライナのことなどどうでもいい。これまでの「西側」はメルト・ダウンしたのだ。
自信の回復
以上は、Newsweekでの書き出し。ここから、旅行記を始めよう。生活実感で言うと、いかにも権力の所在をうかがわせる首都のモスクワから一歩離れ、たとえばサンクト・ペテルブルクにいると、プーチンなど無関係、どこか別の国の政治家のように感じられる。そしてホテルでロシアのテレビ・ドラマなど見ていると平和そのもの、この広いロシアという国はそれだけで完結した一つの世界で、人々は国内や世界の政治に無関係の生活を気ままに送っているのだという気がひしひしとしてくる。
まず、ロシア人たちは1990年代の混乱と窮迫のことは完全に忘れ(それは日本人が終戦直後の混乱を思い出したくもないのと同じ)、経済が原油価格に依存していることももはや忘れて、ほぼ完全に自信を回復している。アエロフロートの客室乗務員がその代表で、1990年代はおどおどしていたものだ。ここまで国民のプライドを回復したのは、プーチンの功績だ。
問題は、改革を経て近代化を実現したうえでの自信ならいいのだが、「原油依存経済」を変えることもなく、民主化要求を踏みにじって自分達の利益を強引に主張、他国の利益を踏みにじって恥じないソ連時代の「自信」に回帰しただけならいただけない。
テレビの討論番組の質も良くなった。数年前は極端な意見をプロレスのように馴れ合いのショーで戦わせるだけであったが、今は落ち着いた意見のdebateに近い。ただそれは、ソ連時代の上品な討論番組を思わせるところもあって、現状を完全に肯定するところから出発している。西側のマスコミは、「ロシアでは若者が汚職一掃と民主化を求めて立ち上がりつつある」と報道するが、そのような気配はゼロなのだ。
そしてモスクワの都心は、夜になるとイリュミネーションに輝くが、それも最近では国産品が増えたようで、デザインがちゃちになっている。そして都心環状線の外側は、夜はソ連時代のような暗闇に沈み、投資開発のあとが見られない。カフェーでトイレに行けば、「キーをレジで受け取ってください」とあるので、レジに行くと「今、誰か入っているから、出てきたらすぐ入ればいいのよ」と無責任。そのドアがいつまでも開かないと思ったら、横から掃除の女性が出てきて、「何やってんのよ。トイレ、入れるのに」と無造作にドアを開ける。このあたり、ソ連時代のようなちぐはぐ、無責任ぶりが確固としてなくならない。社会の遺伝子に沁みついている。
空港のタクシーも、ちゃんとした乗り場で乗ればもう雲助はいない、と聞いていたのでそうすると、「都心まで5000ルーブル(1万1千円ほど)」だと言う。さすがに高いと思ったが、荷物を積み替えるのも面倒なので、そのまま行った(ただ、運転手がチェルケシ人という古代からの少数民族で、いろいろ話を聞けたが)。帰る時、ホテルから別のタクシーに乗ったら僅か900ルーブルだった。もっとも市内のタクシーはスマホのアプリで呼ぶとすぐやってきて、行先までの料金も事前に画面に表示される。そこは東京以上に便利で信用できるようになっているのだが、筆者のスマホはロシアに対応していなかったので使わなかった。
そして、ブダペスト・ホテルのWIFIは異常に遅かった。2000年の頃のタシケントでの接続スピード。モスクワではスマホを地下鉄の改札でも使えるなど、使い方は日本以上に進んでいるのだが、場所によって投資を怠っている感がある。
経済状態
地下鉄はほぼ全線55ルーブル(約110円)で乗ることができる。これは2年前と変わらない。その前は地下鉄料金はけっこう上がっていたので、最近は異例に安定していることになる。これは、ソビャーニン市長が剛腕でそうしている面もあるが、他方社会におけるデフレ傾向を反映したものともいえるだろう。
ショックだったのは、タクシーのタジク人の運転手(タジク人、ウズベク人、キルギス人は大挙してロシアに出稼ぎに来ている。出稼ぎの送金に依存している度合いが最も高いのはタジキスタンである)が、「タジク人はもうロシアに来たがらない。ルーブルが安くなっているので、故郷に送金しても割が悪くなっている。今は米国、韓国に行っている」と筆者に言ったこと。ロシアの経済は中央アジアの人たちからも見放されつつあるということだ。この数年の実質所得の減少が消費を下げて、デフレ圧力を生んでいる。それは、原油価格下落でルーブルが低下し、輸入品価格が上昇した分を上回るほどのデフレ圧力になっているのだろう。
ホテル代、タクシー代、食費等、外国人にとってはかなり安い。混乱の時代、一泊500ドルは平気でとったホテルが、今は100ドル。この分では、ホテルの料金にもソ連時代のやり方が戻ってくるかもしれない。あのころホテルは、ロシア人向けの料金と、その数倍の外国人向けに分かれていた。
そして、起業が難しい面が残っている。美容院を開業しようとした女性は、多数の「許可」を取り付けねばならず、そのたびに賄賂を請求されるのに呆れて、起業を断念したそうだ。また民営企業の場合、工場の生産量を上げようとしても、電力の供給を増やしてもらうのに1年以上かかる由。
ロシアのエリートは安心し増長もしているが(このごろは、日本やドイツのような米国の同盟国を「主権を持たない国」と呼んで見下げるのが流行っている)、タジク人も来なくなるほど所得水準が実質的に下がり、石油依存経済は破局に向かっていることについては、無感覚なのだ。彼らの自信の拠り所、軍も、無人兵器の生産で後れていくだろう。すでに宇宙技術では後れが生じている。制裁で先端技術製品、半導体、機械の入手が難しくなっているだろうから、兵器近代化は益々遅れていくだろう。
前向きな変化
前向きな変化ももちろんある。「酒を飲まない文化」、「飲んだくれるのは卑しいことだ」という文化が広がっている。WHOによると、2003-2016年にロシア人のアルコール消費量は43%も減少したそうだ。ソ連崩壊後、20年たってやっと勤労精神が広がっている?
そして2014年のソチのオリンピック、2018年のサッカー・ワールド・カップ主催を経て、空港の職員もイメージをがらっと変えた。空港のパスポート審査はすべて女性。軍人の制服を着ているのだが、おとなしい。荷物引き取り場にトロリーはたくさんある。以前は赤帽が一人一台を抑えていて、カネをとったものだ。以前は出てくるまで30分は待つのがざらだったスーツケースも、今回は瞬時に出てきた。と思ったら、それはお偉方のものだけだったらしく、ベルトはすぐにまた止まって、次に出てくるまで30分待たされたが。
地下鉄にも日本と同じ動画広告が出ている。そしてセンスがいい。「リュックサックを(胸や背から)おろしましょう」という呼びかけもあって、その点日本より進んでいる。
そして青年達はソ連を知らない。米国のミレンニアル世代などとも共通して、国家やナショナリズムには無関心なポスト・モダンの様相を示す。ある旧知の雑誌編集者は言っていた。「青年達は国家などどうでもいい。米国との関係のことなどどうでもいい。新しい書き方が必要なのだ。もっとも、誰もそれをまだ見つけていない」
日本人、中国人への感情
外国人についての感情はまちまちで、一概にはくくれない。日本については、大体高い評価が定着している。サンクト・ペテルブルクのプルコヴォ空港で、列の後ろで二人のロシア人が何やら話し合っていた。「日本人技師に教わったんだ。・・・」という言葉が聞こえてくる。日本人技師を上に見るのを当然とする口調。まあ、サンクト・ペテルブルクにはJTや、トヨタ、日産等の工場がいくつもあって、トヨタ流の「カイゼン」とか「カンバン」という言葉が広く使われているし、日本に研修で行ったエンジニアも多い。だからこうなる。ちなみにJTの工場に見学に行ったが、JT(JTI)は現在ロシアの煙草製造最大手。多額の物品税を収めていて、それは国家歳入の1.4%に相当するというからハンパない。物品税が市に行っていた時代には、サンクト・ペテルブルク市歳入の6%強を収めていたと記憶する。
中国人についてはどうか。ロシアの空港アナウンスは、どこも当たり前のようにロシア語、英語、中国語でやるようになっている。中国の経済力は広く認識されている。テレビの一人漫才で、極東の黒河とブラゴベシンスク(それぞれ、アムール河をへだてた対岸にある)の30年前の写真と現在の写真を比較。かつてアムールの向こうの黒河には草原しか見えなかったのが、30年後には高層ビル群が忽然と現れ、他方ブラゴベシンスクの景色は変わらない。会場のロシアの聴衆は何となく複雑な反応。漫才師は言う。「ロシアはウラルから西だけなんですよ。この広いシベリアでは、エルマーク以来、なにも起きてません。何しろウラジオストックに行くより、宇宙に行く方がはるかに近いんだから(「宇宙」に相当する空域までは400キロ)」。
しかし、ロシア人は中国人に共感は持っていないだろう。モスクワやサンクト・ペテルブルクでは、いかにもロシア人を馬鹿にし、ロシア人に敵意を持っているかのように傍若無人にふるまう中国の若者が目についた。ことさらに乱暴にふるまっているという感じ。いざというときには、袋叩きに会いやすいタイプ。
サンクト・ペテルブルクでかっこいい車を見かけたので、自分の車の運転手に聞いた。彼は、「あれは中国の東方汽車。まだいいとも悪いともわからない。エンジンとトランスは日本製だというから。三菱だったかな? なに、どうせ一冬たてばぼろぼろよ(ロシアでは冬季、道路に塩をまいて凍結を防ぐため、コーティングのしっかりしていない車はすぐボロボロになる)」。こういう感じなのである。
ロシア人の日本観については、一つ気になることがあった。旧知の有識者が言ったことだが、「この頃日本は、我々の間では東方のポーランドということで通っている。ロシアが何をやっても、反ロを直さない」というイメージがある、ということ。力もないのに、うるさい国だ、という意味だ。
想定外の事態に馬脚を露す
何もなければ、モスクワの空港から帰国するのは西側なみに便利に、速くなった。以前はパスポート・コントロールの前に長蛇の行列ができて、20分は待たされたものだ。
しかし今回、筆者の飛行機は12日の夕刻出発予定。成田に着く頃は台風も着いているかもしれない時刻。どうなるかと思って、空港のホテルも一応予約しておいた。しかし空港での表示は予定通り出発するとなっているので安心して読書をしていて、アナウンスを聞き逃したらしい。見ると、表示は明朝6時出発に変わっていた。
確かめようと思って、アエロフロートのカウンターに行く。すると長蛇の行列。係員は一人だけ。誰ともわからぬ男が、行列の横を「東京行きの人」と言って通り過ぎていく。つかまえて聞くと、空港ホテルを無料で提供するので、パスポート・コントロールを逆行してロビーに集合してほしい、と言う。しかしまたロシアに入国しようとしても、筆者のヴィザは既に出国手続きをした後で、無効のはず。そう言うと、「パスポート・コントロールで出国スタンプを無効にしてもらえばいいのです」とこともなげに言う。
では、ということで、あちこちにたらいまわしされながら、そういう手続きをしてくれる窓口に行く。すると女性の係官は筆者のビザをしげしげと見て、「あなたのビザは今日が期限。今入国すると明日になって、不法滞在になってしまう。ロシアから出られなくなりますよ」と言い張るのだ。いろいろ言い合いの末、彼女はもう一度ビザに目をやる。そして、「ああ、一日間違えていた。明日までビザ有効なんですね」。
こうして一難去ってロビーの集合場所に行くと、誰もいない。近くのアエロフロートのカウンターに行く。「これこれこういう話し、どうなったか知らないか?」。すると係員は、「ああ、もうみんな行っちゃいました。でも、バスはまだそこにいるかも」。そこにバスの運転手が探しに来て助かった。
ホテルに着くと、カウンターで「明日4:30に部屋に電話しますから」。自分で予約したホテルに黙って行っていたら、次の朝、飛行機が何時に出発するか情報を入手することはできなかったに違いない。
やれやれと思って、部屋に着く。すると、ドアが開かない。近くのメードに聞くと、受付にもう一度行けと言う。それも当然。もう一度と思って、ノブを強く押し下げると、何の問題もなく開いた。
4時半に電話があるから4時まで寝ようと思っていたら、次の日、3時に電話があり、「3:40にホテルからバスが出発します」。こんなことはロシアで日常茶飯事、バスに座ってまず良かったと思っていると、空港ビル入り口でセキュリティー・チェックの長蛇の行列。
ここを過ぎ、再度チェック・インして新しいボーディング・パスをもらい、やれやれと思ってパスポート・コントロールにたどりつく。ここでも10分ほど待たされた後、係員は筆者のパスポートの写真と実物をしげしげと見比べて、合わないという風情。「痩せました?」
この2年間でそんなに歳を取ったかとショックを受けて通ると、またセキュリティ・チェック。やれやれと思ってやっと飛行機に乗り込むと、隣の若い男は風邪を引き込んでいるらしく、余命いくばくもないような咳をするのだ。
このちぐはぐ。飛行機から雲海の日の出を久し振りに見たが、もう感慨もわかない。昔初めて米国に渡った時は、この雲海の日の出を見て、青雲の志を抱いたものだったが。
というところで、Newsweekの記事の末尾に戻る。これが締め。
――だがロシアは、こうやってズボンが半分ずり落ちているのに、西方向けの強面を日本にも向ける。「領土問題は解決ずみ。それに日本は米国に従属する半主権国家だから、話し合ってもらちが明かない」と公言する始末。最近は、日本へのイージス・アショア配備にしきりと文句をつける。おそらくこれを口実に、極東に新型の中距離核巡航ミサイルを配備するつもりなのだろう。
ロシアへの出方を変えるべき時だ。領土問題で日本は、欧州と違って極東方面での戦後の国境はまだ法的に未確定であることを強調し、ロシアの新型ミサイルを配備してもパニックになることなく、それを自らの巡航ミサイル配備を正当化する理由にすればいい。他方、ロシアの国民一般と無暗に対立する必要は全然ないので、協力できるところでは協力し、より良い将来へ向け両国民の間の共感の基盤を作っていくのだ。
ロシアには下から出ても馬鹿にされるだけ。拳を見せつつ、握手もできる、重層的アプローチで臨んで欲しい。――
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