2018年10月ボストン旅行記
米国の中間選挙は「ねじれ国会」の出現で終わりました。これからトランプは、議会での民主党とのバトルをドラマに仕立て、民主党を悪者に仕立て上げた上で次の大統領選に臨もうとするでしょう。それは別として、これまでトランプ選出後の米国に行ったことがありませんでしたので、10月末にボストンに1週間ほど滞在し、米国社会の変化を見届けようとしてきました。その印象を以下に記します。
目次
粗雑と格差
「間に合わせ」文化の中の疎外感
貧しさ
不安感――帝国の没落の予感?
エリートの米国と大衆の米国
ボストンの中国人
日本沈没
その他の話題
(中国のミサイルに対する抑止の手段)
(ハワイで原住民の自治要求盛り上がり)
(アラスカとイベリア半島は同じ型から?)
――米国は、僕が初めて行き、そして住んだ外国だ。ボストンに総領事として勤務したこともあるし、それからも何度も行っては、社会の変化をフォローしている。その結果は2004年に出版した「意味が解体する世界へ」(これは欧米で進行する多民族化や、米国のイラク戦争が、19世紀の欧米で育まれた自由や民主主義といった価値観を相対的なものとし、世界の「意味を崩壊させる」ことを指摘したもの)や、2013年に出版した「米中ロシア――虚像に怯えるな」に発表してあるし、ブログのwww.-japan-world-trends.comで「米国」で検索すればいろいろな観察ノートをアップしてある。今回は、その最新版というわけだ。
「意味が解体する世界へ」で指摘したように、米国は「平均点」の人々から成る社会だ。そして平均点の人々の家は日本人の家より大きいが、その生活ぶりはだいたい大味で、日本のような細やかな便利さ、快適さには欠ける。それは中流の下より以下では、ほとんど貧しさに近いものになるのだが、その点は特に変わっていない。
それでも自分の仕事を大事にして勤勉であることとか(そうしていないとすぐクビになるからでもあるが。ロシア人などは、「何で自分でこんな仕事をしなけりゃならないんだ」とふてくされていることが多い)、他人と路上でぶつからないよう気を付けていて、体が触れれば必ず謝ってくる点も(そこは現代の日本とまったく違う)、50年前と変わらない。いくら格差が激しくなっても、プロテスタントの比率が減っても、社会のモラルはまだ維持されている。
米国は着々と多民族化し、場末の街頭では「純正白人」はもはやぽつぽつとしか見かけない(但し公園などに行くと白人が圧倒的に多い。そして郊外の森の中には、城のような高級老人ホームが立ち並ぶが、ここはほぼ白人だけの世界なのである)。ロンドンの中心部に行くと、もう20年前から純正英国人をほぼ見かけない状況になっていた現象が、ボストンでももう定着している。日本は今、外国人の一般労働者を入れようとしているが、きれいごとではすまない。多民族社会は、日本人には耐えられないものとなるだろう。「おもてなし」などと言って上品ぶっているうちに、庇を貸して母屋を取られることがないように。
粗雑と格差
ボストンは1971年初めて海外に出て2年間留学、そして1996年から2年間総領事として勤務した。合計11年勤務したモスクワと同様、友人、知人も多いし、自分の自我を形成したのはボストンでだという思いがある。今回は5年ぶり。いつも泊めてくれた友人が亡くなったので、郊外のうらぶれた民宿 (Bed&Breakfastというカテゴリー。朝食付きで1泊100ドル程度。これでもホテルの値段の半分以下) に泊まり、地下鉄で移動した。これまでの中産階級の上から、一般大衆のレベルで呼吸していたことになる。
そして米国に行く機中で、ずっと前に買った「ニッケル・アンド・ダイムド――アメリカ下流社会の現実」という本を読み切った。これは、編集部に強制されて、スーパーの店員など全国数カ所の低賃金職場を渡り歩いた女性ライターのルポ。トレーラー・ハウスなどの安宿を集団で借り上げ、1室を共有して住む「下流社会」の人々の生活、メンタリティーが描かれている。
ボストンと言うと、すぐハーバードとかMITとかスープの上澄みのような「知的な」ところだと思われているが、実際はピンからキリまで、米国社会のほぼあらゆる側面を見せてくれる都市。黒人のスラム、黒人中産階級が集住する地区、アイルランド系、イタリア系のあまり豊かでない人々が集住する地区、ユダヤ系ロシア移民が集住する地区(ロシア語の新聞を発行している)等々、何でもあるし、州議会の議員もポーランド系やらブラジル系やらの有権者にも気を使っているのである。そしてハーバードも俗性ふんぷんたるところがあり、特に外国研究になると教員も玉石混淆。その国の言葉もできずに、英語文献から寄せ集めたステレオタイプにハーバードのブランドをつけて振り回すだけの者も多い。要するに、ボストンは人間の集まったところなのだ。
で、今回は、その中から米国社会の薄っぺらで荒れた面を中心に紹介する。僕も若い時は、これも自由と活力の表れとして面白がっていたが、齢を取ると次第に耐え難く、ただの停滞の表れと見えてくる。アメリカの白人がこの頃日本に来ると、「ほっとする」と言っているのもムべなるかな、だ。
「間に合わせ」文化の中の疎外感
地下鉄とか大衆食堂とかだけでなく、中産階級の家までも、どこか薄汚れ、細工が粗く、「当座の間に合わせ」の感じがする。ハーシーの板チョコは、日本のと違って銀紙で包んでない。紙を破るとすぐ、分厚い大味のチョコレートが現れる。
そう言えば、昔からアメリカの建物については何かがひっかかった。趣味が違う。どこか人をはねつけるというか、人を包容してこない。Comfortがない。仕上げがいい加減なところもある。
僕が今回住んでいたのは、東京で言えば葛飾あたりのSomerville, Davis Square界隈。昔はギャングの勢いが強かったところだそうだ。そう言えば、当時のギャングの親玉のBulgerという男――兄弟は州立大学の学長だったのだが――、長い間服役したあげく、僕が滞在中の10月下旬、牢獄の中の喧嘩で殺されてしまったそうだ。享年80余歳。すごい世界だ。
そのSomervilleの場末の安レストランは中華風だが、実はモンゴル料理。インテリアは粗末なベニヤの仕切りで、ジンギスカンの顔を皮革に描いたものが侘しくかかっている。流れる音楽は米国ポップ。そして食わせる料理は、ひどい。これでも昼食に15ドルはかかるのだ。昔なら8ドルで済んだのに。
そして、そこここで孤独な人間が目につく。50年前と同じく、氷点下になろうという街に中年女性の路上生活者が坐り込んでいたり、ハーバードの真ん前にも物乞いがいるのだ。日本でも時々いるが、すれ違う者に突然大声で怒鳴ったり、地下鉄でやたら大声で話しかけてきたり、自分を受け入れてくれない社会に対して必死に抗議し、必死に絆を求める。これはいずれも白人。
地下鉄の向かいの席には大きなリュックを二つも抱えて座っている黒人の若い男が、カリフォルニアでどうしたこうしたと一人でしゃべり続けている。両側にぴったり座っている乗客は知らん顔。まるで市電のような「グリーン・ライン」地下鉄の連結部の一隅では、7人ほどの若い黒人男女が座を占めて、大声でのべつまくなし、ことさらにけたたましく笑いながら、しゃべり続けている。何かというとSexual harassmentと言ってはげらげら笑い転げるのだ。ことさら傍若無人に振る舞って、自分達の偉さを示そうとする。もう地下鉄は精神病院のようになっていて、堪えられない。
ボストンの中心部は金融機関の立ち並ぶfinancial districtなのだが(ボストンにはFidelityやState Streetなど全米屈指の金融機関が本店を置いており、彼らの資産総額は世界の金融都市の中でも5指に入る)、その一隅のけっこういいレストランで友人と会う。ランチの時間は満員で、皆大声でしゃべるのでレストランは一つの騒音の箱となる。皆、叫んでいる。こちらにしてみれば、外国語で叫び続けるのは何ともしんどい。そして外に出れば、でこぼこのアスファルト。そして街にいつもたちこめる、安手の食物のすえた臭い。このあたりも、もう50年変わらない。
ボストンの中心部には、ニューベリー・ストリートと言って、日本なら原宿に相当する洒落た通りがある(あった)。20年前は随分洒落ていたものだが、今回久しぶりに歩いてみると、どこか寂れて活気がない。ニューヨークと同じで、家賃を上げてテナントを追い出し、資力のある大型チェーン店の出店を誘おうとしているのかもしれない。資金不足か、ショーウィンドーの飾りも田舎じみている。ちょっとましな店だと思って入ればユニクロで、ここは随分にぎわっていた。そしてその近くのMUJIの店も。「日本」はブランド。品質保証つきなのだ。
ハーバード・スクエアのカフェの隣の席では、アイルランド系の太った中年女が、半分くらいの体積しかないユダヤ人風女子学生に、自信に満ちて権威をもって、小論文の書き方を説明している。何もかも分析して「法則」もどきのものを抽出、融通の利かない厳格なメソッドにして。自分ではろくな論文も書けないだろうに、「書き方」となるとやたら詳しい。のべつまくなししゃべるので、こちらはうるさくてものが読めない。
そこから少し外れた中華料理屋に行くと、ボーイが何も言わずに皿をどすんとテーブルに置いていく。ろくでもない食べ物のボリュームの多さ。まるで排泄物を盛り上げたよう。そして安手の中華料理屋は、どこも判を押したように安っぽい、甘みがかった調味料を使う。すべてが安直。
Davis Squareの地下鉄駅の横に、お化け屋敷のようにうらぶれた映画館がある。小さいのに、いつも数本上映している。入り口には老人が「こんなところに客が来るもんか」というような顔をして、立て看板に頬杖をつき、退屈しきった顔で外を行き交う通行人を見ている。
貧しさ
今回のボストンは、まだリーマン金融危機が続いているかのように、勢いがなかった(MITの界隈は違う)。そして下層の人たちは貧しい。日本より貧しい。はっきり言って、途上国の水準である。
Davis Squareのあたりは、ジャンク・フードで膨れ上がった体を、安っぽい、これまた膨れ上がったジャンパーに包む男女。めがねでやせたユダヤ系と、情景は、モスクワの郊外と変わらない。中産階級が見えない。まるで米国社会は上と下とからだけ出来ていて、中流がなくなってしまったかのよう。もちろん上や中産階級の上部はちゃんと残っていて、日本人とはかけ離れた広く、整然とした家に住んでいるのだが、彼らは地下鉄などには乗らないのである。
そして公共交通機関がもともと弱いうえに、状況は悪化している。車両の内部は掃除してあるが、外回りは長い間洗っておらず、埃にまみれている。そしてラッシュ・アワーでは、乗りこめないほど混む。で、それをやり過ごすと、「次の電車は20分後」というアナウンスがあって閉口したりする。ところが実際には10分後にがらがらの電車が来たりするのだ。で、安心して乗ると、今度は次の駅でドアが閉まらなくなって立ち往生。という具合。これは今回本当にあった話し。
ニューヨークの地下鉄はもっと劣化しているとかで、「A線に乗ったと思うと知らないうちにB線を走っていたり、次の瞬間にはC線になっていたりする」のだそうだ。公共交通機関への投資が足りないのである。
ボストンにはスラムもある。Roxburyという低所得の黒人が集住している地区なのだが、気軽にいく雰囲気ではない。まるで存在していないかのような別世界。普通の人々は意識していない。
要するに米国自身が世界のようなもので、多層構造になっており、それぞれの間はガラスで絶縁されているような感じ。例えばハーバードのキャンパスには誰でも入れるが、誰でも入ってくるわけではない。多分「大学警察」(大学自治を守るために、米国の大学では自前の警察を持っている所が多い)がいつも見回っているので、「合わない」連中は誰何されて、追い出されているのだろうが、不思議と言えば不思議なのだ。
それでも、そこここに面白い点はあって、似非のfreedom感は漂う。東京で言えば大手町に相当する地下鉄のハブ、Park Street駅。ホームで、胡弓の音がする。録音を流しているのか、そこまで中国文化は浸透してきたかと思ったら、生だった。見ると、中国人のおやじ風の中年男が人民服のような服を着て、ドミソとかドレミファとかいい加減なメロディーを弾いている。1ドルやると、演奏を止め、明るい顔でうれしそうにサンキューと言った。Davis Squareの地下道では、若い男がジャズ風のギターをかき鳴らす。あまりに素晴らしいので1ドルを投げ入れ、「気に入った」と言うと、こちらはサンキューとも言わず、急に大声で歌いだした。
不安感――帝国の没落の予感?
今の米国社会には、不安感anxietyが漂っている(ということにしておこう)。一つにはこの多民族で個人主義の社会では、一度絆を失うとどうしようもなくなるということがある。それは、既に述べたように、地下鉄の中で一人大声でなにごとかしゃべり続ける(東京でもいるのだが、米国では出くわす頻度がハンパでない)ような人のことだ。
そしてこれに、あたかもローマ帝国末期のガバナンスの喪失と、異民族の浸透を思わせるかのような、経済の行き詰まりと帝国没落を予感したエレジーが漂う。気のせい、あるいは僕の齢のせいかもしれないが。
そしてもっと根拠のある不安感を、トランプがもたらしている。あるユダヤ系中年女性は言っていた。「(トランプのせいで)民主主義はなくなり、ギャングが街を歩き回っては殺し合いをする時代になるのではないかという恐怖を感じる」と。
折しも中間選挙を前にして、トランプがツイッターなどで「敵」と名指したオバマ前大統領やクリントン夫妻等、実に10名以上に爆弾を模したものが郵便で送りつけられて大騒ぎとなり(犯人は既に逮捕)、さらに27日にはピッツバーグのシナゴーグで反ユダヤ主義の男が無差別銃撃で11名ものユダヤ人信者を殺している。これが1週間の間に起きるのだから、不安感は相当なものだ。トランプ大統領自身はイスラエルの肩を持っているが、彼の側近だったスティーブ・バノンは反ユダヤだし、後者の系統を引く白人至上主義団体はナチ的な反ユダヤである。
不安は社会の変化からも来る。現在でも、移民の第一世代が人口の25%に達している。そして2060年頃には白人は全体の40%になる。都市では白人は本当に稀な存在になるだろう。そしてそのころ、アジア系(インドを含める)はヒスパニックを抜いて少数民族の中では人口で1位になっている。
そこからくる不安が、白人をトランプ支持へ向かわせる。「職を失った中西部の白人労働者の票がキャスティング・ボートとなって、トランプを大統領にした」というストーリーは大袈裟と言うか、トランプ支持の基盤はもっとはるかに大きいのである。トランプは、白人の生活が悪化したのは輸入のせいだとか移民のせいだとか言い立て、彼らを騙して投票させたのだ。実際に悪いのは、格差を生み、格差に安住して恥じない白人の上層部なのだが・・・・・というのは、あるアジア系大学教授の話し。そして残念ながら、資本、つまり米経済の大元はその白人上層部に握られているのだ。
エリートの米国と大衆の米国
これまでの日米関係では、日本政府はエリートや軍人ばかり相手にしてきたが、米国にはこれとは別の民族と言ってもいい、「大衆」の海が存在する。そして大衆にとって世界は無縁。彼らは自分の生活のことしか考えない。そしてトランプは、金持ちの方ばかり向くようになっていた民主党を尻目に、この大衆を煽り、その票を民主党支持から共和党支持に引っ繰り返すことで当選したのだ。この構造、つまり大衆――一枚岩ではないが――をうまく煽った政党が大統領職を取る構造は、これから当分変わらず、米国は第2次世界大戦までそうであったように、内向きの姿勢を続けるだろう。
米国のエリートは世界に関与し、世界の平和と安全を維持することが米国の利益なのだと思い込んでいるが、それは必ずしも十分の説得力を持つものではない。今回、ある政治学者に聞いてみた。「なぜ米国は世界に関与することが自分の利益だと思い込んでいるのか?」と。彼は答えた。「中立でいようとしても、有事には引き込まれる。欧州で英国とドイツが戦った第1次大戦の時、米国は英国と交易していたが故に、ドイツから攻撃された。もう一つ、特定の地域が一つの勢力に独占されるのを許すと、米国に敵対するようになりがちなので、ある地域を一つの勢力が席巻するのを妨げる必要がある」
これは回りくどい説明で、これでは大衆を説得できない。この政治学者も冗談で言っていたが、「英国民に、EU脱退=Brexitの是非について世論調査したところ、一番多かった回答は、『EUとは何か?』というものだった」というのが大衆というものなので、まわりくどい説明は効かない。
大衆は多様であり、トランプに反対する者ももちろんいる。少数民族、たとえば黒人もそうで、あるタクシー運転手は言っていた(黒人)。これは日本車に関税がかけられて値上がりするかもしれないという話しになった時で、別にトランプをどう思うか聞いたわけでもない。彼は言った。「日本車は長持ちする。米国車を買う気はしない。(そして突然)皆トランプが嫌いだ」と。
そして米国のエリートも人間であり、彼らの間には人間共通の欠点である、倨傲、貪欲、そして無知が広がっている。そんな人間達に世界のことを簡単にいじられたら、世界中の人間が迷惑する。例えばトランプが没落すれば、今度は「世界を民主化することが世界の利益」と固く信じてやまない、ネオコンやリベラルがワシントンで幅を利かせる。彼らは「倨傲」を体現している。途上国に民主化だけ押し付けても、経済発展が伴っていなければ社会の混乱を招くだけの話しだからである。
もともとワシントンというのは、ロシアのクリミア併合にしても、当時ロシアがNATOの拡張で追い込まれた心理にあったことなどどうでもよくて、「ロシア」なるものを共和党と民主党の間、そして大統領と議会の間の争いで、「どう使うか」、そして「どう(国内で)処理するか」というひどく内向きの視点しかないのである。そしてこれに米国の「体育会系」政治家、要するに学生時代はアメフトで名を上げた、「首が胴と同じくらい太い」ようなマッチョが大声で主張を貫いていく。
エリートの貪欲というのは、共和党の「茶会」派と言われる、「小さい政府」を提唱する議員達を支援してきたKoch兄弟に典型的に見られる。この大実業家の二人は、トランプが法人大減税を実施するや満足してしまったかのようで、トランプが国防費等を大増額して財政赤字を垂れ流そうとしていることには、もはや何も言わなくなっているのである。
そしてエリートの「無知」というのは、知的怠慢のことである。事実を精査することなしに、ものごとを決めつけて、それを有名大学教授、あるいはマスコミの名で広め、共和党、民主党に分かれて無意味なバトルを繰り広げる。
そして米国のエリートには、偽善もある。旗色が悪くなると、平気でうそをついたり、言い逃れをして愧じない。ハーバードのロー・スクールの脇に石碑があるのを今回発見した。碑文には、「この学部を作る資金をもたらしてくれた奴隷の記念に。私たちは、彼らを記念して最高度の法と正義を追求します」と書いてある。1817年、この法学部設立に献金した地元の金持ちが奴隷商売で利益を上げていたので、学部100周年を記念してこの石碑を2017年に建立したばかりなのだそうだが、批判逃れにしか見えない。こんなやり方で済むのだったら、日韓関係でも強制労働問題など簡単に片付いてしまう。
エリートがこんな無様な状況だと、米国のグローバルな力を支える軍隊も、だんだん「使えない軍隊」になってくるだろう。米軍は将校というエリートと、兵士・下士官という大衆から成っているが、このうち後者の大衆は、徴兵制のない今、それほど簡単に戦争には行かない。10月16日のMilitary Timesは、最近の同紙による調査では読者の46%が来年には大きな戦争に引き込まれると考えている、昨年9月の調査ではこれは5%しかいなかったのに、と報じている。このために下士官と兵士への志願者(米国は徴兵制がない。除隊すると大学入学の優先権や社会保障を得られるのを目当てに志願する者が多かった。他方将校の方は職業で、しかも家族代々の職業にしている者が多い)が減少する気配がある。つまり、世界に介入しようとしても、将校が自分で二等兵から大将まで務めなければならなくなるのかもしれない。
但し米国にも、真面目にものを考え、思慮深い立場を取るインテリやエリートは多いのだ。Bed&Breakfastで同宿だったセントルイスから来た学者は言っていた。「米国人のすべてがトランプを支持しているわけではないことを知って欲しい」と。さりとて声高なトランプ批判を展開するわけでもないのである。静かな怒り、静かな決意とでも言おうか。
ボストンの中国人
以前の米国では、日本人が「アジアの代表」のような顔をして振る舞っていたが――後発国、敗戦国として基本的に上から目線で見られていたが――、今では韓国人、中国人の陰に完全に隠れた。彼らは日本人や日系をまず、数で圧倒している。中国人は堂々として歩いているし、群れを成して街をいく中国人の若者たちからは、米国何するものぞというアグレッシブなオーラすら漂う。彼らの競争体質は米国にぴったりで、いつかは米国を席巻するかもしれない。そうなると日本は、東西双方の中国から挟まれることになる(これは半分冗談)。
それでも中国人にも様々。僕の泊まったBed&BreakfastのオーナーはTomとBetty的な英語の名がついていたので、てっきり白人だと思っていたのだが、着いた翌日顔を見るとなんと中国人夫妻だったのだ。一人は北京大学を卒業してハーバードのビジネス・スクールでMBAを取ったという超才媛。もう一人は香港から米国に移住した両親にくっついて幼時に米国にやってきた男性。"Betty"(仮名)の方は盛んに、自分は「リベラル」であると言い募り、現代中国を批判していた。最近の米中関係悪化で、こう言って予防策を講じているのだろう。むしろ幼時から米国に住み、しかも香港出身の夫"Tom"の方が中国を擁護していた。
彼は言う。「中国は今の状況で、一歩後退して米国の消耗を待つ。China Firstで地産地消で行く(中国人は国産品を信用していないのだが)。外貨準備も大きい(実体は、それほどでもないのだが)。一帯一路で市場を確保してある。勢力圏も確保してある(これではだめだ)。だから、双方のメンツをたてつつ、合意することが可能だろう」と。まあ、米国に長年いる少数民族派によく見られることだが、祖国と米国の間のいさかいが穏便に済んでほしいのだ。
そしてお決まりの、「中国人観光客」も沢山いる。可笑しいのはトイレで、ハーバード界隈でのトイレの穴場と言ったら、実はハーバードそのものなのだが、そこには部外者立ち入り禁止と一応書いてあるので、構外にある大学生協の3階トイレを狙う。そこは人に知られていないので・・・と思っていくと、長い行列。多分中国語のガイドブックに穴場として紹介されているのだろう。中国人観光客のおっさんたちが7名程も待っていたので、僕は絶望してもう一つの穴場を目指した。
そうやって、地下鉄ハブのPark Street駅で乗り換えると、もう書いたように、胡弓の中国メロディーが構内いっぱい響いていたのだ。中国もすっかり米国に定着した。
日本沈没
今の日本では、アメリカというものがどんどん遠くなっていく印象だし――イラク戦争以来、アメリカは日本人の目には「ソフト・パワー」を失っているのだ――、米国に行ってみると日本は宇宙の遠い彼方に飛び去ってしまった感じがする。ボストンと言えばフェノローサとか岡倉天心とか、ボストン美術館の浮世絵コレクションとか、日本文化への関心は高かったのだが、中国への関心、そして格付けは一貫してそれより高く、韓国や中国は米国に住む者の数で日本人を圧倒していることもあり、日本は影が薄くなる。そして韓国・中国人は米国の社会に入り込み、米国の一部として生活するので、ますます身内の存在になるのだ。
米国の大学で、日本人留学生が激減したという話し、あるいは愚痴はよく聞く。それは1990年代以降続いた不況の中で、日本企業が社員を海外留学に送るのが減ったこと、そして就職活動が厳しくなって、学生に海外留学に出かけている余裕はなくなったことが多い。更に言えば、学生個人が米国留学を志したとしても、個人の資力では到底無理なほどに米国の学費が上がっていることが障害となる。学費と生活費を合わせると、年間700万円程にはいくので、これは普通の家庭では到底無理なのだ。途上国の学生は米国の大学で奨学金をもらえるが、日本人は裕福だと思われているから奨学金は滅多にもらえない。
そんなに多数海外留学する必要もないが、必要な数は政府が補助してでも確保していかないと駄目だろう。そして経済同友会あたりが旗を振って、企業の中堅幹部達がせめて1年は米国の大学院に留学できる枠を作るべきだ。
しかし、日本車は圧倒的な存在感を持っている。今やボストン街頭で見かける車の80%程度が日本車だと言って加減でない程。むしろ日本の方がドイツを筆頭とする外車を多く見かける。日本は米国に輸出するより多くの車を米国内で作っているし、グローバルには日本国内で作る約950万台の2倍相当を海外で作っているのだが、米国への集中ぶりはやり過ぎの感がある。2017年日本の貿易黒字は7000億ドル程度に過ぎないが、対米貿易黒字はその10倍という不思議。要するに、対米貿易黒字で日本の輸入の多くを賄っているのだ。そして対米輸出の80%は乗用車。台数としては2008年リーマン金融危機以前の水準に復帰しただけなのだけれど、やはり一国の経済のあり方としてはいびつなのだ。
こうしたことを少しでも解決する一つの手段は、ボストンの場合、先端技術面での交流、協力がある。先端技術とかスタート・アップと言うとすぐ、「シリコン・バレー」ということになっているが、昨今のシリコン・バレーは動脈硬化を始めている。要するに、話題性のある面白そうな技術にカネをつぎ込んでマネー・ゲームとして、投機合戦を展開、そこで儲ける鉄火場のようになってきたらしい。若者のスタート・アップなどには目もくれず、自動運転とか、イーロン・マスクのテスラとか、「多額の金額をさばく」ことのできるものが幅を利かす。
その点、先端技術では西のスタンフォードやCaltechと並ぶ東の中心、MITを抱えるボストンは、これまでベンチャー・キャピタリストが保守的と言われていたのが(上場直前の企業にしか投資しないと言われていた)、状況が違ってきたらしい。MIT膝元のケンブリッジ市は数カ所にCIC(Cambridge Innovation Center)を設置。スタート・アップ企業にオフィス・スペースを安価で貸し出したり、人脈拡大を助けたりしている。日本総領事館も全米で唯一、ここにサテライトオフィスを借りて、日米双方向での交流と協力の橋渡しをしている。ご関心のある個人、企業の方は、japan-consulate.cic@bz.mofa.go.jpにご連絡願いたい。僕がいた時も、日本のさる大企業が話しを聞きにきていた。
その他の話題
(中国のミサイルに対する抑止の手段)
今回、ボストン滞在中にトランプ大統領が、1987年米ソ間で結んだ「中距離核戦力(INF)全廃条約」から脱退する意向を示した。日本ではこれを非難する声が強いが、僕は中国が百発以上持っている中距離核ミサイルを削減・抑止するためには、米国がまずINFを強化する姿勢を示して、中国を交渉に引きずり込んでもらうことが必要だと思っている。
もっとも、日本本土にINF――つまり中距離核ミサイル――を配備するのは先制攻撃を招いて危険なので、米軍潜水艦、あるいは航空機に核弾頭つき巡航ミサイルを配備してもらうのが一番だ、と思っている。ところが今回、ボストン大学のThomas Berger教授、ボストン・カレッジのRobert Ross教授と話したのだが、その中でどちらかは忘れたが、面白いことを言っていた。「中国は海岸にレーダー網を整備しているので、巡航ミサイルは捕捉され撃墜されるだろう。だから潜水艦にこれまでも配備している長距離核ミサイル(SLBM)で十分なのだ」と。
しかしSLBMの発射は衛星から直ちに捕捉され、中国は米国本土を狙って報復攻撃を行うだろう。やはりグアムなどに、米軍がINFを配備する構えを示し、それでもって中国を核兵器削減交渉に引き込んでもらうのが一番だろう。
(ハワイで原住民の自治要求盛り上がり)
米国の内政、特に少数民族問題に詳しい、マサチューセッツ大学のポール渡辺教授が言っていた。「今、ハワイで興味深いことが起きている。ハワイの原住民が昔米国人に奪われた土地の返還も含め、自治権拡大の運動を強化している。ハワイでは日系の方が原住民より多いそうだが、原住民からは余所者扱いされ、敵視されている」。
まあ、ハワイというのは興味深いところで、ここは1898年、米国に半分暴力で併合されるまではカメハメハ国王がその昔樹立した独立の王国だったのだ。1881年にはカラカウア国王が日本にやってきて同盟を持ちかけ、まだ5歳だったカイウラニ王女と山階宮(13歳)の婚約も提案してきた歴史もある。日系人が多数を占めるハワイは、米国の第50番目の州として、議員をワシントンの議会に送っている。上院、下院、2名ずつ。それぞれ1名は日系だ。そして知事も日系。
よく思うのだが、市場経済と民主主義を守るためには、日本は米国の第51番目の州になって、人口に見合った数の(議席の4分の1程にはなろう)上院・下院議員をワシントンの議会に送り出したらいい、と。もっとも、それだけ英語力と交渉力を兼ね備えた日本人が何人いるか考えると、これもまた非現実的な夢想なのだが。
(アラスカとイベリア半島は同じ型から?)
今回、フライト・マップを見ていてふと気が付いた。アフリカ西岸が南米東岸にパズルのようにぴたりと合うのは知られているが、今回気が付いたのは、アラスカを鼻先に北米大陸の向きを少し上に跳ね上げると、イベリア半島を鼻先にした欧州の姿に酷似してくる、ということ。ハドソン湾のあたりがバルト海に相当するのだ。昔、大陸の金型みたいのが地中にあって、この二つはここを通って海上に姿を現したものかもしれない。
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コメント
私は10月にトルコに行きました。丁度拘束されていた米国人牧師が解放された時期です。
トルコも今や中国人に席巻されていて、日本食屋は殆ど見当たらなかったのに反し中華料理屋は何処の街にもあり、土産物屋の前を通れば先ず「ニーハオ」。しかしトルコ人は相変わらず日本人大好き、中国人大嫌いだそうで、事実こちらが日本人と分かると大喜びしてくれる。交通違反キップを切られた警官に別れ際に「ウェルカム トゥー ターキー」とハグまでされて、何とも曖昧な気分でした。
アフロディアシスでシャトルバスを待つ間に話しかけて来たフロリダから来たという白人夫婦、色々雑談した後に突然「どうしてトランプの支持率が下がらないのか、その理由を知っているか」との質問、僕が返事を保留してニヤニヤ見返していると吐いて捨てるように「アメリカ人にはバカが多いという事なんだ」との事でした。
ボストン旅行記大変参考になった。話の面白さもさることながら、一般的な情報の裏に隠れたアメリカの変貌が見て取れる。独立王国だったハワイにおける今日の自治要求運動と、これも独立王国だった沖縄の自治(一部独立)運動とを重ね合わせることができる。しかもこうした運動は世界的な規模で進行しており、グローバル化の裏側現象ともいえる。発信者のグローバルな情報活動とグローバルな視点には小生常に頭を下げている。