ユーラシアを理解するために 2
(昨年6月アップしたものの続き)
2.歴史の遺産
「・・・民族は歴史的に~~である」というような宿命論は、客観的な分析の敵である。他方、歴史がある国の社会構造をどのように変え、それが現在の政治・経済にどのような影響を及ぼしているかを見ない者は、ものごとを浅薄にしか見ることができない。数千年の歴史を持つユーラシア大陸諸国においては、政治・経済・社会の全てにおいて歴史が遺したものを見定める必要がある。そのいくつかをここに挙げておく。
(1)「工業化以前」の社会
西欧は15世紀以降、イスラムの商圏を侵して富を積み(ヴァスコ・ダ・ガマは、イスラム商人の先導でインド洋の通商路を開拓したのである。その後西欧人は大砲・鉄砲を用いて、インド洋通商権を簒奪した)、その後は産業革命によって国力を飛躍的に増大させた。逆にイスラム地域の多くは後進性の中に沈み、その中でイスラム法学者等のエリート層が僅かな利権を独占して、その利権を守るための権威主義的な統治を行うようになった。このような社会では「伝統」が強調され(実際には既得権益層の利益を守っているのである)、個人の権利をベースとする西欧的価値観は排撃される。
西欧においては産業革命の結果、中産階級が形成され、それをベースとした権利・人権意識、個人の責任感、あるいは民主主義が生まれ、それは現在アカウンタビリティーの重視等、透明性、公平性を重んずる価値観の発達につながっている。
こうして、ユーラシアにおいては工業化を経た国と、そうでない国の間に価値観の対立が見られる。中近東、中央アジア、南アジア、そして旧ソ連圏(バルト諸国、チェコ、ポーランドを除く)、そしてオスマン支配下にあったバルカン諸国が後者に属する。バルカン諸国の一部は、特恵的な恩恵を期待してEUに入っている。中近東諸国はかつて世界文明の中心的地位にあったのを西欧にそれを奪われたこともあり、今では豊かになった西欧、米国に対して嫉妬・憎悪を抱く。彼らは自分達の中世的な社会倫理や価値観を「伝統」として擁護し、欧米に対して自尊心を維持しようとする。これら諸国の保守的エリート達は、こうやって国民の不満を西側に向けさせては、自分達の利権を維持しようとしているのである。彼らは、困窮した青年層を洗脳してテロリストに仕立てることも厭わない。
中央アジア諸国(特にウズベキスタン、カザフスタン北部)は、中東諸国より工業化が進んでいる。しかしそれは社会主義時代、計画経済に基づいて行われたものなので、人々のメンタリティーは工業化社会のそれではない。同諸国においては計画経済の後遺症で、国富を一部のエリートが独占し、住民を依存させてはボス支配(地域毎の「クラン」が存在している)、権威主義的支配を続けている。
以上、ユーラシアに見られるマインドの差はイスラムとキリスト教の対立だと言われることがあるが、それは謬見である。イスラムが個人の権利を軽視し権威主義的であることは事実だが、それはイスラムが成立するはるか以前から工業化以前の社会の特徴となっていたものである。
(2)「社会主義計画経済」がもたらした改革不能の体質
(a)計画経済は経営ではなく行政
ロシア、中央アジアのみならず、ユーラシアの大きな部分を社会主義計画経済の悪しき遺産が覆っている。それは北朝鮮、モンゴル、中国、インド、ミャンマー、コーカサス諸国、モルドヴァ、ルーマニア、ブルガリア、旧ユーゴスラヴィア南部の諸国、アルバニア等に及んでいる。この遺産の深刻度は各国で異なるが、いずれにおいても市場経済化、民主化を大きく妨げる要因となっている。このことが日本、西側諸国において十分認識されていないため、中国経済の表面的な成功に気押されたり、ミャンマーの経済改革に過度の期待を抱いたり、中央アジア社会の民主化が簡単にできると思ったり、ということが起きるのである。
では計画経済の悪しき遺産とは何か? それを考える前にまず、ソ連型の計画経済とはどういうものなのかを述べておきたい。詳しい歴史は省くが、それは要するに付加価値を生産する「生産手段」は、商店の類に至るまですべて国営化し、「何を、いくつ、いつまでに生産し、誰に、いくつ、いくらで販売するか」という経済活動の根幹をすべて国家が計画し、法律として、1年間動かさない(動かせない)、「経営者」の成績はこの計画を達成したかどうかによって決めるということである。ここでは企業の長は経営者と言うより、官僚なのである。生産のための資材も、「何を、いくつ、どこから、いつ」供給を受けられるか、計画で指定されている(但し計画通りに供給されることは滅多になかったので、非公式なブローカーが暗躍し、これはゴルバチョフ末期「マフィア」となっていく)。銀行融資を自由に受けることはできず、「経営者」が銀行から下ろせる現金は、毎月従業員に支払う賃金分だけである。そしてその賃金額も国家計画で定められている。そしてこれらの全ては、共産党組織の厳しい監視下にある。企業等、すべての組織には共産党からの目付がおり、彼らは「経営者」の行動を見守り、会計規則からの逸脱や私生活での乱れがあれば、党集会でつるし上げるとともに、その「経営者」の交代で発言権を行使した。
この息詰まるような閉じられた体系の中では、売り上げや利潤を増やすことは意味がない(売り上げを増やせば、かえって次の年の計画生産量を増やされ、自分で自分の首を絞めることになる)。仮に増やそうとしても、資材や資金を得ることはできない。無理をするとどこかで会計規則や法律を冒すこととなって、内部告発されてしまうのである。ソ連時代、このような「経済犯罪」で服役した経営者は数多い。
ソ連の経済行政は縦割りになっていて、「製鉄省」、「自動車工業省」、「軽工業省」、「穀物買い上げ省」、「鉄道省」等、部門毎に省が林立、その上に国家経済計画委員会(ゴスプラン)、更に上に共産党中央委員会の諸部(多数の省庁を部門毎に束ねる、「軽工業部」、「運輸部」等)があって、縦割りで対立しがちな諸省庁、企業の間の調整を行っていた。自動車の生産計画を達成しようとしても、鉄鋼企業が鋼板の納期を守らない、自動車を出荷しようとしても鉄道省が貨車を配車してくれないといった調整不良は、日常茶飯であり、これは共産党中央委員会諸部レベルの調停を必要としたのである。
このような体制が生んだものは、①企業の独占・寡占化と競争の不在、②採算無視で計画達成ばかりに執心する官僚的体質、③企業間、部門間の調整を市場原則によってではなく、官僚的な指令によって実現しようとする体質である。
(b)「企業=利権」という誤解
今日、旧社会主義国の経済はかなり「自由化」されている(国によって差がある)。中国に至っては、ほぼ完全に「市場経済」になったと思われている。しかし筆者が90年代以降のロシアで見たものは、市場経済ではない。確かに1990年代には大企業も含めて、「民営化」が進んだこととされていた。しかし、ロシアの場合、各経済部門には少数の大工場があり、それらは「民営化」された。一見、自由市場での競争が創出されたように見えるが、1993年のロシアでは、おそらく旧共産党勢力を企業から追い出すために、エリツィンが民営化を政治的に急かしたのである。このため、国営企業の資産価値を精査する時間さえなく、国営企業は新興の「オリガーク」(寡占資本家)達に安値で払い下げられていった。彼らは企業を買収したと言うよりは、「政府から受託された」と言うに近いのであり、その所有権は相対的なものであった(例えば「石油王」と言われたホドルコフスキーは2003年冤罪で逮捕され、「ユーコス」は解体、国有化されてしまったし、「アルミ王」と言われているデリパスカは2009年、工場従業員への給料不払いをプーチンに咎められた際、「国が返せと言えば、いつでも自分の企業を差し出す用意がある」と卑屈に述べている)。
とは言え、国営企業を手に入れた多くの新興企業家にとっては、「競争相手のいない独占企業を安値で手に入れた」ことになり、これは利権なのである。しかも、「資本主義とは何でもありの世界」という誤解があるので、多くの企業家は私利私欲に走った。計画経済が生んだ独占体質、競争の欠如が、企業=利権という風潮を生み出したのであり、1990年代前半のモスクワ、サンクト・ペテルブルク、エカテリンブルク等では「マフィア」が昼日中から撃ちあいを展開していた。ルノー・日産が2012年買収の意向を表明したトリアッチ市のAVTOVAZはロシア随一の乗用車工場であるが、以前は部品販売等をめぐってマフィア的な組織が利権を確立、トリアッチ市で鉄の支配を確立していたとされる。
(c)「市場経済化」、「民主化」は利権闘争に堕する
このような社会においては、市場経済化、民営化は利権闘争を激化させ、国内を不安定化させるだけで終わりがちである。民営化によってのし上がった寡占資本家は、政治的権力を欲することが多い。独占的な経済においては、自分の企業の利益増進のためには立法、行政、司法すべてにわたって政治的権力も握っておくことが必要だからである。ロシアの場合、ベレゾフスキー、グシンスキー、ホドルコフスキーはそれを試み、いずれもプーチン大統領によって抑え込まれた。寡占資本家達はマスコミを買収して世論操縦を行い、政党も設立する動きを見せたからである。
ソ連的体質を強く残す中央アジアの指導者は、このようなロシアの例を良く見ている。従って特にウズベキスタンにおいては、企業家が野党化しないよう、意識して統制を行っている。
「民主化」も、旧ソ連諸国のように利権が一部の手に集中している所では、歪んだものとなりやすい。例えば、これら諸国では欧米のNGOが多数活動し、「民主化」運動をしている団体に助成金を提供したりしているのだが、そうするとこの助成金目当てで「民主化」を標榜する者が出てくる。中央アジア諸国で公的レセプションに出ると、この手の「活動家」がつて(・・)を求めて名刺交換に寄ってくる。彼らは西側から資金をもらって「野党」を作るのだが、多くの場合、彼らは自分の利益のことしか考えない。議席を得れば、公金で私利をはかることができるからである。ロシアの場合、モスクワ西郊のクラスノゴルスクには共産党等「野党」指導者の邸宅(「ダーチャ」)が並んでいるが、これらは公金で建設されたものである。彼らは、政府から提供された公用車を私用に使い放題なのである。
中央アジアの場合、例えば経済規模の小さなキルギスでは利権闘争が熾烈であり、このために政権が暴力で交替することが2度起きている。2005年アカーエフ初代大統領を「チューリップ革命」によって倒して政権についたバキーエフは、中央開発投資革新庁を新設して長官に息子のマクシムをつけ、国内の利権を独占する動きに出たことが、2010年暴力で政権を倒されることにつながった。そして後出の通り、キルギスにおける政権交代は、同国南部における麻薬利権(アフガニスタンからのヘロインをロシア、欧州に中継)の交代にもつながるのである。
(d)集権経済が強化した「クラン」体質と権威主義
工業化以前の社会では、富の量が限られているために、それは一部有力者の手に集約されがちである。他の住民はその有力者に依存することで生計を立てるので、社会は「クラン」が分立したものとなりやすい。中央アジアはそれが如実なところであり、例えばウズベキスタンでは「タシケント・クラン」、「サマルカンド・クラン」、「フェルガナ・クラン」、「ブハラ・クラン」が截然として存在し、大統領は人事においてこれらクラン間でのバランスを考慮していた。以前は、大統領府の公用車の運転手採用に当たってさえ、サマルカンド・クランの長であったジュラベーコフ大統領補佐官が自ら面接していた程である。但し近年ではテクノクラートが台頭して、クランは相対化している。つまり、クランを率いるボス的存在がいなくなったので、タシケント出身者がサマルカンド出身者と提携することも当たり前となっているのである。
また、富が一部有力者に独占され、その分配が彼の恣意に依存する社会は、権威主義化する。有力者に卑屈に従っては、分け前を得ようとするのである。ソ連が持ち込んだ集権・計画経済はそのような傾向を激化させた。このような社会は、経済のパイ自体を大きくするまでは近代化、民主化が難しい、他方近代化されていない社会で経済のパイを大きくするのは難しい、というジレンマに陥る。例えば、権威主義的社会の企業は、近代的経営が難しい。社員は組織で動く――つまり課長や部長に従う――のではなく、社長に何とかして取り入って引き立ててもらおうとしがちだからである。社員は互いの失敗を言い立てては足を引っ張り合い、上司の寝首をかき、情報・人脈を独り占めして自分の成績だけ上げようとするのである。
工業化以前の社会にソ連型の集権経済が持ち込まれた時の弊害は中央アジアだけでなく、コーカサス諸国、モルドヴァ、ルーマニア、ブルガリア、旧ユーゴスラビアの南部諸国、アルバニア等においても顕著である。
このような国々では、中国で起きたように、外資が集中的に投資を行うことでその国の経済を強引に成長させることしか、近代化への方途はあるまい。しかし中央アジアのように内陸にあって、大市場へのアクセスが難しい地域では(中央アジア諸国にとって中国は身近な大市場なのだが、今のところは中国製の消費財が中央アジア市場を席巻している)、外資の大量流入は起こらないだろう。このような国では、ロシアやカザフスタンのような資源大国に出稼ぎに行くことが生存のための手段となる(出稼ぎは、途上国にとっての一大産業である。それは北朝鮮からロシア極東、フィリピンから米国、パキスタンからサウジ・アラビア等の流れとなっているが、旧ソ連においてはロシアとカザフスタンが周辺からの出稼ぎ者を大量に受け入れている。ロシアでは多くの場合、地元官憲が出稼ぎ者から賄賂を徴収しては割り当て人数を超えた入国を認めているため、ロシア官憲にとっても収入源になっている。
2006年ロシア中銀の統計によると、出稼ぎ者がロシアから本国に送金した額は、第2四半期だけでウズベクに2,1億ドル、ウクライナに2,1億、タジクに1,9億、アルメニアに1,3億、モルドヴァに1,1億、キルギスに1,0億、アゼルバイジャンに0,9億、グルジアに0,8億ドルであった。
それぞれの国は、GDPのかなりの部分を出稼ぎ者からの送金に依存していることになる。モルドヴァは27%、タジクは12%、キルギス、アルメニアは10%に上る計算になる。これは、これら諸国のロシアに対する弱みとなる)。
(3)「東西問題」(冷戦の遺産)と「南北問題」の共存
(a)権威主義、政治優位
ソ連は崩壊したが、中央アジアを含め、旧ソ連の諸国では諜報機関等の「暴力装置」が残っていて、それが国内の既得権益層を守っている。バルト諸国を除く旧ソ連諸国においては、それぞれの諜報機関はロシア諜報機関と未だに強い人的関係を維持していて(元は一つの組織であり、上下関係にあった)、それぞれの諸国が完全にロシア離れをするのを食い止める歯止めとなっている(これについては後述する)。
ウズベキスタン、カザフスタンではソ連時代からの指導者、及びその下のエリート層がそのまま居座り、国内の権益を牛耳っている。ソ連時代の中央アジアにおいては、地元の利権は地元のエリートが抑え、それに共産党中央から派遣された「第二書記」が目付役として君臨する構造になっていたので(例えばウズベキスタンはそれだけで一つの国家としての構造を一応持っていた)、中央権力が崩壊しても、彼らは直ちに独立国家として離脱できたのである。
こうして地元の利権構造に古くから寄生する地元エリートにとって、「西側の制度」、「西側の価値観」、「ハリウッドの映画」は、彼らが既得権益を守るために使っている「権威主義」という武器をぼろぼろにしてしまうので、排撃するべき対象にある。中央アジア諸国では「権威主義」とは言わず、「長幼の序」(「年長者を敬う」)という言葉を使う。組織においては社長、家庭においては父親が絶対服従の対象とされるのである。
中央アジア諸国の法制、政府内の規則等は、ソ連時代のものを使っていることが多く、改革の進んだロシアのものに比べて「ソ連以上にソ連的」な官僚主義、強権主義が見られる。例えば国内の天然資源の埋蔵データ等、「機密情報」の範囲が広いため、ODA供与や直接投資の場合、西側はデータ不足に悩むことになる。中央アジア諸国の多くの国の外交官は、西側諸国で在勤しても自由な活動をしない。ウズベキスタンの場合、在外工作費は極度に限定されているようで、日本人を食事に招待することもままならないようなので、同情するべき余地はあるのだが、ソ連時代のメンタリティーの表れとして「公のラインから外れた言動をして、それを上司や本省に報告されること」を極度に恐れている面もある。
ソ連的社会に育った者は(中国人も含めて)、権力がいくつかに分散した社会を理解できない。米国大統領が議会をどうしようもできなかったり、日本の総理がマスコミを統制できないなどは、彼らには信じられないことなのであり、西側政府がそのような説明をしても受け入れない。西側の指導者に「政治的意思が欠如」している、つまり汗をかくのが面倒だから、言い訳として「権力の分散」を使っているのだろう、というわけである。
また、ロシアも含めて旧ソ連諸国の企業は資本力、技術力等に欠けるだけでなく、自分のリスクと責任において対外折衝することに慣れていない。彼らは、政府から指示された「国策」を実行するだけの官僚的マインドを強く残している。従って、ロシア及び旧ソ連諸国は、外国での商権に割り込もうとする場合、政府を通じて「政治的な合意」を得ようとしがちである。例えば2000年代初期、アフガニスタンのインフラ復興が国際的に進められた時、ウズベキスタンの企業は国際入札に参加することはせず、政府のチャンネルを通じて「ウズベクの建設企業にも注文を下ろす」よう求めてきたのである。これは、彼らの企業が国際入札に参加する経験も能力も資金もないだけでなく、西側では入札の透明性・アカウンタビリティーが(普段は)本気で守られていることを知らないからである。「国際入札? ふん、そんなものは見せかけだけで、本当はもう決まっているのだ」というのが、ソ連的人間が示す典型的な態度である。
(b)「南北問題」
旧ソ連諸国の多くは一人あたりの国民所得が低い、開発途上国である(但しエリートの知的水準は高い)。その中にはカザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンのような資源大国もあるが、所得水準・教育水準における格差は大きく、国内ではクラン・腐敗体質が強い。またタジキスタン、キルギス、グルジア、モルドヴァは、天然資源にさえ乏しい。
現在、国連等においては先進国と途上国の間のせめぎ合い(「南北問題」)が激化している。旧ソ連諸国、及びユーラシアの諸国の大半はここにおいて、西側から利益を搾り取らんとする途上国の側につく。これら諸国は、先進諸国が金融緩和を行えば、食料やエネルギーの国際価格が上がると言って文句を言い、先進諸国が金融を引き締めると、短期資金が急激に引き上げて地元通貨を下落させインフレを招くと言って批判する。
旧ソ連諸国の多くは、ロシアから輸入する原油・天然ガス・石油製品等に割引価格を求め、ロシアに寄生しがちである。また前述の如く旧ソ連諸国のうちモルドヴァ、アルメニア、グルジア、キルギス、タジキスタンにおいては、ロシア(石油大国のカザフスタンも)は出稼ぎ先として非常に大きな存在である。ロシアはその数を絞ったり、査証取得を義務付けると脅したりしては、外交カードとして使っている。もっとも、ロシア人は肉体労働を忌避するため、これら出稼ぎ労働者なしにロシア経済は成り立たない。
従って中央アジア、コーカサス諸国の一部は冷戦の跡に生きているだけでなく、南北問題をも生きているのである。そしてそのうちで資源国は、自分の内部自身にも格差という南北問題を抱えている。このような現象は、ユーラシア大陸全体に広く見られる。
(4)民族・宗教対立
中央アジアのみならずユーラシア大陸すべてにわたり、民族・宗教対立が史上連綿として続いており、これは現代においてもこの地域の情勢を決する大きな要因となっている。「漢民族」(「漢民族」という人種は、純粋な意味では存在しない。現在、中国中央部に居住して自らを「漢民族」と称する人間達は、実際には諸民族の混血である)と周辺遊牧民族の間、中央アジアの農耕民と北方の遊牧民族の間、ペルシャ民族とアラブ民族の間、アラブ民族と欧州白人の間、欧州諸民族の間においては、耕地と富をめぐる争いが絶えない。そして、それは宗教を旗印に立てた争いとなる。宗教の違いが紛争を生むのではなく、クラン、民族が利権を奪い合う際に、自分達の宗教を旗印に立てているに過ぎないのである。例えば欧州中世における新旧両派の間の争いの蔭には、封建領主同士の争い、国王とローマ・カトリック教会の間での資産・徴税権の奪い合い、国王と封建領主間の利権闘争があった。
また現在話題に上ることの多い「シーア派とスンニー派の間の宿命的な争い」だが、シーア派はもとはと言えば16世紀、サファヴィ朝ペルシャによって国教として認められて初めて確固たる勢力を得たものである(「アーヤトッラーたちのイラン」 富田健次)。恐らくアラブに征服されていたペルシャの国内利権を、地元エリートが手元に取り戻すための手段であったのだろう。スンニー派では行政と宗教権力が分離されていることが多いが、イランではシーア派の僧侶達が裁判権の一部を保有して行政に関与したり、土地等の利権を所有している。つまりスンニー派とシーア派の対立は、結局のところ利権をめぐるものであり、スンニー派で国王一族が国内利権を牛耳るサウジ・アラビアは、聖職者が利権の多くを牛耳るイランがその勢力を伸長させるのを怖れるのである。
(5)「帝国」的存在同士の角逐
ユーラシア大陸は一つながりである。天山山脈・崑崙山脈・パミールが中国とオリエントの間を遮る(それでもウィグル人は山脈地帯の東西双方に分布しているが)他は、大陸を東西に遮るものは少ない。従ってユーラシア大陸では古来、大帝国が生起しやすい。
典型的なものとしてはローマ帝国、アレクサンドロス大王の帝国、モンゴル帝国、モンゴル帝国を裏返した形で東方を征服したロシア帝国(ロシアが沿海地方を清王朝から奪ってウラジオストックを建設したのは、19世紀後半のことである)、同じくモンゴル帝国の一部(新疆、チベット、モンゴル)をそのまま併合した清王朝、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国などである。
現在、こうした「帝国の伝統」は、地域ブロック形成の動きとして引き継がれている。ソ連崩壊の跡にプーチンは、「ユーラシア経済連合」を立ち上げようとしている。これは後述の如く、本年5月にはカザフスタン、ベラルーシの署名も得て成立するであろう。これに対してEUは、2009年「東方パートナーシップ」構想を掲げ、2013年11月にはモルドヴァ、グルジアと連合協約に署名するなど、東方に拡張する動きを示している。
そして中国は後述の如く、2000年代半ばからタジキスタンを初めとする中央アジアへの輸出・融資攻勢を強めるとともに、トルクメニスタンに長距離パイプラインを建設して同国天然ガスの最大の輸出相手となっている。中国は、ロシアが「ユーラシア経済連合」設立によって中央アジア市場を囲い込んでしまうことを警戒するに至っており、2013年9月には「シルクロード経済ベルト」構想を打ち上げた。
こうして現代のユーラシアでは、欧州方面ではEUとロシア、中央アジア方面ではロシアと中国が勢力争いをしている。米国は2001年以前は、そのプレゼンスは欧州・中東・東アジア等、ユーラシア大陸の周縁部に限定されていた。ブッシュ政権の時代はNATOを東方に拡大することに熱心であったが、オバマ政権は勢力争いに積極的には加わっていない。中央アジア地域はロシア・中国の「柔らかい下腹」に相当する、戦略的な要衝なのであるが、内陸にあるため外国軍は兵站を扼されやすい。そのため米国は、2014年にアフガニスタンから撤兵した後は、大きな軍事プレゼンスは保持しないであろう。その場合米国は、中央アジア地域においてさしたる能動的な外交はできなくなるであろう。中央アジアで相拮抗する勢力は、ロシアと中国のみになりつつある。
(続く)
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