世界のメルトダウンその10 近代の諸概念の意味の喪失4 主権の相対化
(13年前、「意味が解体する世界へ」という本を草思社から出版した。
米国のイラク攻撃が、「自由」とか「民主主義」というスローガンへの幻滅をかきたてると同時に、米欧諸国の足元でも移民により多民族国家化が進行し、近代の「自由民主主義」が危殆に瀕している様を随筆風に書いたものだ。僕が自分の書いた中でいちばん好きな本。
そして今、13年前に書いたこのことが、世界のメルトダウンを起こしている。
それについて共著本の出版を策していたのが頓挫したので、ここに自分の書いた分を発表していくことにする。これはその第10 回)
「主権」の相対化
現代の世界の主要な成員(actor)は、「主権国家」である。しかしこの「主権国家」という代物も、実は永遠の命を持っているものでもなく、将来はどうなるかわからない。もともとは中世末期、西欧の有力王家の国王達が、自分の地元におけるローマ教会の人事権・財産権・徴税権を奪って、自分の領域への支配権を独占しようとしたこと、そしてローマ教会と結びついて欧州に広域支配(神聖ローマ帝国)を樹立しようとしたハプスブルク家に対抗しようとしたことに発する。
ハプスブルクを軸とした王家の間の勢力争いには、カトリックとプロテスタントの相克もからまって三十年戦争が起き、ハプスブルクの後退を経て一六四八年ウェストファリア条約が締結され、主権国家の平等を謳った。これが近代西欧の幕開けである――というのが、これまでの世界史の定番である。
しかし実際には、フランスのブルボン家が神聖ローマ帝国を擁するハプスブルク家の勢威をそぐために、神聖ローマ帝国内の群小領邦国家に「主権」を与えたのが実像であり、フランス、英国等はその後も支配地域の拡張、植民地の拡張――帝国化――のための争いを続けた。ナポレオン戦争後のウィーン体制では欧州列強の間の力の均衡による平和が実現したかに見えたが、これもドイツの台頭によって破られ、第一次世界大戦に至るのである。
この過程において、主権国家が平等ということはなく、小国の主権はいとも簡単に踏みにじられたのである。
第二次世界大戦の最中に作られた国際連合と国連憲章は、主権国家の平等を前提に世界の平和を集団的な機構=国連で守ろうとしたものであるが、ここでも主権国家の平等は実現していない。P5と呼ばれる核保有国に国連安保理での拒否権が与えられているため、国連は紛争に機敏な対処ができない。しかも「国連軍」が作られていないため、結局は実力が世界でまかり通る。
ソ連がハンガリー(一九五六年)、チェコ・スロヴァキア(一九六八年)などでの民主化運動を戦車で踏みにじったのがその実例だし、米国のイラク戦争、そしてNGOによる旧ソ連諸国、途上国における「レジーム・チェンジ」も、実力行使によって他国の主権を冒すものと言える。後者の方は、「人道のための介入の権利」として、一九七〇年代から徐々にイデオロギーとして定式化されてきた。これは、国民の権利を踏みにじる独裁者が統治している国家があれば、国際社会は武力で介入して独裁者を倒す権利がある、とするものである。
この人道のためのレジーム・チェンジを正当化する動きに対して、ロシアや旧ソ連諸国の一部は恐慌を来たしている。彼らは、二〇〇三年のグルジア(ジョージア)、そして同年のウクライナで政府が倒されるのを目撃したし、ロシアでは二〇一一年十二月、十万もの市民が都心に集まり、総選挙の結果に不服を唱え、プーチンの退陣を求めるのにも直面した。クレムリンから歩いて五分ほどの至近距離に、十万もの民衆が集まるのを見たロシア当局が感じた恐怖心は、非常にリアルなものだっただろう。二〇一六年九月の議会選挙を前にして、ロシアは兵力30万もの国家親衛隊を設立、不法集会などは押さえつける姿勢を見せつけたのである。
ロシアや旧ソ連諸国は、こうした反政府運動は西側諜報機関がしかけたものだと主張し、他国の「主権」を尊重するよう西側に呼びかける。それは、ある国がどんな国であれ、国民がどんなひどい目に会っていようが、干渉するな、それがウェストファリア条約以降の国際的習わしだ、というのである。ロシアの場合、国民の八十%はプーチン大統領を支持しているので、その主張も理解できるが、途上国のいずれかで住民の大虐殺が起きた時にも不介入でいいのかどうか。
他方ロシアも、「主権」という理念をご都合主義的に使っている。ロシアの前身ソ連は、諸外国における革命運動を支援したし、現代のロシアも一九九四年チェチェン人が独立・主権を求めて立ち上がった時には、これを武力で徹底的に殲滅した。「主権を尊重せよ」とは、別の言葉で言えば「自分達の権力、利権に手を触れるな」という原始的な要求に過ぎないのである。
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